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メタモル・クルー

作者: 夙夜

 1月は嫌いだ。安アパートの部屋が寒くて仕方ないし、何せ正月に会う親戚が面倒くさい。正月休みで休めるのは嬉しいが、それが過ぎたら成人式とかいうどうでもいい話題がやってくる。まあ、もう過ぎた話なのだが、俺はとにかく1月に嫌悪感を持っていた。


 保険会社をストレス障害で辞めて数ヶ月が過ぎていた。毎日、布団の中でレトルト缶を食べて暮らすのも、最初は気楽で良かった。が、こんな生活にも次第に飽き飽きしてくるものだ。俺には趣味はなく、しいていうならテレビ番組に向かって悪口を言う程度だった。そんなくだらない人間性だからアイツに出ていかれたのだろうかと、離婚し暫くして感じた。


 八重は良い伴侶だった。家事も徹底してするし、料理も元料理人だけあって上手いし、俺みたいにゴミ屋敷状態に部屋を散らかすなんてことも、同棲当時からありえない。俺がいつも散らかしていた週刊誌や靴下、ポテトチップスの袋、エロ本なんかの類も嫌な顔一つせず(まあ顔にシワを作るくらいはしたが)片付けてくれた。


 だから俺はそんな八重に甘えてしまっていた。その甘えが、次第に家庭に無関心という無責任な行為になり、いつしか俺は家庭を顧みず、仕事だけ頭にある人間になっていた。


 八重は名前通り、八重歯が可愛い、チャーミングな人だった。同い年で、出会いは大学時代。俺は社会学部で、八重は同じ大学の栄養学部だった。八重は大学内でも評判の美しさで、ある時電車で隣同士になったのをきっかけに、俺達は意気投合。付き合うことになった。そして大学卒業後に3年間の交際と右葉曲折を経て、見事ゴールインした。


 八重と俺との間には、娘が一人だけいた。名前は里香。だが里香が3歳の時点で俺は離婚したため、今奴らがどうしているかはわからない。現在、里香は二十歳になった頃だろう。女性としては一番良い年だ。俺は二十歳だった時の記憶は嫌なことしかないが、彼女には幸せな成人に育っていてほしかった。


 雨が降り始めた。古アパートのトタン屋根がカタカタとリズムを刻む。俺は今夜の夕食を買い忘れたことに気づいた。スーパーはバスで15分程度の位置にある。雨の中だが、冷蔵庫の食料も切れたため買いに行くことにした。俺はレシートでパンパンの財布をゴミ山の中から探した。


 バス停まではすぐだったが、俺は傘を刺していた。バス停に着くと、ネクタイをきちんと締めたスーツ姿の若者が雨の中、傘も刺さず立っていた。


 俺は若者の横顔をちらりと見た。ずいぶん鼻筋が通り、切れ長の美しい顔立ちをしていた。背はそこまで高くなかったが、その代わり背筋がピンとしていた。


 俺は少しだけ若者に見とれていたが、雨に濡れているのを気にしてつい話しかけてしまった。


 「君、傘は刺さないのかい、良かったら俺の傘に入るかい」

「い、いえ…」


若者は俺を二度見し、小さな声で断った。消え入るような、かすれた声だった。俺は若者が随分濡れているのでまた話しかけた。


「このままでは風邪引くよ。ほら、こっちへ。もうすぐバス来るけどさ、それまで」

「だ、大丈夫です」


若者は少し俺から離れた。俺は話しかけたことを後悔したが、何故か今度は傘ごと若者に手渡そうとした。


「俺は良いから、君、入りなさい。本気で風邪引きたいのかい」

「あなただって…」

「良いんだよ…あ、来たバス」


バスが予定より三十秒ほど遅れて到着した。

ガタンとバスの扉が開いた。若者が先に入り、俺は中を見渡したが、席がその若者の横しかなかったので、しつこい人と思われそうながらも、隣に座ることにした。


「隣、良いかい」

「はい」


バスが動き出した。若者は窓をジッと見ていた。


突然、若者が俺に話しかけた。


「あの…」

「へ?」

「さ、ささっき、か傘…ありがとうございました…」

「え?いやいや…だって君、土砂降りの中でずぶ濡れだったんだもん。アレは風引くよ、誰が見てもさ」

「お、俺なんかが…」

「ん?」

「い、いや…」


バスは一つ目のバス停にたどり着いた。


俺は少し若者のことを横目で見た。大きな黒い鞄を膝に大事に抱えるように行儀よく座っている。俺はその鞄にあるキーホルダーが揺れていたのを発見した。


「君、渋いな」

「…えっ?」

「メタモル・クルーのキーホルダーだろ、それ。しかも初期バージョン」

「え!?マジ!?知ってるの?」

「知ってるよ~だって俺の世代だもんそれ」

「えっ俺も大好きで、でっでも周りに知ってる人ぜんっぜんいなくて、い今までで知ってる奴ほとんどい、いませんでした。え、そっか…せせ世代…」

「そう。メタモル・クルーは俺の中学時代のたった3ヶ月しか放送されなかったの。でも人気は凄くてね。だけど主役の荒俣清隆が同性愛者で話題になって降板して、相棒の田口小夜子もショックで自殺。番組は打ち切りになったわけ」

「お、俺もそれ知ってる。で、でもあの変身姿がぜ…前衛的というか、ほ、他の特撮にはないあ…ア、アート性があって…」

「シュールレアリズム的な感じだよね。あの空間を生み出した監督も凄かった」

「は、は葉山徳次!」

「そう!わかるね~君」 


意外なところで噛み合った俺と若者は、しばらくメタモル・クルーについてのトリビアを次々に語り合った。話しているとすぐにわかるが、若者には吃音があった。だが俺も昔吃音があり、矯正した過去があるので、若者の話し方になんら不信感はなかった。むしろ若い世代と同じ話題で盛り上がれることが、俺は何より嬉しかった。


「ところで何で君はメタモル・クルーを知ってるの?」

「あ、ああ、い、家に、た、たまたまビデオがあったんです。確か4歳くらいに観たかな。それから大ファンで」

「へえ…君、何歳なの」

「ハタチです。あ、明日せ、成人式があります」

「いいなあ~かっこいいなあ~スーツ姿似合ってるよ。羨ましい」

「…俺、本当に似合ってる?」

「うん。かっこいいよ。俺の娘に付き合ってほしいくらい」

「娘さん…いるんですか」


若者は小さいため息をついた。


「あの、そ、そのむむむ娘さんは何歳くらいなんですか?」

「娘さんはね、君と同じくらい」

「…」


若者は何も言わなかった。ハーッとため息をついた後、若者は窓の外を見ながら小声で俺に聞いた。


「…か、仮定の話ですが」

「どうした、いきなり」

「その…む、娘さんが…む…息子さんになりたいと言ったら、な、な、泣きますか」

「う〜ん…そうだねえ…。泣くねえ」

「はは…で、ですよね。そ、そうなり----」

「----俺と一緒だって、嬉しくて泣くねえ」

「…えっ?」

「ああ、着いた。バス。ほら」

「え、え」


俺は先に席から立ち上がり、手すりに掴まった。ついでに俺は俺の元娘に新しい名前をきいた。


「名前、なんて決めたの」

「え…カオル」

「元気でな、カオル。…俺みたいな男にはなるなよな」

「え、待って、ま…俺、俺の…」


カオルはバスを急いで降りた後、雨の中で大声で叫んだ。


「母さん!」


俺は傘を開き、カオルの声を後にして、雑踏の中へ消えていった。



「血は、争えないわね、里子」

「うるせえその名前で呼ぶな、八重太」


その夜、元夫と久々の電話をした。俺はメタモル・クルーのビデオを数十年ぶりに再生しつつ、八重に昔教えてもらったレシピで作った豚の生姜焼きを食べながら会話した。

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