Inizio
太陽。
それはいつも変わることなく空にあるもの。
そして、それは様々な象徴。
あなたは、俺達に与える。
光と。
命と。
――――――――それから時間。
そんな大切なものをくれる、あなたなのに。
悠然と大地を照らし続けるあなたは。
まるでこう伝えようとしているかのように輝きを放っている。
――――――“決して太陽を見つめるな。”――――――と。
なぜですか?
なぜあなたは、与えるだけで何も欲しがろうとしないのですか?
俺は欲しい。
自分が今まで生きた軌跡が。
欲しい。
欲しいんだ。
そして今、ナポリの街中を俺は歩いている。
「・・・・・・・・・・。」
アルバートは歩きながらゆっくりと空に向けていた視線を落とす。
靴の底から石畳の感触が伝わってくる。
「・・・・・・・・・。」
アルバートはそれを感じ取りながら、また思考を巡らした。
――――――――――ユダ。
――――――――――キリストの十二使徒の一人でありながら。
――――――――――僅かな金で敵方にキリストを売った裏切り者。
――――――――――今の俺にはその言葉がピッタリと当てはまる。
――――――――――もちろん、金のために裏切ったんじゃない。
――――――――――計画的な犯行でもない。
――――――――――でも裏切り者は裏切り者だ。
――――――――――無意識の行動だったとはいえ。
――――――――――俺のとった行動は。
――――――――――全てを裏切り。
――――――――――そして全てを捨てる選択だった。
――――――――――無意識だったからしょうがない。
――――――――――そういえばそれで終わりだ。
――――――――――だが。
――――――――――無意識であったからこそ。
――――――――――きっと俺の中の根底にある何かが。
――――――――――その選択を取った。
――――――――――それは、俺の意思で選んだ選択以上に。
――――――――――俺の意思が込められた選択なのかもしれない。
「・・・・くそ・・・。」
人通りが多く、海に面した石畳の道を歩きながら、アルバートはポツリと呟いた。
――――――――――――――俺は・・・・。
――――――――――――――どうして、あんな行動をとってしまったのだろうか?
――――――――――――――あの時、俺は無意識に銃を取り出し引き金を引いてしまった。
――――――――――――――本当に、あの瞬間体が無意識に動いたんだ・・。
――――――――――――――俺は一体何をしようとしているんだ・・・?
――――――――――――――・・・わからない。
――――――――――――――あの妙な声の正体も。
――――――――――――――あの子を助けた理由も。
――――――――――――――俺にはわからない。
――――――――――――――でも、おそらく。
――――――――――――――現時点で全く見に覚えの無いことであるなら。
――――――――――――――“スピーア”の一員になる前の知らない俺の過去が。
――――――――――――――関係しているのだろう。
――――――――――――――それしか考えられない。
――――――――――――――あの子も何か関係があるのか・・・?いや・・・あの妙な声がしたのはあの子と会った時だけじゃない。
――――――――――――――でも、あの子も俺の過去の記憶の要因である何かを。
――――――――――――――持っていたんだ。
――――――――――――――・・・ならば説明がつく。
――――――――――――――俺はきっと・・・自分の過去の記憶を捜し求めたんだ。
――――――――――――――組織を裏切り、マリー達を裏切り、ルキアーノさんを裏切り、自分の居場所を失ってまで。
――――――――――――――知る価値のある・・・記憶か・・。
――――――――――――――もう後戻りは出来ない。
――――――――――――――組織の大原則。
――――――――――――――外部に情報も漏らす要因は例外なく完全抹殺。
――――――――――――――これは揺ぎ無い現実だ。
――――――――――――――もう。
――――――――――――――俺は一生このイタリアという地で。
――――――――――――――逃げながら生きていくしかない。
――――――――――――――おそらく・・・・・あの子も。
――――――――――――――こうなったら、なんとしても。
――――――――――――――必ず記憶を取り戻してやる。
・・・・コツ・・・コツ・・・・コツ。
靴が石畳を規則正しく叩く。
しばらくアルバートが道なりに進むと、大きく海に突きだした船着場のような場所が見えてきた。
そこには、船は一隻も止まっておらず、木でできた支柱には貝類が纏わりつき、波が当たって小さく水しぶきを上げている。
「・・・・・・・・。」
アルバートはゴソゴソと自分のポケットをあさり、タバコの箱を取り出して中身を確認した。
箱の中にはタバコが二本とライターが入っている。
「・・・・一服していくか。」
アルバートは腕時計を見つめ、まだ時間に余裕があることを確認すると、ゆっくりと船着場に歩み寄り、その先端に腰を下ろして海に足を放り出すようなかたちで座った。
シュボッ。
勢いよくライターが火を噴き、タバコの先端が赤く燃え上がる。
「・・・・・・・・・。」
アルバートは頭上に煙を吹き、ぼんやりと虚空を眺めた。
(・・・・よくことわざで“この港町、ナポリの景色を見てから死ね”とかなんとか言うが・・・・まぁ、結構的を射てるかもな・・・・。)
ピチャ・・・チャプンッ・・・・ピチャッ・・・・。
船着場の支柱に当たる波が小さくしぶきを上げ、独特の音を奏でる。
「・・・・・・・・・。」
沖から吹き付ける潮の匂いを含んだ風を、体に受けながらアルバートはしばらくの間、ただぼんやりと青空に浮かぶ雲を眺めていた。
・・・・トン・・・ギィ・・・・・・トン・・・・トン・・・・ギィ・・・。
「・・・・・ん?」
しばらく宙を眺めていたアルバートは、ふと自分の方に近づいてくる足音に気がつき視線を後ろに向けた。
その視線の先には、見知らぬ男性が立っていた。
「・・・・?」
アルバートは男の容姿をみて少し不思議そうな表情を浮かべた。
男性にしては珍しく、肩にかかりそうなほどの長い黒髪でスーツを着ていて、どこかパーティーにでも行くかのような格好にも見えた。
年齢は・・・20代前半くらいだろうか。
「・・・・隣、いいかな?」
男はアルバートと目が合うなり、そう言った。
「・・・かまわない。」
アルバートは素っ気無くそう言い、再び視線を沖に戻す。
「そうかい。悪いね。」
男はそういうと、アルバートから2メートルくらい離れたところに腰を下ろし、アルバートと同じような体勢を取った。
少しの間二人は互いに沈黙していたが、不意に男が口を開いた。
「この辺じゃ見かけない顔だけど、どっから来たの?」
「・・・北の方から。」
アルバートは男の質問にそう返す。
「北の方って・・・随分アバウトだな。」
男は思わず苦笑する。
「・・・・・・・。」
「まぁいいか・・・名前はなんて言うんだい?」
「・・・・・。」
アルバートはその男の質問にどう返答しようか少し考え込んだ。
「・・・おっと、失礼。・・相手の名前を聞く前に自分の名前を名乗らなくちゃな。・・・俺はベーリオっていうんだ、よろしくな。・・で、君の名前は?」
ベーリオという男性は薄く笑みを浮かべながらそう聞いた。
「・・・アル・・・いや。・・・・・コルティリーノ。」
アルバートは本名を名乗ろうとして途中で止め、咄嗟に単独行動の仕事で使っていた偽名を名乗った。
アルバートはアルマの中でも成人に近いため、よく単独で仕事を任される。
その際、自分の情報は教官にさえほとんど明かさないし、それを教官も心得ている。
ようは、成人に近いアルマは単なる人間兵器として扱われるわけではなく、一端の構成員として頭数に数えられる。
だから、偽名で名乗れば少なくとも“スピーア”にすぐに所在地を知られることは回避できる。
「コルティリーノ・・・“ナイフ”って意味だよな?・・・随分渋い名前だな。」
「・・・昔からよく言われるよ。・・・別に“リノ”でいい。」
アルバートは素っ気無く言った。
「ふむ・・・そんじゃあ、リノ。」
「・・・なんだ?」
「リノは学生か?それともこの辺で働いてるのか?」
「・・・働いてる。」
アルバートは少し考えてからそう言った。
「ほお・・・・で職業は?」
「・・・いろいろ。・・・定職に就いてるわけじゃない。・・・・アルバイトをしてるんだ。」
「そうか・・・・まぁ深くは聞かねぇよ。・・・・確かにここんところイタリアの南部は失業者が多いからな。・・・仕事もそう見つからんか・・・若者ならなおさらだな。」
「・・・・まあな。」
「悪かったな、こんなこと聞いて。」
「いや・・・別に気にしてない。」
「そうか・・・。」
ベーリオはそう言って苦笑した。
そして再び二人の間に沈黙が続いた。
「・・・・・あんたも吸うかい?」
しばらくして沈黙を破ったのは、意外にもアルバートの方だった。
アルバートはポケットからタバコの箱を取り出し、蓋を開けてベーリオに見せた。
「いいのか?・・最後の一本みたいだが?」
「別に・・・後でまた買えばいい。・・・これも何かの縁だ。」
「そうか・・・悪いな、それじゃあお言葉に甘えさせてもらうよ。」
ベーリオはそう言って、アルバートから最後の一本を受け取った。
シュボッ。
アルバートは持っていたライターに火をつけ、ベーリオの前にそれを近づけた。
「おっと、・・度々悪いな。」
ベーリオはタバコの火を受け取ると、ゆっくりと深く息を吸い込み白煙を頭上に吹いた。
アルバートはすぐにポケットにライターを仕舞うと、ベーリオに続けてゆっくりと煙を頭上に吹いた。
「・・・なぁ・・リノ。」
「なんだ?」
アルバートは自分の偽名を呼ばれそう答える。
「お前さん・・・どうみても未成年に見えるんだが・・・俺の気のせいか?」
「・・・・ああ・・・・気のせいだ。」
「はは・・・そうか・・・。」
ベーリオは苦笑した。
「・・・あんたは何の仕事をしているんだ?」
アルバートはふとそんな質問を投げかけた。
「俺か?・・・・・俺はこの辺で船やらボートやらの修理をしてるんだ。・・・まぁ家業だからな。」
「家業・・・ね・・。・・・そのボートの修理ってのは、そんなお洒落な格好でするのが普通なのか?」
「あ?・・・・ああ、このスーツのこと言ってんのか?違う違う。」
ベーリオは手を振って否定した。
「じゃあ・・なんでそんな格好してるんだ?・・・パーティーか何かか?」
「いや・・・ピアノのコンサートに行ってきたんだ。・・・・・古い知人が、そのコンサートを開いたピアニストのファンでね。結構しつこく薦められてて以前から気になってたんだが、なかなかコンサートに行く機会が無くてさ・・・。それが一昨日、そのピアニストがイタリアでコンサートするって言うから、わざわざ足を運んで見てきたって訳さ。・・・いや、さすがに電車とタクシーばっかりで腰が痛くってよ・・・。」
そう言ってベーリオは腰を叩いて見せた。
「イタリアでコンサートか・・・・・その口ぶりからして、そのピアニストはイタリア人じゃないのか?」
「ああ、その通り。・・・確か・・・アジア系の・・・あ、そうそう・・ジャポネーゼだったな。名前は・・え〜っと・・・“イングリット”・・・なんたらだったような・・。」
「・・・コンサートに来ておきながら、演奏者の名前も知らないなんて、とんだ客だな。」
「はは・・・まったくその通りだな。まぁ・・・だけど、演奏はそれはそれはすごかったぜ?」
ベーリオはそう笑いながら言った。
しばらくの間、二人の間にはそんな何気ない会話が続いた。
「ところでよ、リノは連れとかいないのか?」
「・・・・連れ?・・・どういう意味だ?」
「どういう意味って・・そりゃ女だよ、オ・ン・ナ。」
「・・・なんでそんなことを聞く?」
「だってよ、俺が言うのもなんだが、お前さん若い上に結構顔もいいしな。・・・彼女の一人でもいるんじゃないのか?」
「いない。・・・俺はそういうのは苦手なんだ。」
アルバートはそう即答した。
「ふーん・・・じゃあ一人暮らしなのか?」
「・・・・・・。」
「・・ん?・・・どうした?・・・一人じゃないのか?」
「・・・・わからない。」
一瞬、ある事が頭を過ぎったがアルバートは考え直してそう答えた。
「はっ?」
「わからないって言ってるんだ。」
「わからないって・・・何だそれ?からかってるのか?・・・それとも、なんかの謎かけか・・?」
「・・・そのままの意味さ。」
「?」
ベーリオは不思議そうに首を傾げる。
「気にするな。・・・・・・・・・まぁ、多分一人暮らしだ。」
アルバートはそう言って苦笑した。
「いや・・余計分からんねぇって・・。」
ベーリオはさらに不思議そうな表情を浮かべて言った。
そうしているうちに、二人の目の前で何かの鳥の群れが、V字の陣形を組みながら地平線の方へと飛んでいった。
二人はその鳥の群れが地平線の向こうに消えていくのをしばらくの間眺めていた。
「・・・・さてと・・。」
少しすると、アルバートはゆっくりと立ち上がり、その場で軽く服をパンパンと払った。
「・・・行くのか?」
ベーリオは視線を海に向けたままそう聞いた。
「ああ・・・。これから二つほど用事を済ませないといけないんだ。」
「そうか・・・。それじゃあ達者でな。・・・・また会う機会があったらよろしくな、リノ。」
「ああ・・・あんたもな、ベーリオ。」
アルバートはそう言って、ベーリオに背を向けたまま右手を軽く振って別れの挨拶をした。
ベーリオもそれに答えるように軽く手を振った。
しばらくして、アルバートの姿は街の中へと消えていった。
「・・・アルバイトで・・何人暮らしかもわからない、ヘビースモーカーの未成年の青年か・・・・ちょっと変わったやつだな。」
一人船着場に取り残されたベーリオは苦笑しながらそう呟いた。
こうして、アルバートはベーリオと別れを告げたのだった。
アルバートはしばらくの間、ゆっくりとナポリの街中を歩き続けた。
街は、まだ朝だというのに地元の人と観光客で活気に溢れ、車が我先に進もうと長蛇の列を成している。
ガリバルディ広場を通り、少し歩くとサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会が右手に見えてきた。
それからさらに通りをまっすぐ進むと、クローチェ通りに差し掛かりそこでアルバートは足を止めた。
「・・・確か・・・奴らの集まる場所はこの辺の・・・酒場だったよな・・。」
アルバートはそう言って周囲をゆっくりと見渡した。
ナポリ大学がすぐ近くにあるこの通りはアルバートと同い年ぐらいの学生達も多く、界隈には老舗の菓子店などが点在し、観光客の姿も多く見られる。
だからこうして、この辺をうろついていても決して怪しまれることはなかった。
「・・そうだ・・・この通り沿いだな。」
アルバートは方向を思い出した様子で、ゆっくりと路地裏のほうへと歩いていった。
・・・・・・コツ・・・・・コツ・・・・コツ・・。
進むにつれて道は建物に日光をさえぎられて陰り始め、次第に店の姿も見えなくなってきた。
先ほどの通りとはうって変わって、全くと言っていいほど人通りはほとんど無い。
仮にこんな場所で悲鳴が上がったとしても、誰の耳にも届かないだろう。
さすがイタリア一、殺人事件の立件数が多いナポリの裏路地といったところか。
しばらく、人通りの無い裏路地の奥を進むと一軒の酒場が見えてきた。
・・・・コツ・・・コツ・・・・・・・・・・・コツ。
アルバートはその酒場の入り口の前で足を止めた。
「・・・・・二年ぶりくらいか・・ここに来るのは・・。」
アルバートはポツリと呟いた。
店の入り口の扉は木製のもので、看板も無く、扉に“VINI”と表記してあるだけだった。
“VINI”とは“vinaio”の略で“酒屋”を意味する。
「・・・・・・。」
アルバートは入り口の取っ手に手を掛け、ゆっくりと扉を開いた。
・・・ガチャ・・・チリン・・チリン・・。
ありふれた入店の合図を示す鈴の音が店内に響き渡る。
店の中はシックな雰囲気が漂い、どこかで聞いた頃あるようなクラシックが流れていて、カウンターが少々と円形のテーブルが数個並べられているだけのシンプルな内装だった。
だが、不自然なことにその店内の客は男性しかおらず、しかもどいつもコイツも真っ当な仕事をしているようには見えない、この場には似つかわしくないような格好をした者達ばかりだ。
さし当たって、チンピラかそれとも・・。
「・・・・・。」
アルバートは少し周りを見渡すとすぐに視線を前に戻し、黙ってカウンターの方へと歩き出した。
店に入ってきた見かけない青年の姿に、周りの男達は睨みつけるような鋭い視線を送る。
「・・・・・・。」
アルバートはそんな男達の視線をものともせずにカウンターの前まで歩み寄り、そこで立ち止まった。
「・・・マスター・・久しぶりだな。」
アルバートはカウンターでワイングラスを拭いている男にそう告げた。
その男はグラスを拭くことに神経を集中していたのか、アルバートが入店してきたのに気づかなかったらしく、声をかけられてハッとしたようにアルバートに視線を向けた。
「あ?・・・おぉ!リノじゃないか!」
男はアルバートの姿を見るなり、そう声を上げた。
「・・・元気にしてたか?」
「ああ、まあな。それにしてもどうしたんだよ?最近ずーっと顔見せないから、どっかで仕事しくじって死んじまったのかと思ってたんだぜ!?」
喜んでいる様子でその男は言った。
この男の名前はニッコロ。
そっちの世界では通称“提供人のニッコロ”と呼ばれていて、結構名が通っている。
以前俺がこの地でナポリマフィア、通称“カモッラ”の幹部暗殺のために、その組織のお抱えの“殺し屋”として、潜りこんでた時によく世話になった人物だ。
二年前のその時は、幹部を暗殺した俺はそいつの側近に裏切り者の濡れ衣を着せるアリバイ工作を施し、その場から消えた。
その後のことは知らないがニッコロの口調からして、大方俺はその側近に殺されたことにでもなってたんだろう。
もちろん、ニッコロは俺がスパイだということを知らない。
俺はこうしたマフィアの潜入工作員の仕事をよく請け負っていた。
こちらの正体がバレれば即刻消すつもりで付き合ってはいるが、正体がバレていないのならこうして関係を壊さないままその場から消える。
これが俺のやり方だった。
こうすることで、何かと仕事上のコネができて便利だったのだ。
「実際は結構ヤバかったがな・・・・・・・でも、そんな簡単に俺は殺られないさ。」
「っはっはっは・・・それもそうだな。」
ニッコロは笑いながら言った。
「おい、マスター。・・・このガキは一体何者だ?」
突然、二人のやり取りを横で黙って見ていた男がそう話しかけてきた。
その男は体格がガッチリしていて、黒いサングラスで顔を隠しているようだった。
「ああそうか、・・・おめぇはここに来るようになって一年だから知らねぇんだったな。・・・こいつは、二年位前にここによく来てた“コルティリーノ”っていう殺し屋さ。・・・まぁ、確かに見た目はそこら辺にいる学生と大差ないが、腕前は超一級なんだぜ?」
「・・・こんなガキが?・・・信じられねぇな・・。」
男は疑い深い目でアルバートを睨みつけた。
アルバートは少しの間その男に視線を合わせたあと、すぐに視線をニッコロの方に戻した。
「なぁ、ニッコロ。・・・仕事を紹介してくれないか?」
「おう、任せて置け。一週間後にもう一度ここに来な。・・それまでに仕事を用意しておく。」
「一週間後か・・・長いな。」
「しょうがねぇだろ?・・・いろいろとこっちも忙しいんだ。・・・お前は確かに腕はいいが、事を急ぐその癖はいかんな。」
「ああ・・・自分でも治そうとは思ってるよ。」
「分かってるならいいんだよ。・・とにかく、一週間後にここに来てくれれば仕事を紹介する。・・・それまで待ってくれ。」
「そうか・・・わかった。・・それじゃあ、一週間後にな。」
アルバートはそう言って、ニッコロに背を向けると店の出口へと歩き出そうとした。
その時。
ガシッ。
先ほど話しかけてきた男の大きな手が急にアルバートの右肩を掴んだ。
「待て待て、挨拶もなしに帰るのか?」
男は口元をニヤつかせながら言った。
「・・・・離せ。」
アルバートは視線を前に向けたまま、男に言う。
「・・俺に指図するんじゃねぇ。テメェみたいな、ガキが仕事だぁ?・・・ふざけるのも大概にしろ。」
「・・・・・離せ。」
アルバートは男に視線を向けながら、さっきより強い口調でそう言う。
「おいおい、あぶねぇからよせって・・・。」
ニッコロが止めるように男に言う。
「るせぇッ!!テメェは引っ込んでろ。」
男はそう声を張り上げた。
「やれやれ・・知らんぞ。」
ニッコロは呆れた口調でそう言うと、再びグラスを手に取りそれを磨き始めた。
「・・・・もう一度だけ言う・・・・離せ。」
「はい、そうですかって、離すように見えるか?あ?」
「・・・・・・そうか。それじゃあ・・・」
「なんだ?・・・なにか言いたげな顔だな、ん?」
「そこで寝てろ。」
アルバートがそう言った瞬間だった。
ヒュッ!
ガッ!
「!?」
アルバートは目にも留まらぬスピードで自分の右肩にのっている男の手首を左手で掴み、右手で下からすくい上げるようにして男の腕の付け根を掴んだ。
ビュオッ!
空を切るようなものすごい音と共に男の体は高々と宙に持ち上げられ、次の瞬間、今度は床に向かって凄まじい勢いで急降下した。
バッカンァァンッ!!
木製の床が破れる激しい音と共に男の体は激しく床に叩きつけられた。
砕けた床の木片が四方八方に飛び散る。
「ガッ・・・・・・・・!!!」
勢いよく床に叩きつけられた男は、あまりの衝撃にまともに呼吸もできない様子で、その場でうずくまってしまった。
「・・・俺にいちいち絡むな。・・俺はお前みたいな奴が一番癇に障るんだよ。」
アルバートはパンパンと手の平の汚れを払いながら、うずくまっている男に向かって吐き捨てるように言った。
その様子を見ていた周囲の男達がザワつき始める。
「おいおい・・・・・まったく・・・もうちょっと手加減してやれよ・・リノ。・・・これで何回目だよ、床の修理・・。」
ニッコロはまたかと言わんばかりに呆れた様子で深い溜息をついた。
「・・・悪いな、・・・またツケで頼むよ。」
「お前なぁ・・・そう言ってツケを返した例がないだろ?」
「・・まぁな。」
アルバートはそう言ってニヤリと笑った。
「・・ぐ・・・ぐぅ・・・。」
先ほどアルバートに投げ飛ばされた男は苦痛の表情を浮かべ、額にあぶら汗を滲ませながらアルバートの方を見ている。
「・・・今度絡んできたら迷わず殺すからな。」
アルバートはそうゆっくりと睨みつけて言った。
「・・・!!」
男はアルバートの強烈な殺気をまともに受けたせいか、すっかり萎縮してしまった。
「・・・それじゃあな。」
アルバートはそう言って、ニッコロに手を軽く振ると店の出口へと歩き出した。
「おう、一週間後にな。」
ニッコロもそれに答えるように軽く手を振った。
ガチャ・・・・・バタン・・・・チリン・・・チリン・・・・。
店内に鈴の音が再び響き渡り、そしてすぐに静寂が戻る。
「・・・ぐぅ・・・・・。」
先ほど投げ飛ばされた男は依然苦しそうにうずくまったまま、うめき声を上げている。
「・・・全く・・・いつ見ても豪快な投げっぷりだな・・・あれでまだ未成年だって言うから笑っちまうな・・・。」
カウンターの前の床でうずくまる男を見下ろしながらニッコロはそう言って苦笑した。
店の外に出たアルバートはいったん立ち止まり、ゆっくりと深呼吸した。
「ふぅ・・・・・・さじ加減に気をつけるのは面倒だな・・・。」
アルバートはそう言いながら、体を解す様に体中をゆっくりと動かしてストレッチし、最後に肩をグルグルと回して骨をポキポキと鳴らした。
「・・・・さて・・・最後は買出しだな・・・。」
アルバートはそう呟くと裏路地を後にした。
それから数時間が経ち、辺りは暗くなり始め、地平線の向こうに夕日が沈もうとしていた。
アルバートはそれから大通りに面したスーパーで買い物を済ませると、ビニール袋を左手に握り締め、ゆっくりと帰り道を歩き出した。
・・・コツ・・・ガサ・・・・ガサ・・・コツ・・・。
靴が石畳を叩く規則正しい音にビニールの袋がすれる音が入り混じる。
「・・・・・・・。」
アルバートはうつむいたまま黙々と歩いている。
そしてふと、昨日の出来事について頭の中で考え始めた。
――――――――・・・まさかあんなことになるとは想像もしなかったな。
――――――――・・・今まで仲間だった人たちを裏切って。
――――――――・・・こんなところにまで来てしまったんだものな。
――――――――・・・次に遭うときはお互い敵同士・・・か。
――――――――でも、もしかしたら大人しく組織に戻ると言えば・・・。
――――――――・・いや。
――――――――・・ありえないな。
――――――――・・組織は絶対秘密主義。
――――――――・・しかも俺は“アルマ”だ。
――――――――・・組織にとって動く機密情報。
――――――――・・それが、自ら自分達をあからさまに裏切るような行動を起こして、しかも外部と接触を持ってしまった。
――――――――・・・連れ戻してもまた裏切るかもしれないそんな危険な存在を生かしておくわけが無い。
――――――――たとえ、ルキアーノさんやブルーノ局長がそうしようとしなくても、イタリア政府や他の政府機関が黙っていないだろうな。
――――――――アルマの情報が外部に漏洩し、世間に知れ渡れば、現政府は崩壊は免れないからな。
――――――――そんな危険を冒してまで俺を生かしておくメリットは何処にも無い。
――――――――・・・やっぱり、もう戻ることは出来ない。
―――――――――・・・次にエリオット達に・・・遭う時は。
―――――――――・・・その時は・・。
―――――――――・・・仕方が無い。
――――――――――ルキアーノさん。
――――――――・・・すみません。
「・・・お父さん、早く〜。」
ふと少年の声が聞こえた。
考え事をしていたアルバートは一瞬で目の前の現実に引き戻され。
そして、視界に親子の姿を捉えた。
一人はまだ小学生低学年くらいの少年で、もう一人は大柄な成人男性だった。
「お父さん、家に着いたら今日はどんなこと教えてくれるの?」
少年はそう言いながら男性の腕にしがみついている。
「そう焦るなって。今日は特別に遠くまで飛ぶ紙飛行機の作り方を教えてやるよ。」
「本当!?やったぁ!!ねぇねぇ、早く帰ろう!」
少年は男性の腕を引っ張って言った。
「痛てて・・・そんなに引っ張るなって。」
男性はそう言ってはいるが、どこか嬉しそうに見えた。
「・・・・・・・・。」
アルバートは数十秒ほど、その親子のやり取りを見つめていた。
「・・・・・・・・。」
そしてアルバートは視線を下に戻すと、急に道を左に逸れ、来た道と別のルートを通るようにして目的地を目指した。
それから三十分ぐらい経っただろうか。
アルバートは小屋へと続く緩やかな上り坂の小道を歩いていた。
・・・・ザッ・・・・ザッ・・・・。
靴底が乾燥しきった土の地面と擦れて、ザラザラと音を立てている。
辺りはもうかなり暗くなり、夕日はもう半分くらい地平線に沈むところまできていた。
夕日の光は地平線に向かってのびている雲に当たって拡散し、雲の輪郭がオレンジ色に光り輝いている。
アルバートは時々振り返り、その地平線に広がる光景を何度か見つめた。
しばらくして、やっと目的の小屋の前に着いた。
――――――――――――もうすぐ、ずっと気になっていた事の真相がはっきりする。
「・・・・・・。」
アルバートはそんなことを一瞬頭の中で呟き、黙ったままドアノブに手を掛けゆっくりと扉を開いた。
・・・・・・ガチャ・・・ギィ・・。
アルバートは小屋の中に入ると、辺りを見渡した。
「・・・・・・・・。」
小屋の中は静まり返り物音ひとつしない。
「・・・・・・・ふっ・・・。」
そうして、アルバートは今日この時まで、ずっと気になっていたひとつの事実の行方を確信した。
「・・・まぁ、予想通り・・・か。・・・こういうことには、勘が冴えるんだよな・・・。」
アルバートは苦笑しながらポツリと呟いた。
この小屋は、廊下の途中にある自分が使っている部屋と、突き当たり奥にある例の一室、そして玄関から向かって左側の通路を少し進んだ辺りにあるキッチンや風呂などの生活に必要な場所と、そのさらに奥にある物置で構成されている。
つまり実質、居住空間は廊下の途中にあるアルバートが使っている一室と奥にある例の一室の二つだけ。
ここから物音ひとつ聞こえないということは。
つまり。
そういうことだ。
・・・ガサッ・・・。
アルバートはゆっくりと持っていたビニール袋を床に置いた。
「・・・・・。」
しばらく、アルバートはその場に立ち尽くし、これからのことについて頭の中で考えを巡らせていた。
「・・・・よし。」
考えがまとまったのか、軽く息をつくと、アルバートは廊下の奥に視線を向けた。
そして、ゆっくりと廊下の奥へと足を進めた。
・・・ギィ・・・ギィ・・・。
廊下が軋む音がいつもより一段と重く廊下に響く。
すこし歩いて、廊下の中間くらいに差し掛かったとき、アルバートはふとあることに気がついた。
「・・・・窓が開いてるな・・・出て行く前に外の景色でも見てたのか。」
そう呟くと、ゆっくりと開いていた窓の取っ手に手を掛けた。
ギィ・・・ギ・・・バタン。
「・・・・。」
アルバートは窓を閉め終わると、軽く溜息をつき、再び廊下の奥を目指した。
そして、目的の一室の扉の前にたどり着くと、取っ手に手を掛け、ゆっくりと回した。
・・・・ガチャ・・・。
――――――――――――――――――――。
扉を開けると、朝方まで確かにエミリアという少女がいたはずの、その一室の風景だけが変わらぬ様子でそこにあった。
ただ完全に全く一緒というわけではなかった。
あの時とは時間帯が違うため、夕日が窓から差込み、壁の一部を赤々と照らしている。
そして、ベッドシーツが綺麗に整頓され、テーブルの上にあった食膳も、少女のために置いておいた現金も、もうそこには無かった。
「・・・・・・・。」
アルバートは黙ったまま少しの間、その整頓されたベッドに視線を向け、そして視線を戻すと、ゆっくりと夕日が差し込んでいる窓の方へ近づいた。
窓の外を眺めると、地平線に今にも沈もうとしている夕日が見えた。
「・・・・・・。」
アルバートはゴソゴソと自分のポケットの中を探り、タバコの箱を取り出して蓋を開けた。
だが、もう中にはタバコは一本も残っていなかった。
(そうか・・・そうだったな。・・・最後の一本はベーリオにあげたんだったな・・・。)
「・・・・・・。」
アルバートは深く溜息をつき、壁に寄りかかりながら窓の外に顔を向け、ゆっくりと目を閉じ、風に揺られて擦れあう草木の音に耳を傾けた。
―――――――――――――――――サァ・・・。
風に吹かれ擦れあう草木は、ゆっくりと静かに、そして少し物悲しい音を奏でた。
「・・・・・・。」
アルバートはしばらくの間、そんな音にそっと耳を傾けていた。
――――――――――――――――――――――――。
しばらく時間が流れ、夕日が地平線の彼方に沈むのを確認したアルバートは視線をゆっくりと部屋に戻した。
ガタッ。
その時、ふと部屋の扉の向こうから物音が聞こえた。
「・・ん?」
アルバートはその音を聞いて、扉の方に視線を向ける。
・・・ガチャ・・・・。
そして、誰もいるはずがない扉の向こう側から加えられた何かの力で、ゆっくりと僅かだが扉が開いた。
そして少しして、その僅かな隙間からゆっくりと何かが顔を覗かせた。
それは、頭に三角巾のようなものを巻いていたが、アルバートはその顔に見覚えがあった。
そう。
それは、朝方この部屋で自分と会話を交わしていた、あのエミリアのものに間違いなかった。
「あ・・・・。」
ポトッ。
アルバートの手から空のタバコの箱が、力無くポトリと床に落ちた。
「あ、あの・・・さっき玄関に荷物が置いてあったので・・・・ここじゃないかと思いまして・・・。」
少女は小さな声でそう言った。
「・・・・・・。」
アルバートはポカンと口を開けたまま、壁に寄りかかったままその場で立ち尽くしている。
「あの・・・・・・・モップ・・ありませんか・・・?床以外の掃除は一通り終わったんですけど、モップだけ無くて・・。・・・・・・さっきまでキッチンの奥の物置で探していたんですけど見つからないんです・・・。」
エミリアは小さな声でそう聞いた。
「・・・・・・・。」
「あの・・・・どうか・・・しました?」
「・・・・・・・逃げなかったのか・・・?」
アルバートは予想外の出来事に少し驚いた様子で聞く。
「・・・あ・・・はい・・一応・・。」
エミリアは、視線を逸らしながらそう答えた。
「・・・・なぜ?」
「・・・・・・いや・・・あの・・その・・・。」
エミリアは、アルバートの右手にチラチラと視線を向けながらオロオロし始めた。
「・・・?」
アルバートはその様子を見て不思議そうな表情でエミリアを見つめている。
「・・・あの・・・その・・・・・な、なんでもありません。」
エミリアはアルバートから視線を逸らすと、そうポツリと言った。
「ふ・・・・・まぁいいか。」
アルバートはその様子を見て苦笑する。
「・・・・・・。」
すると、エミリアはゆっくりとアルバートの方に歩き出し、先ほどアルバートが落としたタバコの箱を拾い上げ、それを差し出した。
「・・・・・・・。」
朝方は自分に近づきさえしなかった彼女が、自分に近くに歩み寄り、タバコの箱を手渡そうとしていることにアルバートは少々驚いたが、すぐにそのタバコの箱を受け取った。
「・・あと・・・これ返します・・。」
エミリアはそう言って、ゴソゴソと自分のポケットを探り始めた。
「・・・・?」
そして、少ししてエミリアはポケットからキレイに折り畳んである五枚の紙幣を取り出した。
アルバートは「ああ、それか。」という表情をして、口を開く。
「・・・・言ったろ?・・・それはやる。」
「・・・・でも・・アルバートさんは・・・“逃げるならやる”って言ってました。・・・私は逃げません。・・・・だからこのお金もお返しします。」
「・・・いいからもらっとけ。・・・これから生活するなら、なおさら所持金の半額は君が持つのが筋だろう?これは俺のエゴかもしれないが・・・・・アンフェアは好きじゃないんだ。・・・・強い立場も弱い立場もな。」
「でも・・・・・・私本当にお金の扱いが下手なんです。・・・だから返します。」
「・・・・・・わかった。」
アルバートはしぶしぶエミリアから500ユーロを受け取った。
「・・・・すみません。」
「何で謝る?・・・とにかく、まぁなんだ・・・・・・・・・・これは君の命の保証としてもらっておくよ。」
「え・・・・・・あ、はい・・すみません。」
「だから謝るなって。」
アルバートは苦笑しながら言った。
「あ・・・・はい・・・すみません。」
「・・・・・。」
アルバートは軽い溜息をついた。
「あ・・・・あはは・・・。」
エミリアは苦笑いした。
「まあ、そのうちゆっくり矯正してやるよ。・・・・・・よし・・・それじゃあいくか。」
そう言ってアルバートは部屋の扉の方へと歩き出す。
「・・・えっ?」
エミリアはキョトンとした様子で聞き返した。
「・・ん?・・何突っ立てるんだ?・・モップをとりに行くんだろ?」
アルバートはエミリアの方を後ろ目で見ながらそう言う。
「あ・・・・・・・・・・・・・・はいっ!」
アルバートの言葉の意味を理解したエミリアは、そう言って小走りでアルバートの近くへと駆け寄った。
そう。
こうして。
俺たちの。
私たちの。
共同生活の日々が幕を開けた。