10/12 うろな裾野 昼下がり
うろな裾野で電車を下りる。
途中で買いなおした傘を差しふらりと歩く。
雨はやまない。
少し増水気味の川に架かる橋の下にもぐりこむ。
遠縁だか、知り合いだかでサツキさんの保護者がこのあたりに住んでいて七月後半からはサツキさんもこのあたりで住んでいたらしい。
家族の失踪の後もサツキさんは変わらなかった。
僕は知ろうとしなかった。近づこうとしなかった。
ミホと健から聞いても避けられてるのに会いに行けば嫌いだと言い切られるかもしれないと思うと怖くて近づくことのなかった場所。
タバコに火をつける。
味覚に影響が出るから吸わなくなっていたもの。
火をつけて煙の動きを見守る。
口にしようとは思えない。
失われたものは帰ってこない。
それは帰ってきてはいけないものだ。
タバコはある程度燃え尽きて取り落とした瞬間、しゅっと音を立て水たまりに沈んだ。
『水』に『触れて』あっという間に『消えた』タバコの火。
火は水で消える。それでもなお人を焼き尽くす火が思い浮かばない。
「サツキさん」
思い浮かぶ姿は明るい笑顔。
惚れた欲目もあるだろうけど誰よりも眩しくてきれいな笑顔で。
軽く目を閉じる。
誰かが『かえしてやる』と囁けば僕はどこまでを賭けるのだろう?
失うことが本気で考えれないくらい許せないもの。
どこまでを僕は安いと感じるんだろう?
「あの」
闇の中に控えめな少女の声が聞こえる。
聞き覚えはあまりない。
「そんなところで寝てしまうと危ないですよ?」
声のする方に視線を向けてみる。
長いスカートの裾が揺れている。
視線を上げればあおい傘をさし、こちらを覗き込む白髪の少女。
ずきりと胸が痛む。
「……すこし、少し休憩のつもりだったんです。声をかけてくださってありがとうございます」
そう言って橋の下から出て傘をさす。
いつもどおり笑えてるかな?
おかしくなってないかな?
あんまり知らない人だから大丈夫かな?
赤い瞳が細くなる。どこか不思議そうに。
『長く白い髪』『赤い瞳』はキーワードだ。
「雪姫さん?」
同年代ですでに自活していて森に家というか、アトリエを持っているという少女。
なぜか我がことのように隆維が絶賛していた。
少女・雪姫さんはこくりと頷く。
「鎮の弟で千秋といいます。兄とは会ったことがあるんですよね」
雪姫さんは納得したように頷く。
すごいなと思う。
単独でどちらかに会うと高確率で間違えられるから。
彼女の反応は『似ているけれど違う。誰だろう』という感じだったから。
そう、だい
「大丈夫ですか?」
え?
「大丈夫ですよ?」
とっさに返すとすぅっと片手が伸びてきて俺の手に触れる。
暖かい、熱いくらいの手。
彼女は責めるような眼差しで俺を見る。
「大丈夫じゃないです。冷え切ってるじゃないですか」
そう言って手を引く。
そんなに冷え切ってる?
「そうかなぁ」
逆らう気になれず手を引かれるまま歩く。
雨はやむことなく降り続く。
ビニール傘ごしに見える暗い空。
白いレースの傘からひらりと踊る白い髪。なぜかちらちらと青い色が見える。
隆維は『フラスコプレパラート』と妙な評し方をしていた。
フラスコの中に入ったガラス板。
以前に言っていた『透き通る』と通じる評価。
隆維は『フラスコプレパラート』と言っただけで正解は教えてくれなかった。
中に入っている液体がどんな性質をもつ液体であろうとも変質しない。光に透かせば輝きを反射させる。そんな不変性を軽い感じで説明された。確かに実験器具が簡単に変質しては困るなと思った。
思考がまとまらない。
雪姫ちゃん、お借りしております。




