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第1話

 春風駘蕩というにはまだ肌寒さを感じる3月25日、篠宮玲しのみやれいは、母親の墓参りに来ていた。春休みである。4月になれば、私立桜華台学園の高等部1年生になる。

 桜華台学園は、小・中・高のエスカレーター式の男子校で、初等部以外は全寮制となっている。もちろん、初等部でも希望者は入寮可能だ。

 玲は、3年前に中等部へ編入した。元来、身体の弱かった母親は、彼を出産後も体調が思わしくなく入退院を繰り返していたが、小学校卒業を待ったかのように鬼籍に入った。

 ちょうど、その頃、父親の海外赴任の辞令が重なり、他に身寄りのない玲は、父親の知人が紹介してくれた、寮が完備されているこの学園を選んだ。母親の墓標に近かったことも理由のひとつである。

 父親は多忙を極めており、妻の命日に帰国できないことを気に病んでいた。それでも、墓前に手向ける花代としては、かなり高額の送金があった。その金を受け取って、本日の墓参りとなったのである。

 生前好んでいた白百合の花を手に、しばらく墓前で語りかけ、気分よく寮へ帰ろうとしたところへ奇禍に見舞われた。

「よお。偶然だな。こんなところで会えるなんて」

 墓前の出口で声を掛けてきたのは、見るからに頭の程度の低そうな高校生である。粗暴、獰猛を形にするとこんな面構えになるのかもしれない。

 もちろん、偶然でも何でもない。玲の表情があからさまに曇った。

 彼の名前は松岡といって、自称「玲の恋人」だそうだ。昨年の文化祭で、玲のクラスは英語劇をやったのだが、そのとき演じた白雪姫の彼に一目惚れしたらしく、しつこくいい寄ってきていた。

 学校が違うので、そう頻繁に顔を見ることはなかったが、下品な手紙、メールや電話はしょっちゅうで困っていた。住所を変えるわけにはいかないし、携帯はどこで調べるのやらいつの間にか番号が漏れている。はっきり迷惑であると告げても、照れ隠しと受け取られ効果はない。ときどき、このように待ち伏せされ、いつも這々の体で逃げ出していた。

 だが、今日は、そうもいかないようである。閑寂な墓園の側、大通りからも外れている。彼の身を案じてボディガードを引き受けてくれている友人もここにはいない。同行を申し出てくれたが、墓参りにつき合わせるのはどうかと思って断ってしまった。相手は気にすることないのに、と笑ってくれたが。

 断るのではなかったと後悔したとき、松岡のごつい指が玲の滑らかな頬に触れた。背中にミミズが這うような悪寒を感じて逃げ出そうとするが、事態はそんなに甘くはなかった。

「つれなくすることないじゃんか。けっこう、気長に待ったつもりだぜ?」

「放してッ。嫌だってば!」

「今日は逃がさないからな。へへ…」

 玲の細い手首をがっちり捕まえて、舌なめずりしながらニキビの浮いた顔を寄せる。玲の気持なんかおかまいなしで、自分の醜い欲望を満たすことが目的なのは明白である。

 誰でもいい、助けて! 心の中で叫んだ時である。

「美女と野獣やな」

 どこからともなく声が聞こえてきて、一瞬、松岡の手から力が抜けた。玲は、その好機を見逃さない。すかさず、渾身の力で腕を振り払い、野獣から逃れることができた。

「あっ……! 畜生! 誰だッ!」

「上や、上」

 いわれるままに上を仰ぐと、墓前を取り囲んだ灰色のコンクリート塀の上に人が立っている。

「よっとッ」

 玲と松岡の間に飛び降りてきたのは、どう見ても、小学生である。身長140センチ前後、白いトレーナーに膝の抜けたジーンズ、タイガースの野球帽に、厚手のパーカーを羽織っている。あどけなさはあるものの、かなりいい線に育つだろうことが簡単に予想できるほど、少年の容姿は整っていた。意思の強そうな瞳が玲をちらりと見た。

「やっぱ、自分、可愛いわ」

「え……?」

 いきなり現れた見ず知らずの小学生に、高校生(になるのは4月からだが)男子に対する褒め言葉にはいささか不適切な発言をされ、絶句する。実際、玲はとても可愛らしい。だが、本人は女顔であることに多少なりともコンプレックスがあるため、いつも全面否定していた。

 しかし、今回は、違った反応を見せた。うっすらと頬を染め、少年に魅入っている。そんな様子を見せられて松岡が面白いわけもなく、こちらは猿のように顔を赤くして、少年に一歩詰め寄った。

「このガキ! 舐めた真似してくれるじゃねえか! そこ、どけッ!」

「自分さあ、嫌われとるってわかってへんの?」

「何だとおおおッ!」

「野獣に言葉は通じへんか」

 どこかで何かがブチリと切れる音が聞こえた……ような気がした。

 この手合いの連中は、総じて、自分に都合が悪くなるとすぐに暴力に切り替える。松岡も例外ではなく、右手を振り上げた。充分に体重を乗せた拳が少年に向かって繰り出される。当たれば、小さな体は吹き飛ばされ、重傷を負っていただろう。

 しかし、拳は、当たらなかった。当たる寸前でスイと避けられ、標的が消えたと思った次の瞬間、腰のあたりに衝撃を感じた。180センチを超す松岡が、40センチ近くも身長差のある少年を殴るには、少々的が低すぎて、やや前屈みになっていた。そこへ後ろから思い切り蹴りを入れられれば、バランスを崩しても仕方がないだろう。松岡は、アスファルトに熱烈なキスを捧げる羽目になった。

「今のうちや。行くで」

「で、でも、あの人が……」

 歯が折れたのであろう。顔面を血に染めて騒音を撒き散らす松岡を、玲は気の毒に思い、その場を離れることを躊躇った。

「ええから行くんや。自分が何されかけてたか忘れてへんか?」

 少年は、玲の手を取って走り出した。



「家、どこや? 送ったるわ」

 とりあえず大通りまで出てきたふたりである。松岡が追いついてくる様子もない。

「僕、寮なんだ」

「へえ。どこの学校の寮なん?」

「桜華台学園だけど……」

「……ああ。ほな、バスやな。バス停まで送ったるわ。万が一ちゅうこともあるしな」

 言葉遣いから地元の人間ではないことは想像がつくが、少年は、誰に尋ねるでもなくバス停への道を歩き出した。玲もその背中についていく。

 自分より頭ひとつ分は小さいその少年が、玲には頼もしく見えていた。手を取られたときの力強さを思い出して顔が熱くなる。彼に胸の鼓動が聞こえてしまいそうな気がして、横に並ぶのは怖かった。

「あの……。助けてくれてありがとう」

 礼をいっていなかったことを思いだした。

「余計かなあって思てんけど、自分、嫌がっとったしな。可愛いんも考えもんやな」

「……可愛くはないです」

「ほな、きれい。自分、美人さんやで?」

 少年は、肩越しに玲を見て微笑んだ。

 3月も終わりに近づくと、6時を過ぎてもまだ空はぼんやりと明るい。駅や商店街がある大通りは、街の中心部に位置していて、人通りも多い。バス停もそこにある。いくつかある停留所のうち、学園経由の時刻表の前で、少年は、自分の腕時計で時刻を確認した。

「今、20分か。あと5分でバス来よるで。ちょうどよかったな」

 白い歯を見せて笑う少年に、玲のドキドキはさらに強くなった。

 何か、僕、変だ……。

 相手は小学校4、5年生、しかも、男子である。確かにかっこいい。自分をあの松岡からいとも容易に救ってくれた。頭の回転も速そうで、年齢のわりに肝も据わっている。だが、どう見たって、年下の男の子、なのである。

「なあ、寮ってどないなん? 面白い?」

「え……。あ、うん。楽しいよ」

 声が震えないようにするのが精一杯で、気の利いた返事ができない自分が歯がゆい。

「どないしよかなあ」

 少年は、空を仰いで溜息をつく。玲には、何のことだかわからない。

「……え、と。何が?」

「ああ、何でもないねん。独り言やし、気にせんといて。あ、バス、来たで!」

 定刻どおりに到着したバスは、玲の気持なんて知る由もなく、その扉を開けた。だが、玲の足は動かない。

「乗るんですか? 乗らないんですか?」

 運転手の若干イラついた声に、少年の方が慌てていった。

「乗るで! ちょお、待ったってえな」

 玲の顔を見上げる。

「何しとんや。これ乗らんと、30分待たなあかんねんで? ほら、はよッ」

 無理矢理背中を押されてステップに足を掛ける。ブザーに急かさせるまま車内に乗り込み、振り返る。

「ねえ、名前……」

 教えて、といおうとした。しかしながら、己の業務に忠実な運転手は、無情にも扉を閉めてしまい、玲の言葉は掻き消えた。

 窓ガラスの向こうで、少年が右手を挙げる。唇が何かを告げる。

「じゃあな」

 そういったように見えた。

 振動音を響かせながらバスが動き出しても、玲は席につかずガラス越しに少年を見つめていた。少年も同じように玲を見ていた。

 バスが右折して停留所と少年の姿が見えなくなると、玲は魂を抜かれたかのようにふらりと腰を下ろした。

 一方、少年は、少し何かを考え込んだあと、野球帽を深く被り直し、家路へと足を向けた。


☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆


「もうすぐ7時だってのに何やってんだッ」

 薄暮の空の下、飯塚真也いいづかしんやはイライラしながら腕時計に目を落とした。

 桜花台学園の正門前である。母親の墓参りに出かけていった親友が、門限の時刻になろうというのに帰ってこない。

 学園は、街の中心部にある駅前バス停からだと、30分ほど走行した場所にある。最初の10分は大通りと商店街、住宅街であるが、あとは火が消えたような寂しい山道をひたすら登っていく。山道とはいっても完全に舗装されているので道は悪くない。ただ、その間、人家が全くないのだ。街を見下ろす、そう高くない山の上にポツンと学園は佇んでいる。周辺は雑木林のようなもので、鬱蒼として気味の悪いことこの上ない。

 理事長の私有地に道楽で創立したと噂されるこの学園は、生徒数400名強のこじんまりとしたところだ。学業に力を注いでいるわけでもなく、スポーツで名を馳せるわけでもない。のんびりとした校風で、皮肉ったいい方をすれば、おぼっちゃま学校である。あからさまに生徒を選別したわけではないが、裕福な家庭な子供が多く、のんびりぶりに拍車をかけていた。とはいうものの、私立の寮完備の学園なのだから、多少なりとも金銭的に余裕がないと、親も入学させないだろう。

 特殊な事情で、普通に自宅から通学できない状況を強いられている生徒が多いのも事実だ。中には、家族に厄介払いのように入学させられている子供もいる。

 何にせよ、最新の警備システムを取り入れ、食堂にはホテル並みのシェフ、専門の清掃作業員や寮の管理人までいるような学園の費用なんて想像もつかない。

 そういう事情があって、一定水準の子息たちを預かっている学園側としては、誘拐等を懸念して責任も重大なのである。生徒を縛る校則はほとんどないに等しい。ただ1点。門限7時である。

 今時、門限7時など、小学生でも守るかどうか。ましてや高校生にとっては宵の口といっていいだろう。だが、学園は、学園内で、いつ、どこで、何をしようと勝手だが、とりあえず、夜は眼の届く範囲内にいてくださいといいたいらしい。

 だからといって、その門限を破ったところで厳しい罰則が与えられているわけでもなく、せいぜいが、1週間程度の中庭やトイレの清掃を申しつけられるか、教師の雑用を手伝わされるくらいのものである。

 真也は、親友にトイレの清掃なんてさせたくなかった。可愛い玲には似合わないと本気で考えている。

 腕時計のデジタル表示が6時56分から57分へ切り替わったとき、エンジン音が聞こえ、次いで、バスのヘッドライトが皓々と辺りを照らし上げた。正門の前から約30メートルほど距離を置いてバスが止まる。このバスに乗っていなければ、トイレ掃除は確定である。

 真也は祈るような気持ちでバスを見つめていたが、開いた扉から目当ての人物が降りてきたので、とりあえずは、ホッと胸を撫で下ろした。しかし、バスが走り去っても、玲は、ぼんやりと突っ立ったまま動こうとしない。

「玲ッ! 何やってんだ! 早く入れッ!」

 真也が呼び掛けて、やっと首を巡らせる。ひどく緩慢な動作だった。だが、もう時間がない。舌打ちして玲に走り寄ると、その手首を掴み、門の内側へと引っ張り込んだ。ほとんど同時に、設置されている警備装置の稼働音が静かに唸り声を上げ始めた。鉄の重い門が自動で閉じていく。

「何してたんだ。もっと余裕持って帰ってこいよ。心配するだろ?」

 声に非難めいた色が混じるのは否めない。だが、玲は、俯いて何もいわない。

「玲? どうした?」

「……真ちゃん」

「うん」

「どうしよう。僕……」

 思い切ったように顔を上げた玲の瞳には、涙が光っていた。ぎょっとする真也である。

「な、何? 泣いてんのか?」

「どうしよう。僕、名前も聞けなかった……」

「はあ? 名前ぇ?」

「もう、会えないのかな? ねえ、僕、どうしたらいいの?」

「ちょっと、玲、話が全然見えないッ。ああ、泣くなってば!」

 目の前で急に泣き出されては、誰だって咄嗟の対応には困るものだ。泣いている理由が解らないのでどう慰めていいものやら。

 玲は、両手で顔を覆って、女の子のようにシクシクとしゃくりを上げている。その場で真也にできたことは、夜気に冷えかけた身体をそっと抱き締め、涙が落ち着くまで待つことだけだった。



 食堂は、朝の6時半から夜の8時半まで、好きな時間に利用できる。理事長は、食べたいときに食べたいものを食べるのが一番美味しいと信じていて、それを忠実に反映させたようである。教育指導面より食堂に掛けた資金の方が上回っている、という話だ。

 春休みですら開放時間の変わらないその食堂の椅子のひとつに、真也は玲を座らせた。涙は止まったものの、まだ鼻を啜り上げている玲の横に自分も腰掛ける。事情を説明してもらおうと口を開きかけた瞬間、別の声が割って入ってきた。

「真ちゃんが、玲ちゃん、泣かしてるー」

「だッ、誰が泣かすかッ」

「だって、玲ちゃん、泣いてるじゃない。どうしたの、玲ちゃん」

「……ミユキちゃん」

 ミユキと呼ばれた少年は、佐々木美雪ささきよしゆきという、玲と同じように春休みも実家に帰らない居残り組だ。小柄でまだまだ幼さの残る女顔や、甘えたようなような話し方のせいで、名前をもじってミユキという愛称が定着してしまったが、本人は一向に気にしていない。

 そして、その横には服部貴英はっとりたかひでが立っていた。美雪とは対照的に180センチの長身で、屈強な体つきをしている。精悍ではあるが、目が鋭いので一見怖そうに見える。だが、とても温和な性格だ。

 ふたりは幼馴染で、どこへ行くのも、何をするにも、永久磁石のように、いつもべったりと引っついている。傍目には新婚夫婦そのものなのだが、貴英が恐ろしくて誰も面と向かって真実はどうなのかとは聞けないでいる。

 美雪は、両手で玲の顔を挟み込んだ。ふたりが並ぶとほとんど女子校である。快活で元気な美雪。楚々として控えめな玲。

「眼がウサギさんだぁ。真ちゃんにエッチなことされちゃった?」

「ミユキ! おまえ、人聞き悪すぎッ!」

 椅子からずり落ちそうになる真也である。半眼で美雪を睨みつける。

「今、訳を聞きかけてたんだよ! おまえが邪魔したんだろーが、まったく!」

「そうなの?」

「うん……。あのね……」

 上手く説明できるかな、と前置きして、玲は、松岡から助けてくれた小学生のことを話し始めた。ときどき、美雪が相槌や簡単な質問を挟んでいく。話し終えたときには、また瞳は潤んでいた。

「そっかー。玲ちゃん、その子のこと、好きになっちゃったんだ」

「……え?」

 きょとんとして、美雪の顔を見つめる。

「だって、その子のことが好きになっちゃったのに、どこの誰かも分かんないし、会える方法も思いつかないから哀しくて泣いてるんでしょ。やだ、自分の気持ちに気づいてなかったの?」

 狼狽えるように視線を泳がせて、玲は自分の感情を振り返る。彼がかっこよく見えたのも、手を引かれてドキドキしたのも、別れるときあんなに哀しく感じたのも、今こんなに会いたいと思っているのも……。

「好き……? 僕、あの子に、恋、したの……?」

「玲ちゃんって、ホント、ふんわりさんだよねえ。人の気持ちはともかくとして、自分のも分かんないなんて」

「人って?」

「ミユキ。余計なこと、いってんじゃねえよ」

 それまで大人しく黙っていた真也が美雪を制した。真也が玲を友情以上の想いで見ているのを美雪たちは気づいている。注意深く観察していたら、勘のいい者ならピンとくるだろう。知らぬは玲本人だけだ。

 美雪は、意地悪く微笑むと、玲の手をギュッと握り締めた。

「その子、捜してあげるから元気出して!」

「え……? ホント、に……?」

 唐突な美雪の発言に、玲の表情が明るくなる。相反するように、そんな子供なんか抹殺したい気分に陥っていた真也は青くなり、真也の胸中を窺い知ることができる貴英も止めに入った。

「てめッ、何いいだしやがるッ!」

「美雪、それはちょっと無責任だぞ」

「何? 何か文句ある?」

「捜せるわけないだろう! この街に小学生が何人いると思ってるんだよ! そんな気を持たせるような真似するなよッ!」

「俺も同感だ。美雪。人を捜すのはそんな簡単な話じゃない」

「やってみないと分からないじゃない。玲ちゃん、泣くほど思い詰めてるのに。こういうとき、力になってあげるのが友達でしょ!」

 友達という言葉が刃となって真也の胸に突き刺さる。今、一番、嫌いな単語だ。もちろん、美雪はわざといっている。

「でも、貴英くんのいうとおりだよ。難しいと思うな。僕たち、ただの学生だし…」

「大丈夫! もう何人か残ってたもん。人数集めれば何とかなるって。やってみようよ」

 何の根拠があってそう自信ありげなのかは不明だ。玲に対して何かしてあげたいと思う気持ちが9割。残り1割は、真也への嫌がらせかもしれない。

 今泣いた何とやらのごとく、破顔している想い人を複雑な心情で見つめている真也の横で貴英がいった。

「すまない」

「謝るくらいなら、あれ、止めてくれよ」

「それは無理だ」

「即答かよッ」

 大きく嘆息を漏らして、嬉々として小学生の容姿やらを説明している玲を尻目に、真也は立ち上がった。

「真也?」

「飯、食うんだよ。小学生捜しなんか、俺には関係ないからな」

「ちょっと、真ちゃん」

 その場を離れようとする真也の背中に、美雪が声を掛けた。貴英は、彼が何をいい出すかだいだいの見当がついたので、耳を塞ぎたい衝動に駆られる。

「……何だよ」

「もちろん、真ちゃんも協力してくれるよね」

「やっぱり」

「何が、やっぱり、だ、貴英。ミユキもだッ。いいか、俺は関係ないんだ!」

「何で関係ないの。大好きな玲ちゃんのためでしょ」

 美雪は、真也に向き合うと、そのままどんどん歩き出す。つられて、真也も後ろ向きに歩くような格好になった。玲と少し距離を置いて立ち止まり、襟元を両手でぐいと引き寄せ、顔を近づけ小声で囁く。

「3年間傍にいて落とせなかったんだから、もう諦めたら?」

「俺は、まだ何もしてないだろうがッ」

「詰まるところ、何もしないでいられるわけだよね? 本当に玲ちゃんのこと好きなの?」

「……どういう意味だよ、それ」

「……とにかく! 玲ちゃんには好きな人ができて、それは、真ちゃんじゃないの。諦めて協力すること。いい? 分かった?」

「分かるかッ!」

 今の会話は、玲には聞こえていない。だが、不穏な空気の流れが伝わったのか、玲が躊躇いがちに口を開いた。

「あの……、ミユキちゃん、貴英くん。僕、ひとりで気長に捜してみるから……。みんなにも春休みの予定があるだろうし、僕個人の問題だもの」

「僕も貴英くんも予定はないよ。真ちゃんだって玲ちゃんのお願いなら何だって聞いてくれるって! 一番の親友じゃない!」

「……悪魔だ」

 ぼそっと貴英が呟く。美雪は、再び玲の元へ戻って、お願いしてみなよ、なんてけしかけている。代わりに、貴英が真也の元へと歩み寄った。

「貴英。ミユキのこと、殴っていいか」

「やめとけ。反対に殺されるぞ」

 複雑な家庭環境で育った美雪は護身術に長けている。下手に手を出せば、返り討ちに合うのが関の山だ。可愛らしい顔に小柄な体格とくれば、邪な欲望の対象にされることもままあるが、そういう輩は、人を見た目で判断してはいけないという教訓を、多額の治療費を支払うことで教示いただいているのである。

 美雪に諭されて(?)、玲が真也に声を掛ける。

「……真ちゃん」

「玲、俺は、だな」

「迷惑だってことはわかってる。いつまでも甘えてちゃ駄目だよね」

「いや、そういうことじゃなくて」

「でも、これで最後にするから……。助けてくれる?」

「最後って……」

「……お願い」

 胸の前で両手を組んで、上目遣いに自分を見上げる玲のきれいな瞳にくらりとしながら、真也は自棄になって頭を掻き毟った。

「真ちゃん……」

「ああッ、もうッ! 分かったよ、手伝う! 捜せばいいんだろう、そのガキを!」

「真ちゃん! 大好き!」

 腕に飛びつく玲に、顔を真っ赤にして動揺する真也。

「ここにも悪魔がいた」

「なあに? 何かいった?」

「美雪……。ちょっとひどくないか?」

「そう?」

「真也に恨まれるぞ」

「いいんじゃない? 別に、真ちゃんに嫌われたって、痛くもかゆくもないもーん」

 くるりと背を向けて夕食のメニューを決めにかかっている美雪と、失恋が確定しつつある真也を交互に見やり、貴英は、混迷の予感の春休みに、課題がないことを静かに感謝した。

 かくして、桜華台学園春休み居残り組による、篠宮玲の王子様捜索隊本部が食堂に設置されたのである。



                                   <続>

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