第三十話 心境の変化
昭和のいつか。どこかにある高校。季節は冬。
気がつくと病室らしき部屋。ここ病院だ。
半身を起こしてみると水色のパジャマを着ていて、ベッドの横には僕の制服がハンガーで吊るされていた。
窓の外はすっかり日が暮れて暗くなっている。そして壁掛け時計は六時過ぎだと教えてくれた。
身体を確かめるように腕を動かしてみたけど、痛みも何もない。
そんなことをしていたらドアが開いて見覚えある人が入ってきた。
「霧丘君、良かった。具合はどう?」
安堵の笑みを浮かべた柚木さん。河野の生みの親だ。
「は、はい。何ともないです」
「君の身体に注入された毒は全部除去したから安心して」
河野と同じ笑顔で柚木さんがベッド脇の椅子に座る。
「あ、あの、河野は無事なんですか?」
「大丈夫よ。今はまだ寝ているわ。文香の心配してくれてありがとう。そのせいで襲われて……ごめんなさい」
深々と頭を下げられた。僕は慌ててお願いする。
「あ、頭を上げてください! 悪いのはあの白薔薇ですから」
「白薔薇……あ、あれね。今は研究チームが丸裸にする勢いで解析中よ」
「うちの生徒なんですか?」
「ええ。調査の結果、戸籍も含めおかしな点はなかったから、最近になって同化させられたみたい」
「同化……」
「気の毒に。やつらの毒牙にかかって……あのような生き物に変質させられたの」
「元に戻すことは……」
僕の質問に柚木さんは目を伏せた。
「遺伝子レベルで別の生き物に変わってて、あそこまで変容していたらもう無理なの」
「そうですか」
「最初はね、ただ人間の身体に取り憑いて操るだけだったのよ。それがいつの頃からか元の人間の脳をうまく利用して知能や人間の持つ感覚、特に直感とかを活用し始めたわ」
「探知も難しくなったと聞きました」
「ええそうよ。普通の人と変わらない反応しかなくてね。それどころか佐藤先輩や山田さん、黒瀬先輩のような人を感知するようになったの」
こっちは向こうを感知できなくて、向こうはこっちを感知する。不利な状況だ。
「だから今回は山田さんが生け捕りにしてくれたから徹底的に調べることができる。そしてね」
河野さんが僕の手を握ってきた。小さくて柔らかい手。
「君には迷惑をかけてしまったけど、守ることができた。高校にはさらに私達の仲間を増員するから安心してね。二度と君を危険な目に合わせない」
「は、はい」
「文香を君から離す意見もあったの」
「え?」
驚いたけど、それがもっともな意見なのはわかる。
「けどあの子がすごく反発して……ふふっ、反抗期かしら」
微笑みながら僕を見る柚木さん。
「君のこと、すごく気に入ったみたい。あの子のこと、これからもよろしくね」
「……は、はい……」
顔が赤くなってるのが自覚できるほど、僕の身体は熱を帯びた。
「霧丘君、起きたんだね!」
山田さんが入ってきた。
「あ、はい」
「痛みとかないかな?」
「大丈夫です。あの、助けてくれてありがとうございます!」
誠意を込めて頭を下げて礼をした。この人が来てくれなかったら、河野と僕はどうなってたか。
「にゃはは。当たり前のことをしただけだよー。じゃあまり遅くならないうちに送ってくよ」
「あ、そうですね」
その時僕は気がついた。
「学校にはどう伝わってるんですか?」
「安心して。君は気分が悪くて早退したことになってるの」
柚木さんが教えてくれた。
「私達だけじゃなく国の人間も動いてるからねー」
山田さんが何でもないことのように言う。そうだ、政府がバックにいるんだよな。
「でも安心していいよ。君が早退したって記録はすぐに消えて皆も同じように忘れるからね」
「……そうですか」
「私の得意分野なんだよ、にゃはー」
僕は中学も皆勤賞だったから高校もそうしたいと思っていたので、ホッとした。
「じゃ着替えます」
「はいよー。私達は部屋の外で待ってるからね」
河野が無事だと知った時の気持ち。
と同時に割と無敵に近いって思ってた彼女が敵の手にかかってしまったこと。
僕はこのまま守られているだけでいいのだろうか。
ついそう考えてしまう。
支払いは不要、ここは特別な施設だからと説明されて自転車を押す僕と並んで歩く山田さんは病院を後にした。
「そう言えば、山田さんは何ともないんですか?」
「あれ? 心配してくれてる? 嬉しいにゃあ。へへへ」
山田さんは身体をクネクネさせて喜んでいる。ちょっとその動きは変だけど?
「楽勝だよ。君にも教えてあげる。ほら、私は幻術が使えるでしょ?」
あ、異界から帰ってすぐのこと。あの家で僕の記憶をテレビみたいに再現してた。
「はい覚えてます」
「あの術はね、攻撃にも使えるんだ。だから人の脳を持っている存在には通用するんだよ」
「はぁ、なるほど」
幻術。狐に化かされたという昔話は本当にあったことなんだなと今更ながら思った。
「あの子は可哀想なことになってたけど、やつらのことを詳しく調べ尽くして一人でも犠牲者を減らすことに皆んな必死で取り組んでるわけ」
「……どこかにまだいるんですね」
「確実にね」
「あいつ、あの白薔薇が言ってました」
「白薔薇?」
「白い薔薇みたいに見えるでしょ?」
「確かにそうだねぇ」
白薔薇は自分からペラペラ喋っていた。
『ここ、向上館高校ってね、知能がそこそこの若い人間が集まってくるから同胞を増やすのに最適なのよ』
「なるほどねー。前みたいにそこかしこで暴れたりしたくなったもんね、あいつら」
「それ聞きました。そんなにですか?」
「君は封鎖区域のことは知ってる?」
僕は記憶を探る。
「ニュースで見ました。高校が地盤沈下で埋もれて。その後に確か過激派が立てこもって警察と銃撃戦になったって」
「その事件はまた別なんだけど、その後にあの街でね、あいつらが好き勝手に暴れ回ったんだよ」
「そ、そんなことが」
「黒瀬郡や優子ちゃん、柚木ちゃん、私もあの街にいたんだ」
「あ……」
異界で黒瀬君が僕に『危険なことには関わらず、まっとうな高校生活を送ってくれ』と忠告してきた理由。
「ま、色々あって政府があそこを封鎖することにしたんだよ。隠しきれないほどの被害も出ちゃったから」
「……大変だったんですね」
「そうだよー。あいつらさ、数は少なくなった代わりに、知恵をつけてきてね。やることが巧妙になってきたんだ」
今ならよくわかる。あいつらは普段、人間として過ごして、暮らしの中にあるちょっとした隙に暗躍する。
「あの、河野は……」
「念の為に一晩あそこで泊まるよ。明日は学校で会えるよ。良かったねぇ」
そう言って山田さんに指でちょんと背中をつつかれた。
「変な転び方したから心配してました」
「あの子は頑丈にできてるから、転んだぐらいじゃ何ともないから、ね」
そうだった。異界へ飛ばされた時、河野は落下した僕を自転車ごと受け止めたんだ、平気な顔して。
「心配する気持ちはお姉さん、わかるけど?」
「は、はぁ」
僕は顔を見られないようにそっぽを向く。
その後は少しだけ山田さんと雑談して帰宅した。
そして寝る前に、白薔薇にされてしまった女生徒の冥福を祈る。
もしも河野が犠牲になったら? あの化け物達への怒りが大きくなっていくのを自覚したんだ。




