第二話 デートの代償
昭和のいつか。どこかにある高校。季節は冬。
突然の『北尾を処理(殺した、食った)』宣言をした河野から距離を取ろうと下がり、二歩、三歩と後ろへ下がる。
「ひっ、人喰いの化け物……」
「え? 違う違う。私が処理するは北尾君のような侵略的生物だけだよ」
子どもを諭すように優しげな表情と口調で、河野は俺の方へ歩み寄る。
「君たちは安穏と暮らしてるけど、違う次元からね、色々送り込まれてきてるんだよ。北尾君だけじゃない。私はそんな敵を処理する役目なの」
「……違う次元?」
河野は何を言ってるんだろう。そんなことが現実にあるものだろうか。
「私はこの惑星を守るために生まれた存在。さすがに化け物呼ばわりは傷つくなぁ」
眉毛を下げて可愛らしい困り顔をする河野、まるで普通の女子に見えるけど……。
「一体お前は何者なんだ?」
「ええー? いきなり“お前”呼び? ま、いいけど。特に名前はないよ。だからそんなに怖がらないでほしいかな」
そう言ってニコリと笑うが、僕はそれどころじゃない。
「も、もしかして北尾と付き合ってた女子って……」
「家出した女の子が三人、全員北尾君と交際してた」
「……」
「彼女達は北尾君によって人間じゃないモノに変えられ、さらなる犠牲者を求めていたの。だから先輩達と一緒に処理した」
「……」
「表向きは家出ってことになってる」
河野は淡々と話していく。月明かりをバックにしているから顔は見えない。
「手駒を一気に失った北尾君は私に目をつけたのね。でも彼は感知能力を持ってなかったから、よりによって私に目をつけちゃった」
一刻も早くこの場を立ち去りたいが、僕の足は小刻みに震えていて、まともに走れそうにない。
恐怖でいっぱいな僕は思わぬことを口走ってしまった。
「ど、どうやって処理したんだ?」
何でもいい。とにかく河野との会話が途切れないようにしなきゃ。
「見る?」
河野はそう言って横を向く。すると河野の胸の下あたりが二つに割れる。
そこから肌色の、蜘蛛の巣みたいなモノが飛び出し、近くの机を包み込んだ。
「これがね、私の消化器官。有機物なら溶かすのに三秒かからないんだ」
河野の言う消化器官は川のせせらぎのような音を立てて、彼女の中へ一瞬で戻った。
「痕跡を残さず処理するには私が食べちゃうのが最適なんだって。あ、これはお母さんの受け売り」
なんか物騒なこと言いながらこっちへ振り返る河野。可愛い顔と言ってることのギャップが大きすぎる。
「……わ、わかった。とにかく河野は僕に危害を加えないんだな?」
「そんなことするわけないよ、君たち人間を守る役割なのに」
少しだけ悲しそうな表情を見せる河野。
「ねぇ、霧丘君、忘れ物はいいの?」
「あ……」
山本に借りたレコード、そうだ早く届けないと。急いで自分の机から取り出す。海外人気ナンバーワンのヘヴィメタルバンド、それのベストアルバムだ。
「霧丘君と山本君はよくレコードの貸し借りしてるよね」
「あ、う、うん。これを山本の家に返しに行かないと……」
これで河野から離れられる。ところが彼女はとんでもないことを口にした。
「夜道は危ないから、私が霧丘君を送ってあげるよ」
それ男女逆だろ……と心の中で叫びつつ、河野に逆らうことはできなかった。
外へ出ると 雪はあまり積もることなく止んだようだ。
自転車で女子と二人乗り。そして夜の街をひた走る。一度はやってみたかった憧れの状況なんだけど、気分はそれどころじゃない。
頭の中は河野の言ったことがぐるぐる渦巻いて、山本の家に着くまでの記憶が曖昧だ。
山本にレコードを返す時、河野が一緒にいることに驚いていたが『ははーん。お前らそうだったのかぁ』とひとり納得していた。
僕はそこで偶然一緒になったからと弁解したけど、我ながら苦しい言い訳だと思う。
山本の家を出て、また二人乗りで夜道を走る僕と河野。
「山本君、信じてないよね」
「……仕方ない。好きに思わせとくさ」
「まぁいいかな。霧丘君の安全が何よりも優先だから。夜道は本当に危ないよ。あいつら単独行動する人間を狙うし」
「……」
河野がさらっと怖いこと言ってるのを聞きながら、僕は山本が僕と河野の関係を勘違いして、ポロッとクラスの中でそれとわかるようなことを言ったり、僕を揶揄うような態度を取ったりしないかと心配になった。
まああいつはそんなことしないだろうけど。しないと思う。多分。
もしも知れ渡ったりしたら大変なことになる。この手のことに敏感で飢えているのが高校生ってもんだ。特に女子。
「霧丘君と仲が良いって皆に思われたら、告白してくる男子が少しは減りそう。私としては助かるかな」
「そんなに言い寄られてるのか」
「うん」
確かに河野は学年で五本の指に入るぐらいのルックスだからモテるのは当然か。
河野に想いを寄せてる男子達はこいつの正体を知ったらどんな顔をするだろうか。
「霧丘君は私のこと嫌い?」
「す、好きとか嫌いとか以前に」
「ふふっ、冗談。でも私に視線を送ってるのは知ってるよ」
「……」
ああそうだよ。
僕は趣味でマンガを描くんだが、最近は人体デッサン、特に女子のそれに凝っている。
以前、僕のマンガを読んだ山本に指摘されたことがきっかけだ。
『霧丘さぁ、お前が描く女ってな、ただ男の体にボインがくっついてるだけなんだよ。もっとエロ本とかを模写して男女の描き分けしろよ』
それで教室でも『お、今のポーズいただき』って具合でノートにスケッチするのが習慣になっていた。
そういう目線でクラスメイトを観ているうちに、僕は河野がバランスの取れたプロポーションだと気がついたんだ。
頭から肩にかけて、首の長さ、腕と足の長さのバランス、その全てが僕の理想──黄金比と言ってもいい──にぴったりだった。
足のラインもカモシカのようなという慣用句が似合うぐらい綺麗だ。別にエロ目線で見てたわけじゃないが……本人にはお見通しだった。
くそっ! 恥ずかしい。
「それで河野の家はどこだよ」
「霧丘君の家で降ろしてくれればいいよ」
「え? どうするんだ」
「私は自分で歩いて帰るから」
「いやそれは……家まで送るよ」
河野に危害を加えることができる存在なんてあまりいないだろう。それでも女子一人に夜道を歩かせるなんて……。
「心配してくれてるのね? ありがとう。嬉しいな」
一瞬で恋に落ちそうな笑顔。頭がクラクラする。
くううぅっ。相手が河野じゃなきゃ嬉しい状況なんだけど!
住宅街の明かりが見えてきた。自宅まであと数分ってところで、道の真ん中に突っ立っているトレンチコートを着た男が自転車のライトに浮かび上がる。
こんな時間になんだ? 散歩か? あの格好で?
避けようともしない男にぶつからないように道路脇へハンドルを切った瞬間、僕たちは赤い光に包まれた。
そして浮遊感。
周りの景色が消え、真っ暗になり上下左右の感覚が消え失せる。
「あっ?」
いきなり明るくなったかと思ったら、僕たちは空中にいた! 自由落下の感覚。下に地面
「わわっ、落ちる!」
学校の屋上ぐらいの高さから地面に向かって落ちている!
「大丈夫」
河野が自転車の荷台を蹴り、加速して飛び降りた。そして両手を広げ、僕と自転車を受け止めた。改めて河野は人間じゃないんだなと思い知る。
「危なかったね?」
「た、助かったよ」
ホッとしたところで、周りを見渡す。
樹齢百年は軽く越えてそうな針葉樹の大木、それが見渡す限り立っている森の中だった。こんなとこ知らない。
しかもさっきまで夜だったのに、今は明らかに昼だ。しかもそんなに寒くない。
テレポートで違う場所に移動させられた……そう考えるのが合理的だ。あのトレンチコートの男が何かしたんだろう。
こんな目にあっても我ながら大して取り乱してないこと自分に感心した。河野の正体を知ったことの方がよっぽど衝撃的だからだろう。
アメリカかヨーロッパの森林地帯に似てるなと思って見渡していると、河野がため息をついた。
「やられちゃった。仲間も何人か同じような目にあったから、気をつけるように言われてたのに」
「え? 河野はここがどこかわかるのか?」
「うん。多分ね、異物を送り込んでくる奴らのいる世界だね、ここ」




