第二十八話 決して同情とかじゃない
昭和のいつか。どこかにある高校。季節は冬。
前回のあらすじ。放課後にいつもの図書館へ行くと河野が待っていた。
僕の隣を歩く河野に小声で話かける。
「あのさ河野、離れたところに座って」
「えぇ?」
驚く河野。いや驚くようなことじゃないだろう。
「同じ学校の生徒も多いから、見られたくないんだよ」
「霧丘君がそう言うなら」
ちょっとしょんぼりして河野は素直に離れた席へと向かってくれた。
誰かに見られて噂になって、皆の知るところになり、遠巻きに『あの二人、付き合ってるんだって』『えー!?』とか言われたくないんだ、僕は。
さて何を読もうかと物色していると、隣に人の気配。
女子だ。うちの高校の制服を着ている。
僕の前にある書架にはSF小説ばかり。
SFを読むなんて珍しい女子だな、あれ? 見たことあるような……。
同じ学校だ、どこかですれ違ったりしたこともあるだろうと、それ以上気にするのをやめて、再び興味を惹かれる本を探すことにした。
一冊の本が目に留まり手に取る。
知ってる。
新進気鋭の女性SF作家だ。確か処女作を高校生の時に執筆したとかで賞もとってたな。
よし、これにしよう。期待で少しワクワクしながら椅子へと腰掛ける。
河野は……さり気なくこっちを見て微笑んだ。
『そういうことヤメロ!』と視線で訴えたけど、河野は可愛らしく首を傾げてまた微笑んだ。
だーめだ。こりゃ。
ぶりっ子するな!
確かに可愛いけど。
人前では勘弁してくれ。
気を取り直して表紙をめくる。
───これ、すごく面白い!
堅苦しくない文章で尚且つ描かれているのは絶望的な世界。
僕は夢中になって読み耽った、時間を忘れるほどに。
幸せな時間は瞬く間に過ぎていく。
本を閉じて目を瞑り、余韻に浸ることにした。
まいった。
はっきり言って感動した。
これぞ読書で得られる幸福だ。ちょっと大袈裟だけど。
読み終えた本を書架に戻そうと席を立つと、窓の外が目に入る。
家々が夕闇に沈んでいく風景、均等に並んだ街灯が暗闇を追い払うように照らし始めていた。
もう日暮か。帰ろう。
ふと視線を感じて河野の方を見ると、彼女も夢中で本を読んでいた。河野じゃないらしい。
僕の視線に気づいたのかついと河野が顔を上げ、にこりと微笑む。
僕は目を逸らし視線の主を探してみるけど、数人ほどいる生徒は誰もが熱心に勉強していて該当者はどこにも見当たらなかった。
気のせいかな?
僕はそのまま図書館を出て自転車のところへ行くと、河野が追いかけてきた。
「一緒に帰ろう!」
「……部活帰りのやつに見つかるって」
「暗いから顔までわからないと思うよ」
「そうかな……いや、そんなものか?」
「うん」
どうも河野には敵わない。僕達は並んで帰ることになった。
「河野は何を読んでたの?」
「山田さんおすすめの恋愛小説です」
「ふーん。どんな話?」
僕がその手の小説を読むことは一生ないだろう。
「対立する家に生まれた男女が最後は死を選ぶというお話」
「ロミオとジュリエット?」
「当たり!」
山田さんの人懐こい笑顔を思い浮かべる。二歳児に薦めるような図書ですか?
「私は即成教育で育ったから、色々とわからないことが多いんだ。みんなが見ていたテレビ番組とか、小学生の行事とか」
「二歳だもんな……」
「だからクラスメイトとは一定の線引きしないとボロが出ちゃうの」
「あ……」
僕が河野に“孤高の美人”と名付けた由来。彼女は誰とも分け隔てなく話をするし、親切だけどそれ以上の関係にはならない。
それが理由か。納得した。
河野はいきなり二歳で女子高生だ。過去の生活が一切がない存在。
当然、誰もが知っているような出来事、共通の体験や思い出を語れない。
親しくなるにつれ、それらの話題を避けるのは難しくなる。
「誰とも仲良くなれないのは辛くないか?」
「え? 他の人生を知らないからかもだけど、辛いと思ったことはないよ」
すっかり暗くなった住宅街。家々の窓から漏れる明かりや街灯でぼんやり浮かぶ河野の顔。笑顔だった。
そんな話をしているうちに僕達の家が見えてきた。自宅へ入ろうとしない河野が近寄る。
「あの、霧丘君が描いたマンガ……読みたいんだけど」
甘えるような声の河野。
「それは交換条件が成立しなくなったから。その話は無し」
「えー」
異界での話。
僕のマンガに興味を示した河野に『河野が敵を始末する現場を遠くからでいいから見学させること』と交換条件を出したんだ。
けどそれは黒瀬君によって止められた。危険だからと。今まで通りの生活を送ってほしいと。
「黒澤君に『危ないことには関わらないように』って言われたから僕は従うよ」
「残念だなぁ」
黒薔薇に攫われる経験をした今となっては、黒瀬君の言ったこと、黒瀬君の気持ちがよく分かる。
特別な力も何もない僕が化け物退治の現場にいることの危うさ。また河野の迷惑にもなりかねない、いや、確実になる。
「読みたかったなぁ。じゃ、また明日ね」
背を向けた河野の後ろ姿が何だか、とても、淋しそうに見えて僕は思わず言ってしまった。
「今回描いたのならいいよ。山本達が回覧した後になるけど」
「ほんと?」
満面の笑顔で振り返る河野。
「ほんとだよ。じゃあな」
逃げるように自宅へ入った途端、母親がニヤニヤしながらやってきた。
「一緒に下校する仲なのねぇ」
それには答えず自室へ飛び込む僕。
やっちまったか……?
いや、河野の境遇を聞いた後に淋しそうな背中を見たとしたら。誰だって無碍にはできないだろう。
僕は優しくない人間だけど鬼じゃないからな。




