第一話 濡れた雑巾とためらい
あの日から数日が経った、ある秋の日。
窓の外には淡い雲が流れ、校庭のイチョウの葉が少しずつ色づきはじめていた。
その日は掃除当番で、私は雑巾がけをする係だった。
雑巾がけをするのは、私ともう一人の友人――田辺さん。
彼女は笑顔を絶やさない明るい性格で、成績も容姿も申し分なく、
まさに「才色兼備」という言葉がぴったりの人だった。
彼女のそばにいると、空気が少し軽くなるような気がした。
けれど、この日は違っていた。
掃除用具入れから雑巾を取り出し、水をくむためにバケツを持ったとき、
胸の奥がひんやりと冷たくなった。
何かを思い出しそうになって、慌てて呼吸を整える。
教室の机の列を見渡しながら、私は心のどこかでため息をついた。
雑巾がけの仕事は、教師の机の上、後ろの棚の上、そして全員の机の上を拭くこと。
つまり、あの机も――リエさんの机も、拭かなければならない。
雑巾を絞るたび、冷たい水が指先を伝って袖口を濡らした。
白く濁った水面に、天井の蛍光灯の光が揺らめく。
その揺れが、なぜか心のざわめきと重なって見えた。
数日前、私は信じられない光景を見た。
メルさんたちがリエさんの机に唾を吐きかけ、靴のまま踏みつけて笑っていた。
その場に立ち尽くした私は、何も言えなかった。
教室の空気が歪んで見えた。笑い声だけがやけに鮮明で、時間が止まったようだった。
それからというもの、リエさんの机の位置を避けるように動く自分がいた。
目を逸らしても、あの場面が脳裏に焼きついて離れなかった。
今日、その机を前にして、手が動かない。
雑巾を絞る手のひらが、じんわり汗ばんでいた。
窓の外から吹き込む風が頬を撫でる。
けれど、その冷たさよりも、心の中のざらついた感情の方がずっと痛かった。




