第十六話 懐かしい
昭和のいつか。どこかにある町。季節は冬。
風呂から上がると僕の服が揃えて置いてあった。ゆっくり湯船に浸かったけれど、二十分も入ってはいなかったはずだ。なのに、穴が空いて血で汚れていたトレーナーやシャツは綺麗になり、泥だらけだったジーンズやスニーカーも新品みたいになっている。失くしたはずのマフラーや手袋、自転車までそこにあった。
どんな手品なんだろう。
黒瀬君を見ると『聞くな』みたいな手振りをされたので、黙って受け取ることにした。
「ありがとう」
でもお礼は言う。
「こっち側が巻き込んだんだ。気にするな」
黒瀬君が笑顔で言う。
その言葉に続いて柚木さんが僕を気遣うように口を開いた。
「あのね、霧丘君。君の体に文香の細胞が移植されたから……その、何かおかしなことがあったらすぐに文香に伝えてね?」
「は、はあ」
間抜けな返事が出てしまった。
改めて皆に礼を言って黒瀬君の家を後にする。帰宅すると母親がリビングでテレビを観ていた。
「遅かったね」
「山本の家に忘れ物を持って行ったから」
「何忘れたのよ」
「あいつに借りたレコード。学校で返す予定だったけど忘れて帰ってきたんだ」
異界で数日過ごした後だから、随分と前のことに感じる。
「おっちょこちょいねぇ」
呆れた声色で僕の方に振り返った母親はじっと僕の顔を見つめている。
「……どうしたの?」
「何かあった?」
心臓が一瞬跳ね上がる。
「何かって……何もないけど?」
平静を装ったけど目が泳いだかもしれない。
「ふぅん。あんた、変な遊びとかしてないでしょうね?」
「な、なんだよ変な遊びって」
「いやほら、暴走族とかさ」
内心で僕はズッこける。
「はあ?」
「そりゃあないか」
安心したように笑う我が母上。進学校に通っているのに暴走族に入るとか、どんな変態だよ。そもそもアウトロー気取るなら高校なんて行かない。
「あるわけないよ。息子を何だと思ってるのさ」
皮肉をたっぷり込めて返事する。
「まぁそうよね。はいはい、風呂に早く入りなさいよ」
けれど僕の内心は穏やかじゃない。母親ってかなり鋭い勘と母親同士の情報網を持っていて、中学生の時、誰にも言ってない初恋の子を言い当てられた時は恐怖さえ覚えたもんだ。
異界にクラスメイト女子と行って、化け物に襲われたり、矢で撃たれたり……そんなことを見抜かれたわけではないと思うけど。
「まさか……ね」
普通じゃない経験をしたことで僕に何らかの変化が生じた?
そんなことを考えながら階段を上がり自室のドアを開ける。
愛しのステレオセット、その周りに散らばる雑誌。本棚にぎっしり詰まっているSF小説やマンガのコミックス。
それらが目に入った瞬間、思った以上に懐かしさが湧いてきて自分でも驚く。大袈裟でもなく一年ぶりぐらいに思えたからだ。
ベッドに飛び込んだ僕はすぐに意識を手放した。
───どこだろう。
周りを見渡しても何もないところを僕はひとりで歩いている。
あ、夢だなと気がついた。




