2013年五月
始まり。
それは2013年五月二十七日。
もちろん、日常はとうに流れ過ぎてゆく。時をひとまず切り取ったのがこの時である。
ここは『うろな町』
ヒトが行き交い出会う町。
誰もが運命に関わる出会いが待つ。そんな町。
早朝のペットショップ。散歩を待ち構える犬達を前に一人スレンダーな女が腕を回している。
その様子をキッチンの窓から母親が笑顔で見守っていた。穏やかなショップの裏方の日常。そんな一片である。
◇◆◇
ぐぅーっと力を込めて腕を伸ばす。
早朝の散歩の時間だ。
「おはよう。宇美ちゃん。今日もよろしくねぇ」
「はーい。朝ごはんの卵はスクランブルエッグ希望でーす」
お母さんに要望を伝え、散歩を待ち望む奴らを迎えに行く。
「おっはよー。今日も元気かー」
ぁうんわぅんばぅばぅ
犬達が尻尾を振って喜ぶ。
私は久島宇美。
ペットショップ「Love・ふぁみりあ」を母が経営している。
私は通勤すぐの「戸津アニマルクリニック」に週五、時々実家のペットショップの手伝い許可もありという優良物件に勤めている。
朝一は実家の犬たちを散歩に連れていく。
ドッグランのある公園へ向かう。
「おはよう。宇美ちゃん今日もご苦労さん」
顔なじみの長船のおじさんが声をかけてくる。
いつもどっちが先に挨拶するかちょっと競争みたいになっている。
コレが我らがうろなクオリティー。
「おはようございまーす。今朝はもう二ターンきますー」
「おー頑張りなー」
ドッグランで犬達を遊ばせながら、犬好きー達と情報交換をする。
「手袋ちゃんが運ばれてきて驚きました」
「大丈夫だったのかい?」
「もう随分元気になったし、もしかしたら、野良猫卒業で飼い猫になるかも」
「新しい町長さんがうろな町の教育を考える会っていうのをやるらしいねぇ」
「若いもんの育成は大事だからなぁ」
「最近は人が増えてる気がしますねぇ。知らない人が増えて治安は大丈夫かしら?」
「そういえば椋原の真帆ちゃんがまたひろいもん、したらしいぞー」
「またかー」
「あー手袋ちゃん拾った堂島さんも新入の方ですねー」
「小梅ちゃんにコナかけてる若い兄ちゃん先生がいるらしいぞ」
「応援するか邪魔するか悩むところだな」
「え? マゾ清水? ガンガン小梅ちゃん狙いだぜ?」
ドッグランの情報は何時も濃いものだった。
朝の喧騒を眺めつつ、話題を聞く。この時間が朝だなぁって実感する。
◇◆◇
二十代半ばの女。久島宇美の日常の朝。
視線を転じれば東の海辺に少女はいた。少女の自宅はガラスを多用した元水族館。
元気に跳ねるような歩みでさらさらと跳ねる髪は白金。うろなと言う日本の町にあって日本人の外見ではなかった。
◇◆◇
朝だーーー!
日生芹香八歳。海の見えるうちに住んでいる小学生。
お兄ちゃんが三人いる。一緒に住んでるのは高校生のお兄ちゃん(ま、双子だから正確にはおにいちゃんは四人かな)だけ。
あ、おかあさんも一緒に住んでるよ! たぶん。(あんまり会わないし)
朝は着替えて学校に行く準備をしたら、すぐ近所にあるお母さんのお兄さん、おじさんちにいく。
そこで朝ごはんをしていとこと一緒に南小に行く。
お兄ちゃんは先に行ってお店のお手伝い。
病院内喫茶「ハーミット」は朝はほぼ身内だけ。
仕方ないよねー。病院正式にオープンしてないもんね。
お医者さんであるおばさんは今うろな総合病院でインターン生中なんだって。
えっとー見習いさん?
「セリちゃん、おはよう」
「おはようございますー。笹原のお姉さん」
笹原梓弓さん芸術家さんらしいけど、産休の先生の代わりに、今は高校で美術の先生らしい。
お兄ちゃんが言うには男に風当たりが強い。らしい。よくわかんない。
お母さんとは仲良しだよね。
「朝ごはんだねー」
「朝ごはんですー」
そうそう、おばさんがインターン終わってからのオープン予定なんだけど、実は稼働はしてる。
海そばの非常用治療施設として。
ウチの海の家と並んで活動中。
あ、うちはおかあさんが海洋生物学者でみぼーじん。カッコいよね。ちょっと自慢。遺産で研究し放題らしい。
海の家は元水族館で今は生物の気配はない。
六年間のうろなの海の観察経過が貼って、違った観測経過が掲示してある。
えっとー海で検挙されたチカンさんとか今年の水着美女ベスト3とか。
すみに私の朝顔観察記録もある。
「おはよう」
「おはよーせりちゃーん」
「おはよーみあちゃーん」
さあ、朝ごはんだー
◇◆◇
八歳。小学三年生の少女。日生芹香。異国で生まれ母と共にこの町に来たのは三年前。母親とは同じ家に暮らしながらもその接触は少ない。
高校生の兄達と母親の四人家族。徒歩五分のところに母親の兄の家族が住んでおり、ほぼひとつの家族として機能しているような物である。
少女はその環境で空を羽ばたくための羽を伸ばしてゆく。
ペットショップの奥、居住エリア。
娘が高校に入ったころに黒電話からプッシュホンに替え、今ではケーブル会社の電話サービスを採用している。一括支払いが最大の魅力である。あと、特定電話先への定額制。妻の長電話は仕方がない。そんなことを考えながら夜勤業務から夫は帰って来る。
◇◆◇
「あら、奥さんお元気ぃ。こっち? こっちは相変わらずよぉ。のぶちゃんたら鈍くて困るわー。いつでも宇美をどうぞって言ってるのにぃ。あら、宇美ちゃんどうしたの? え? 誰と電話中かって? 内緒よぉ。そーなの。娘に睨まれてるわー。母の尊厳の危機かしら? やっだ〜、大丈夫〜? うん。ええ、またね」
「終わったか」
「情報は大切よねー、おかえりなさい。旦那様」
夜勤明け帰ってくると妻電話中。
まぁいつもの光景だが。
たぶん、花屋か和菓子屋か自転車屋の奥さんの誰かだろう。わからんが。
「朝ごはんになさるー? シャワーになさるー? それとも、…………一寝入り?」
うふふと笑いながら囁いてくる妻。
困った人だ。
「朝食を頼むよ。奥様」
「はぁーい」
奥さんは私が食べる姿を眺めながら、マシンガントークを開始する。
「宇美ちゃんにねぇ、ペットショップ継ぐんならいろいろ仕込むべきよねぇ」
「別に好きにさせたらいいだろう? もう子供でもないんだし」
「だって、おチビちゃんたちが幸せになれるかがかかってるのよぉ」
心配どころは娘でなく、動物たちか。
「基本として家庭環境の確認よねぇ。単身者と家族は違うし、共働きも要注意。気管支の弱い家族の有無も気になるわよね。一人暮らしの人に寂しがり屋の暴れん坊候補はダメだし、お互いにいいバランスが重要なのよね。ほら、私と旦那様みたいに」
きゃぴっとしている奥さんは最高に可愛い。
「住居も問題かな?」
「そう! さすが旦那様よくわかってるぅ。周囲の住民の理解とかとっても大事。禁止の建物で飼うのは問題外だけどねぇ」
それが原因で不眠とか問題に発展すると面倒だ。
「しつけ。予防接種。避妊去勢。何よりも相性よね」
あー
愛は重要だよな愛は。
「あ、話は変わるのだけれども、最近増えた人の中に無職の人がちらほらいるらしいの」
無職?
「わんこの散歩バイト勧誘したら誰か来てくれるかしら?」
大丈夫なのか?
「聞いてみたらいいだろう。当てがあるんだろう?」
「じゃあ、後で椋原さんに電話してみるわ」
「おかあさん、ペット飼いたい人が家族じゃない人と来た場合、どうするの?」
「あら、宇美ちゃん。そんなの決まってるわ。その本人じゃない相手の方にどの子がお好きですかって聞くのよー。きっと未来の家族の方だと思うものー」
我が妻は偉大だ。
◇◆◇
外の仕事に忙殺される夫であり父である男。妻を愛し、娘を気遣う。そしてただ寡黙に二人を見守る。
旧水族館。
今は水族館ではありえない建物。水槽はそのままに、いつでも水族館として営業できそうなぐらいに設備に手をかけられた建物。
雨の中、建物の中から荒れた海を眺めに来ている物好きが数人いた。
◇◆◇
「いやー、すごい雨だねー」
「本当だねぇ」
分厚いガラスを叩く強い雨。内側にいる私たちには被害を及ぼすことはできない。
少し、学校に行っている娘が心配ではあるけれど、先生方がちゃんとしてくださるだろう。
懇談会とかにーさんに任せっきりだったから、担任の人も知らないけど。
「オープンには間があるんですけど?」
「ちゃんと入場料の五百円は払ったよ。なぁ」
「ねぇ」
「雨脚が強いようで心細くてなぁ。それにいつもここ使わせてもらっとるよ?」
目の前には老人が十人くらいいる。
「はぁ?!」
「夕方なら千秋ちゃんと鎮ちゃんが入れてくれるし、暁ちゃんも快くいれてくれるよなぁ」
にーさん?!
「オー、メズラシイ。あーやアサゴハンタベルデスカ」
片言の老人だ。髪は見事なシルバー色素の薄い水色の瞳。もちろん日本人ではない。
「そう。今日はゴドさんが入れてくれてなぁ。私等の命の恩人じゃあー」
老人たちが「ナムナム」とゴド老人を拝む。
「オーゥ。ソレハイワナイオヤクソクデース」
ジジィどもめ。
「あれ? アーちゃんの分のご飯持ってきてないよ?」
にーさん。
押してきたワゴンには大量の料理。
「いつの間にここは老人憩いの家になったのよ」
「あーや、お年寄りには敬意をはらう。基本的な礼儀だよ?」
「亡くなった夫の享年越えた老人には敬意を払うことにするわー」
享年七八歳だったわね。
「機嫌悪いのー」
「あはは。まぁ気にしないで。今日はチョコとオレンジマーマレードのパウンドケーキ。ほうれん草のシフォンケーキ、スイートポテト。魚介の炊き込みおにぎり、茶粥。お茶はセルフでどうぞ」
日生暁智。彼は私の兄である。十八の時に十五の女の子に押し倒されて既成事実を作られちゃうヘタレではあるがいい兄である。
お菓子作りその他は高校三年間ヨーロッパ留学で地元の店に弟子入りして習っていたという本格的なもの。
凝った物よりシンプルなものが多い。
作ることに凝り性な男三十二才。
まぁ、私も同じ歳だけど。
もう一人同い年の妹もいるけど、うろなにはいない。
いい町だけど、人付き合いが時々鬱陶しく感じるのも本当。
新しい町長さんは結構改革派だという老人たちの噂だ。
それにしても、寄り合うんなら耳鼻科とか公園とかで良くない?
近所に病院あるでしょうに。
「不安じゃー。町が変わっていったら、私等ついていけんー」
「オーゥ。ダイジョウブデース。ワタシタチのユウジョウハカワリマセーン」
いや、ここにきてるジジイどもなら対応できるって。
「ゴドさんは優しいのー。偉い人なんじゃろー」
「シゴトハインタイデース。タダのトシヨリデス」
カットされたほうれん草のシフォンケーキが差し出される。
にーさんは店をちゃんと出したいらしいが、子供達を優先していて今は叶っていない。
奥さんがインターンを終えて、産婦人科を開業したら、もう少し夢が叶うんだろうか?
『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』より清水先生梅原先生の話題
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『『うろな町』発展記録』より町長さんの話題
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『Vivid Urona』より椋原真帆ちゃん話題
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