04
ミレーヌに引かれるままに足を進めて、カールスからある程度離れたところで口を開く。
「ねえ、ミレーヌ。せめてどこに向かっているのか教えてくれないかしら」
「……あ!そう、そうだった!」
思い出した!と急に止まって振り返る姿に、危ないところだったと内心でホッと息を吐く。ミレーヌは悪い子では決してないし、信頼もしているけれど、ここは王城内である。どこかも分からずに連れて行かれるのは遠慮したい。
それに、こんなに急いでいるのだ。面倒事に巻き込まれるならそれで、事前に心づもりくらいはしておきたい。
「あのね、中庭に女の子がいるの!」
「……ええと、その子は何歳くらいの子なの?」
急いでいるからか、言葉が端的過ぎてよく分からない。
「うーんと、暗くてよく分からないけど、多分6歳くらいかな?1人で中庭を歩いているから心配になってね、でも1人で追うのもなあと思ってマリアベルに来てもらったんだけど」
「なるほど。1人で行かなかったのは良い判断ね。けれど……私と一緒に行ったところで、私は大した戦力にならないわ。だから、こういう時は適任にお願いしましょう」
「適任?」
首を傾げるミレーヌにそうよと頷いて、今度は私がミレーヌの手を引いて歩く。向かうは、元々の進路と同じだろう、中庭へと続く扉……の、少し横である。
そこには、こういう王家の催しには必ずいる者がいる。場の雰囲気を損なわないようにひっそりと、けれどもしもの時のために備えて配置されたそれらの者は、意識さえすれば簡単に見つかった。
「……少しよろしいかしら。お頼みしたいことがあるのですが」
声をかけた相手は、一瞬驚いたように瞳を瞬かせた後、すぐに笑みを作って「はい、なんでしょう」と応える。
「彼女から、幼い少女が中庭を歩いていたと聞きまして。私も彼女もその少女を心配して中庭へ向かおうと思ったのですが、外はもう暗いでしょう?ですから、よろしければついてきていただけないかしら、……騎士様」
見に纏う服が灰色だから、きっと彼は王立騎士団所属の者だろう。ちなみに、王族の護衛も担う近衛騎士は白色、王立軍は黒色の軍服である。
貴族的目線で語るなら、貴族は基本的に王立騎士団に所属し、王立軍には平民が多く所属している。別にそういう決まりがあるわけではないので、騎士団に平民がいたり軍に貴族がいたりすることも勿論あるけれど。
ただ、平民が近衛騎士になることはほとんどないだろう。近衛騎士には騎士団の中でも優秀な者のみが選ばれる仕組みだが、それに加えて、王族の護衛という観点から身元のはっきりしている貴族が選ばれやすい。
もっとも、それは今の王家になってからの話で、前王家の近衛騎士はお金を積めばなれるものだったわけだが。近衛騎士になるための主な方法は、騎士団からの推薦をもらうことだけれど、他の方法の1つとして、王族が直接任ずる方法がある。
自分たちの身を守ってくれる者たちさえお金で決めていた私たちは、なんと愚かなことだっただろうと、思い出すたびにあまりの愚かさにいっそ笑いが出てくるほどだ。
ーーーなどと、過去を思い起こすのはここまでにして。
お願いを了承してくれた騎士にお礼を言って、ミレーヌの案内で中庭へと下りる。
イルストン宮の庭園は、今日のような舞踏会が開かれる宮であるため、王城の庭園の中では比較的華やかな風景が演出されている。前王家の人間が最も愛し、そればかり植えていたともいえる薔薇は、このイルストン宮こそ多く植えられているが、他の庭園にはほとんど植えられていない。
花さえ避けるほど前王家を嫌っているのか、と思わないでもないけれど、これもまた、自分たちのしたことを考えれば当然のことなのだろう。ちなみに私は、傲慢なお姫様のとおり、今でも薔薇が一番好きなのだが。
「それで、ミレーヌ。その子はどこに向かったのかしら」
「……えっと、多分向こうかな!」
そう言って指し示した方に顔を向けて、
「……本当に向こう?」
「うん、そうだったと思う。そんなに長く見えてたわけじゃないから、自信は微妙だけど」
不安そうに言うミレーヌに、分かったわと頷く。
ミレーヌはこういう時に嘘を吐くような子ではないし、けれどあちらはーーーどうも、少し急いだ方がいいかもしれない。
イルストン宮の庭園には、『花の広間』と呼ばれる空間がある。そこは、この宮から出て小道を少し進んだ先にあり、私はその場に向かったと思っていたわけだが、どうも違うようである。ミレーヌの指す道の先にあるのは、今はもう使われていない宮だ。最低限の手入れはされていると思うけれど、きっと普段は人ひとりいない場所。
今の王が戒めのために残した、この城に似合わない絢爛な宮。この城に唯一存在する、前王家からのものである。
「お二人はこちらにいてください。僕は念のため奥を見てーーー」
同じく険しい顔をした騎士が言葉を言い切る前に、小さく、短く、けれど確かに、悲鳴が耳に届いた。幼い少女が上げた悲鳴と考えられる声の高さ。
「……っ申し訳ありません、お二人は中へ。僕は奥へ行きます!」
そう言い捨てて奥へと姿を消す騎士へ、「待ちなさいっ」と声を上げるものの、騎士の背中は振り返ることなく闇へ消えていく。
さてはあの騎士は新人だろう。
確かに悲鳴の下へと急ぐことは大切だが、経験を積んだ騎士なら、少なくとも1人では現場に向かわない。目の前で問題が起こり、助けを呼ぶ暇もないなら話は違うが、今回のような例であれば最低でもあと1人は連れて行くのが通常だ。
いくら悲鳴が聞こえたとはいえ、向かう先には何人いるかも分からない以上、単独で向かうのはあらゆる意味で危険性が高い。
声のかけやすさを優先して歳の近い者を選んだのが良くなかった。……とはいえ。
固まるミレーヌの手を握って、「ミレーヌ」と呼びかける。
すると、自分の名を呼ぶ声にハッとしたように目を瞬かせて、ついで小さく震えながら私の手を握り返してきた。
「ミレーヌ。私たちは会場に戻りましょう」
「……で、でも、悲鳴が、」
「ええ、そうね。けれど、私たちが向かったところで足手まといになるだけよ。だから、今はまず会場に戻りましょう」
ミレーヌの目を見ながら、ゆっくりと落ち着いた声を意識して出す。慌てて早口で呼びかけては余計に不安にさせてしまうので、気をつけなければならない。
とはいえ、時間に余裕があるわけではない。「う、うん」と不安を残しながらも頷いたミレーヌに、安心させるようにニコリと笑みを向けた後、私は彼女の手を引いて歩き出した。
いつもの歩幅よりもやや広く。いつもの歩速よりもやや速く。普段と何も変わらない表情を意識して、誰の目とも目を合わさずに会場に戻る。
そして、一番手近にいたーーー今度はそれなりに勤務歴の長そうな騎士に声をかける。要件だけを手短に伝えると、感謝の言葉とともに、「あとは我々で対処いたしますので、お嬢様方はどうぞ会をお楽しみください」と言った後、私たちに断りを入れてすぐに動き出した。
騎士たちの動向を少しの間見てから、あとは声をかけた騎士の言う通り、舞踏会の方へ意識を戻そうと思考を切り替える。……が。
どう見てもミレーヌの意識が外を向いて離れていない。気持ちは分かるけれど、正直、私たちが気にしたところで何かできるわけでもない。騎士に声をかけただけで十分であって、これ以上何かすることは、むしろ解決の邪魔にしかならないだろう。
しかし、そういったことを理路整然と述べたところで、ミレーヌの心配はなくなりそうもない。で、あるならば。
「ねえ、ミレーヌ」
「……うん、なに、」
「えい」
「……っ⁉︎」
暗い表情のまま開かれた口に、ひょいっとお菓子を放り込む。
ギョッとしたように私を見るミレーヌに、ふふ、と笑いかけてから、
「美味しそうだったから、教えてあげようと思って」
「いや、食べてなかったよね⁉︎」
「あら、そうだったかしら。でも、美味しいでしょう?」
ミレーヌの叫びを軽く流して、顔を覗き込みながら尋ねてみた。
すると、「そうだけど……」と頬を軽く膨らませながらミレーヌが答える。
少しは顔色が戻ったかな、と思いつつ、
「私たちに出来ることは、これ以上ないわ。騎士の方も、あとは任せて欲しいと仰ったでしょう?それに、私たちには舞踏会を楽しんで欲しいとも」
「分かってるよ。でも、悲鳴が聞こえたわ。わたしがもっと早くちゃんとマリアベルみたいに動けていたら、きっと、もっと早くみんな動けて、」
ミレーヌの両手がぎゅっとドレスを握りしめたのを見る。悔やんでいるのだろう。中庭にいる少女を実際見たというならば、なおさら。
「そうね。それなら、もしまた似たようなことがあれば、まず騎士に相談なさい」
「うん」
「……でもね、ミレーヌ。あなたは動いたわ。分からなくても、そこで立ち止まらずに動いたわ。私は、それはとても誇るべきものだと思うの。だからね、ミレーヌ。あなたはその子を助けるために、1つだって間違った行動をしていないのよ。どうか、それだけは忘れないでね」
この何百人もいる空間で、ミレーヌだけが少女に気づいて行動した。その事実だけで、何よりも誇れるものだと、私は思う。
「…………ありがとう。マリアベル」と小さな声が耳に届き、次の瞬間には、にっこりといつもどおりに見えるミレーヌの顔が目に入った。
「落ち込んでても仕方ないよね。さ、頑張ってご飯食べよう!」
「ほどほどになさいね」
「はーい。……んー、まず何から食べようかなあ」
きょろきょろと周りを物色し始めたミレーヌに、私は内心ほっと息をつく。
きっと、まだ不安も後悔も振り切ったわけではないだろう。けれど、少なくとも取り繕えるくらいにはなったのだと思う。あとは少女の無事が分かればさらに良いのだけれど、ーーー知った結果が良いものだとは限らないので、後でミレーヌがいない時に探ろう。
ぱくぱくと口にお菓子を入れては探し、入れてはまた次へと向かうミレーヌの姿を眺めながら、これからのことを考えていた私であったが、しばらくしても変わらない様子にようやく、彼女は少し食べすぎていないか、と疑問が浮かんだ。
おいしいお菓子を教えたのは確かに私である。気分転換にでもなれば、と思ったのも事実である。しかし、いささか量が多くないだろうか。
淑女たるもの控えめに、とまでは言わないけれど、さすがに頬を膨らませて食べるのは明らかによろしくない、
「ミレーヌ。あなた少し食べすぎよ」
「え?そうかな?でも聞いてマリアベル、ここにあるお菓子、なんでも美味しいのよ!」
「そう。それは素敵ね」
「だよね!美味しいものは素敵だもの!マリアベルのおすすめは流石だね」
「ありがとう。素敵なことは幸せだものね。でもね、ミレーヌ。私が『ほどほどに』と言ったことは忘れてしまったのかしら?」
にっこりと笑いながら尋ねると、うぐっと息を詰まらせる。
「……お、覚えているよ。だからこれくらいに、」
「これが『ほどほど』?」
「そ、そうだよ?」
誰が見ても分かるくらいに目を泳がせながら、ミレーヌは頷く。
まあ、嘘だろう。美味しそうな料理が意識の大部分を占めて、私の忠告など、意識の端の端に追いやられていたに違いない。
だが、ここまで意識が切り替わっているのならば、それはそれで、ミレーヌを元気づけるという本来の目的は達成できたのだろう。ミレーヌの言うとおり、『ほどほど』ということにして、今日だけは追及をやめてあげようと思う。
「……まあ、いいわ。そういうことにしておきましょう」
あからさまにホッとした顔を見て、やっぱり遠慮するのはやめようかと思う。けれど、ミレーヌが落ち込んでいたことは事実だったのだから、と自分に言い聞かせる。
会場にあったお菓子を1つ残らず食べ切った彼女に、本当に今回だけよ、と釘を刺した。