An unacceptable condition.
召喚した責任を取ってアウベリー王子自らお手付きを、なんてことにならなかったことには心底ほっとした。
仮にもアキに男性経験があったら「ま、やってみっか」と一晩で解決出来るのだろうか。想像したところで現実は違うのだから無駄だけれども。
嘘の可能性は。
一国の王子ともあろう人間が、こんなくだらない方法で女を嵌めるだろうか。彼の目は真っ直ぐアキの目に定められていて、体には微塵も興味なさそうだった。情やそれらしき熱を感じることもなく冷たいくらい。アキがせめて美人だったり豊満な体を持っていたら引き止めるための嘘かとも考慮できた。しかしその線はない。
結論、嘘ではない。
地球の神話ですら、現地産の食べ物を口にしてしまったために違う世界に定住することになったというのが一般として有名だ。神々が人間と交わろうとも、子が生まれるくらいで終わる。受胎だって体の交わりを必要としない場合もあるのに。神の力が関連しているのなら簡略化させろ、とアキは怒りさえ覚えていた。
力を授かるにしても別の形であってほしかった。
これは死ぬ覚悟を決めると同等に難題だ。
一向に返事をしないアキのそばにいつの間にか王子がいた。席を立って歩くにしても音がしなかったーー耳に入ってこないほど雑音を遮断していた。
「次に世界の浄化について聞く気はあるだろうか」
ない、と言ったらここで「はい終了」となってアキの命運は尽きるだろう。
「お伺いしたいと思います」
最初にこの世界の説明より前に聖女の力を証明せよと言われなかったということは、召喚した時点でなにかしらの力を授けられているのかもしれない。自分ができることを確かめたかった。
王子とその護衛とともに向かった部屋は四畳半ほどの広さだった。
奥には祭壇があり、球体が台座から三十センチほど浮いている。磁石だろうか。ところどころ黒ずんでいる。
「そちらを手に取っていただきたい」
磁力のように引っ張られる感覚もなく、球体はあっさり台座から離れてアキの手に乗った。鉄錆と煤のような汚れがこびりついている。
「黒ずみはこの世界の魔素が汚れて濁ったもの。アキ殿には汚れた魔素を浄化することを日課としていただきたい」
指先で撫でるように表面をこすると、黒い煤ーー魔素の濁りが落ちていく。指先を返して見ても、汚れはついていない。
汚れが落ちたそれは世界地図のようだった。言うなれば儀、天体模型だけれども、大陸の地形が地球とは違う。大雑把に説明するなら葉っぱ付きのレモンの実の下に象と犬が向かい合わせにお座りしている形。ここ、ダイハイ国の首都コックリーは象の目の部分にあたるそうだ。
実地に行かずとも浄化できるのは楽かもしれない。無理に世界を回る旅なんてものに出発させられなくてよかった。
「素晴らしい。その調子で頼む。世界を完全に浄化するまで最短二年ほどかかる想定だ。それでアキ殿を地球に帰せる」
王子が微笑みらしきものを浮かべた。
球体をなでなですることが浄化の作業だそうだ。
「アキ殿はこれより『聖女』と呼ばれるだろう」
望まぬ称号に微妙に表情を歪ませたアキだったが、アウベリーはあえて無視をした、ように見えた。
「この世界の人は、浄化はできないのですか?」
「できぬ。ソイルスの球儀は神さまによる創造物で、異世界人にしか触れられない」
アキの両手に収まっている球に王子が手を伸ばす。球自体に意思があるかのごとく、彼の手を避けた。地面に落ちるかというところを浮いて、台座に自ら戻っていく。隠れたどこかに遠隔のコントローラーを持つ人がいるのではないかと疑ってしまうほど、球は見事に王子の手から逃れた。
ソイルスのために造られたものなのに、ソイルスの者では触れられない。何者にも悪用できないように、とのことらしいが浄化もできないのなら不便だろうに。
浄化のための循環機能は備わっているけれども、魔素の濁りが加速増加し手に負えなくなり、外部に助けを求めた、とかなんとか。
それも一時間二時間の作業で終わるものではない。一度の浄化には限界があり、長期滞在しなければならない。
「貴殿にはジュダスの宮をご用意した」
王子の説明をたいがい聞き流して、アキは自分に与えられたという部屋に送られた。使用人つきの部屋は一人暮らししていたアパートの一室の三倍近く。中にでん、と座するクィーンサイズの寝台。机もあるし、お手洗いもお風呂もついていた。好待遇である。
「ありがとうございます……」
深く頭を下げることしかできない。
「今日はこれで休むといい。不調があれば申し出てくれ」
王子は側仕えを引き連れて帰っていってしまった。
ひとりきりになった部屋でソファに足を折り曲げて座る。
現段階で明らかになったのは、アキが魂だけ召喚されたということ。ただし仮の体であり、魂を定着させて神の力を使うには男性と行為に至らなければならない。期限は半年。魂の定着後、ソイルスを浄化し終えるまでおおよそ二年。浄化が済み、聖女としての任期を満了し地球で生き直すもよし。半年を過ぎても事を為すことができなければ、アキの魂は消滅して地球での延命もなし。
条件がありえなさすぎてせっかくの話もろくに頭に入ってこなかった。
重いため息を積み重ねていく。腕に抱いたクッションがため息を吸ってくれているのなら、この調子では朝には膨らみきって破裂してしまう。
An unacceptable condition.
(受け入れ難い条件。)
あとあんまり短いし作中に入れてもな……と感じた王子視点裏話です。胸くそ系。
いやな予感した方は飛ばしてくださいませ!
アキが召喚された日。
王子も役目を終え自室に戻っていた。側近がそそっと身を寄せる。
「殿下。万事つつがなく終えられたご様子」
「召喚は成功した。聖女であり救済者であり」
側近の言葉に答え、一度目を落としてから外を向く。呼び出した聖女と祭り上げる女がいる場所。離宮のひとつがあちらにある。
「奇妙だ。泥人形がさも生きているように話し動いているのだから」
依代に異世界の女性の魂を呼び降ろす。魔術で理論として理解はしていても、実物を見ると人間扱いに苦労した。
材料は世界最高標高を誇るドルステッド山から採れる泥土と万年雪を練って作る泥粘土。核としてジュダス(スオウの木)の枝葉を埋め込んだ人形の依代は魔法陣を発動させると魂が降りる。やってくる魂はいずれも生死の境にあるものと決まっていた。これまでの記録ではそうなっている。
中身が意思のあるひとりの人間なのは確かなのだが、元ののっぺりとした泥の塊を見てからでは感情移入が難しい。
作り物なのだと目の当たりにしてしまった。
アウベリーにはダイハイ国を守り繁栄させる義務がある。そのために、聖女には世界を浄化してもらわねばならない。それだけだ。秩序が保たれるのなら、他は些事である。
*
わりとテンパってるアキは王子に対してめちゃくちゃ無礼かましてるのだけれども、王子は過去に常識外れの聖女に接することもあったし、ぶっちゃけ依代のこと人間と思ってないので流す。