白い闇(前編)
これまでのあらすじ
イタリア政府が極秘で結成した対犯罪組織“スピーア”に所属していたアルバートは、ある日、チームメイトのエリオットとの共同襲撃作戦に参加していた。
作戦中にアルバートは屋敷で少女・エミリアに遭遇し、一度はエミリアを殺そうとする。その時、最近聞こえるくるようになった謎の幻聴がアルバートを襲い、そのせいで彼にためらいが生じる。そして、咄嗟に彼女を殺そうとしたエリオットに引き金を引いてしまう。無意識のうちに仲間を裏切ってしまったアルバートは、動揺を隠せないまま、その場にいたエミリアを抱きかかえ逃亡を決意する。その後、アルバートは目覚めたエミリアに自分と行動を共にするか、逃げるのか、二つの選択肢を与え、エミリアは共に行動する決意した。こうして新たな二人の逃亡劇が幕を開けるのだった。
今回は、そんな二人に起こった小さな出来事の話である。
二人が部屋で再会してから、数時間が経った。
日は完全に沈み、辺りは闇に包まれ、二人がいる小屋に電灯が灯る。
これから共同生活を始めることになったアルバートとエミリアの二人は、物置の奥から引っ張り出しきた掃除用具を握り締め、黙々と自分達の部屋の掃除をしていた。
正確にはエミリアが使うことになった部屋だけだが。
先ほど、エミリアはまずアルバートの部屋を掃除しようと提案したが、「俺の部屋は掃除しなくていい」とのアルバートの意向で、しぶしぶ自分の使うことになった部屋の掃除をしていた。
そしてそこにはアルバートの姿もあった。
「・・・屋敷ではどんな仕事をしていたんだ?」
突然、モップで床を拭いていたアルバートはそんな質問をエミリアに投げかけた。
「え?」
突然の質問に、エミリアは思わず手を止めて聞き返す。
「仕事だよ、仕事。・・・あの屋敷で雇われてたんだろ?」
「あ・・・・・ええ・・まぁ・・・」
エミリアは小さい声で曖昧に返事をした。
アルバート:(・・・大分萎縮してるな・・・。まあ、しょうがないか。・・・・ルキアーノさんに教わった通り、積極的にコミュニケーションをとっていかないとな・・・。それにしても・・・・・なんだかんだ言って、あの人にもらったアドバイスで一番役にたったのがあのアドバイスだったのかもな・・・)
「・・・・・・・・」
アルバートは沈黙したままぼんやりと虚空を見つめ、ふとあの日、教官から初めてもらったアドバイスを思い出した。
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―――――――あれは俺が組織に拾われてから、やっと周りの環境に慣れてきた頃。
―――――――教官のルキアーノさんと宿舎の回廊を歩いていたときに、何気なく言われた言葉だった。
―――――――今でもはっきりと覚えている。
―――――――たしか冬の終わりの、・・・まだ寒さが残る昼下がりの日のことだ。
「今日の訓練を見ていて分かったが・・お前はアルマの中でも飲み込みが郡を抜いて早いな。・・・正直、この短期間でここまで上達するとは思わなかった」
アルバートの射撃や体術などといった戦闘の訓練を見学し終えたルキアーノは、歩きながらそう驚嘆の言葉を漏らした。
「・・・ありがとうございます」
アルバートは進行方向に顔を向けたまま、ポツリと答えた。
アルバートの顔はまるで感情の表現を忘れてしまったかのように、繭一つ動かさず、ただ虚ろな目で前を向いている。
「・・・そういえば・・・他のアルマの子で友達になった奴はいるか?」
ルキアーノはアルバートのその表情に目をやりながら、何気なくそう聞いた。
「いいえ。・・・別に俺には必要のないものですから」
アルバートは虚ろな目のままそう答える。
「おいおい・・・・・・あのな、アルバート。・・・お前、少しは他の人とコミュニケーションをとる努力をしたほうがいいぞ。・・・お前、俺くらいにしかまともに口聞いたことないだろ?」
ルキアーノはそう言って、軽い溜息をついた。
「・・・そうですね。でも・・・俺は任務をこなすだけですから・・・そんなの必要ないですよ。・・・俺は一人の方が落ち着くんです」
「ばーか。そりゃ今のお前の話だろ?・・いつ何時、人とのコミュニケーションが重要になるか分からんぞ?」
「そういうもんですか?・・・俺にはよく分かりません・・他人とのコミュニケーションの重要性なんて・・」
「そうは言うけどな・・・お前にもいつか必ずそういう場面に直面するときが来る。それがクライアントとの会話か・・・作戦のチームメイトとの会話か・・・街中での情報収集の時か・・・それはわからん」
「・・・・・・・・」
「でもな?これから生きていくうえでそれが一番重要で・・・他人とのつながりこそが、いつも憂鬱なお前に一番いい影響を与える要素なんだと俺は思う。・・・だから技術の鍛錬だけじゃなくて、そういうことにも少しは努力してみろ。・・・友達も恋人も人生においてなくてはならんほどいいもんだぞ?・・・・な?」
ルキアーノはそう言って、アルバートの肩をポンと叩いた。
「最後の言葉の意味は理解に苦しみますけど・・・・出来るだけやってみますよ」
アルバートは表情を変えないままルキアーノの方に一瞬顔を向け、そしてまた前に向き直すと、そうポツりと答えた。
「よーし、よし。それでこそわが教え子だ」
「・・・そりゃどーも」
アルバートはその会話で初めて口元に薄い笑みを浮かべ、そう返事をした。
――――――――そう。
――――――――俺は“アルマ”であって、普通の人間じゃないのに。
――――――――あの人はいつでも俺を一人の人間として接してくれた。
――――――――本当は、俺に殺しの手解きを教えればいいだけなのに。
――――――――“他人との交わり”なんて暗殺するだけの俺にとって、邪魔なだけのはずなのに。
――――――――でも教えてくれた。
――――――――きっと・・・俺達アルマが持つ、あの“呪われた本能”の性質を知っているから教えてくれたんろうけど。
――――――――それでも俺は嬉しかった。
――――――――だから俺はあの人が好きなんだ。
そして、それを機に。
俺は、寡黙ながらも他人と会話をする努力を始めた。
それは、確実に。
俺の世界を広げていった。
「ああ・・そうだ。・・・アルバート」
「・・・・なんですか?ルキアーノさん」
「そういえば、さっきのコミュニケーションについての話なんだが・・・絶対に守らなきゃならん事を言い忘れた。・・・これは、そこらの形式ばったルールとは違う。・・・お前のためを思ってのことだ。・・・でも、絶対守れよ」
「・・わかりましたから、勿体ぶらずに早く教えてくださいよ」
「よく聞けよ?一度しか言わないからな」
「わかってますよ・・・・・・・・・で・・アルマである俺のためを思っての事っていうのは?」
「・・・・――――――――――――――――な。」
===============================
「・・・・・・・・」
「・・あの・・アルバートさん?・・・どうか・・・したんですか・・?」
エミリアはアルバートが急に会話を中断してしまったので、不安そうな声を上げる。
「あ・・・・いや、なんでもない。・・・ちょっとあることを思い出してな」
アルバートはハッとして我に返り、咄嗟にそう答えた。
「はあ・・・そうですか・・・。私・・・何かいけないことを言ってしまったのかと・・」
エミリアは心配した様子で小さい声で言った。
「いや、そうじゃないんだ。・・別になんでもない。・・・それで・・・どんな仕事をしてたんだ?」
アルバートは、余計な気を起させまいと会話をさっきの話題に戻した。
「あ・・・ええと・・家政婦です」
「家政婦?」
「はい。家政婦です」
「ふーん・・・なるほどな」
アルバートはそれを聞いたあと、彼女の容姿を見て納得したようにうなずいた。
あの日、屋敷から突然連れ去られたエミリアに身支度をする暇は無かったので、当然彼女の服装は当初のままだった。
化粧や髪飾りなどといった装飾品を身につけている様子は無く、紺色のワンピース一つに白いエプロンという非情に質素な服装だ。
せいぜい目立つ要素は、肩に掛かるほど長さのブロンドの髪、そして瞳の色がアイスブルーだということくらいだろう。
あの屋敷の家主であるカルロの娘や血縁関係の者であるなら、こんな質素なものしか与えられていないなんてことはまずありえない。
それだけが決め手というわけではなかったが、そんな様子からアルバートは彼女の話に偽りがないことを確信していた。
そして、彼女の手馴れた掃除の手つきもまた、アルバートが納得する理由のひとつだった。
「で・・、具体的にはどんなことをするんだ?」
アルバートはそう言ってさらに追及した。
「具体的・・ですか?・・・そうですね・・・、料理に・・掃除、お茶酌み、買出し、接待、・・・それから・・・」
エミリアは一つ一つ数えるように自分の仕事の内容を読み上げる。
「・・・なるほど、まぁつまり雑用ってわけか」
アルバートは苦笑しながら言った。
「はは・・・まぁ、そうとも言えますね。・・でもおかげで大体、身の回りのことはできるようになりましたけどね」
「それだけ仕事を任せられれば、そりゃできるようになるだろうな。・・それにしてもそれだけたくさんの仕事を任せられるってことは、君は屋敷では結構頼りにされてたんじゃないのか?」
「あ、いいえ・・そんなこと無いですよ。たまたま、屋敷に家政婦として雇われているのが私しかいなかったんです。・・・だから、当然の結果なんです」
「・・・そうか。・・・あの大きな屋敷で家政婦が一人だけだとやっぱりかなり大変だったか?」
「まぁ、それなりに」
エミリアは苦笑いしながら答えた。
「・・そうか。悪かった・・こんな当たり前のこと聞いて」
「いいんですよ、私が勝手に答えてるだけですから」
エミリアはそう答えて微笑んではいたが、表情はどこか硬かった。
「・・・」
アルバートは、その様子を見て口をつぐんだ。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
気まずい雰囲気が二人の間に広がり、沈黙が流れる。
アルバート:(うっ・・・しまった。・・・なんか気まずい雰囲気だ。さて、・・・どうしたものか・・・)
アルバートはなんとか、この場の雰囲気を崩せる話題はないかと頭の中で考えをめぐらし始めた。
「あの・・」
そんな矢先に沈黙に耐え切れなくなったのか、エミリアが視線をアルバートに向け、口を開いた。
「ん?」
「あ・・」
とくに話すことも無いのに、思わず声をかけてしまったエミリアは後悔した様子で、アルバートから視線を逸らした。
「・・どうした?」
「あ、あの・・・・アルバートさんはタバコをお吸いになるんですか?」
エミリアは、咄嗟に苦し紛れに思いついた話題を振った。
「・・ああ、それなりにな」
「・・・・・そうですか」
「ああ」
「・・・・」
「・・・・」
また、沈黙が流れ始めたので、アルバートはそうさせまいと無理やり話を続けた。
「それにしても・・・やっぱり、この年格好だとみんな同じことを聞いてくるな」
「・・そうなんですか?」
「ああ・・今日も町でそんなことを聞かれた。・・未成年なのにタバコ吸ってるのかってな」
「あ・・やっぱり、アルバートさんは成人されてないんですか」
「ああ・・そうだ」
「・・おいくつなんですか?」
「そうだな・・まぁ・・18、9くらい・・だな」
アルバートは頭を掻きながら言った。
「くらい?・・・自分の年が分からないんですか?」
「まぁな。・・いろいろあるんだ」
「す、・・すみません・・」
エミリアは聞いてはいけないことを聞いてしまったと悟り、しまったといわんばかりの表情を浮かべる。
「君が気にすることじゃない。・・・・俺が特殊なだけだ」
アルバートは目を泳がせ途惑っているエミリアを見て、苦笑しながら言った。
「あ・・・いえ・・・・・そんなこと・・・・・」
エミリアは口元をもごもごさせて何かを言いかけた。
「ん?」
アルバートはよく聞き取れなかったようで、聞き返した。
「あ・・いえ、なんでもありません。・・・・・・そうなんですか・・・・。本当にすみません・・・」
エミリアは何か言いかけたように見えたが、それを口に出そうとはしなかった。
アルバートは、エミリアが先ほど言いかけた「そんなこと」という言葉が頭の中で引っかかったが、あえて質問はしなかった。
「?・・・・まぁ・・別に気にしてない。・・質問することは悪いことじゃないしな。・・・俺も答えられる範囲のことなら答えるつもりだ。・・何かあれば聞いてくれ」
「・・いいんですか・・・・?」
「ああ・・・答えられる範囲ならな」
「それじゃあ・・・その・・・アルバートさん・・お仕事は・・・。」
エミリアはまた小さくボソボソと質問をしようとした。
「ん?・・なんだって?」
質問の内容をはっきりと聞き取れなかったアルバートはそう聞き返す。
「・・・・・・・・・・・っ・・やっぱり、なんでもありません。」
エミリアは喉元まできていた言葉を無理やり飲み込んだ。
「・・・どうした・・・?聞きたいことがあったんじゃないのか?」
「・・・いえ・・・大丈夫です。・・・本当に何でもありません」
エミリアは、何かを悟られまいと無理やり作ったかのような笑顔で答えた。
「・・・・・・・そうか」
「・・・・・・・・・は、はい・・本当に何でもありませんから」
「・・・それならいいんだ」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
重苦しい空気が漂うこの空間で、二人はお互いにどう話していいのか困惑し、しばらく黙っていた。
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「・・・・飯にするか。・・大体部屋の掃除も終わったしな」
さきほどから沈黙し、困惑の表情を浮かべながら立ち尽くしているエミリアの様子を見て、アルバートは頭を掻きながらそう話題を切り替えた。
アルバートはモップをバケツに放り込んで壁に立てかけると、エミリアに「ついて来い」というように視線を送り、ゆっくりと部屋の外に向かって歩き出した。
「・・あ・・はい」
エミリアは持っていた掃除用具を簡単に片付けると、おどおどしながらも小走りでアルバートの後を追った。
そうして、二人はキッチンの方へと向かうのだった。
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キッチンに到着した二人は、ガスコンロと流し台の前に並んで立っていた。
アルバートは考え込んだ様子で腕を組み、エミリアはその様子を心配そうに横目でチラチラ見ながら、落ち着かない様子で手遊びをしていた。
アルバートは何に困っていたかと言うと、夕食のメニューだった。
買出しをしてきたので食材は大体そろっていたが、肝心のメニューが決まっていなかったのだ。
「・・・困ったな」
「・・・どうしたんですか・・?」
アルバートの言葉に、エミリアは視線を彼に向けてそう言った。
「メニューだよ・・メニュー」
アルバートは軽く溜息をつき、そう答えた。
「メニュー・・ですか?えと・・・何を・・作りましょうか?」
「それが問題なんだ・・・・・一応いろいろ応用が利くと思って、パスタと適当に野菜を買ってきたんだが・・。・・・・俺は料理はあまり得意じゃないからメニューらしいメニューも浮かばないんだよな・・・。エミリアは何かいい案あるか?」
アルバートは頭を掻きながら言った。
「パスタですか・・う〜ん・・・あっ!」
エミリアは何かを思いついたようにポンと手を叩いた。
「どうした?・・・なにかいい案でも思い浮かんだか?」
「・・・スパゲッティ・アル・ポモドーロなんてどうですか?」
エミリアは自分に視線を向けていたアルバートにそう提案した。
ポモドーロとはイタリア語で“トマト”を意味する。
スパゲッティ・アル・ポモドーロとは、パスタ料理の中でもトマトソースをパスタに絡めるだけのシンプルで基本的なものだ。
「なるほど・・・いいんじゃないか?・・俺はあまり料理には詳しくないんだが、それなら知ってるしな」
「じゃあ決まりですね。・・あとは、ちょこちょこっとサラダとスープを作っちゃいましょうか」
エミリアはなんだか少し嬉しそうにそう言った。
「ああ、そうだな。・・ここには家政婦もいることだし・・・そうするか」
「あはは・・・・そうですね」
エミリアは少し照れた様子で笑みをこぼしていた。
「・・・・・それじゃあ、始めるとするか」
アルバートはエミリアの方を見ながら薄く笑みを浮かべてそう言った。
「はいっ」
さっきまでビクビクしながら縮こまっていたのが嘘のように、エミリアは元気よく返事した。
アルバート:(・・・家政婦の仕事をしていたからコレならと思ったけど・・・案の定、喰いついてきたな。・・・これで少しはこの環境に馴染んでくれればいいんだがな・・・)
「・・・・・」
アルバートはとりあえず安心したように深い溜息をついた。
「・・?・・・どうかしたんですか?」
その様子を見たエミリアが不思議そうにそう聞いた。
「ああ・・いや・・・なんでもない。とにかく始めよう。」
「あ・・はい!それじゃあ、私がメインをやっちゃいますね」
エミリアは一瞬不思議そうに首を傾げたが、とりあえず納得したようで、そう元気よく言った。
「・・・じゃあ、俺は何を手伝えばいい?」
「そうですね・・・・じゃあ、まず私はトマトとか野菜の下ごしらえするんで、アルバートさんはお鍋にお水をはって、火にかけてくれませんか?」
「・・・それだけでいいのか?スープとかサラダもあるんだろ?・・・・なんか悪いな」
「いいんですよ。ほとんど野菜の下ごしらえが大半を占めてるんですから、他にすることってそれくらいしかないんですよ。あ、でも盛り付けとか後でいろいろあるんで、その時に手伝ってくれませんか?」
「ああ、わかった」
「それじゃあ、パパっとやっちゃいますね」
エミリアはそう言って、腕まくりをした。
「・・嬉しそうだな」
アルバートはからかうように言う。
「あはは・・・・やっぱりそう見えます?・・私、料理を二人で作るの久しぶりなんです。屋敷では何時も一人で作ってましたし・・。」
「・・・まぁ今回の料理も、二人って言ってもほとんど一人みたいなもんだけどな」
「そんなことないですよ。・・一人じゃないって思えるだけで全然違うんですよ?・・・私には大助かりですよ」
エミリアは笑みを浮かべながらそう言った。
「・・・・そうか」
アルバートは、エミリアのその言葉から何かを悟ったように、ゆっくりとそう答えた。
「・・・アルバートさん?・・・どうかしましたか?」
「あ、いや・・なんでもない。・・・それじゃあさっそく鍋に水を入れるかな。・・そっちも下ごしらえよろしく」
「・・・はい!」
エミリアはそう元気よく返事した。
こうして、二人は料理に取り掛かるのだった。
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しばらくの間二人は黙々と作業に取り組んでいた。
アルバートの仕事はあっという間に片付いてしまい、することがなくなってしまったのでしばらくの間エミリアの様子を後ろから見物していた。
下ごしらえを終え、三角巾を巻いたエミリアが沸騰している鍋とまな板と冷蔵庫の間を、パタパタと足音を立てながら行ったり来たりしている。
アルバートは、今までの言動からエミリアは大人しい性格の女性だと思っていたが、これだけ活発に楽しそうに動き回っている姿を見せられると、もしかしたら明るい性格なのかもしれないとふと思った。
「・・・・あの〜・・・」
アルバートがそんな考えをめぐらしながら料理の様子を眺めていると、ふとエミリアが声をかけた。
「・・ん?・・どうした?」
「あ・・いえ・・なんていうか・・・こうもジッと後ろから見られているとなんか落ち着かないっていうか・・・緊張するというか・・・」
エミリアは少し、顔を赤らめながらそう言った。
「さっきまで二人だと楽しいとかなんとか言ってなかったか・・・?」
「はい・・・それはそうなんですけど・・・」
エミリアはちょっと困った様子で口ごもった。
「・・・わかったよ・・・・・・これでいいか?」
アルバートはそう言って、エミリアに背を向けて見せた。
「あ・・はい。・・すみません」
「謝るなって。・・・ほら、続けた続けた」
「は、はい・・」
エミリアはとりあえず落ち着いたのか料理を再開した。
アルバート:(何を恥ずかしがってるんだか・・・・・。着替えを覗いてるわけでもあるまいし・・・・・・)
そんな考えを頭に巡らせながら、アルバートは鍋の沸騰する音や、パタパタとせわしないエミリアの足音に耳を傾けていた。
「それにしても・・・・熱心なもんだな」
アルバートは苦笑しながらポツりと呟いた。
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それから約30分経ち、大体の料理が出来上がりテーブルに並べられた。
「ふぅ・・これで完成ですね〜」
エミリアは三角巾を取り、一息つきながら言った。
「ああ、随分早く終わったな。・・最初だからもっと時間がかかるかと思ったんだけどな」
「きっと二人でやったからですよ。私もこんな早くに料理が完成したの、初めてです」
エミリアは嬉しそうに笑みを浮かべて言った。
「ほとんど一人でやったような気もするが・・・・まあ、そうだな」
「いいえ、アルバートさんのおかげで随分助かりましたよ。・・・それじゃあ食べましょうか」
「ああ」
二人はお互いに確認しあうと、ゆっくりとテーブルに向かい合って座った。
向き合って食事をするなどというと変に二人が意識していると誤解を受けるかもしれないが、別段この配置を二人が望んだわけではない。
狭いテーブルと二つの椅子しかなかったのでこの配置以外に選択の余地が無かったのだ。
「・・いただきます」
まず始めにアルバートはそう言って、早速料理を一口、口の中に入れた。
「・・・・・・あの・・お味のほうは大丈夫ですか?」
エミリアは、心配そうな表情でアルバートの方を見つめて、そうきいた。
「ああ、うまいよ。・・伊達に家政婦やってないな」
アルバートは、すぐにそう答えた。
「そうですか・・よかった」
エミリアは、安心した様子でニッコリと笑みを浮かべた。
「ああ・・・自分で食べてみればわかるさ」
「そうですね。・・それじゃあいただきます。」
エミリアはそう言い、両手を組んで祈るようなポーズをとった。
「ん?・・・何を祈ってるんだ?」
その様子を不思議に思ったアルバートは口に含んでいた料理を飲み込むと、そう質問を投げかけた。
「ああ・・これですか?・・・これは、ある人から教わった食べ物に対する感謝の気持ちを表したお祈りなんです」
「・・・・ある人?」
「はい・・・私にとって・・・とても大切な人です」
「・・・恋人か?」
アルバートは冗談半分でからかうように聞いた。
「・・残念、ハズレです。・・・その人は女性ですよ」
「ふ〜ん・・・・じゃあ母親かなんかか?」
「いいえ。・・・血もつながってない赤の他人の方ですよ」
「・・・・・・赤の他人なのにそんなに大事な人なのか」
「はい。・・初めて私に優しく接してくれた・・・・大切な人です」
エミリアは目を閉じたまま思い出すかのようにそう言った。
「・・その人は今何処に?」
「今は・・とても遠くで元気に暮らしてる・・・と思います」
エミリアは笑っているのか悲しんでいるのか、そんなどちらとも取れるような笑みを浮かべてそう答えた。
「・・・・・そろそろ料理を食べたらどうだ?・・・折角の料理が冷めるぞ」
アルバートはすぐに何かを悟ったようで、そう言って話題を逸らした。
「あ・・そうですね。・・・そうします」
エミリアは力なくそう答え、料理に手をつけ始めた。
「・・・・・・」
アルバートは小さく溜息をつき、自分も続くようにして料理に手をつけ始めた。
アルバート:(・・・・・かなり暗い過去を持ってるみたいだな。困ったもんだ・・・・どういう話題なら平気なんだ・・・・?)
しばらく、エミリアは元気のない様子で料理を少しずつ少しずつ口に運んでいた。
しかしそれも束の間のことで、朝に食べたパンとスープを最後に半日以上何も口にしていなかったため、料理を目の前にして今まで押さえていた空腹感が一気に溢れ出し、それを必死に満たすようにエミリアはバクバクと料理を食べ始めた。
「・・・・・・」
アルバートはチラッと視線を向けその様子を見て、少し安心したように溜息をもらすと食事を再開した。
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時は流れ、おおかた食事が終わった二人は食器を片付け終わると、先ほどのように向かい合って座り、食後のコーヒーを飲み始めた。
「恋人はいいとして・・・友達はいないのか?」
アルバートは頬杖をつきながら、エミリアに視線を向けて言った。
「え?・・あ・・・・・まぁ・・・そうですね」
ティーカップを手に持ちコーヒーを口に運ぼうとしていたエミリアは、それをいったん中断し、そうアルバートの質問に返答した。
「・・・そうか」
アルバートはそれを聞いて、スッと視線を逸らす。
エミリアは少し表情を曇らせ、再びコーヒーを一口飲むとゆっくりとティーカップをテーブルに置いた。
「・・・アルバートさんは・・・お友達はいるんですか?」
エミリアはアルバートを見つめながらそう質問した。
「・・ああ・・・まあそれに似たのは何人かいる」
「へえ〜・・・お友達は女の人ですか?それとも男の人ですか?・・何人いて、年はおいくつなんですか?」
エミリアはそう言って、自分が聞きたいことを羅列した。
「そうだな・・・・四人・・だな。・・・・年齢は幅があるけど・・13〜18歳くらいだな。・・・男が二人、女が二人・・・だな」
アルバートは宙を見つめながら呟くように言った。
アルバート:(友達か・・・・・。まったく・・その友達を自分で撃っておきながらよくこんなことが言えるな。・・・・・・我ながら反吐が出る)
アルバートは表情を一瞬曇らせた。
「?・・・あ・・あの・・・・・どうか・・・しましたか?」
エミリアは、自分が何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと思い、心配そうに聞いた。
「あ・・いや・・・別になんでもない。・・・ちょっと考え事をしててな」
「そうですか・・・。私が何か聞いちゃいけないことを聞いてしまったのかと・・・。でも、そうじゃないなら安心しました」
「ああ。・・別に君は聞いちゃ悪いことは聞いちゃいないさ」
「そうですか・・・よかった」
エミリアはほっとした様子で微笑んだ。
「・・・・・・・・・・」
「・・それにしても・・・四人もいるんですか。・・うらやましいなぁ・・」
エミリアは心のそこからそう思っているような表情を浮かべ、そう言った。
「・・・結構少ないほうだと思ってたんだがな」
「私に比べたらそんなことないですよ。・・・お友達のお名前はなんていうんです?」
エミリアは興味津々といった様子でさらに質問した。
「おいおい・・名前なんか聞いてどうするんだ?・・・会ったこともないだろう?」
「そりゃそうですけど・・・・もしこの先会うことがあったら知っておいて損はないじゃないですか」
自分たちが今どのような立場にいるのか理解していないエミリアは、のん気にそう言った。
アルバート:(・・・次に会ったら、あんた殺されるって)
アルバートは心の中でそう呟いて苦笑し、質問に答え始めた。
「・・・そこまで言うなら教えてやるよ。・・女のほうは“マリー”に“カテリーナ”。・・・男は“エリオット”・・・それから・・まぁ・・“シルヴィオ”もそうか」
アルバートは最後のその名前をしぶしぶ追加したかのように呟き、何故か呆れたように溜息をついた。
「?・・・どうしたんですか?」
エミリアはアルバートの様子を不思議そうに見つめ、そう言った。
「ああ・・・いや・・そういえばそんな厄介な奴もいたなって思ってさ」
「厄介・・ですか?・・・でもお友達なんでしょう?」
「まぁ・・友達・・・かもしれないんだが・・・どうもあいつは苦手で・・な」
アルバートは頭を掻きながらそう言った。
「?・・はあ・・そうなんですか」
エミリアはイマイチ理解できなかったが、なんとなくその場の雰囲気でそう答えた。
「・・・・ああ」
「・・・・・・それにしても、いいですね・・・友達」
「どうだろうな・・・俺はどっちとも言えないな」
そう言ってアルバートは苦笑した。
「いいに決まってますよ。・・・うらやましいです」
エミリアそう呟いた。
「・・・・・」
「・・・・・」
少しの間二人の間で沈黙が流れた。
そして、しばらくしてアルバートが口を開く。
「なぁ・・一つだけ頼みたいことがあるんだが・・」
「え?・・・なんですか?」
エミリアはアルバートの口からそんな意外な言葉が出たので少々驚き、そう聞き返した。
「そう・・・・それだ」
「え?」
意味不明なアルバートの言葉に再びエミリアは聞き返す。
「だからさ・・・その・・・敬語はやめてくれないか?」
一瞬、シンとして会話が止んだ。
「・・敬語を・・ですか?」
ワンテンポ置いて、エミリアがそう確認するように言う。
「そうだ。・・・・俺のことは“アルバート”でいいって言ったはずだ。・・・敬語は苦手なんだ。・・・ちょうど同い年くらいなんだしタメ口でいい」
アルバートは頭を掻いてあからさまに苦手な素振りを見せた。
「それは・・・・できません」
少し間を置いて、エミリアの口からは意外な言葉が返ってきた。
「ん?・・なぜだ?」
意外な返答にアルバートは思わず聞き返す。
「だって・・・私は仮にもアルバートさんに保護してもらってるんですよ?・・・それなのに対等に話すことなんて私にはできません。・・・それに・・今まで私・・屋敷では敬語以外で人と話をしたことなんか・・・ないんです」
エミリアは少し寂しそうにそうポツリと答えた。
「“屋敷では”・・・じゃないのか?」
「・・あ・・」
「・・・・ここは屋敷じゃない。・・・別にそんなことを気にする必要はない。・・だから敬語はよしてくれ」
「あの・・・・・もう少し、考えさせてくれませんか?・・・大げさかもしれませんけど・・・私・・やっぱり抵抗があって・・・」
「はいはい・・・わかったよ」
アルバートは困惑するエミリアの様子を見てしぶしぶそれを了承した。
アルバート:(全く・・・そんなこと気にしなくていいって言ってるのに。・・・ちょっと不安になってきたぞ・・・。)
「すみません・・・」
エミリアは申し訳なさそうに頭を軽く下げた。
「謝るな。好きにすればいい。・・・これは単なる俺の要望に過ぎない。・・・君がそうしたければそうすればいいんだ」
「・・・はい」
エミリアは気まずそうに小さい声で答えた
エミリア:(・・・・気まずいなぁ・・・どうして私ってこうなっちゃうんだろ・・・・。・・アルバートさん・・・・怒っちゃったかな・・・?)
エミリアはゆっくりと視線をテーブルに落とし、黙り込んでしまった。
アルバート:(・・・・くそ・・・やっぱり話したての奴との会話は苦手だ・・・しかも相手は女性だしな・・・。弱音を吐いても仕方がないな。・・・・こういうときは・・粘り強く・・優しく・・・・)
「・・・・なあ」
エミリアが落ち込んだ様子で視線を落としたままあげないので、アルバートはしぶしぶ話しかけた。
「っ・・は、はい。・・・なんですか?」
エミリアはその声にビクリと一瞬体を震わせ、恐る恐る視線をアルバートに向けた。
「・・・そう萎縮しなくていいから、もう少し肩の力を抜いたらどうだ?・・まだ会って一日も経ってないから無理もないかもしれないが、これからしばらくはこういう生活が続くんだぞ?・・・毎日そんなビクついてたら君の身が持たない」
「・・は、はい・・」
「・・・・焦らなくていい。・・・自分のペースでいいから、ゆっくりと慣れていってくれよ。・・・それまでちゃんと待ってやるからさ」
「あ・・・はい・・・ありがとうございます」
エミリアはホッとしたようにそう答え、笑みをこぼした。
「・・・・」
アルバートはそれに答えるように、薄く笑みをこぼした。
アルバート:(よし・・・何とか成功っ・・・と)
会話を終えた二人は、再びコーヒーを飲み始めた。
アルバート:(思った以上に疲れるな・・・こんなんでこれから先やっていけるのか・・・?)
アルバートは、目の前で薄く笑みを浮かべながらコーヒーに砂糖を足しているエミリアの方をチラッと見ると、すぐに視線をコーヒーカップに戻した。
アルバート:(いや・・・無理にでもやっていかなきゃな。・・・この子は俺の記憶の鍵を握ってるかもしれないんだ・・・無理にまで連れてこうとは思ってなかったけど、向こうから着いて行くって言ってるし・・・これを逃す手は無い。・・・なるべくこの子とはうまくやっていった方がいいだろうしな)
そうして一旦その話題について、二人の会話は終わりを告げた。
その後は、しばらくなんてことはない些細な話題の会話が続いていた。
アルバートの友達の話や、エミリアの屋敷での仕事の話、先ほどアルバートが買い出しに行ってきたナポリの町の様子についてなどといったものだ。
そうしているうちにすっかり夜も更けてきたので、二人は会話を終え、自分達のそれぞれの部屋へと戻ろうと席を立った。
初日ということもあり、念のためアルバートはエミリアを部屋まで送り届けると言い、それをエミリアも了承した。
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しばらくして、部屋にたどり着いた二人はとりあえず中に入り、明日からの生活の仕事分担だけ確認しあった。
その後、エミリアは自分のベッドに歩み寄り、アルバートの方を向いて座った。
「それじゃあ、今日はもう寝ますね。・・・すみません、部屋まで送ってもらっちゃって」
「・・・まぁ、この小屋はそんなに広くないから迷うことはないとは思ったんだが・・・・明日からのことも言っておきたかったから・・念のためな。・・・今日だけさ」
「はい。・・・それじゃあ、また明日」
エミリアはニッコリと笑いながらそう言った。
「ああ・・・それじゃあな」
アルバートは軽く一息ついてそう言った。
そして、アルバートは部屋を出るついでに、部屋の明かりを消そうとスイッチに手を伸ばした。
その時だった。
「・・あっ!・・け、消さないでっ!!」
その様子を見ていたエミリアは、酷く焦った様子で声を張り上げた。
「っ!?」
アルバートは、思いもよらない大きな声に思わずスイッチから手を引く。
「あっ・・・・・す、すみません!」
エミリアはハッとして我に返り、慌てて謝った。
「・・・あ・・・ああ・・・・別に大丈夫だ。・・急に大声出したりして・・・どうしたんだ?」
「・・・ほ、本当にすみません!・・・ご、ごめんなさい・・・灯りは・・・後で・・後で・・・自分で消しておきますから・・・大丈夫です。・・・気遣ってもらってるのに・・すみません」
エミリアは何かに怯えているかのような様子でそう言った。
「・・・いや、別に何も謝ることじゃないさ。・・・それじゃあ、また明日」
アルバートは呆気に取られたまま、そそくさとその場を退散した。
「す、すみません・・」
エミリアはアルバートが部屋を出る直前までそう言い続けていた。
そして、パタリとドアを閉めたアルバートは、そのドアの方をジッと見つめた。
「・・・・・あの慌てぶり・・・妙だな。・・・・・・しばらく様子を見るか・・」
アルバートはそう静かに呟くとゆっくりと自分の部屋の方へと歩いていった。
こうして平穏でなんてことはない、だが二人で過ごすことになってから初めての一日は幕を閉じたのだった。