37話「本当に、本当に。楽しく、思っていたんだ」
デケン帝国は、この大陸における『覇権国家』だった。
人口も、技術も、戦力も、何もかもが世界最高。
その国力は、サリパはもちろん、ヤイバンとすら比較にならない。
『デケン帝の権威を、世界に知らしめよ』
そんなデケン帝国の悲願は、大陸の統一だった。
大陸全土をデケンの権威にひれ伏させ、デケンの領土としたかった。
そのため、デケン皇帝は周辺諸国に属国となるよう要求したのだ。
ヤイバンはその傍若無人なデケンの要求を拒否したため、交戦状態になっていた。
『我らサリパは、デケンの軍門に下ります』
『よかろう、では褒美にサリパ近辺の自治を認める』
『ありがたき幸せ』
一方で国王は、デケンに下る決断を下した。
サリパの国力では、デケンにもヤイバンにもかなわない。
ならばより強大な国であるデケンに尻尾を振るのは、当然だった。
しかしそれが、国王にとって、どれだけ屈辱だっただろう。
デケンは、第一王女ラシリア王女を『興味本位』で誘拐した国だ。
デケン貴族の態度は横柄で、降伏に来た父を『弱小国の臆病王』と馬鹿にしたという。
心の内では憎んで、恨んでいてもおかしくない。
しかし父は感情を飲み込んで、デケン帝国に媚びた。
国民の平和と安寧を守るために頭を下げ、プライドを捨てた。
父がそんな苦汁を飲んだおかげで、サリパは大きく繁栄した。
デケンからの技術供与で、国民の生活レベルは上昇した。
生産力も強化され、国民が飢えなくなった。
いざとなればデケンの援軍があるという、安心も得た。
サリパはデケンとヤイバンの二国に挟まれ、いつ滅ぼされてもおかしくなかった。
国王はたった一代で、そんなサリパを『弱小国』にまで立て直したのだ。
父上は、次世代の育成も怠っていない。
第一王子サリオを教育し、王の器を身に着けさせた。
第二王子ジケイも要職に就け、サリオを支える体制を整えた。
……細かな欠点はあるものの、国王は名君だったと言えるだろう。
父は何かの分野に突出して、高い能力を持っていたわけではない。
例えば武力ではサリオに、研究ではルゥルゥに、政治ではジケイに劣っていると思われる。
しかし父は王に必要な能力を、過不足なく持っていた。
一点特化ではなく、万能型の君主。
そんな父上を、俺たち四兄妹はちゃんと尊敬していた。
そしてこの名君に治められたサリパの未来は、明るいハズだった。
国王が旅立って、デケンの首都に到着するまでおよそ一か月。
サリパ国王が皇帝に面会を申請し、会談が叶うまでさらに一か月。
とうとう、国王とジャルファ王子は、デケンの皇居へ通されていた。
「ほう、ヤイバンを滅ぼす時が来たと?」
「はい、父上」
実はこの首脳会談は、かなり速やかに実現したほうだ。
デケン皇帝へのアポイントなど、年単位で待たされるのが当たり前。
申請からたった一か月で会談に応じるのは、異例であった。
それだけデケン皇帝も、ヤイバンに興味津々だったのだろう。
「サリパ国王よ、ヤイバンの情報は?」
「ご用意しています。資料はこちらに」
「読ませろ」
国王はジャルファ王子と共に、恭しく仔細を報告した。
デケン皇帝はその報告を、うんうんと頷いて静かに聞いていた。
「ふむ。たしかにそれは、好機であるな」
「おっしゃる通りです、父上。今こそ出陣の時でしょう」
……そんなデケン皇帝は、果たしてどんな人物かといえば。
「然り」
背丈はおよそ二メートル、腰には大剣、背に大槍を背負って座る巨漢。
だが髪と眉は白まり、眼窩には深く皴の寄った、七十歳を超える老翁だ。
「ヤイバン以外の戦線はどうなっている。兵を動かす余裕はあるのか」
「ええ。今はどこも、落ち着いている様子です」
「そうか」
かつてデケン皇帝は、『槍斬王』と呼ばれた英雄であった。
背の大槍を手に縦横無尽に戦場を駆け巡り、多くの戦いに勝利してきた。
その頃の覇気は老いてなお衰えず、猛禽類のような眼光は健在だった。
「勝てる、な。勝てる戦争だろう」
「おお、分かってくださいましたか父上」
「ならばジャルファよ、貴様に総大将を任せる。ヤイバンを征服ってこい」
槍斬王の戦は、負け知らず。
デケン皇帝は、生涯で一度も負け戦をしたことがなかった。
勝てる勝負は積極的に、負ける勝負は避ける。そういう嗅覚を持っていた。
そのメリハリの妙こそが、デケンを大国足らしめたのだ。
「遠くから足労だったな、サリパの王よ。感謝せい、我がデケン軍が全てを終わらせてやろう」
「ははっ、陛下」
そんなデケン皇帝には、美学があった。
ただ勝つだけは、非効率的である。
絶望的な戦力差で一蹴してこそ、味方の被害も少なく効率的だ。
「私が出陣を命じたからには、勝利以外の結果は許さぬ。分かっておるな、ジャルファ」
「無論です、父上」
戦争の勝敗に対する嗅覚を持ち、常に勝てる勝負を挑み続けた槍斬王。
彼が出陣を許可したなら、勝利は決まったようなものである。
「ところで、サリパ国王よ。話は変わるが貴国の姫は、とても美しいと評判であるな」
「はい。二人の娘は、私の誇るところです」
デケン皇帝は機嫌がよさそうな顔で、そう話を変えた。
姫の話。それはすなわち、縁談の話である。
「ジャルファよ、実際に会ってどうであった?」
「はい。姉のルゥルゥは聡明で、妹のリシャリは愛らしい。噂通りの美姫でした」
「お前、そいつらをどう思った?」
「……好んでおります。とくに妹のリシャリ姫と、よく話が合いました」
サリパ国王はその会話の流れに、胸のうちで歓喜を覚えた。
人たらしの末娘リシャリは、他人の心に入り込むことにかけては天才である。
つまり、この流れはもしかして。
「ほう、ほう。ジャルファよ、貴様はリシャリ姫が好みだったと」
「恥ずかしながら、彼女ほど話して楽しい女性はいませんでした」
「実に良い。実に素晴らしい」
リシャリの嫁ぎ先として、ジャルファ王子以上の相手はいない。
もし、婚約の話があったとすれば……。
「サリパ国王よ。リシャリ姫に、婚約者などはいるのか」
「い、いえ。今、探している所でございます」
「そうか、未婚の姫か。であれば丁度よいな」
なんとしても逃すわけにはいかない。
サリパのためにも、リシャリのためにも、これ以上ない縁談話だ。
「ジャルファよ、顔を見ればわかる。相当に、リシャリ姫が気に入っておるな」
「……父上は何でもお見通しですね。おっしゃる通りです」
「ようし、ではもう一つ。ジャルファに命を下そう」
サリパ国王は平静を取り繕いつつ、胸を躍らせて。
余計な口を挟まず、ただ会話の成り行きを見守っていた。
「サリパも滅ぼしてこい」
「────は?」
直後。
国王はデケン皇帝から発された命令に、目を見開いた。
「え、ちょ。はい? 父上?」
「聞こえなかったか、ジャルファ」
その言葉に驚いたのは、ジャルファ王子も同じだった。
表情を崩さないジャルファが、珍しく動揺を顔に出していた。
「サリパを滅ぼし、そのリシャリを捕らえるのだ。それが、貴様が皇帝になるための試練」
「あ、えっと」
「ジャルファよ。王たるもの、誰かを気に入ってもいいが、惚れてはいかん」
サリパ国王も、ジャルファ王子も、ぽかんと口を開けたまま。
そのデケン皇帝の『意味不明』な命令に、呆然としていた。
「サリパを滅ぼし一族を皆殺しにすれば、そのリシャリ姫はさぞお前を恨むだろうな」
「そ、それは、当然では」
「その状況でリシャリを誑かし、奴隷のごとく臣従させろ。皇帝を継ぐのであれば、それくらいの求心力が必要なのだ」
その口調は、態度は、冗談には見えない。
デケン皇帝は当たり前のように、サリパを滅ぼしてこいと命じた。
眼を見開き、唇を震わせるサリパ国王に見向きもせず。
「……失礼ながら、父上。その戦いの意味は、なんでしょう」
「弱者の淘汰である」
デケン皇帝はそう言って、蔑んだ目でサリパ国王を見た。
「ジャルファよ。媚びへつらいが上手いだけの男など、信用するな。いずれ国を亡ぼす癌になろう」
「なっ、わ、我々サリパはデケン帝国に反意など抱いては」
「強者に媚びる者は、他の強者に脅されれば従うのだ。……サリパは信用できん」
そう。最初からデケン皇帝は、サリパ王を信頼していなかった。
今は滅ぼせないから、形だけは味方だから、泳がしていただけ。
「ど、どうかご冗談をおやめください。このサリパ王、小心者ゆえに震えが止まらぬのです」
「冗談に聞こえるか、惰弱なサリパ王」
「どうかお考え直しを。サリパは良いところです、残しておけば必ずデケンの役に立ちます」
サリパ国王は、デケン皇帝の声色に本気を感じ取っていた。
それでもなお、必死で笑顔を作ってこびへつらった。
「それほど良い場所なら、自分で守れ。我がデケン軍を撃退してみよ」
「そんな、デケン帝国とは力の差がありすぎましょう」
「貴国が怠慢で弱いのが悪いだろう」
……そんなサリパ国王の様子を見て。
デケン皇帝はますます、失望したような顔をした。
「文句があるなら抵抗せよ。抵抗できぬなら死ね。野生の兎が、虎を前にして『貴方は強すぎるので食べないでください』とほざけば、どう思う」
「我々はデケン帝国に恭順を……」
「媚びるだけの小物など配下に不要だ」
デケン皇帝の言葉の直後、無数の騎士の刃が、サリパ国王の首元へ向けられた。
サリパ王は顔面を蒼白にして、肩をすくめて膝をつく。
「媚び、へつらい、抗う気概もない小物よ。我はそんな貴様がずっと、嫌いだった」
「そ、そんな! それはあんまりです、デケン皇帝!」
実際のところ、それはデケン皇帝の個人的な好き嫌いだろう。
武人肌だったデケン皇帝は、サリパ国王の行いが小物にしか見えなかった。
だからいざというときは裏切るに違いないと、確信していた。
「情けない男だ。応戦する気概もないか」
「私は……デケンと戦うつもりなど……っ」
「デケンが求むは強者のみ。小物に、我が旗下は名乗らせん」
震えるサリパ王を見て、デケン皇帝は嘲笑を浮かべたあと。
ふと、思い出したような顔になり、
「だが、息子の成長の糧となることには礼を言おう。リシャリ姫とやらは存分に利用してやるさ」
「貴方は……、お前はァ!」
きょとんとした顔で、感情のこもっていない謝辞を口にした。
「さて、話は終わりだ。おいジャルファ、貴様がやってみよ」
「……は、はい!」
デケン皇帝のその『命令』に、ジャルファ王子はハっとすると。
額から汗をぬぐい、瞳からスっと光を消した。
「……了解です、父上」
「ジャルファ、王子ッ!」
ジャルファ王子は剣を抜くと同時に、いつもの仮面を被りなおしていた。
今までずっと歓談していたサリパ王を、命令一つで殺す覚悟。
これがデケンの、教育。これがデケンの、帝王学。
皇帝とは孤独で、強くあらねばならないのだ。
「サリパの王よ。恨みはないが、デケンのために死んでくれ」
「貴様らぁあああああッ!!」
王子は無表情に剣を握り、サリパ国王の首筋へ構えた。
彼の顔にはもう、迷いも動揺も残っていなかった。
「よしよし、良い顔だジャルファ。貴様はきっと、我を継ぐ器になれる」
「ありがとうございます、父上」
そして、一切のためらいもなく。
ジャルファ王子は金髪を揺らし、サリパ国王へ刃を振りぬいた。
「────ふむ、交渉は決裂ですな」
次の瞬間、高い金属音が皇帝の間に響き。
ジャルファ王子の剣が音を立てて、カランと床に砕けて落ちた。
「ご無事ですか、我が主」
「────なっ!?」
王子が目を見開いた刹那、突風が謁見の間を駆け抜けた。
同時にばたり、ばたりと護衛が血を噴き出し、ガランと重苦しい音を立て倒れる。
「命令を待たず動いて申し訳ありません」
「……パウリック!!」
見ればいつのまにか、鋼鉄甲冑を纏った騎士がサリパ国王を抱いていた。
貴族髭を逆立たせ、憤怒の表情を浮かべ、恐ろしい殺気を放って剣を構えている。
────それは、サリパ最強にして世界最高の騎士パウリックその人だった。
「馬鹿もの! どうしてパウリックが侵入してきている!」
「こ、皇帝陛下! 謁見の間の前の兵士が、皆殺しにされています!」
「馬鹿な!」
サリパ最強の騎士団長パウリックは、耳が良い。
彼は部屋の外から、謁見の間で起きたことを把握していた。
そしてギリギリまで国王の交渉を見守っていたが、ジャルファ王子が剣を抜いたため乱入を決断した。
「……退きます、よろしいですか国王」
「すまん、助かったパウリック」
彼が大暴れすれば、デケン皇帝に刃が届いたかもしれない。
しかしパウリックは、サリパ国王の安全を優先し撤退することにした。
「追え、逃がすな! 我がデケンの精鋭よ、ここで仕留めて見せろ!」
「了解!」
パウリックが逃げるそぶりを見せると、デケン皇帝は追撃を命じた。
……だが彼はパウリックの実力を、過小評価していたのだろう。
「う、うわあああ!」
「剣が速すぎて見えないっ」
デケン兵の槍や剣は、藁のごとくパウリックの剣技にへし折られていく。
パウリックの剣は万夫不当。彼と比肩する戦士が、護衛の中にいるはずもない。
「おのれええええ!!」
デケン兵も意地を見せ、懸命にパウリックへと斬りかかった。
しかし、傷一つ付けられぬうちに、次々と首を両断される。
「ウーム、強い。あれが巷に聞く、サリパ最強の騎士団長パウリックか」
やがて鋼鉄の騎士は国王を抱いたまま、皇居を血まみれにして逃げ去った。
その強さを見てデケン皇帝は怒るのではなく、むしろ興奮して目を輝かせていた。
「いかがしますか、父上」
「関所を封鎖しろ。あの二人を国外に逃がすな」
噂には聞いていたが、サリパという小国にこれほどの人材がいようとは。
サリパ王国の守護者、世界最強の男、人類を超越した戦いの化身。
そう名高いパウリックの実力は、噂通り一線を画すものであった。
「掃き溜めに鶴とは彼のような人物を言うのだろう。デケンに生まれておれば……、勿体ない」
「さすが、音に聞こえたサリパの大英雄ですね。まるで剣筋が見えませんでした」
「いや、まったく。……惜しいな、何とか恭順させられんかな」
デケン皇帝は、優秀な人物に目がなかった。
パウリックという輝かしい英雄を前に、蒐集欲が湧いたらしい。
「パウリックが帰還せぬうちにサリパを滅ぼせ。帰る国がなくなれば、いくらでも説得も出来よう」
「了解しました」
「いやあ、甘く見ていた! パウリックの強さ、惚れ惚れしそうである!」
デケン皇帝は機嫌がよくなり、たくさん護衛を殺されたにも拘らず、大きな声で笑った。
彼は媚び諂う輩を嫌うが、『勇気ある者』をよく好む。
忠義に厚く、冷静沈着で、実力を伴ったパウリックはデケン皇帝が大好きなタイプであった。
「ぜったいにパウリックを逃がすな。あの国王を護衛せねばならん以上、強引な関所破りは出来んはず」
「はい」
「あとはリシャリとやらを捕え、人質にして恭順を迫ってやろう」
欲しいものは絶対に手に入れるという、デケン皇帝の悪癖が出た。
彼の鶴の一声で、サリパへの侵攻が即決されてしまった。
「リシャリ姫以外に、生かしておく人物はいますか」
「おらん。パウリックのほか、サリパ王国にろくな人材などいまい」
だが、デケン帝国において皇帝の言葉は絶対。
ジャルファ王子はデケン皇帝の命令の通り、サリパへ侵攻する準備を整えた。
「お任せ下さい。サリパの攻略など、半日で終わらせて見せましょう」
「ああ」
デケン帝国という、恐ろしく強大な敵による侵攻。
ヤイバンという大国と戦争中に、不意打ちでデケン帝国から背後を突かれ侵攻される。
……それはどうあがいても、滅亡は免れない状況だった。
これが弱小国の立場である。
このデケンによるサリパ侵攻は、気まぐれに近かった。
デケン皇帝の機嫌がいい日に会談していたら、結果は大きく違ったかもしれない。
「……すまない、リシャリ姫」
皇帝がちょっと気まぐれを起こしただけで、国ごと吹き飛ぶ。
それがいかに理不尽で横暴だと騒いでも、文句をつけるだけの武力がなければ『敗者の戯言』である。
その残酷で悲劇的な運命の渦、その中心にされたのは────
「君との会話は本当に、本当に。楽しく、思っていたんだ」
愛嬌が取り柄の第二王女、リシャリその人であった。




