35話「ヤイバンの怪物」
『下がってろレヴィ! お前は……』
『下がっているのはお父様ですよ。分かるでしょ』
タケルはポカン、と少女を見つめた。
戦に割り込んで、レヴィグダードに下がっていろと命じた少女。
彼女の外見や口ぶりを見るに、どうやらレヴィグダードの娘のようだが……。
『初めまして、少年』
『ど、どうも』
彼女からは不思議と、敵意も威圧も感じない。
まるで友人と談笑するような態度で、ニコニコと話しかけてきた。
『ボクの名前はレヴィって言うんだ』
『あ、どうも。タケルといいます』
『うん、よろしく。ちょっと聞いていい?』
戦いの最中に、殺意を隠して近づいてくる少女。
普通であれば不意打ちや、罠を警戒するべきなのだろうが……
『……タケルはさっきから、本気で殴ってないよね。どうしてだい?』
『ああ、えーっと』
もしかしたら、話し合いがしたいのかもしれない。
タケルはその態度に毒気を抜かれ、問答に応じることにした。
『それは貴方たちを殺すことが目的じゃないから、です』
『へえ、殺すために来たんじゃないんだ。じゃあ、何が目的?』
『貴方たちを追い返すことです。ヤイバン軍が帰ってくれるなら、僕たちは何もしません』
実際に、タケルは殺し合いをする気がなかった。
レヴィグダードに一騎打ちを挑んだのも、『ヤイバン最強の将』をやっつけたら、逃げ出してくれないかなと期待したのだ。
『ゆくゆくは、仲良くしたいなってすら思ってます』
『ふーん』
……タケルは王宮騎士となったが、その精神性は未熟。
兵士として戦場に立っていながら、人殺しに忌避感を持ってしまっていた。
『────それが、君の答え?』
『はい』
『……ふぅん』
そんな、タケルの答えを聞いて。
レヴィの瞳が、失望に染まった。
『強者の驕りでも、嘲笑でもなく、ただのお花畑……か』
『あの?』
『じゃあ君は、ボクを殺す気がないの?』
レヴィはタケルに向き直り、くだらないものを見るような瞳で見つめた。
そんなレヴィに、タケルは屈託のない笑顔で答えを返す。
『うん。君がこのまま立ち去るなら、殺すつもりはない』
……その問答の直後。少女は顔に手を当てて、大きなため息を吐いた。
『立ち去らなければ?』
『その時は、相手になるよ』
『ふーん』
レヴィは残念そうに溜め息を吐くと、タケルに掌を向けた。
やる気らしい、と勘付いたタケルも、仕方なく拳を構えた。
『やるんだね?』
『……水鎧装着』
水色の少女が、何かを呟いたその瞬間。
ぬるり、と地面から水が湧き上がり、鎧の形になって少女を包みこんだ。
それはレヴィグダードと同じ、全ての攻撃を無力化する水鎧。
ただし……
『どこ見てんだよ、えっち』
『あっいや!?』
甲冑を身に付けていないレヴィの『水鎧装着』は、目に毒だった。
何せローブがピッチリと体に張り付き、ボディラインを浮きだたせていたからだ。
ローブで分かりづらかったが、少女は意外に豊満な肉付きをしている。
タケルは少しだけ、赤面していた。
『じゃ、やろうかタケル』
『あ、危ないよ。やっぱりやめない?』
『やめない』
相手は一応、女の子だ。なるべく傷つけず無力化しよう。
タケルはレヴィの鎧を、ギリギリ突破するよう調整しよう。
そんなことを考えて。
『……じゃあ、怪我しないでね』
『させてみろよ』
タケルは力を抜き、丁寧に少女の体躯を狙った。
『……ん?』
まず一発目。これは、レヴィグダードに最初に放った強さの一撃だ。
しかしその拳は、ピタリとレヴィの水鎧の表面で静止していた。
衝撃は、全く伝わっていない。
『おお、これは?』
続いて二発目、タケルはレヴィグダードが吹っ飛んだくらいの強さで殴りかかった。
先程より鈍く大きな水打音が鳴り響き、飛沫が四方へ飛び散った。
『……やっぱり、えっち』
『あっ!?』
しかし、やはり拳は少女の体躯に届かない。
タケルの殴打はピタリと静止し、衝撃は水鎧を波打つように伝わるのみ。
『……』
……結果、少女のローブが捲り上がって。
細い太ももと純白の下着が、露わとなってしまったが。
少女もさすがに、赤面している。
『ご、ごめ────』
『とはいえ、ボクのローブを捲れる程度の威力はあるんだ』
タケルは慌てて目を覆い、レヴィから距離を取った。
そんな彼を、少女はちょっと面白そうな表情で見つめた後……。
笑顔のまま、唐突に掌を向けた。
『悪い子にはおしおきだ。水突弾』
『へ?』
────その少女の魔法の鋭さは、タケルの予想を大きく上回った。
レヴィは瞬きをする一瞬の刹那、広がった拳の前に水蒸気が凝集する。
気付いた瞬間には無数の水弾が、タケル目掛けて射出されていた。
『うわっ!』
……詠唱から着弾まで、一秒もかかっていない。
その水塊は直撃すれば、人間の血肉を貫通する威力も持っていた。
彼女はほぼノーモーションで、音速の即死攻撃をぶっ放したのだ。
たまらず、その水弾の直撃を食らったタケルだったが……。
『あ痛たたたた。びっくりしたぁ……』
レヴィの魔法は、龍のブレスや石礫を耐えたタケルの身体を貫くには足りなかった。
水はタケルの腕に直撃し、小さな痣を作っただけにとどまった。
『……硬いね。血くらい、流してくれると思ったんだけど』
『いや、割と痛かったよ』
水の魔法は、威力が弱い。防御に秀でている半面、火力に乏しい。
だから、戦闘に向かないとされている属性だった。
『思ったよりやるね、タケル少年』
『あははは。今ので、その。手打ちにしてもらえると助かるな、なんて』
今の水突弾は、レヴィにとってほぼ最大火力だった。
それを不意打ちで、タケルに直撃させたのだ。
肉を貫通する威力があるはずのそれは、タケルに打撲痕を残すのみであった。
『じゃ、こういうのはどうかな』
『君の気が済まないなら、もう一発くらい……』
タケルは未だに、戦う意思を見せていない。
いや、戦っているとすら認識していない。
そんな能天気な彼に、レヴィは『獰猛な笑み』で応えた。
『タケル以外を狙っちゃう』
『へ?』
少女は、飄々とした態度を崩さないまま。
今度は後ろにいた『サリパ軍』に対して、水弾を放ったのである。
『うわあああああ!! 隊長が、隊長が!』
『ひぃぃいい!!』
『────えっ』
降り注ぐ数多の水突弾は、サリパ軍を阿鼻叫喚に叩き落とした。
レヴィの水弾はタケルを傷つけられずとも、雑兵を殺すには十分だった。
水弾に頭部を吹っ飛ばされた兵士の、数多の血飛沫が大地を汚した。
『っ! おい、やめろ!!』
『何言ってんだ?』
それを見たタケルは焦り、怒りのままレヴィに詰め寄った。
せっかく殺さずに解決しようとしたのに、という憤慨もあった。
『君が怒る筋合いはないだろ』
『どうしてっ……、こんな!』
『ボクはヤイバン兵だ。サリパ兵が目の前にいれば、そりゃ殺すさ』
しかし、少女の顔には嘲りが浮かぶのみ。
詰め寄ってきたタケルを、楽しげに煽り続けた。
『君が余裕ぶっこかず、真面目に戦ってたら彼らは死ななかったかもしれないのにね』
『それは、だって! 話し合いで』
『話し合いと思ってるのは君だけだろ。ボクは、殺しあいしに来てるんだ』
ピリピリと空気が重く、硬く、冷たくなっていく。
やがて穏やかなタケルの目が、憎悪と怒りに包まれる。
『お前ぇ!』
『戦場に来ておいて、コレで激高しないでよ。ますます幻滅してしまうだろ?』
『……もういい、分かった。僕が間違っていた』
ギュ、っと。タケルは血がにじむほど、強く拳を握りしめた。
そしてまっすぐ、少女に向かいあって拳を引いた。
『そんなに殺し合いたいなら、やってやる』
『出来るなら、やってごらん』
滲み、溢れる、無尽蔵の魔力。
周囲の兵士の顔に恐怖が浮かぶ中、レヴィだけは涼しい顔で。
『さっきの威力なら百発は耐えられるけど?』
嫌味たっぷりに、タケルを嘲笑した。
『僕が間違っていた』
次の、タケルの一撃は。
尋常なモノではなかった。
動き自体は、単なる正拳突きだ。
大地を踏みしめ、引いた拳を、突進しながら真っすぐに突き出しただけ。
『今から本気出す』
だが、まず最初の一歩。右足で大地を蹴ったその瞬間、地鳴りと共に世界が揺れた。
その轟音だけで、レヴィグダードの鎧に亀裂が入る程であった。
『血肉のひとかけらも、残さない』
次の一歩。タケルは既に、少女の眼前、吐息のかかる距離に肉薄していた。
踏みしめた軸足が、大地に無数の亀裂を引き起こす。
『────え』
コンマ数秒の出来事だ。レヴィに出来た反応は、チラリと視線を動かすだけだった。
レヴィの顔から血の気が引いた、次の瞬間。
『消し飛べ』
タケルは左足を軸に半回転し、亜音速で『拳を射出』した。
その動きに空気が追い付かず、真空となった拳の軌跡に土煙が渦を巻いた。
怒りに飲まれたタケルが、我を忘れて全力で放った一撃。
タケルはたった二歩の動きで……
────少女を砕き、草木を焦がし、雲を吹き飛ばし、大地を割った。
『……くくっ』
キーン、と耳鳴り。
爆音が鳴りやんで、土煙が晴れるころ。
大地に空いた数十メートルのクレーターのその中心で、少女は笑い声を零した。
『何だ、やれば出来るじゃん』
レヴィは頭から血を流し、全身を泥だらけにして、フワフワと水鎧の中に浮いていた。
摩擦で草木がボウボウと燃える、真っ黒な土の中で。
体中から血を噴いて、骨という骨をへし折られてなお。
『ああ、スゴォい。何て凄いんだ』
レヴィは水の鎧の中で、膝をついていなかった。
重傷を負ってはいるものの、戦闘態勢を崩してもいなかった。
『想像以上の、破壊力だよゥ……』
『……嘘』
タケルは間違いなく、本気の一撃をレヴィに叩きつけた。
殴った直後、どう考えてもやり過ぎた、跡形も残らないはずだとも確信していた。
だが現実は、少女を殺し切れていなかった。
『お父様ァ。この少年は、ボクが引き受けるね』
『れ、レヴィ……。お前、は』
『これの相手は、ボクじゃないと無理だろ?』
この時、タケルは自分の拳を見つめて、ただ震えていた。
挑発に乗り感情に飲まれ、本気で拳を振るってしまったという後悔。
だというのに生きながらえて、悠然と立ち上がってくる少女への驚愕。
そして何より、
『あァ……すごいよタケル』
『ひぃっ!?』
『そっか、ここまでかぁ。こんなにも、なんだね……♪』
重傷を負いながら、恍惚とした笑みを浮かべるレヴィに『恐怖』を抱いた。
『タケル。もう一つ、聞いていいかい』
『な、な……なんだよ、ですか』
『君、ここまでの強さを持っていて、疎まれたことはなかった?』
少女は笑い続けた。それはどこか、『救われている』ような顔でもあった。
明らかに負傷して、限界ギリギリの顔色だというのに。
彼女はタケルに殴りつけられ、殺されかけたというのに。
『怖がられたはずだ。避けられたはずだ、気持ち悪がられたはずだ』
『君、は』
『なのにどうして君は、誰かのために戦っているんだい』
レヴィは『自分より強い存在』に出会えて、喜んでいた。
『やめてよ、さっきみたいな下らない答えはさ。良い子ちゃんの解答なんて要らない』
『……』
『教えてくれよ。君はどうして、そんな暴力的で悪魔的な拳を、ボクに振るうことが出来たの?』
そんな態度を見て、タケルはレヴィの心情を理解した。
いや。おそらくこの広い世界の中で、レヴィの心情を理解できるのはタケルくらいしかいない。
『君も、周囲に怯えられて生きてきたのか』
『まぁ、ね』
レヴィは、ヤイバンに生まれた『タケル』だったのだ。
彼女は父親のレヴィクダードにその才能を認められ/怖がられた。
そして英雄/怪物として賞賛と畏怖を浴びて育てられた。
『皆、怯えた目でボクに媚びるんだよ。どうしてお前は、そんな力を持ってるんだって!』
────実はレヴィは、対デケン戦線で切り札として使われる予定の、秘密兵器だった。
怪物染みた強さを持つ娘を恐れつつ、利用する気で育てられた。
『なんでボクより弱い連中に、従わないといけないの。どうして戦わないといけないの』
『……』
『お願いだ、教えてくれ……』
レヴィグダードも、こんなところで娘をお披露目する気はなかった。
最強の戦士レヴィグダードを瞬殺したタケルを見て……。
ふらふらと、誘い出されてしまっただけ。
『僕は……、僕は。好きな人が、いて』
『へぇ?』
『その人の、ために、戦ってる』
タケルはレヴィに対し、警戒を解かないまま返答した。
彼なりに誠意をもって、返答したつもりだった。
その答えを聞いて、レヴィは満足そうに、
『良い。さっきより、ずっとずっと、良い答えじゃあないか』
頬を染めて、そう喜んでいた。
『……逆に聞くけど。君はどうして、ヤイバンのために戦っているの』
『え、ボク?』
二人の怪物は、僅かな会話の中で心を通じ合わせた。
そして、理解しあった上で、
『分かんないから、君に聞いてるんじゃないか』
『そう』
再び、拳を突き出した。
『可哀想に』
タケルの顔から、驕りと油断が消え。
怪物たちは、正真正銘『命を懸けた殺し合い』へ身を投じた。
「本気のタケルの拳を受け続け、死ななかったんですか」
「ああ。そのレヴィという少女もまた、怪物だった」
タケルとレヴィの戦いは、長時間に及んだ。
この後のタケルに、油断も慢心もなかったそうだ。
レヴィを脅威と認め、殺す気で殴り続けたらしい。
「そ、それで? タケルは……」
「一応、レヴィとやらには勝ったそうだ」
「では、タケルがどうして負傷入院を?」
レヴィは防御を固め、タケルの殴打を何度も逸らし、耐え抜いたらしい。
しかしタケルの圧倒的火力の前にはジリ貧となり、やがて追い詰められたそうだ。
最後の一撃と拳を構えたタケルの前に、レヴィは生き延びるべく禁忌を犯した。
「ノーモーション、不意打ちによる股間の狙撃だった」
「股間」
不意打ちで、股間に水突弾を撃ちこんだのである。
打撲程度の火力でも、そこに当たれば致命傷。
タケルはその場で悶絶してしまい、その隙にレヴィは逃げ出したそうだ。
「ポーリィの懸命な処置により、タケルの子孫繁栄能力に別状はないそうだ」
「懸命な処置」
その後、ポーリィの治療によりタケルの大事な部分は大事に至らなかったらしい。
タケルは女の子にタケル(隠語)を潰され、同年代の少女に処置をされたことになる。
メンタル大丈夫だろうか。
「まぁ、要は我々の完全勝利だな」
「そ、そういう判定になりますかね?」
その後は両軍ともにらみ合いが続き、戦闘は起きていない。
サリパは攻め込む必要がないので、確かに完全勝利ではある。
「と、言う訳で。俺は今から王子と、デケンの首都に乗り込んでくる」
「お願いいたしますわ」
王子もヤイバン侵攻に賛成のようで、二人でデケンの首都に交渉に行くようだ。
よほどのことが起きなければ、軍を動かしてもらえるだろうとのこと。
「ここさえ乗り切れば、将来は安泰だ。リシャリ、最後まで気を抜くなよ」
「了解」
俺は決してヤイバンという国を、そこまで強く恨んではいない。
ただ彼らがサリパを敵視し、攻め込んでくる以上は戦わなければならない。
「────ついに、ヤイバンを滅ぼす時が来た」
そして、この戦争の先に。
きっと平和な未来が待っているはずだと、信じていた。




