39話「奇跡なんて、一つも起きやしない」
ジケイは王族会議において、勝利条件の明言を避けていた。
……サリオもリシャリも、どれほど無謀な状況なのか理解してしまうからだ。
「ジケイ様。徴兵を行っているのですが、国を捨てて逃げる者が後を絶ちません」
「やっぱり、集まんねーか」
『何となくまずい状況なのが分かる』のと、『もう勝ち目など残っていない』のでは、モチベーションが変わる。
サリオにもリシャリにも、十二分にパフォーマンスを発揮してもらわねばならない。
詳細を語るのを避けるほどに、サリパの勝利条件は過酷だった。
「ジケイ様、国庫からごっそり金がなくなっています。恐らく誰か持ち逃げを……」
「犯人捜しは後でいい。国王の絵画コレクションを売り払って、資金に換えろ」
「……御意」
デケン帝国とサリパ軍の兵力差は、およそ十倍と推測されていた。
厳密に言うと、『低く見積もったら』十倍差で済むという推測である。
実際の兵力差は、さらに大きい可能性の方が高かった。
「あと三日、ギリギリまで粘って兵を集めてくれ」
ジケイも徴兵を行ったものの、一人十殺を行わないと勝てない。
罠に嵌めるか奇策を成功させないと、勝ち目は薄いだろう。
しかも、サリパ王国の守護者パウリックは未だ帰ってきていない。
それだけでも、相当に厳しい条件だのだが……。
「この戦線くらいは、何とかなってくれないと困るんだよ」
しかし、この『対デケン戦線』はむしろマシな関門なのだ。
正規軍はかなりの練度だし、それを率いるロウガも手堅い名将。
さらに、タケルやポーリィという次世代のエースも追従している。
何とかなる可能性は、比較的マシだとジケイは考えていた。
「……ヤイバン軍は、依然としてサリパ軍を猛追しています。正規軍の被害が、馬鹿になりません」
「リシャリはまだ、向こうに着かないのか」
「おそらく、明日以降になるかと……」
第二の関門はヤイバンと停戦に成功し、かつ『ヤイバン側もデケン軍に勝利する』こと。
ここの可能性は完全に未知数、外交爆弾がヤイバンに通用することを祈るのみ。
ヤイバンが滅ぼされたら、味方のいないサリパは捻り潰されるしかない。
サリパが今後も生き延びるには、ヤイバンとの協調が不可欠なのだ。
「賢くあってくれよ、ヤイバン……」
ジケイが最初『詰んでいる』と考えたのはこれが理由だった。
ヤイバンとサリパは、数十年ほど敵対関係にあった。
そんな険悪な関係で、いざ窮地に陥って『助けてくれ』と尻尾を振りにいくわけで。
蹴られて当然、即日リシャリの首を送り返されてきても不思議ではない。
もちろんヤイバンも、共闘した方が勝率が高いことくらいわかるだろう。
だがヤイバンを客観的に見て、サリパと停戦できるほど頭の良い国には見えなかった。
「頼むリシャリ、ヤイバンにも守りを固めて貰わないと困るんだよ……ッ」
これが纏まる可能性があるとすれば、サリパの外交爆弾がうまく爆発してくれるのみ。
ならばあの人たらしな妹なら、この無理な停戦を纏めてしまうんじゃないか。
そこに一縷の希望にかけて、ジケイはリシャリをヤイバンに派遣したのである。
「……港町から、連絡は?」
「今のところ、ありません」
そして、まだ関門はある。
三つ目の関門、何ならこれが一番『厳しい』関門だ。
サリパ側の努力ではどうしようもない、天運が味方するかどうかの、神のみが知る関門だ。
「ルゥルゥ、姉さん」
ジケイは祈るような声で、港町に向かった姉の姿を想起した。
港町アナトは貿易の盛んな、東寄りにある海に面した街だ。
赤身魚の漁獲量が多く、毎年春には収穫祭が開かれて多くの観光客でにぎわう。
また酒の名所でもあり、船乗りが愛飲する質の高いラム酒やウイスキーが生産されている。
そんな港町アナトは交易が盛んで、各地と貿易をしている。
主都を除き、サリパで最も栄えている街といって過言ではなかった。
────ただし、その貿易の相手はデケン帝国だ。
「頼む」
そう。港町アナトは、『デケン帝国と海路が確立されている』都市だ。
裏を返せば、デケン帝国は海軍を使ってアナトに攻め入れるということ。
サリパ王国は、海路からの侵攻も警戒しなければならないのである。
「お願いだ……」
当然、ジケイもそれに気が付いていた。
港町アナトは、サリパの主都まで直通の輸送路も整備されている。
さらに海上輸送は、陸路の輸送に比べて効率が良い。
デケン帝国が海から侵攻してくる可能性は、非常に高かった。
「来ないでくれ!!」
しかし、ジケイは港町アナトに防衛戦力を用意しなかった。
いや、したくても出来なかった。
────サリパ王国には、海軍がないからである。
サリパ王国の面する海は、デケン海軍によって守られていた。
デケン海軍は精強で、その戦闘能力は世界一。それに守られたサリパは、海軍を保有する必要がなかった。
つまりデケンと交戦状態に陥った今、海からの侵攻は防げない。
港に入ってくる敵船を、追い返す手段はない。陸で出迎えて、市街で迎撃するしかないのだ。
……そんな状況になったら、どうあろうとおしまいである。
ただし、デケン海軍が来ない可能性もそれなりにあった。
デケン帝国はヤイバンとは別の、アイギスランドと呼ばれる北の島国とも戦争していたからである。
その島国とデケンはかなり相性が悪いようで、その戦争の歴史はヤイバンよりずっと長いという。
デケン海軍はその殆どが、アイギスランドとの戦いに投入されていた。
その戦況がひっ迫していれば、サリパに海軍を呼ぶ余裕はない。
そもそもデケンの戦力を考えれば、サリパなど陸路だけで十分に制圧可能だ。
なのでジケイは、『過剰戦力なので海軍投入を見送る』可能性に賭けた。
────そうしてくれないと、勝ち目がないから。
ジケイはそんな死地に、敬愛する姉ルゥルゥを派遣したのだ。
もし港町アナトへ、デケン帝国が攻め込んできた場合……、
ルゥルゥは民間人を徴兵し、率いて、市街戦で迎撃せねばならない。
それは勝ち目のない戦いだ。生き残れるはずのない、地獄の戦場だ。
ルゥルゥは自らの命と多くの市民を犠牲に、アナトを焼け野原にして、正規軍が首都へ折り返してくるまでの時間を稼ぐ役割を負う。
ジケイはそのことをルゥルゥに伝えようとしたが、彼女もその事実に気付いていた。
だから、ジケイの言葉を遮った。
王族会議で、この二人だけが『アナトに向かう意味』を正確に理解していたのだ。
こうして整理すると、どれだけか細い可能性だろうか。
サリパ王国の存亡は、数多の奇跡が重ならないと成り立たない。
それでもジケイは、王族としての職務を投げ出さなかった。
こんな絶望的状況で、敗北すれば殺されることも織り込み済みで、抗おうとした。
その理由は、
「俺だって今のサリパが、好きなんだよ……っ」
ジケイはその才能がゆえに努力せず、自堕落で、享楽的に生きてきた。
時には兄サリオに侮辱的な態度を取り、見下したりもした。
普通、そんな王族は排斥されてしかるべきだ。
だというのに『国の役に立つならそれでいい』と、国王も兄サリオもジケイを受け入れてくれた。
「けっこう、良い感じで国を運営できてると思ってたんだよ!」
ジケイにも、サリパという国に対して色々な不満は確かにあった。
しかし日に日に、年を重ねるごとに、サリパは良い国へ進歩していた。
ジケイはちゃんと、サリパという国を愛していたのだ。
────三日後。
「……ジケイ様、予定していた兵数が集まりました」
「そうか」
国を守りたいという気持ちは、ジケイだけが持っていた感情ではなかった。
サリパに統治されていた民衆の多くも、この国を大事に思っていたらしい。
三日目には、ジケイが想定していた以上の大兵力が王宮の前に集っていた。
「サリパ、万歳!!」
「デケンのやつを、追い返せ!」
確かに、国を捨てて逃げ出してしまった民も多かった。
しかしサリパ民の愛国心は、ジケイが思っている以上に高かった。
命を捨てて、国のために戦おうという民もまた、凄まじい数に上ったのだ。
とくに、数十年前の『前王の時代』を知っている者の志は熱かった。
当時のサリパは荒れ果て、政府に期待する者はいなかった。
しかし国王が変わり、着々と目に見えて国は良くなってきた。
現サリパ王がどれだけ民のために、苦労を重ねてきたかを見てきたのだ。
「ヤイバンは、未だ追撃を続けているのか?」
「今は、まだ情報がありません」
「リシャリから、返書はあったか?」
「まだ来ていません」
ジケイには自ら立てた戦略が、上手くいっているかどうか分からない。
いや、かなり高い確率で『上手くいかない』ことは分かっていた。
だけど、それでも足掻くしかなかった。
奴らが隠してきた殺意を剥き出しにしてきた以上は、抗わなければ殺されるだけ。
ジケイは決死の覚悟で、徴兵されたばかりの民兵を纏め、デケン帝国との国境へ赴いた。
ここで一つ、サリパに伝わる格言を紹介しておこう。
────奇跡と言うのは、起こってから自覚するものである。
これは、奇跡を前提にして計画を立ててはいけないというものだ。
期待すらしていなかった絶望の中で、偶然に導かれるから奇跡なのだ。
つまり、何が言いたいかというと。
天才ジケイが、サリパ王国が存続する可能性を模索して采配したこの戦略は……。
「サリオ様より伝令です。どうやら敵戦力は想定よりずっと多く、十倍どころではないようです……」
「そう、か」
「ヤイバン方面軍とサリパ方面軍、合わせると三十倍近い兵力差になるそうで」
一つたりとも、上手くいかなかったのだ。
「兵が多いのは仕方ない。どうせ絶望的な兵力差なんだ、十倍も三十倍も変わらん」
「……しかも、率いるはデケン七英雄の一人。『龍殺し』アガロン将軍だそうで」
「俺たちが合流すれば、また戦況は変わる。諦めるな」
デケン帝国のジャルファ王子は、入念な準備を行って侵攻してきた。
偉大なるデケンに敗北は許されない。局所的にでも負けてしまったら、彼は叱責を受けるだろう。
だから三十倍というバカげた戦力差で、サリパとヤイバンに対し同時侵攻を行ったそうだ。
「こっちにも龍殺しはいるんだ。ちょっとは抵抗できているのだろう?」
「いえ。なすすべなく、敗走を続けています」
「……何をしている。リシャリのお気に入りの『タケル』は強いんだろう?」
「それがですね……」
さらに、デケン帝国軍はただ数が多いだけではない。
サリパの土地を脅かしに来た連中は、さすがに精鋭であった。
『なんだ、あれは』
『人じゃないぞ?』
デケン軍にとって、サリパの攻略なんて『些事』である。
大真面目に、龍殺しの英雄アガロンが自ら戦ったりはしなかった。
『土の、化け物?』
『ゴーレムだ。ゴーレム部隊だ!!』
デケン帝国軍はサリパ相手に、実験中の新しい戦術を試していた。
大量の『土人形』を操る土魔術師部隊により、攻勢が始まったのだ。
『僕が戦ってみます、ロウガさん』
『お、おお。任せるタケル殿』
この土人形突撃がまた、非常に強力な戦法だった。
土人形には刃も通らず、魔法も効かず、進撃も止められない。
タケルはあわてて、土人形部隊へ突撃したのだが……。
『……壊しても、壊しても、再生される!』
『魔力の尽きない限り、無限に兵が湧くってのかよ!!』
タケルの一撃で土人形は粉砕されるが、すぐ別の場所から湧き上がってくるのだ。
この土人形は下が地面である限り、無限に湧き続けるらしい。
『壊しても、壊しても、きりが……』
『う、うわああ!! やめて、助けっ────』
そもそも普通の兵士にとっては固く、重く、数人がかりでも倒せない土人形。
そして苦労の末に倒したとしても、魔力があればすぐさま再生してしまう。
……これぞデケン軍が、実戦で初投入した新戦術。
大地を覆い尽くすほどの土人形が、蠢きながら進軍する不死の行軍。
『タケル殿、退くしかない!』
『は、はい!』
いくら壊しても、いくら土に還しても、敵の数は全く減らない。
これが、タケルと致命的に相性が悪かった。
敵がただ硬いだけであれば、タケルの敵ではない。
しかし破壊できても、すぐに復活する敵をどう対処しろというのか。
『全然、足止めができない!』
『こんなの戦争じゃねぇ! 虐殺だ!』
この最悪の敵を前に、サリパ主力軍はなすすべなく敗走を重ねた。
サリオ率いる正規軍はほんの一日の防衛もおぼつかず、戦線を大きく押し込まれていた。
「……とのことで」
「そんな戦法、聞いたことねぇぞ!」
ここまで完膚なく敗れるとは、ジケイは想像していなかった。
リシャリから『タケルという優秀な戦士が入った』と聞いていたので、ちょっとは抗えると思っていた。
……新兵器の投入なんて、戦争ではよくある話だ。
デケンの土人形部隊は、まだ情報にない新しい戦術だった。
だから当然のように、サリパは苦戦した。
「もう良い、実際に俺が目で見て考える。何か策はある筈だ」
「わ、分かりました」
「くそ、ちょっとは時間を稼げると思ってたのに」
ジケイにも、すぐに対策が頭に浮かんでこなかった。
想定よりも多い兵力、想像だにしていなかった戦術。早くも、ジケイの策は崩壊し始めていた。
「さらに悪い報告が届きました」
「何だ、言ってみろ」
「未だ、ヤイバンと停戦の合意が宣言されません。現在も、ヤイバンは追撃を継続しています」
さらに悪い報せは続く。
外交の使者リシャリが出発して一週間、未だにヤイバン軍は進撃をやめないのだ。
「リシャリはもう、とっくに着いているはずだろう!」
「姫様からの返事は、届いておりません。道中で、何か起きたのかも」
どうして、交渉が成功していないか分からない。
彼女が、道中で負傷してしまったのか。あるいは、門前払いを食らってしまったのか。
交渉の場に立てなかったら、リシャリのコミュニケーション能力は意味をなさない。
少なくとも、現時点でヤイバンが追撃をやめていないのであれば、策は失敗であった。
「……分かった。前線に到着した後、俺が自らヤイバン軍に乗り込んで交渉してみる」
「ジケイ様……」
────すべてがうまくいかない。ジケイの願った奇跡なんて、一つも起きやしない。
しかしこれは、別に不運な結果という訳ではない。
「ああ、そうだよな」
普通は、こうなのだ。
デケン帝国の軍事力は最強と名高い。弱小サリパ軍なんて、蹴散らせて当然である。
ヤイバンとの因縁は深い。リシャリが交渉上手だろうと、一日で停戦など無謀だ。
奇跡を願ったが、奇跡なんてなかった。これは、それだけの話。
「あ、あの。ジケイ様。また、報告が」
「何だ、言ってみろ」
「ルゥルゥ様より伝令が。港町アナトに、デケン海軍が出現したそうです」
「そうか」
そして、最後に届いたのは致命的な知らせ。
一人も兵を配置していない港町に、デケン海軍が群れを成して現れたのだという。
「そう、か」
「ジケイ様!」
────奇跡と言うのは、起こってから自覚するものである。
奇跡を求めてコトを起こすなど、愚の骨頂だったのだ。
「……ぁ」
ぐわん、とジケイの頭蓋が揺れた。吐き気と眩暈で、立っていられなくなった。
彼は彼なりに、出来ることをやった。
奇跡を期待しないとサリパを救えないから、奇跡に賭けた采配を振った。
「ジケイ様、お気を確かに!」
「────くそッ」
だが、現実はコレだ。
デケン帝国という強大すぎる国を相手に、サリパはあまりにも弱小で。
その皇帝がちょっと気まぐれを起こしただけで、滅ぶ運命に逆らえない。
「どうする、ここから、俺たちは……」
「ジケイ様?」
ジケイの立てた奇跡を前提としたプランは、とうに破られた。
兄サリオも、姉ルゥルゥも、妹リシャリも、みな生き残れるか分からない。
サリパの民は蹂躙され、兵士たちはデケン帝国の実験台として殺される。
「考えろ、少しでも被害を減らす方法を!」
怠惰な人生を送ってきたジケイは、初めて必死に物事を考えた。
適当にやっても何でもこなせた彼にとって、人生で最初の『どうしようもない』局面。
だが、彼は諦めない。諦めたくなかった。
「ここから最善手を取れるかどうかで、きっと助かる命の数は────」
「……ん?」
奇跡は、起こってから自覚するものである。
ジケイが期待した奇跡は起きていなくても、他で起きているかもしれない。
「何だ。また、悪いことでも起きたか」
「い、いえ。ジケイ様、一通だけ勝利報告が届いています」
進軍中のジケイの元に届けられた、敗報と絶望の伝令の中。
たった一つだけ、サリパ軍に小さな勝報が届いていた。
「勝利、報告?」
「ヤイバン方面に向かった、デケン軍ですが……」
それは、小さな小さな勝利。
そしてこの広い戦線で、唯一のサリパ軍の勝利。
「ブユルデスト砦がそのデケン軍と交戦し、撃退したそうです」
「はあ!?」
「それも、無傷で」
そしてそれは、図らずも。
「ちょ、ちょい待て! あそこに兵なんていたか!?」
「はい。先日、正規軍に導入されたブユルデスト自警団が数百名ほど……」
「たった数百人で、デケンの大軍を追い返したのか!?」
その小さな勝利こそ、ジケイの描いた展望とは全く違う、奇跡の始まりであった。




