第三十五話 一斉攻撃
昭和のいつか。どこかにある高校。季節は冬。
三学期が始まって欠席が少しづつ増えていた。
「インフルエンザで休む者が増えている。お前ら、体調管理に気をつけろよ。受験でピリピリしている三年だけの問題じゃないからな」
ホームルーム後、担任はそう言って締めくくった。
教室を見渡すと、六つの空席を確認できた。テレビでもインフルエンザの流行を伝えてたからなぁ。
寒いし昨日のこともあるし、図書館へ寄らずに僕はさっさと帰宅することにした。
自室に入ってベッドに横になる。
今頃になって頭の中を色んなことがぐるぐる駆けめぐり、それらをどうするか考えてるうちに僕は眠りに落ちていた。
「おーい」
耳元で呼びかけられ目が覚めたら、顔の前に山田さんがいた!
「わっ!」
慌てて飛び起きると山田さんが僕の肩に手を置いて話し始めた。
「おやすみのところ、ごめんね。でも緊急事態だから」
「は、え? 山田さん? どうして?」
「いいかい霧丘君、落ち着いて聞いてね」
「え、ええ」
山田さんがこれ以上ないほど真剣な顔をしている。白薔薇に攫われた河野と僕を助けに来てくれたときみたいに。
「君のお母さん、ちょっとまずいことになってるんだ」
「母さんが?」
「見てもらった方が早いかな。とにかくリビングへ行こうよ」
山田さんに促され、階下へ行くとリビングのソファに母親が腰掛けていた。こっちに背中を向けて、テレビを見ている。
「母さん?」
呼んでみたが反応がない。
「母さんてば!」
母親の前へ回り込んだ僕はギョッとした。テレビを食い入るように見つめているその顔は、僕が知っている母親のものじゃない。
口はだらしなく、涎を垂らしているのに、眉を吊り上げて鋭く前を見つめたまま。
顔の上下で別人みたいだ。
「母さん……」
「霧丘君、落ち着いてね」
山田さんが僕の肩を優しく包んでくれた。
「さっきね、エミリと一緒に来たんだよ。返事がないから庭へ回って外から覗いたら、君のお母さんが……」
「そう言えばエミリさんは?」
「この近所一帯を回ってるよ」
「母さん、どうしちゃったんですか?」
「うーんと、私が術をかけた状態にすごく似てるんだよね」
「えっ?」
山田さんの正体は狐だ。幻影を見せたり記憶を映像化したり、とにかくそういう能力を持っている。
「じゃ、母さんをこんなにした犯人は狐ですか?」
「まさか。この街だけじゃなく、全ての狐は日本政府に協力してるからね、こんなことする狐はいないよ」
そう言ってウインクする山田さん。えっと、反応に困るな。
「じゃ誰が……」
「とにかくテレビ切ろうか」
そう言って山田さんがテレビへと近寄った途端、母親が動いた。
「ああああああああ」
寄生をあげながら山田さんに掴み掛かろうとするも、彼女にあっさり取り押さえられた。
「ごめんね、霧丘君。こうでもしないと、凄い力だよ」
なお暴れる母親の額にそっと指を当てた山田さん、その瞳が、目が、獣のようになる。
すると母親は気を失い、身体の力が抜けていく。
「術で上書したから、今君のお母さんは幸せな夢を見てる」
「えっ」
見ると母親は何とも気色悪い笑顔を浮かべていた。何の夢見てるんだか。
「とりあえずお母さんは大丈夫だから君はここにいてね。エミリを探してくるから」
「戻ったわ」
リビングに音もなく入ってきたのは河野(影武者)ことエミリさん。
彼女は母親を一瞥すると、僕達に驚くべきことを告げた。
「全員じゃないけど、この辺の奥様方は霧丘君のお母さんと同じ有り様よ」
「やっぱりテレビかな?」
「そうだと思う。あいつらテレビ局を使う知恵まで身に付けたのね」
山田さんとエミリさんが話していること。
あいつらとはアレだろう。
「あの!」
「なあに?」
エミリさんに質問する。
「母さんは元に戻りますか?」
「今は答えられないかな。私の方で解析してみるけど、柚木がいないから手が足りないのよね」
柚木さん。河野の母親。
「テレビの画面を通して、何か効果が出るよう細工をしたようね。テレビを見ない主婦はいないから、毎日少しずつ仕掛けたみたい」
「そんな……」
「霧丘君、人間は外部情報を取得するのに視覚に一番頼ってるの。わかるかな」
「あ、それはわかります」
以前、山本と雑談がてら話したことがある。視覚と聴覚、どっちを失ったらより困るかってこと。
二人とも“視覚”だと意見が一致した。
「でね、映像に何か仕掛けを仕込んだら、見た者を操ったりもできるんだ」
「そうなんですか」
「私達が惑星の調査をする存在だと知ってるでしょう?」
「はい、それは」
エミリさんも河野の母親である柚木さんも“恒点観測体”といって遠い宇宙からやって来た、超高性能な探査機みたいな存在。
「ある程度文明の発達した知的生命が画像をコミュニケーションツールとして使うのはセオリーなの。地球でテレビが普及しているように、ね」
「は、はい」
「だからこそ、色々な目的に使われるのよ。詳しくは省くけど。奴らもそれに目をつけたってわけ」
「あいつらが……」
正直、あいつらの起こす事件は街のあちこちで起こる怪奇事件みたいだと僕は思っていた。
こんな風に大規模なことを仕掛けてくるなんて想像もしなかった。
「私達が日々アレらを始末するのに奔走しているのは、全体から見ればごく一部。今頃ね、文香は黒瀬君達と一緒に敵の本拠地を叩いてる最中よ」
「え? 河野が?」
「ちょっと、エミリ」
山田さんがエミリさんを咎める。
「いいのよ、みさえ。情報解禁の条件を満たす異常事態だよ」
「そ、それもそうか」
「河野達は無事なんですかっ」
柔らかく河野の顔で微笑むエミリさん。
「それは保証する。万全の備えでことに当たっているから」
「万全の……」
「霧丘君、心配する気持ちはわかるよ。でも私達だけじゃなく、日本政府も多くの人間を派遣しての作戦だから」
山田さんは僕を安心させるかのように頭を撫でてきた。
「さ、みさえ。狐、いえ猫もイタチも。それと犬、狸、蛇も。総出で対処しなきゃならない規模よ」
「わかった」
ふっと山田さんの姿が溶けるように消えた。
「えっと僕はどうすれば……」
「今は猫の手も借りたいわね。一緒についてきて」
目の前の景色が変わる。
絨毯が敷かれた廊下、壁にはおじさんの肖像写真が額入りでずらっと。
エミリさんは『県知事執務室』という札がかかった木のドアを開けた。
県知事。
その次は県警本部長。
立て続けに普段会うこともない人に対してエミリさんは今起こっていること、どう対応すべきかを伝えた。
県知事さんは急いで執務室を飛び出し、県警本部長はどこかへ電話をかける。
「次は瑛子さんのとこ」
見覚えある屋敷の前へ一瞬で移動した。広間へ入ると瑛子さんが僕らを迎えてくれる。前に会った時に比べてすごく凛々しい顔つきをしている瑛子さん。
「エミリさん、聞きました」
「本番が来たってことね?」
「間違いなく。召喚を成功させる為に、テレビを使って生贄を確保するつもりです」
「一刻を争うわね」
「霧丘さん」
「は、ひゃい」
急に呼ばれて僕は噛んだ。恥ずかしい。
「あなたの体力や身体能力は人のそれを超えつつあります。それを見込んでお願いがあるんですが」
「な、なんですか?」
神々しいとでも言うんだろうか、瑛子さんの背後から木洩れ陽みたいにな光が眩しく僕を照らす。
「これを」
ドラムのスティックみたいな棒を手渡される。
「これでおかしくなった人に触れるだけで正気に戻せます。手伝ってくれますか?」
この子、神様だよね。逆らえる人っているだろうか。
「やります。やらせてください」
「ありがとうございます。あなたに護衛をつけますから。王戸さん」
「はいっ」
いきなり目の前に現れた女の子。僕より頭ひとつ小さい。何だか可愛い人だな。
「王戸めぐみです。精一杯お守りします!」
「よ、よろしくお願いします」
王戸さんが頭を下げたので僕も礼をする。
「霧丘さん、こちらへ」
瑛子さんが手招きしている。何だろう?
「あなたの顔が、第三者から見えにくいようにします」
風に頬を撫でられた感覚が心地よい。
「それでは霧丘さんの家、あなたのお母さんから始めてください」




