第二話 彼女と一緒に
昭和のいつか。どこかにある高校。季節は冬。
突然の『自分は人間じゃない』宣言をした河野から距離を取ろうと下がり、二歩、三歩と後ろへ下がる。
「ひっ、こ、河野は人喰いの化け物ってことか」
「え? 違う違う。私が食べるのは北尾君のような侵略的生物だけだよ。霧丘君のような普通の人間は食べたりしないよ」
子どもを諭すように優しげな表情と口調で、河野は俺の方へ歩み寄る。
「君たちは安穏と暮らしてるけどね、違う次元からね、色々送り込まれてきてるんだよ。北尾君だけじゃない。私はそんな異物を処理する役目なの」
「……違う次元?」
河野は何を言ってるんだろう。僕は確かにSF小説や映画が好きで、自他ともに認めるマニアだが、そんなことが現実にあるものだろうか。
「私はこの惑星を守るために生まれた存在なんだ。さすがに化け物呼ばわりは傷つくなぁ」
眉毛を下げて可愛らしい困り顔をする河野、見た目だけなら普通の女子に見えるが、今自分で言ったように人間じゃなさそうだ。
「一体お前は何なんだ?」
「ええー? いきなり“お前”呼び? ま、いいけど。特に名前はないよ。だからそんなに怖がらないでほしいかな」
そう言ってニコリと笑うが、僕はそれどころじゃない。
「北尾と付き合ってた女子って……」
「家出した女の子が三人、全員北尾君と交際してた」
「……」
「北尾君によって人間じゃないモノとなった彼女達はさらなる被害者を求めていたところを、私のね、頼れる先輩達が処理したの」
「……」
「表向きは家出ってことにしてる」
河野は無表情で淡々と話していく。
「手駒を失った北尾君は私に目をつけたのね」
「ど、どうやって処理したんだ?」
一刻も早くこの場を立ち去りたいが、足が小刻みに震えている今は走れそうにない。とにかく河野との会話が途切れないようにしなきゃと焦る。
「見る?」
河野はそう言って横を向く。すると河野の胸の下あたりに線が現れ、縦に伸びていく。そこから肌色の、蜘蛛の巣みたいなモノが飛び出し、近くの机を包み込んだ。
「これね、私の消化器官なんだ」
河野の言う消化器官は川のせせらぎのような音を立てて、彼女の中へ一瞬で戻る。
「……わ、わかった。とにかく河野は僕に危害は加えないんだな?」
「そんなことするわけないよ、君たち人間を守る役割なのに。ねぇ、忘れ物はいいの?」
「あ……」
山本に借りたレコード、そうだ早く届けないと。急いで自分の机から取り出す。海外人気ナンバーワンのヘヴィメタルバンド、それのベストアルバムだ。
「霧丘君と山本君はよくレコードの貸し借りしてるよね」
「あ、う、うん。これを山本の家に返しに行かないと……」
これで河野から離れられる。ところが河野は平然ととんでもないことを言った。
「夜道は危ないから、私が霧丘君を送ってあげるよ」
それ男女逆だろ……と心の中で叫びつつ、押しの強い河野に逆らうことはできなかった。
雪はあまり積もることなく止んだようだ。
生まれて初めて女子を自転車の後ろに乗せ、夜の街をひた走る。一度はやってみたかった状況なんだけど、それどころじゃない。
山本にレコードを返す時に、河野が一緒にいることに驚いてたが『ははーん。お前らそうだったのかぁ』と冷やかされた。そこで偶然一緒になったと誤魔化しておいたけど、我ながら苦しい言い訳だと思う。
また二人乗りで夜道を走る俺たち。
「山本君、信じてないよね」
「……仕方ない。好きに思わせとくさ」
あいつは言いふらす……だろうなぁ。この手の噂話に飢えてるのが高校生ってもんだ。
「霧丘君と仲が良いって皆に思われたら、告白してくる男子がいなくなりそう。私としては助かるかな」
「そんなに言い寄られてるのか」
「うん」
確かに河野は学年で五本の指に入るぐらいのルックスだ。モテるのは当然か。河野に想いを寄せてる男子達はこいつの正体を知ったらどんな顔をするだろうか。
「霧丘君は私のこと嫌い?」
「す、好きとか嫌いとか以前に」
「ふふっ、冗談。でも私に視線を送ってるのは知ってる」
「……」
ああそうだよ。俺は時々マンガを描くんだが、最近は人体デッサンに凝っている。それで観察癖がついて教室でも『お、今のポーズいただき』って具合でノートに描いたりする。そういう目線でクラスメイトを観ているうちに、河野がバランスの取れたプロポーションだと気がついたんだ。
頭から肩にかけて、首の長さ、腕の長さと足の長さのバランス、その全てが僕の理想──黄金比と言ってもいい──にぴったりだった。足のラインもカモシカのようなという慣用句が似合うぐらい綺麗だ。別にエロ目線で見てたわけじゃないが……本人にはお見通しだったか。
「それで河野の家はどこだよ」
「霧丘君の家で降ろしてくれればいいよ」
「え? どうするんだ」
「私は自分で帰るから」
「いやそれは……」
思わず言い淀んでしまった。河野に何かできる存在なんているのだろうか。
「心配してくれてるのね? ありがとう。嬉しいな」
くうっ。相手が河野じゃなきゃ、嬉しい状況なんだがな!
住宅街の明かりが見えてきた。自宅まであと数分ってところで、道の真ん中に突っ立っているトレンチコートを着た男が自転車のライトに浮かび上がる。こんな時間になんだ? 散歩か? あの格好で?
避けようともしない男にぶつからないように道路脇へハンドルを切った瞬間、俺たちは赤い光に包まれる。そして浮遊感。周りの景色が消え、真っ暗になる。
「あっ?」
いきなり明るくなったかと思ったら、僕たちは空中にいた! 自由落下の感覚。下に地面。
「わわっ、落ちる!」
学校の三階ぐらいの高さから地面に向かって落ちているんだ。
「大丈夫」
河野が飛び降りたかと思うと、両手を広げて僕ごと自転車を受け止めた。河野は人間じゃないなと思い知らされる。
「危なかったね?」
「た、助かった」
ホッとしたところで、周りを見渡す。
樹齢百年は軽く越えてそうな針葉樹の大木、それが見渡す限りの範囲に立っている森の中だった。こんなとこ知らない。
さっきまで夜だったのに、今は明らかに昼で、そんなに寒くない。
テレポートで違う場所に移動させられた……そう考えるのが合理的だ。あのトレンチコートの男に何かされたんだろう。
こんな目にあっても我ながら大して取り乱してないよな、河野の正体を知ったことの方がよっぽど衝撃的だからだろう。
アメリカかヨーロッパの森林地帯に似てるなと思って見渡していると、河野がため息をついた。
「やられちゃった。仲間も何人か同じような目にあったから、気をつけるように言われてたのに」
「え? 河野はここがどこかわかるのか?」
「うん。多分ね、異物を送り込んでくる奴らのいる世界だね、ここ」