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第三部 蓋世の英雄
一
一八六四年 六月十八日──。
「長州藩が進軍を開始した?」
私は三番隊の執務室で、文机に向かっている斎藤さんを見やった。
時刻は午前八時。
本来であれば、他の三番隊の隊士達と共に聞いているはずだったその報せ。なのだが──朝一から書類を作成することに手間取っていた私は、皆とそれを聞くことが叶わず、遅ればせながら一人で聞いていた。
「ああ。早朝、新撰組にも早馬の報せが入ったのだ。まだ京からは遠いがな」
「……ええと、戦争…ですか……?」
朝一から、とんでもない報告を受けた私は、衝撃に目を見開きながらも、何とかそれだけを絞り出す。
「忌々しい話だが、京が戦場になる可能性もある」
──京が戦場に……?
斎藤さんは何のことはないように淡々と話すが、私は掌に嫌な汗をかいていた。
「何で…また」
そんなことを聞いたって、長州藩が何を考えて進軍してきているかなどと、分かるはずもない。と思っていたのだが──。
「この時期、この機会での挙兵。となると、恐らく長州藩は入京を求めて此方へと向かっているのだろうとは思う」
そこは、先見の明に優れた天才、斎藤一。
彼は長州藩の思惑をそんな風に語った。
「入京ですか?」
「八月十八日の政変後、長州藩兵は任を解かれて京を追放されただろう? 京での政局復帰のため、恐らく長州藩は兵を挙げたのだろう」
斎藤さんは筆先を硯の墨に少しだけ浸すと──
「まあ、まずは朝廷に嘆願書なり何なりを奉るだろうが……それが通らなければ、最悪の事態になるな」
と、さらりと放った。
最悪の事態。それは他でもない、京が戦火の最中となることで──。
難しい顔で唇を噛み締めていると、執務室の障子の外から、あまり抑揚のない、ハリのある声が飛んできた。
「安芸三番隊副組長。いるだろうか──」
そんな声とともに執務室へと入ってきたのは、諸士調役兼監察──に更に、新撰組の医者も兼任してくれている寡黙な仕事人、山崎さんだった。
「山崎さん?」
彼が私を訪ねてくるのは珍しいことだ。
──何事だろう。
最近何か、監察の目に留まってしまうようなことをしただろうか。
己の直近の行動を振り返るも──
「うん。分かんないや」
すぐに考えることは諦めた。
もしそんな行動をしていたとするなら、どうせこれからそれを突き付けられるワケだし。
一人うんうんと頷いていると、山崎さんは斎藤さんと私を交互に見返し──何かに気付いたように「あ」と声を上げた。
「もしや、話の途中でしたか──」
話に割り込んだと思ったのだろう。少しだけ気まずそうな表情の山崎さんに、斎藤さんは、「丁度終わった」と短く告げ、立ち上がる。
「おんや。斎藤さん、どちらかへお出掛けですかー?」
私の問いに斎藤さんは「時計を見ろ」と短く返すだけで。
──午前八時過ぎ。……あ。
「もしかして、私の書類揃うまで、稽古付けに行くの、待っててくれてたんですか?」
斎藤さんは言葉でこそは答えなかったものの、仏頂面で小さく首肯すると、執務室から出て行ってしまった。
「ふむ。丁度良い時に来られたようだな。あんたと入れ違いにならずに済んだ」
寡黙な組長の背を見送りながら、山崎さんはそう呟く。
斎藤さんが去れば、当然彼の執務室に私がいる必要もないワケで。
そう考えると、彼が訪れたのは、確かに入れ違いにならずに済む、丁度良い頃合だったのかもしれない。
「安芸副組長、あんたに聞きたいことがあって来た──」
「はぇ。何事…ですかね?」
──聞きたいこと?
私は己の顔を人差し指で指差しつつ、何だろう、と首を傾げた。と──。
「沖田組長の労咳。アレの治療に当たったの、あんたなんだろう──」
それはもう忌憚なく。
濁しも暈しもせずに問われたその言葉に、私は喉に声が詰まったようになり──何一言、口から言葉が出なかった。
──マズい。バレた!
医者である彼を差し置いて、勝手に治療の真似事をしていたのが発覚してしまった私は、顔からサッと血の気が引く音がした。
何と言い訳、もしくは弁明したものか、と唇を震わせていると、山崎さんは「何故隠す?」とその顔に疑問の色を浮かべる。
「誰も責めてなどいない。むしろ、此処に僕一人しか医者がいなくて面倒していたところなんだ。あんたが医者だったのなら──」「──待って待って! 山崎さん待って下さい!」
──話の流れが危険な方向に行きつつある!
私は咄嗟に山崎さんの言葉を遮った。
ローマで確かに私は医学も学んではいたものの、やはりそこは過去の世界の話なのだ。
「医者じゃないです! 沖田さんの件も人違いです! きっと!」
私は必死に沖田さんの治療とは無関係を装った。
──沖田さんの労咳の治療は本当にたまたま! 偶然上手くいっただけのことなのだ!
そう。沖田さんの労咳の治療のように、稀に、失われた技術、とでもいうのだろうか。過去の治療法の方が現在よりも優れていることもあるとはいえ、基本的には未来であるこちらの世界の方が優れた医療技術を持っているのだ。
──そんな優れた未来で医者なぞやってられるか!
所詮私は古くてカビの生えたような治療法しか知らない身。医療技術の進歩したこの世界からしてみれば、私など正直、ヤブもいい所。
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