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Ordinary days.

その後のお話その3

長めです。

 ルアンの実家の農作業を学ぶにつれ、ほとんど毎日筋肉痛になっていた。はじめのうちは病み上がりということもあり、ごく簡単な仕事を割り振られた。運ばれてくる野菜を手洗いしたり、豆のさや剥き、台所でチーズを作ったりジャムを煮込んだり、保存食を作っては瓶に詰めるばかりだった。慣れてくると外に出してもらえるようになって、体を動かす本格的な労働が増えた。


 続いていた筋肉痛が減り、動きが軽くなってきても、ルアンとはキス止まりだった。結婚を身内から許されている仲で。

 ルアンに王家の血が流れているとはいえ、育ちは田舎で、恋愛結婚を典型とする社会常識を持っている。


 どの段階で次へ進むのか、アキは時期を計りかねていた。

 既婚未婚問わず、一緒に農作業をする女性たちと話すうちに手に入れた情報では、結婚まで行き着かずとも恋人であれば体の関係を持つことは何らおかしなことはないと聞いた。親公認のアキとルアンのような婚約を結んだ状態ならば思う存分愛を確かめ合うのが普通らしい。残念ながら具体的なやり方までは指導されなかった。教えを請う勇気もない。試行錯誤で実践するしかなかった。


 悩んでいると時間が経ち、ベッドに入る頃合いになってしまっていた。

 ベッドに誘うにしても、ふたりともとっくにベッドの中にいる。あとは純粋に睡眠をとるのみ。


「おやすみなさい」


「あ、うーんと……ルアン?」


「はい」


「愛してます」


 お互いに言い合ってるおかげか、ずいぶんすんなりと口から出てくるようになった。


「ふふ。僕も愛してます」


 愛されていると実感はしている。のに、自分が好きになった顔で、世界一安心する声でささやかれるのが夢のようで何度聞いても初めて聞いたときのような反応をしてしまう。


 王宮を出てから分厚くなった胸板にくっついてみた。

 毎晩変わらずキスを交わす。離れそうになったところを、今夜のアキは追い縋った。何度も終わりかけて、アキが続けようと求める唇は応えてくれるけれど、さすがにルアンも異変に気づく。


「何かあるんですか? 話したいことでも?」


「話……というか……じゃなくて……」


 うんうん唸るばかりで意味のあるものは出てこない。


「”There there, now now.”」


 ルアンはアキの背中を撫でる。

 彼にだって欲求はあるはずなのだ。理性と思いやりを優先してくれているだけ。この家に来た日からわかっている。アキが攻め手になるときがきた。


「その……つ、次に進みませんか、という……あれです」


「あれの次? 何か予定してましたっけ?」


 暗闇の中でもきらめいて見える青緑の瞳がサッと疑念に染まる。


「もしかして僕、どれか約束を忘れてます?」


「約束はしてません。ルアンにも心の準備がいるなら、別な機会を待ちます」


「ほんとに何の話ですか? 怒ってます?」


 小さく低くなりつつある声は、負の感情に聞こえたらしい。


「怒ってないです……」


 恥ずかしさと情けなさが混じり合って尻すぼみになる。


「すみません、ヒントください」


「だから、恋人として……ひぃぃぃん……」


 なんとも色気のない流れだ。

 愛しあいましょう? でも伝わらない気がする。もっと直接的に……言えるわけがない。


「恋人として……、次……? えっ……あっ……!

 いいんですか?」


 自分で答えを導きだせたようだ。おおかたアキの期待したものと合っているはず。


「ずいぶん、我慢、させてたんじゃないかと思ってましたけど。なんか余裕ですね」


 長いながいキスをした後で「次の段階に」と言ってすぐに体のことだと結びつけられなかったということは、まだまだ「待て」ができそうだ。


「は? これが余裕あるように見えますか」


 照れもなく、ただ真剣な目が緊張を伝えてくる。


「めちゃくちゃ我慢してるに決まってるじゃないですか。もうしないですけど」


 直に肌に触れてくるルアンの手が熱いーーと身をねじろうとしたら押さえつけられた。


「おとなしく愛されててください」


 完全に覚醒しきった青緑に、逃げようとしたわけじゃない、という言い分も言葉にならず吐く息に消えた。







 ニワトリが朝を知らせている。ついでに牛の鳴き声も聞こえた。


 関係を深めるに当たって、アキなりの知識の範囲で少なくとも地球の作法と大差なかったことには安心した。最中には想像以上のことも、想定外のこともあった。ルアンの腕の中で目覚めたアキはなかなか体を動かせずにいる。前の晩と同じようでいて違う朝。頭はうっすら起動しているのだけれど、寝ていたい、ぬくもりに包まれていたいと胸が訴えていた。


「アキ、愛してます」


 おはよう、よりも先に告げられた気持ちにかろうじて「私も」と返す。


「昨夜は伝わっているかわからなかったので」


「……じゅうぶんです……」


 何回耳元で言われたのか数えていないけれど。


「アキから誘ってくれるなんて幸せでした」


 額にも頬にも口付ける。軽食を持ってきてくれて、「好きなだけ寝ててください」とベッドに残していくアキに言い添えて、ルアンは上機嫌で仕事に向かった。







 坂道を下りると次第に畦道に変わっていく。先に作業を始めていた青年が、歩いてくるルアンに気づいて挨拶した。

 帰郷してすぐ祖父に付いて挨拶回りをしたときに、学校の同級生だった彼は多分に漏れず腰を抜かす勢いで驚いていた。行方知れず同然に十二年間も音沙汰がなかった男が急に帰ってなにもなかったかのごとくにこにこしているのだから、無理もない。ちなみにアキは目覚めて日が浅かったので連れ回していない。顔見せは結婚式のときでもいいとさえ思っている。日取りは決めていないけれど。


 とくに少年のころ女顔だとからかってきた連中はうじ虫でも口に突っ込まれたように舌を噛みながら話していた。まともに会話する気もなかったのでてきとうに聞き流して終わらせた。住人たちと話すうちに知ったのは、同窓の半分は集落の外へ出たとのこと。年頃になっても結婚していない者もいて、月日の流れは保守的だと思っていた村にも変化をもたらしていた。


 腕まくりをして、畑の中心にいる祖父の近くに立つ。鍬を入れて畝をつくり、種を植える作業だ。体を動かしつつ、魔術で改善できそうなことはないか探るというなんでも魔術に繋げてしまう職業病が癖になりつつある。農作業が面倒なわけではないけれど、そろそろ祖父には厳しいものがあった。足腰が丈夫でも、十二年前からすれば動きが緩慢になってきている。


「アキさんは体調悪かったんか? 飯は食えたかの」


 朝食を一緒の席で摂れなかったことを祖父は気にかけているようだ。


「少し疲れが出ただけだから大丈夫だよ」


「ルアンの嫁? 農家の出じゃないんだろ、どこの人?」


 めったにルアンからは話題に出さないので、ロークスも食いついてきた。


「ちゃんとした結婚はまだですけど。……王都で出会ったんです」


 厳密に答えるとしたら「地球人」となってしまうが、さすがに異世界出身だとは言えず、ぼかした。


「へぇ、王都の子がよくこんな田舎に来てくれたなぁ」


「ほんになぁ。ようけ働いてくれるええ子じゃあ」


 祖父の合いの手に、にやけてしまう。


「ジャクアンさんともうまくいってんならよかったな」


 上下階で生活を分けているとはいえ、同じ家に暮らしている以上、仲がいいに越したことはない。アキはよく祖母の話を聞き出して、祖父も応えてくれている。ジャクアンもひとり暮らしが長く最低限料理洗濯ができるから、負担にはなっていないようだ。


「最高の女性です」


「子どものころはわかんなかったけど、ルアンってそんななるんだな……」


「どんなふうになってます?」


「笑顔以上の笑顔っつーか。昔は顔立ちのことで男子からもからかわれて女子からもおもちゃみたいに扱われてたし、女嫌いなのかとも思ってたな」


 背も低かったために男子からは格下に見られ、女子からは「女の自分よりもかわいいなんて」と妬まれていた記憶が蘇る。現在はまかり間違ってもそんなこと言わせない。


 アキからも「美人だ」とは言われて不快まではなくとも思うところがなかったわけではないが、彼女はルアンが自ら尋ねるまで容姿について発言してこなかった。「彫刻みたい」という表現は人に使うのはどうかと思うが、かわいい、でもなくアキの言う美人、という響きはそれまで聞いた誰とも違った好意的な意味合いがあった。加えてルアンの顔というより眼鏡の存在を褒めていたような。


 そういう少しずれたところも含めて。親しく振る舞っても、見た目でも性格でも絶対馬鹿にしたりはしないところだって、好ましかった。


 眼鏡をかけていない現在もとくに言及してこないところからも、外見に偏らず総合的にルアンを好きになってくれたのだと思う。









 家の周囲で活動するアキは基本室内での作業が多いため、集落の男性陣とは関わりが薄い。彼女が認識している男性は恋人の他にはルアンの祖父のみ、というベジデンハウト家に限られる。


 近所の女性に「ちょっと手伝って」、などと駆り出されることもあって、じょじょに地理と人脈に馴染んでいるところだ。ルアンの母にも面倒を見てもらっている。


 遅くなってしまったが起き出して、アキは時間をかけて昼食づくりにとりかかった。

 お鍋に用意したのは炊き込みご飯だ。日本のものより細長くぽろぽろしているお米と、ごろごろお肉と野菜で味付けも基本は塩胡椒を使う。お皿に盛ってから香草(ディル)入りのヨーグルトやチーズなんかをかけて食べる。ものによっては砂糖不使用のフルーツソースをかけたりもした。


 かたまり肉を扱うことにはじめ慣れなかったが、大きさが不揃いでもルアンやジャクアンが何かを言ったりはしてこない。

 食器類も入れられるピクニック・バスケットに野菜スープも詰めれば完成だ。



 うねる坂道を下りていくと、畑作業をしている人たちが見えた。

 手を上げてアキの存在に気づいたことを知らせてくれる。


「ルアン、お昼もう食べました?」


「まだです。アキはどうしたんですか」


「よかった。お弁当持って行かなかったでしょう?」


 ここまで運んで来た包みを持ち上げた。

 お弁当を用意できなかったのはアキが寝坊したからで、寝坊の原因はルアンである。


「作ってきてくれたんですか? ありがとうございます。

 重かったでしょう」


 ううん、と否定する。

 散歩程度歩くことにはなるが、商店もあるし惣菜屋(デリ)からも賄えるらしい。それらに頼ってももちろんいいのだが、やはりルアンはアキが作ると嬉しそうにしているので、やる気にもなるというものだ。


 ルアンが祖父ではない男性を指し示す。


「僕と同じ学校に通ってたロークスです」


「よろしく、アキさん」


 相手に名前が伝わっているということは、ルアンやジャクアンが話題に上げていたのだろう。田舎は噂まわりが早いというし、よそ者が定住しにきたなどという情報は火のように駆ける。失踪していたと思われていたルアンが地元に戻ってきたことを聞いて驚かなかった者はいなかったし、完全なる部外者のアキを連れて帰ったことも噂が広まる要因として大きかった。手伝いの合間におばちゃん達からよく事情を聞かれたものだ。


「よろしくお願いします。ロークスさん、お昼ご飯をご一緒しませんか? たくさん作ったので」


 反応を気にしてか彼はルアンとアキを見比べているが、ルアンは散歩に行くと告げられた犬のようになっている。


「では……、いただきます」


 バスケットを開いて中身を取り出しているうちに、彼らは手を洗うためその場を離れた。

 ひとりぶん食器は足りないが、アキとルアンがひとつを共有すればいい。ルアンもそのつもりで友人に配膳をしている。


「ありがとう、アキさん」


 ブロック肉を頬張るジャクアンにとんでもない、と微笑み返す。健康そのもののルアンの祖父は食欲旺盛で胃もたれというものを知らない。毎日使う筋肉がそうさせるのだろうか。

 盛った皿を眺めて、ロークスはすごいと褒めてくれた。


「何か特別な記念日だとか……?」


「えっ、違いますけど。どうしてですか?」


「なんでもない日の昼に、こんな手の込んだ食事を用意するなんて」


「今日はちょっと時間があったので。ルアンもいつ見てもサンドイッチしか食べてないと思ってましたが……こちらだとお昼は軽めが普通なんですか?」


 王宮にいた頃は、手軽に食べられるからか恋人は野菜入りとはいえサンドイッチばかりだった。


「パンにチーズでも挟んであればじゅうぶんっていうか」


「それだけだと力がでないのでは? 重労働なのに」


 若いうちはエネルギーが有り余るほどだろうが、体を動かすには食事が資本だ。それをパンとチーズぽっちでは賄えない。


「夕飯は多めに食べるけど間食もするし、食べてないわけでは」


 たまにお隣のおばちゃんに習いながら、アキは焼き菓子を作ることがある。

 そこで気づいたのが、こちらでは食事の料理よりも下手したらおやつのほうに手間がかかっている。そして大量に作って保存する。日持ちのするものを作るとなったら、干したりじっくり火を通したりと、かかる時間も工程も多くなるのかもしれない。小麦粉と砂糖をたっぷり使い、とどめとばかりに焼き上がりに蜜漬けしたりする。


 日本人だからか、糖尿病を気にしてしまう。消化酵素とか遺伝子の違いだったらうらやましい。好きなだけ甘いものを食べられるなんて。アキなどは胃の限界よりも先に気持ち悪くなってしまうので、勧められて食べる一口目は美味しくても半分で降伏を告げるしかなかった。


 ごちそうさま、と言う彼らに苦しそうな様子はない。


「無理して食べなくてもよかったんですからね……?」


 見事にバスケットを最小値まで軽くしてくれた男性三名の胃もたれが心配になった。


「アキは足りたんですか?」


 次々とルアンがスプーンをアキの口に運ぶので、満腹を超えて食べてしまった。帰りの坂道がちょうどいい運動になる。


「食べすぎました……」


 重い腹をさすりながら、帰宅するために立ちあがる。









 片付けてピクニック・バスケットを抱えて帰ろうとするアキの頬に口付けて、坂を上っていく姿を見送る。唇にしたかったのだが、不思議なことに外だと嫌がるので妥協して頬だ。背中を向ける前にも彼女は祖父とロークスを気にしていた。


「おい、どこのお嬢さまを騙して連れてきたんだ……実家から使用人連れてきてるんじゃないだろうな?」


 ロークスの疑問ももっともだ。

 朝昼に加熱を含む調理をするのは専業の料理人を雇うなどできる人的余裕のある裕福な家ならではだ。ということから、アキは三食とも温かいものを食べて育ってきたんじゃないかと彼は言っている。具材は余りあるほど抱える農家だけれども、起き抜けの朝や働いている昼に料理らしい料理をする習慣はこの田舎にない。食事を提供することを生業にしている接客業ならまだしも。


 聖女だったアキが包丁を扱えることすらルアンには驚きだったほどだ。魚を捌くのはルアンのほうが上手かったけれど、平然と三食きちんと作ってくれるなんて誤算だった。ルアンの母からもレシピを教わって調味料の扱いにも慣れてきて楽しくなってきた、練習すると意気込んでいるのを止めることができず。


「使用人なんていないです。アキは平均的な一般家庭で育ったと聞いてます」


「ルアンに気に入られようと必死だとか?」


「好かれようと必死なのは僕のほうです」


「だな、そんな感じはした」


 控えめな恋人を甘やかそうとしているのがロークスからも見えみえだったらしい。


「さっきルアンが食べさせてるときもイヤイヤだったし」


「あれは、照れてる……だけで……」


「困ってたんじゃなくて?」


「……困らせましたけど……」


 自分の間違いを認める。本気でいやなら食べないから、そこそこ羞恥が強めの困惑だった。他に使えるカトラリーがなかったからアキは諦め気味にしていた。ふたりきりのときなら素直に手ずから食べてくれる。


「あとなんだ、アキさんと目が合うと俺を睨んでくるのは威嚇か」


 身に覚えがなくて首を傾げる。


「あんまりアキを見ないでほしいとは思ってましたけど」


「よくそんな狭い心で好きになってもらえたな?」


 舌を噛む。反論が出ない。王宮でアキは文句なしの男たちとデートを重ねていた。その脇で口説きもしてないルアンを恋愛対象として見てもらえたのは奇跡だと自覚はある。変に好きになってもらおうとしていなかったことこそが功を奏したのだろうか。

 黙り込んで肩幅を狭めたルアンが哀れましかったのか、ロークスが笑ってフォローする。


「結婚決まってるんならアキさんもルアンのこと好きだろ」


「プロポーズは受け入れてもらいました」


「同棲してやることやってんだろうし」


「それは、まぁ、はい」


 実際結ばれたのは昨夜がはじめてだったけれど、そこまで聞きたいわけではないだろう。


「幸せなんだろ」


「とっても、幸せです」


「よかったな」


 頷いて、畑仕事に戻った。

 一年前には期待すらしていなかった、平穏と幸せがこの手にある。




Ordinary days.

(日常)


料理は中東系イメージ。

お菓子どえら甘いですよね。ナッツ練り込むのは美味しいですけど。


これで完結! と思ってくださって大丈夫です。

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