25話「そんなことが、贖罪になるとは思いませんが」
「う、うわっ……」
「うわああああああああ!!!?」
巨大な龍の出現により、ブユルデスト軍はパニックに陥った。
龍と言えばその昔、サリパ軍が総力を挙げても惨敗した『化け物』。
四代前の初代スピオ卿が討伐するまで、何万人の犠牲が出た天災である。
「……おい、おかしいだろ」
龍が暴れれば、国が亡ぶ。
太古よりそう言い伝えられ、実際に滅んだ国も数知れない。
────龍は人間の天敵なのだ。
「なんで龍がヤイバン人に従っている!!」
だというのに、ヤイバン軍に同行している龍は……。
周囲のヤイバン兵を踏まぬよう動き、俺達に獰猛な唸り声をあげていた。
「まさかヤイバンは、龍を支配下においているのか」
「そんなことが出来るわけがない、たまたまだろう」
「いや、でも龍は、ヤイバン軍に襲い掛かる様子がない」
今までの歴史で、人が龍を従えた記録などない。
いかなる説得をされようと、象が蟻に従う理由はないのである。
「無礼者! 龍神様が我らに従っているのデはない!」
だが、ヤイバン人はその逆を成し遂げた。
「我らが、龍神様に従っているのダ」
「そんな馬鹿な!」
彼らは龍神グルデバッハに同胞を捧げ、神と呼んで手厚く世話をすることにより。
龍から『役に立つ小動物』と認識され、襲われなくなったのだ。
その関係は、『共生』と言えたかもしれない。
ヤイバン人は、龍に同胞を捧げることで自国を守った。
龍は、労せず日々の食事を得られ、安全に寝泊まりが出来た。
しかしヤイバンとて、親兄弟の死体を捧げるのには抵抗がないわけではない。
ヤイバンは龍を崇める宗教を作り民を納得させていたが、内心で思う所はあった。
『何で我々だけが、犠牲を強いられるんだ』
『サリパからも、供物を要求すべきではないか』
そのモヤモヤとした感情は、隣国サリパに向けられた。
本来、龍が暴れていればサリパ王国にも大きな被害が出たはずである。
だというのに、どうしてヤイバン人だけが供物を捧げねばならないのか。
サリパ王国は平和を享受しているなら、彼らも供物を差し出すべきだ。
その交渉によって、ジスター伯と密約が結ばれた。
ジスター伯はヤイバンにいる龍を知り、サリパ王国に勝ち目がないと知った。
しかしヤイバンとはデケン帝国との外交もあり、条約を結ぶわけにはいかない。
そしてジスター伯に、表立ってサリパ王国に反逆する度胸はなかった。
だから彼は『すまないが外交上、ヤイバンに従うことはできない』と謝り、『代わりにブユルデストに兵を配置しないから、攻め入って遺体を回収してはどうか』と提案した。
ジスター伯の立場も考慮し、ヤイバン側はその提案を受け入れた。
そして共に龍へ供物を捧げ、安寧を得ようという契約を交わしたのだ。
それが、ジスター伯の裏切りの真相であった。
「VaoooOOOO!!」
その龍の咆哮と共に、ビリビリと空気が振動した。
龍は暴風と共に飛翔し、太陽を背に空高く舞い上がった。
「と、飛んだ」
「なんて速度だ!」
龍は大きな翼をはためきながら、ブユルデスト城壁の前へ降り立った。
……堅牢な城壁をクッキーのように粉砕しながら、割れんばかりの地鳴りと共に。
「ひ、ひぃっ!」
龍が着地した風圧だけで、俺のスカートが張り付くようにはためいて。
地鳴りだけで城壁の一部が、ガラガラと崩れ去ってしまった。
「て、でっかかかかか……。わぁ、あ……」
見ればヤツは俺たちに臭い吐息を吐き散らし、舌舐りをしている。
その迫力に、いつも飄々としたルリちゃんが、壊れた機械みたいになっていた。
「へ、へ、へるぷみー!!」
「に、に、逃げるんだ。か、勝てるわけがない────」
「全員、落ち着け! 次の命令を下す!」
その規格外すぎる敵を前に、ブユルデスト兵は戦意を喪失しかけていた。
俺自身、無言でその場に立ちすくむことしか出来なかった。
「水蝶の舞いは中止だ、龍には意味がない!」
「べ、ベルカ?」
そんな中、ベルカだけは平然と声を張り上げた。
あとちょっと彼が声をかけるのが遅ければ、陣形は崩壊していたと思う。
「蠍部隊は作戦準備、プランH毒針の剣山を実行する! 雪精部隊はすぐに倉庫に行って、雪舞いの衣装へ着替えろ!」
「え、あ、おい!? 戦うってのか!」
「大丈夫だ、案ずるな。人間以外の化け物が攻めてきた場合も想定している!」
恐慌状態だった部隊は、ベルカの一喝で正気に戻った。
そして龍を前にして、彼は涼しい表情でサリパ王国の旗を掲げた。
「何という僥倖だろう、龍退治を成せる機会など滅多にない! 自らは後世に伝わるおとぎ話の主役になれるぞ」
「ほ、本当か。何とかなるのか、ベルカ!」
「ふっ、任せておけ。お前たちは怯えず作戦を決行せよ! 勝利は我が手にある!」
そのベルカの言葉で、兵たちはいくらか動揺が収まった。
ヤツはそのあと、ジーっと俺の顔を凝視している。
……俺もハっとして、続いて声を張り上げた。
「サリパ王国第二王女リシャリですわ! 現時刻を以てあの龍を、サリパの敵と認定します!」
「て、敵ですか」
「知っておりますか。百年前の戦で、龍討伐に参加した兵士全員に勲章が与えられ、その名は王宮の石碑に刻まれていたことを」
「お、おお?」
「このリシャリの名において宣言しますわ! あの龍を退治できれば、この戦いに参加した者の全員の名を、王宮の石碑に刻みましょう! 未来永劫に名を残す名誉を与えますわ!」
「お、うおおお!!」
ベルカの叫びで目が覚めた。
俺の役目は士気向上だ、ボーっとしているわけにはいかない。
「ベルカさん、指揮は任せましたわ!」
「おお! 自の勲章は、一等大きなものを頼むぞ!」
ベルカは自信満々に、指示を飛ばし始めた。
混乱しかけた兵士達も既に立ち直っていて、ベルカの指示に従っている。
「……」
だが、彼のすぐ隣に立っている俺だけは気付いていた。
ベルカの掌には汗がにじみ、唇を噛みしめて動揺を抑えていたことを。
「いくぞ、龍を攻撃する! 街から非戦闘員を逃がせ!」
「は、ははは。なお歯向かってクるか、愚か者ども!!」
そのベルカの表情を見て、俺は悟った。
この戦いに、勝ち目などないのだ。
「女子供を優先して逃がすんだ、サリパ王国軍の来ている方向へ!」
「行けルリ、もうお前に出来ることはない!」
「う、うん」
「今の状況を伝え、軍に保護して貰え!」
ベルカが兵を立て直したのは、他のブユルデスト市民を逃がすためだろう。
龍の気を引いて時間を稼ぎ、少しでも被害を減らそうとしたのだ。
「東のA地点で毒針の剣山、雪精部隊はA地点まで龍を誘導しろ! その後、秘密通路を使って城内に帰還せよ!」
「りょ、了解」
「いくら龍と言えど、神経毒は効くはずだ! まずは足を麻痺させてやれ!」
ベルカは余裕の表情を崩さない。
彼が次に用意させたのは大型獣用の、麻痺毒付きの鉄杭だった。
俺の胴ほどの太さがある鉄製の鋭利な杭で、その先端にはドス黒い油ギッシュな液体が塗りたくられていた。
「は、ははは。愚か、愚か、愚カァ!!!!」
雪精部隊は派手な色の服をきた部隊だった。
彼らは実に、勇敢だった。
龍の前に姿を見せ、気を引いて誘導し、ド太い毒杭を踏みぬかせた。
「そんなものが龍神様に刺さるわけガないだろう!!」
……しかし鉄杭が、龍の足に傷をつけることはなく。
粘土でも押しつぶしたように、鉄杭は無様にひしゃげていた。
龍の皮膚は、鉄も通さぬ頑健さ。そんなおとぎ話で聞いたうんちくは、事実のようだった。
「樹油部隊、風魔法で油木の屑を浴びせろ。その後、恋弓部隊が火矢を放て!」
「学習せぬか。理解せぬか。龍神様の偉大さヲ!」
次にベルカは、大量の木くずを龍に浴びせ火を放った。
チリチリとした熱風を、肌で感じるほどの大火力。
ブユルデスト城壁の前に、炎の波が顕現した。
「これがブユルデストの最大火力だっ!」
「アハハハハ!! 龍神様は火の神である。炎で攻撃とは、阿呆の極みヨ!」
しかし龍は炎を避けすらせず、鱗に直撃して、四方に散って消えた。
とうの龍は欠伸をしていて、火傷一つ負わなかった。
「これが神である、これぞ龍である! 恐れ、敬イ、そしてひれ伏せェッ!」
敵の巫女の興奮した叫び声が、やかましく耳を刺激した。
勝ち目など、なかった。
「……リシャリ様、もう十分だ。そろそろ行け」
「ベルカ?」
「分かるだろう。こんな小細工、時間稼ぎでしかない」
俺は形だけは総大将なので、城壁に残り続けていた。
だが敗北を悟ったベルカは、俺にそう耳打ちした。
「すまん、勝てぬ。龍は、想定していなかった。自の落ち度だ」
「い、いや。あんなのを想定する方が……」
「戦場にあり得ぬことはない、言い訳は出来ん。約定を果たせずに申し訳ない、詰ってくれて構わない」
彼は真剣な表情を崩さぬまま、まっすぐに俺を見ていた。
それは有無を言わせぬ、強い視線だった。
「聞け、王女。まだ自には最期の計略が残っている。龍といえど、一矢報いる自信があるものだ」
「そ、それを使えば、ブユルデストを守れるのですか?」
「いや、出来ない。それはブユルデストの地下空洞を利用した、都市ごと崩落させる落とし穴。いわゆる奥の手、敵兵を都市内に誘引して皆殺しにする一手として用意していた」
「……」
「この都市内に引き込めれば、龍を巨体ごと落とし、土砂で埋められるだろう。仕留められはしないだろうが、パニックに陥れることは出来る筈だ」
ベルカは最後まで、ベルカだった。
この男は何重にも策を用意し、その中で最善の手を選び、次々と繰り出していく。
「ここに残っていたら、崩落に巻き込まれて助からん。お前も街の連中と共に、脱出しろ」
「……で、ですが。そんなことをしたら都市の中に残った兵士は」
「勝手な事を言わせてもらう。リシャリ王女にしてきた仕打ちを考えれば、拒否されても仕方のないことだが」
そのベルカが、最期の奥の手として用意していた策。
ブユルデストごと崩落させるという、最後の切り札を切ろうとした。
「自はここで死ぬ。もはや助からぬ」
「────」
「……だから、ルリを頼む。たった一人の、自の家族なのだ」
ベルカの目には、決死の覚悟が宿っていた。
この男は命がけで時間を稼ぎ、俺とサリパ王国の主力軍に後を託そうというのだ。
「ベルカ、龍がこっちに来てるぜ! 次はどうすればいい!?」
「そうだな、狐火を使うか。皆が逃げる時間を稼ぐぞ」
「了解ィ!」
いつしか、戦っている兵士全員に、決死の炎が宿っていた。
龍という絶対に勝てない天災を前に、家族や友人を逃がすため、命を捨てる覚悟をしたのだ。
「リシャリ様、このまま大通りを真っすぐかけてください。裏口から、外に出られます」
「兵士さん」
「俺たちの為に、こんなところまで来てくださってありがとうございます。もう十分です」
ベルカのすぐそばにいた兵士も、俺に頭を下げてそう言った。
そして何故か、晴れやかな笑顔を浮かべ、
「貴女はこんなところで死んでいいお人ではない。どうか生き延びて、我らの雄姿を語ってくださいませんか」
「……ッ」
そんなことを、願われた。
龍は横暴で、強大で、暴力的だった。
近づく兵士は羽で叩き潰され、咆哮で吹き飛び、尻尾に払い飛ばされた。
「これが愚か者の末路。賢明なジスター伯に従わなかったことガ、貴様らの過ち」
人と龍には、圧倒的な差があった。
生物としての規格が違う。
「龍神様に逆らうことガ、間違いだ。人は何をしても龍に勝てヌ」
鉄を通さぬ硬い皮膚、雄叫びだけで吹き飛ぶ馬力、そして暴力的なその魔力量。
蟻が何匹たかろうと、象に傷をつける事は出来ない。
蟻は象と戦うように、出来ていないのだ。
「その事実から目を背け、無駄な抵抗を繰り返ス。ああ、サリパ王国は愚者の集まりだ」
ヤイバン人はその事実を受け入れ、抵抗を諦め、龍に恭順を誓った。
そして、ヤイバンは龍に国土を荒らされることなく発展していった。
たくさんの民の遺体を龍に捧げながら、安寧を得た。
「無駄な抵抗かどうかは自らが決める。知っているか、我が国では百年前に龍を討伐しているのだぞ」
「馬鹿馬鹿しイ。どうせ老いて弱り果てた龍だったのだろう」
「我が国の歴史を疑うか。ではまず自の策で、龍に手傷を負わせてやる」
ベルカは龍を仕留めきれないにしろ、手傷を負わせる自信はあった。
龍は巨体だ、その重さはすさまじい。どんな動物も、転べば傷を負う。
小さな鉄杭では傷はつけれずとも、自重による打撲ならばダメージはあるはず。
「見苦しい! 龍神様を傷つけうる存在など、あるわけがない!」
「面白い! ならばこのベルカ最期の一策、受けてみよ!」
ここで龍を手負いにし、サリパ王国本軍を援護する。
あとは、かつて龍を倒したことがあるという祖国の兵を信じるのみ。
「このブユルデストは、サリパ王国は、貴様らに首を垂れん!」
ブユルデストの守将ベルカは、敵の煽りに毅然と応答した。
「待ってください、ベルカ」
「……な?」
俺はそんな、覚悟を決めたベルカに。
待ったをかけるよう、肩を叩いた。
「おい、リシャリ王女。なぜまだ逃げていない」
「いえ、その」
「さっさと出ていけ、お前が巻き込まれて死んだら面倒だ。せっかく逃がしてやる時間を稼いでいるのに」
きっと、それをベルカは成し遂げただろう。
絶妙な指揮で龍を罠に嵌め、手傷を負わせることに成功しただろう。
「その策、必要なくなったかもしれませんわ」
「はあ?」
だが、それより先に。
俺は城門の外、遥か先から近づいてきている土煙が見えていた。
「────こちらにも、援軍が来ましたわ」
サリパ王国軍の到着まで、あと1日はかかる筈だった。
だがソイツは、待ちきれなかったのだろう。
たった一人で、彼はブユルデストに向かって駆けてきていた。
「援、軍?」
「見えますか、アレが」
土煙が、高く舞い上がり。
煙は飛行機雲のように、凄まじい速度で地を這って近づいてきている。
「安心しなさいベルカ。貴方の役割は終わりです」
「何を言ってる。リシャリ王女、お前は……」
「自分で言っていたではありませんか。元よりヤイバンの本隊には敵わない、ベルカの役割は時間を稼ぐだけだと」
キィィィ、という甲高い風切り音が迫ってきて。
暴風かと見紛うソレは、やがてブユルデストの城壁にまで到達した。
「よく頑張りました、ベルカ。援軍の到着ですわ」
────その衝撃で、大地が軋んだ。
その振動に気付いた直後、大地の爆ぜる音が響き渡っていた。
「なあ」
ソイツは既に、龍の目前に片足で立っていた。
彼の着地の衝撃で、平原に大きな土埃が舞い上がり。
土煙が龍鱗を避ける中、彼は足を大きく開き、腰を限界まで捻った。
「お前、リシャリ様になにしてる」
そして、限界まで引き絞った弓を射抜くように、回し蹴りを放って。
────けたたましい打撃音が、その場全員の耳をつんざいた。
「VUXAAAAAAA!?」
「はああああああああああ!!?」
直後、巨体は宙を舞っていた。
龍の首があり得ぬ方向にひしゃげ、見守っていた無数のヤイバン兵を巻き込みながら、龍神は地面を滑って吹っ飛んでいく。
「……は、え?」
敵の巫女の、呆けた声が響き。
彼女は間抜けな顔で、吹き飛ばされた巨龍を見て絶句していた。
「ご無事ですか、リシャリ様」
「よくぞ間に合いましたわ」
「……貴女を守れなかった不手際、伏してお詫び申し上げます」
そんな吹き飛んだ龍には目もくれず。
俺の前には一人の騎士が、目に涙を浮かべかしずいていた。
「それは良いのですが、その。タケル、あれなんとかなります?」
「あれって、龍でしょうか」
「ええ」
我ながら、随分と無茶なことを言っていると思う。
ブユルデスト兵全員が束になって傷一つつけられなかった龍を、タケル一人に何とかしろと言っているのだ。
無理難題も甚だしい。
「……あれを、倒していただきたいのですが」
「なるほど。龍退治が、贖罪になるとは思いませんが」
しかしタケルは、俺の言葉を聞くとすぐ頷いて。
「御命、承りました」
吹き飛んだ巨龍に向き合い、小さく拳を構えた。




