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A gentleman named Hansie Harmse.

 青年マリックに翻弄されてから一週間後、アキは別な男とお見合いしていた。


 交際候補のひとり、ハンシー・ハルムゼは洗練された男である。彼の身につけるものは品がよいし、仕草も優雅だった。生まれは貴族だろう。ダイハイ国には王族がいて、領地を治める貴族がいて、平民や商人、農民がいた。


「ハンシーさんはお仕事は長期のお休みを取ってらっしゃるんですか?」


 遠くに家がありながら、王宮を訪ね、アキに会う時間を工面しているのはどういう仕組みだろう。


「私は領主である兄の補佐として働いております。もとより替えが利く立場なので、一時的に離れることも可能です」


 領地はどちらか、と訊くとダイハイ国首都コックリーから見て東方のグルンメックという領だと返ってきた。

 他の候補と比べて召し物が上質なのは、彼の領地が豊かだからなのだろう。いくつかの質問にもハンシーはよどみなく答える。補佐としても優秀そうな印象を持った。


「それはそうと、今日はアキさまに贈り物をご用意しました」


「え……」


 サプライズにアキは目を丸くした。仕事だけでなく気遣いもできる紳士か。手渡された箱を開けると、装飾の少ないブラウスがあった。


「動きやすい服もお持ちになったほうがいいのではと思いまして」


 ブラウスの下には細身のズボンも畳まれている。


「ありがとうございます! 嬉しいです。ズボン欲しいなって思ってました」


 宮中では正装が規則だからなのか女性でズボン着用者は見かけないので、スカートが望ましいことは理解できる。しかしアキは地球出身なので好みは別としてズボンに慣れ親しんでいた。王子に用意してもらえた服は脚の動きが制限されるものが多く、ズボンがないとなったら不便だ。


「着心地に不具合があれば直しに出します。試してみていただいても?」


「あ、じゃあ……試着してみます、ね?」


 あとから着れませんでしたごめんなさい、というのは申し訳ない。待たせてしまうが別室でスカートから着替えた。


 襟付きのブラウスに黒いハイライズのズボン姿で出てきたアキに一人拍手をくれた。ハンシーの手には細く編まれた革紐がある。


「ボロ・タイもご一緒に。お着けしてさしあげましょう」


 楕円形の留め具(クラスプ)を引いてブラウスの襟に通し、タイを締める。


「よくお似合いです」


「ありがとうございます。動きやすくて気持ちも楽です」


 するりと髪に指を入れられて、びくりとした。鎖骨まで伸びているものを結い上げずに下ろしている。それをうなじあたりで握られた。


「髪をまとめれば……ほら、凛々しくおなりだ」


 にこーっと目を輝かせている。お世辞だな、とは思うが彼が嬉しいのは本心だろう。

 しかし断りなく髪に触れたりするなんて。もっと紳士的に距離をとってくれる人だと思った。

 人を着せ替えするのが好きだとか? なんだか距離の詰め方に引っかかる。服をもらえたのは助かった。こちらの感覚で似合う似合わないを教えてもらえるのも勉強になる。しかし女性に贈るのはドレスではないのか。女扱いされてないというわけではないけれど、先に友人として関係を築こうとしているとか。


「せっかく髪を伸ばしておいでなのだから、髪飾りを探しますね」


「そんな。なんでもかんでもいただくわけにはいきません」


「私が楽しくてやっていることなので。贈らせてください」


「でも、私からは何も……」


「そう思ってくださるのなら、次に私と会うときはこの服を着てください」


「あ、はい……」


 ぽんぽんと肩を叩かれる。まるで男同士でする、さわやかな仕草だった。





 太陽が十五回ほど昇っては落ちてをしたころ。ハンシーとの約束があって、アキは素直にズボン姿で彼を出迎えた。格好に合わせて髪も後ろで一つに結んである。彼は会うなり相好を崩した。


「着てくださったのですか。ありがとうございます」


「服をいただいたんですから、お礼を言うのは私のほうです」


 すっと爪の先まで手入れの行き届いた手を差し出される。


「今日は外へ出てみませんか。隔壁の内側を少々」


 せっかく動きやすい服装なのだから、とハンシーは誘った。内周であっても、宮殿の周りを歩けば一時間以上かかる。離宮間はそこまでの距離ではない。


「他の離宮をご覧になったことは? 外から眺めるだけでも」


 持久走よりも長い距離は御免願いたいが、たしかに運動不足になりがちな現在の生活はよろしくない。散歩くらいならばちょうどいい。


 彼はアキの手を取って、己の腕に絡ませた。戸惑うアキに微笑みかけてくる。付き合ってもいない男性の体に触れることへ当惑があった。生まれてこのかた恋人もいたことがないことだし。


「こちらの世界の常識にお慣れになったほうがよいかと」


 諭されれば、寄り添うほかなかった。女性はエスコートを受けるのが当然だそうだ。


「主宮殿の南東と南西に貴人のための離宮が二つずつあります」


 聖女の住まいであるジュダスの宮は主宮殿の真上にあった。

 車輪が走れるように煉瓦(レンガ)(なら)されている。これまたハンシーがくれた茶色の革靴で、道の上を歩く。革靴なんて学生時代ぶりで、懐かしい。

 

 離宮の門扉はぴったりと閉ざされている。無人なのだろう。外から見た作りはアキの住む離宮と似ているが、建材や色などが違う。


亀の宮(トルトイス)ですね。長命を司る生き物です」


 灌木が並ぶ建物の周囲はどっしりとした印象があった。

 ハンシーは長い腕を伸ばして今度は左を指差す。


鸚哥の宮(ロリキート)はその多種多様さと広域に生息することから繁栄を象徴しています」


 宮の名前となった鸚哥(インコ)の華やかさは宮の前庭の花の種類で表現されていた。


 数歩も歩いた先に屋外用のテーブルにひっくり返された椅子が乗っている。周囲には柱のみ立っていた。使用するには柱に布を結び日除けにするが、ここいらの離宮には誰もいないために片付けられており日除けは張れない。今日は雲もあって風も涼しいから日除けはなくても大丈夫だろう。


「休んでから帰りましょうか」


 ハンシーが椅子を下ろして座らせてくれる。


「はい」


 提案に安堵して、アキはそうっと息を吐く。疲労はさほどでもないが、かかとに靴擦れを起こしていた。座れることがありがたい。

 できるだけ靴が負傷部分に当たらないようにもぞもぞしきりに足を動かしていたら、ハンシーに気取られた。


「長いこと歩かせてしまいました。疲れましたか」


「あ……いえ」


 帰りは足が耐えてくれるだろうか。


「もしかしたら、靴擦れがてきたかも……と」


 体に触れることを一言断って、ハンシーはアキの前に片膝をついた。

 両足とも靴を脱がされる。靴下ごしに触診して、くるぶしあたりに水膨れを見つけてしまったのだろう。眉間にしわが入る。それが不快を示したのだと勘繰ってしまう。


「ジュダスの宮に戻って手当てをします」


 ハンシーがアキの横で腰を折る。背中と足裏に腕が回ったと思ったら持ち上げられた。


「えっ、あの、これは」


 憂いに陰る紫の瞳はアキを見下ろす。何も言えなくなってしまった。申し訳なさで身をすくませる。


「じっとしていて」


 早歩きで、帰りは二人とも無言だった。腹のあたりがさわさわと落ち着かない。




 ジュダスの宮に戻り、廊下にいた使用人に声をかけて足の手当てをしてもらった。ハンシーは治療が終わるまで見守っている。


「今日はありがとうございました」


「いえ。次は挽回させてください」


 紳士然とした笑みに本心は宿るだろうか。どこか隔たりを感じる。嫌われてはいないが、彼が好きになる要素をアキが持っているとは考えられなかった。


「ハンシーさん、続けるのが難しいのでしたら正直に言ってくださっていいんですよ」


 今日のことで、がっかりして面倒だと思われたかもしれない。


「なにか……ご存じなのですか」


「私のせいですよね。ハンシーさんなら素敵なお相手がいらっしゃるでしょうし、私の相手をなさらなくてもいいんですよ」


 調和のとれた紫(ラベンダー・パープル)の瞳が開かれる。アキへの接し方に迷いがあること、それを気取られたこと、両方に驚いたように。


「……交際している人間はおりません。今度は、聖女さまのことを教えてくださいますよう」


 お大事に、と残してハンシーは面会を終了させた。


 威厳というのか、アキはハンシーから「どうぞ」と言われても、ものを申すことに難儀した。物腰はやわらかいし、ハンシーが怒ることもないのだけれど、アキのほうが気後れしてしまって口をつぐんでしまう。同い年なのに。やっと意見を言えても、なんだかはぐらかされた気分だった。


 持ってきた服を着ろと言われれば着るし、嫌なことを強制されているわけではない。


 彼から発せられる有無を言わさぬ厚い空気。人を使うことに慣れた、上に立つ者という風格が、アキに一歩も二歩も引かせてしまう。


A gentleman named Hansie Harmse.

(ハンシー・ハルムゼという紳士。)

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