48話「最近、ちょうど部屋が空きましたので」
────碧い瞳が、儚く揺れる。
「────お父さん。どうして、私を捨てたの」
ラシリア・サリパールは十三歳の夏。
護衛役だった筈の王宮騎士団員により拉致され、百枚のデケン金貨と引き換えに売り飛ばされた。
「────私の存在を、なかったことにするの」
当時のサリパに、ラシリアを取り返すだけの軍事力はなかった。
サリパがデケンに軍を向ければ、待っているのは破滅である。
かといって被害を訴えれば、面子が潰れるのは王宮騎士に裏切られたサリパだ。
サリパ王は、唇を嚙みしめて『娘を見捨てた』。
「────私に向けてくれた笑顔は、偽物なの」
当時のラシリアはまだ、社交界にデビューする前だ。
サリパ国王は涙を呑んで、ラシリアの記録を消した。
それがサリパを守るため、最良の手段だと判断した。
「────じゃあ私は、いったい誰なの」
一度拉致された王女に、価値はない。
家族の情はあれど、国の命運をかけてまで戦う価値はない。
サリパ国王は、父親ではなく『王』であることを優先した。
「────私は何なの」
ここで表立って反抗しなかったことで、サリパはデケン帝国の属国として栄えた。
ラシリアという少女を、深い絶望の淵へ沈めて。
「今日から貴様には、この屋敷で暮らしてもらう」
「いや、助けて! お城に返して!」
ラシリア・サリパールの誘拐事件。
彼女を誘拐したのは、グスタフというデケン貴族であった。
デケン貴族と言えど、他家の令嬢を誘拐するなど許されるはずはない。
この事件が表沙汰になれば、グスタフ家とてただでは済まなかった。
「殴らないで、酷いことしないで、許して」
しかしサリパ王国は、この事件を表沙汰にしなかった。
それはサリパ王国の調査能力だと、犯人が分からなかったからだ。
デケン貴族と当たりはつけていたものの、どの家かはわからず、証拠も存在しない。
下手に言いがかりをつけてしまえば、外交問題になりうる。
だから、泣き寝入りするしかなかった。
「助けて。パパ、ママ、早く迎えに来て」
サリパ王は涙を呑んで、娘の存在をなかったことにした。
被害者は一人の王女のみ。王子ならともかく、姫などいくらでも替えが利く。
こうしてラシリアは、何年も奴隷として飼われた。
「ごめんなさい。なんでもします。だから殴らないで────」
「ほう、貴女は……。そうか、これは使えるな」
そんな絶望の淵にあったラシリアに、手を差し伸べたのは。
「予はセルッゾ・キャベリズム伯爵である」
「……へ?」
「お助けに来ましたぞ、ラシリア姫」
悪人面で性格が悪そうな、恰幅の良いデケン貴族であった。
「驚きましたぞグスタフ殿! このお方は、サリパ王国の姫ではありませんか!」
「……何を仰るセルッゾ殿、彼女はただの奴隷ですよ」
「まさかまさか、この私がラシリア姫を見違う筈がありませぬ!」
それは突然の出来事だった。
グスタフ家の邸宅を、セルッゾ伯爵の私兵が包囲し、占拠したのだ。
檻に閉じ込められていたラシリアも、その際に保護された。
「セルッゾ殿、言いがかりはやめなされ。我らともにデケン貴族、仲良くやろうではないですか」
「むろん、予とて仲良くしていたかったともグスタフ殿」
グスタフ家の当主は、四肢を縛られセルッゾの前に引っ立てられた。
彼は顔を真っ赤に、怒り心頭でセルッゾを睨みつけたが……。
「しかしグスタフ殿。貴殿はラシリア王女の他にも、ご令嬢を誘拐してらっしゃるな」
「何の証拠があって!!」
「証拠ならいくつも取り押さえている。貴族の子女がそんなにお好きか、グスタフ殿は」
セルッゾもまた、底知れぬ怒りを瞳に宿し、グスタフを睨み返した。
「……我が娘の具合は、如何でしたかな」
そんな呟きの後、セルッゾは剣を鞘から抜いた。
グスタフとセルッゾは、商業圏の管理を巡って争っていた。
ただし商人の人気はセルッゾの方が高かったため、グスタフは焦っていた。
「セルッゾ殿の娘のことなど知りませぬ」
「予が知っておる」
そこでグスタフはセルッゾの、一人娘を誘拐して脅迫した。
彼女を解放してほしければ、商圏から手を引けと脅迫状を出した。
しかしセルッゾは脅しに屈さず、商圏を掌握した。
その結果、セルッゾ領はよく肥えて繁栄したのだが……。
────グスタフは報復として、セルッゾの娘を嬲り殺したのだ。
「証拠はあるのか!?」
「うむ。貴様のことだ、我が娘をさらった証拠など残しておらんだろうな」
「証拠もないのに、このような暴挙が許されると思っているのか!」
「だがラシリア王女誘拐の証拠なら、残っておるじゃないか」
グスタフは、暗殺や誘拐に手慣れていた。
証拠を残さず、セルッゾの娘を『処理』し終えていた。
「サリパにラシリアという王女などいない! 言いがかりはよしてくれ!」
「よろしい。では彼女を、サリパ王の前に引っ立ててみようじゃないか」
しかしラシリア王女の存在は、明確なグスタフの弱味であった。
仮にも同盟国の姫を、勝手に誘拐したのだ。
もし事実が立証されれば、爵位が剥奪されうる大事件である。
「セルッゾ殿、貴殿の怒りは分かった! だが我らで紛争など、何の利益もないだろう!」
「ほう?」
「デケン皇帝が知ったら何と仰るか! もっと貴殿は賢いと思っていた────」
「何にも仰らんよ、あのお方は」
セルッゾは無表情に、剣を喚くグスタフの腹に突き立てた。
そしてグリグリと、グスタフの腹の中をかき混ぜながら、
「あっ、アぁぁぁっぁ!!」
「デケン皇帝は予の武力行使に気づかず、縄目の屈辱を受けている者の懇願に興味を持たぬ」
そう言葉を続けた。
「痛ァ、あぁぁぁァ!」
「商圏争いにも、軍事力でも、貴様は負けたのだグスタフ。自尊心だけは一丁前の、小物よ」
「や、やめろぉ! 誰ぞ、誰ぞ助け……ぐあぁぁぁっ!!!」
セルッゾは無表情に、グスタフの臓器を潰し続けた。
しかし、彼を助けようとする者など現れない。
「皇帝は……身内同士の争いなど、許すわけが」
「……今回の襲撃計画は、デケン皇帝も許可しておるよ」
実のところ、グスタフのしたことは『彼の部下により』デケン皇帝に報告されていた。
セルッゾはグスタフを討つ根回しを十分にしていたのである。
「な、なぁ!?」
「予が無策で、貴族屋敷の襲撃なんて暴挙に出ると思うたか間抜け」
グスタフは日頃の行いから、部下からも嫌われていたのだ。
こうして愚かな貴族は、セルッゾにより殺された。
デケン皇帝の命令により、グスタフ領はセルッゾ伯爵の領地となった。
その結果、セルッゾ領は周辺で一番の領地を得るに至った。
「さて、ラシリア姫。貴殿はこれからどうされるかな」
「私、ですか」
グスタフの誅殺が終わった後。
彼は、囚われていた姫ラシリアに話しかけた。
「できればサリパ王国に、帰りたいです」
「それは難しいですな」
「ど、どうして?」
セルッゾ伯爵はラシリアに、どうしたいか聞いた。
当初こそラシリアは、帰国を望んだものの……。
「サリパ王はルゥルゥを第一王女として、社交界に紹介しておりました」
「なっ……!!」
「残念ながらラシリア姫、貴女はもうサリパに存在しない人間なのです」
既にサリパは、ラシリアのことを存在しなかったものと扱っていた。
一国の姫を誘拐され、泣き寝入りなど威信に関わるのだろう。
ラシリアは、サリパにとって邪魔な存在になってしまったのだ。
「お父さん。どうして、私を捨てたの」
その事実を知ったラシリアは号泣した。
彼女は檻の中でいつか、両親が迎えに来てくれると信じていた。
とっくに見捨てられていたなんて、考えもしなかった。
「私の存在をなかったことにするの」
……実際のところ、サリパ王はラシリアに愛情を持っていた。
ラシリアの生存を知れば、喜んで迎えに行っただろう。
「私に向けてくれた笑顔は、偽物なの」
しかしセルッゾに、そんなことなど分からない。
娘が誘拐された瞬間に『切り捨てる』やり口は、デケン貴族と同類だ。
「じゃあ私は、いったい誰なの」
第一王女が誘拐されたという醜聞を『隠す』という決断をした以上。
ラシリアがサリパに戻っても、受け入れられないと判断した。
「私は、何なの」
セルッゾとて血も涙もない人間ではない。
ただ、権力と領地のために娘を見捨てただけだ。
「ラシリア姫。良ければ予の屋敷で暮らすか」
「……」
「予が、保護してやろう」
身内の情は、利を濁らせる。
権力を得るためには、情は切り捨てるべきだ。
「どうしてですか、私と何の関係もないのに。もしかして貴方も、私を────」
「簡単だ、貴様に利用する価値があるからである」
だからこの時、セルッゾはきっと。
とてもとても、悪い顔をしていたことだろう。
「貴様の存在は、『サリパ王国の弱み』だからな。抱えておいて損はない」
「……損得勘定で、私を引き取ると?」
「ああ。その方が、信用できるだろう?」
セルッゾ伯爵も多少は、ラシリアに同情していた。
だが彼はそれ以上に、ラシリアという姫の利用価値に気付いていた。
「親愛の関係など、信用ならんぞ。人間は愛など、平気で裏切るのだ」
「……はあ」
「その点、利害の一致は素晴らしい。裏切る理由がないからな」
「そう、かな」
胡散臭いこと、この上ない台詞であった。
だがその言葉は、人間不信に陥っていたラシリアには良く刺さった。
「ラシリア姫は、予に親愛の情を感じるか?」
「いや、ぜんぜん……」
「それは素晴らしい」
ニヤニヤと笑う、悪人面の貴族。
彼は飄々とした口調で、絶望の淵にいたラシリア王女を誘う。
「予は、これっぽっちもラシリア姫に親愛の情など抱きませぬ。利用価値があるから金を出すだけ」
「……」
「ラシリア姫に価値がなくなれば捨てますし、好機が来れば利用します。そんな日まで、予に飼われてみませぬか」
「なんて、最悪な誘い文句」
そのあまりに悪辣な誘い文句に、ラシリア王女は失笑した。
そして、数秒ほど躊躇ったあと、
「……どうせ、私に行く当てなどありません。ご自由に利用なさってください」
「おお、交渉成立ですな」
「私も同じく、セルッゾ伯爵を利用させていただきますので」
「ぬははは! 実に素晴らしい!」
セルッゾ伯爵の誘いに乗り、保護を受けることにした。
その返事を聞いたセルッゾは、嬉しそうな顔になった。
「では我が屋敷に案内しましょう、ラシリア姫。なあに、部屋の準備は出来ております」
「手際が良いのですね、セルッゾ様は」
こうして人間不信な王女は、人の情を投げ捨てた貴族と共に生きる事となり。
ラシリアの名前は、世界から消えた。
「────最近、ちょうど部屋が空きましたので」
彼女が再び表舞台に立つのは、実に十年後のことである。




