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8/6 ビーチ恋模様
「私、旅館の女将さんになれるかな?」
紬ちゃんがいきなりそんなことを言い出した。
夕方、人気のないビーチ。
「和服は着れるし、ある程度の接客もできる。お茶やお花も一応は習っているし。もっと勉強はするつもり」
控えめで、あまり自己主張はしない。そんな印象の紬ちゃんだ。
そして呉服屋さんのお嬢様としてそつのない教育を受けている。
努力家で人当たりも面倒見もいい。
きっといい女将さんになれると思う。
「だからね、逸美君」
「僕が大学卒業したらお嫁さんになってくれる?」
何か間があった。
ほろりとこぼれる涙。
紬ちゃんが泣いてる。
「え?」
ほろほろと見開いた瞳から涙が零れ落ちる。
「……ごめんね。困らせる気はなか……ったの」
必死にしゃくりあげるのを堪えながらそう告げる姿は痛々しい。
「すぐ、いつもどおりにできるから……。で、でも今日は無理……ね、ごめんね」
無理やり作った笑顔。
ずきんと胸が痛い。
紬ちゃんはきびすを返して走っていく。
中学の時、陸上部だった紬ちゃんは早い。
相変わらずフォームはきれいでなびく黒髪が夕日に映える。
展開についていけない。




