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Ruan’s workshop.

 アキの住む建物とは違うものの、同じ王宮の敷地内に求める人物はいるとの情報を得た。彼が居るとされる建物への道はひたすら南へ下れとしか言われなかったけれど。アキが朝のお勤めを手っ取り早く終えて訪れると当人をすぐ見つけられた。

 階段を登って二階がルアンの住処だった。


 知らせもなくやってきた無礼を謝りながらも、届け物を差し出す。一晩のうちに洗濯乾燥を済ませたもの。


「ローブをありがとうございました。ルアンさん」


「これはすみません、わざわざ届けていただけるとは」


 現在もまったく同じつくりのローブを着ていることから予備があったのは言わずもがな、しかし無くしてよいものではないだろう。支給品の制服なのだと思う。


「持ち帰ってしまったのは私が悪いですから。それで……昨日のお詫びになにかお手伝いできることありませんか。お仕事の邪魔になるのでしたら出直しますけど」


「昨日のことはアキさまが気になさることではないですよ」


「でも、作業を中断させてしまいました。あのときは籠をお持ちでしたよね」


「はい、花を採取しに出ていたんです」


 窓の先には森がある。アキに視線を戻した。


「……今日もこれから行きますが、一緒に来られますか?」


 ぜひ、とアキは顔を綻ばせた。


 二人して籠を腕に下げて、並んで歩いた。王宮越しに森が見えている。淡い空の下で赤紫に染まる木々も。


「採取するのはジュダスの花です」


「ジュダス……って、私の部屋も同じ名前です」


 間違いをルアンはやんわりと教えてくれた。


「部屋の名前ではないですよ。離宮ひとつ、まるまる『ジュダスの宮』と呼びます」


 知らないでしょうとも、と無知を前提に話してくれているようだった。

 ソイルスという世界に召喚された聖女。肩書を名乗ってはいないが、まさか疑われているだろうか。

 自室を与えられてのちアキは確認した。「私、ここに住んでいいんですか?」との質問に、使用人は「こちらの『ジュダス』があなたさまのものでございます」と答えた。旅館にある『牡丹の間』とかいうようなひと部屋の名称なのだと小規模に捉えていた。


「あの建物、まるごとですか?」


「はい」


 一室だけ、というのは完全なるアキの思い込みだった。部屋にいるだけで全てが事足りていたものだから不便もなかった。


「なんてこった……」


 額に手を置いた。規模の大きさに気が遠くなりそう。ならば自室外、宮内も探索して自分の身の回りのことを把握しておいたほうがいいかもしれない。


 もらえるとなったときに軽くありがとうございますなんて言って我が物としたが賃貸無料ラッキーどころではない。離宮にいる使用人みんながアキひとりのために雇われた人員だと知っていれば、きちんと挨拶くらいしておくんだったと後悔した。朝夕やってくる使用人としか言葉も交わしたことがない。




 森の手前、昨日は目に入らなかった小屋がある。

 前に立つと、出窓から身軽な格好をした狩場番人が顔を出した。キャリリーは何を考えているのか読めないが、アキが昨日会った人物であることは思い出したようだ。

 二人が森へ入ることを了承して、他の番人たちに通達しておくと言ってくれた。

 木々と人の住居を分ける並木道を歩いていく。縦にも横にも広がる木は幹が黒い。現在最盛を誇る花の季節が終わると生えてくる葉っぱはハート型だという。これこそがスオウの木(ジュダス・ツリー)だった。


「ジュダスの木は濁った魔素を吸って浄化します。清浄な魔素は花弁に多く含まれるんです」


 初耳だったアキはひどく驚いて、動揺してすらいる。


「魔素を……植物だって浄化できるのに」


 ぼそりとひとりごちた。すぐに目的を思い出し、赤紫の細長い花弁を摘んでは籠に回収する。ゆるやかに移動してルアンは昨日と同じ場所までやってきた。


「昨日はこうしていたらあなたが来て。見つけたときはずいぶん取り乱してらっしゃったので、狩場番人(ゲイムキーパー)に見つかる前に森から出さないとと焦って強引な手に出てしまい……すみません」


 泣いて背を丸めていたことも相まって子どものように見えたのだ。抱きしめて「よしよし」などしてくれた子ども扱いを反省している様子だ。


「いいえ、とても助かりました。すごく落ち着きました……」


 包まれた背中と掴まれた腕に感触が蘇ってくる。


「……よかったです」


 やけに小鳥の声が大きく響く。アキは照れをごまかすために質問をした。


「花はどのくらいの量が必要なんですか?」


「あればあるだけいいですが、とりあえずは籠いっぱいにお願いします」


「はい。ルアンさんは園芸師なんですか?」


 だとしてもこれだけ自由な枝を剪定するでもなく花を摘み集めるのは違うと思うが。生花にするにしろ枝ごと切る。乾燥させてポプリでも作るのだろうか。ローブといえば魔法使いに思えてしまうが、いまいち服装で職業を割り出すにも、ソイルスの世界では自分の常識の正当性がない。予想は迷走してしまう。

 おかしそうに目を細めるルアンと眼鏡越しに目が合う。


「魔術師です」


「えっ……?」


 これだけ花を集めておいて。外に出て時計も気にせず明るい日の下で活動するのが魔術師なのか。ローブは日除けなのかもと思っていた。


「暗い部屋で魔法陣描いてぶつぶつ言うだけが仕事ではないですよ。

 でもそうですね、これは魔法陣を描くための道具にもなるんです」


 魔術師の宮に帰ってきて、摘み取ったばかりの新鮮な花びらを流水で洗い汚れを落とす。ざるに引き上げて、ガラス瓶に詰めていく。沸かした熱湯を注ぎ込み一週間ほど放置すれば滲出液ができる。


「一週間前に仕込んでおいたものがこちらです」


 ルアンが抱えるほどもあるガラス瓶にはしなしなにしぼんだ花びらが上部に固まっていた。

 混ぜ込まれた液を()して、大鍋で煮詰めるとコップ一杯ほどに凝縮された。透明な水と並べても見分けがつかない。


「これが……?」


「魔法陣を描くためのインクの完成です」


 野外での肉体労働を終え、ルアンの研究室へ移動した。

 着色料を渡されて、好きに使っていいと言う。混ぜて独自の色を作るのも楽しいと。

 青と黄色を手に取って、数滴落としてみる。なかなか思い通りの色調にならない。出来上がったインクは濃い青に、光を通すと緑が見える。


「青がお好きですか?」


 ルアンの瞳がきれいなものだから、それを目指したとは言い出しづらい。


「はい。でもなんだか作りたい色と違っていて」


「インクが紙の上で乾くと色味も変わりますから」


 試し書きのために紙とペンをとってきてくれた。握りの部分に透かし模様の入ったガラスペンを手にして、インクに浸す。

 文字を書くのもずいぶん久しぶりで、ひっかかりのある紙にぎこちなくペンを滑らせた。


「色は変わりましたか?」


 後ろから覗き込まれる。大して考えずに自分の名前を書いてしまったためにぎくりとした。アキはソイルスの言語を理解しているが、ソイルスの人間が日本語を読めるとは思わない。それとも、似た言語があるだろうか。


「へぇ。その紙、僕がもらってもいいですか?」


「え、私の……一発書き、むしろ書き損じですけど……」


「いえ、これがいいです」


 そんなにこの色合いが気に入ったのか。まさかアキの名前を読めるわけがないのだから、他に妥当な理由が思いつかない。


 有名人でもないのに、名前の自署(オートグラフ)をくださいとお願いされるのは背中がむずむずしてしまう。飾り文字でもない楷書だし。


「なんか恥ずかしい……。ルアンさんの名前を書いたものを交換でくださるのならいいですよ」


「それは、……なるほど恥ずかしいですね」


 自分に同じことが返ってきて理解できたようだ。なおもアキのインクの紙は欲しいのか、ルアンもペンを取りメモ用紙ほどの大きさに切った別紙に書いてくれた。

 “ Rúan Kædorc:rt “

 アルファベットと発音記号を混ぜたような言語の表記だ。異世界転移特典で会話も読み書きも問題なかったから意識していなかった。ルアンは彼の作業机の隅にアキの名前の紙を貼り付けて、アキがもらったものは持ち帰るためポケットに仕舞い込んだ。


「夏を通してインクを作る作業をしてますので、違う色がよければまた作りにいらしてください」


 元気よく返事をしようとして、はたと止まった。


「ん? ていうか私お手伝いのつもりだったんですけど。

 工作体験会(ワークショップ)普通に楽しんじゃった……」


 ふふ、と声を出してルアンが笑う。


「僕も楽しかったですよ。普段一人で作業してるので、誰かと一緒というのはいいですね」


「じゃあ明日こそはお手伝いします。同じ時間に来ていいですか?」


「アキさまのご迷惑でなければ。お待ちしてます」


 ふわっとしたものを浮かべるルアンに、アキは今日ここに来てよかったと噛み締めた。



Ruan’s workshop.

(ルアンの工作体験会。)


ちなみに地球の英語表記だと “Ruan Kadoret ”です。


Aug 6th, 2023

一部矛盾になりそうな部分があったので訂正しました。

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