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2-8-8

天使は一度言葉を切ると、自身の穿たれた胸を指差した。


「もしこれで、私が本当に『心臓』となる核を貫かれ、死んでいたら、あなたはもう此処にはいませんでした」


「え──?」


ポカンとする私へと、天使は言葉を続ける。


「あなたは神の奇跡により、命をこの世に留めているだけ。その奇跡の仲介を果たしている私が死ねばあなたの奇跡は解け、あなたは在るべき場所へ、在るべき姿へ戻ってしまう。……つまり、私が死ぬとあなたの今の願いは叶い、ローマへは帰れますが──」「──死、という現実が訪れる、と?」


彼女の言葉を最後まで聞く必要はなかった。


耳障りな鈴の声を遮るように忌々しげに口を開くと、天使は素直にこくりと頷く。


「アレスさんは知っての通り、神の奇跡がありますので、あなたには殺せません。アレスさんを殺すには神の奇跡の仲介をしている私を殺すしかないですが、私を殺せばあなたも死ぬ」


その言葉を信じるなら、私はアレスを殺すことは即ち自分を殺すことでしかないだろう。


だが──。


「それはどうですかね。……あなたを半殺しにしている間は、アレスに剣が届いた。つまり私はあなたの首を刎ねて、あなたが復活するまでにアレスを殺せば良いだけ。私はそう思いますけどねぇ?」


そう。彼女が首を刎ねられた直後は確かにアレスに剣が届いたのだ。


勝ち誇ったような顔を天使へと向けるも──。


「無理です。確かに私の消えている間はあなたの剣はアレスさんに届くかもしれない。だけれど神の定めた『彼の奇跡』はまだ実現していない。だから、奇跡の仲介をしている私が死なない限りは、いくらその間に彼を殺そうと、私とともにいずれ、彼は蘇る」


天使は「諦めるのです」と、無情な言葉で私の勝算を打ち砕いた。


──つまり、八方塞がり……打つ手なし、か。


アレスを殺す道はそれ即ち、自身の最期しかない。


彼女の理論としてはそう。


仕方がない──。そう、仕方がないから──。


「じゃあ、脳! まずソコから試しますね──!!」


私は一足で踏み込む──と同時に、ルディスで彼女の側頭部に横薙ぎの一閃を叩き込んだ。


咄嗟に引き攣った顔の沖田さんと斎藤さんが手を伸ばし、私の肩や羽織を掴んで無理矢理引き下がらせるが、時既に遅い。


私を含め、この場にいる誰もが自身には手を出せないと、完全に油断していたのだろう。目に見えて側頭部のヘコんだ天使は、徐々に黒ずみながら「なん…で……」と、呆然とした様子で呟く。


「ははは、引退後も闘技場に留まる剣闘士をナメないでくださいよ? 命惜しい者は、引退と同時に足を洗って嫁さんも貰って、街で面白おかしく生きていきますからねぇ!」


形を保てず、どぷり、と黒い液体となって地に沈みゆく天使を見やり、一つのことに気付いた。


──恐らく、彼女の弱点は胸より上にあるのだろう。


沖田さんの心臓への刺突では普通に活動を続けられた天使だが、斎藤さんに首を刎ねられたり、私に頭蓋を砕かれたりすると、地に溶けて消えてゆくあたり、そういうことなのだろうと推測する。


「私がまだ生きている、ということは脳はハズレだったのでしょうが……、まあ、これが私の解ですよ。私の前にノコノコ出てくる時は油断せずに出てくることをオススメしま──」「──この馬鹿者ッッ!」


羽織ごと力任せに引き寄せられ、よろめいた挙句、耳元で斎藤さんに大音声で怒鳴られた私は、ルディスを握ったまま、思わず両耳を塞いだ。


「何ですかもう!」


ガンガンとまだ頭に木霊する怒声に、私は苛立ちの色を顔に浮かべる。


斎藤さんの顔からは静かな怒りが見て取れたが、正直、怒りたいのはこちらだった。のだが──。


「うわぁ!?」


先程よろめいたのとは逆方向に、急に身体が引っ張られ、今度こそ私は転びかける。


「アキリア、分かってるの!? 今、外れていたから良かったものの、脳が本当にあの子の『心臓』だったらどうする気だったんだ!」


私の肩を、こちらも苛立ちに任せるように引いたのは、沖田さんで。……そして彼にまでそう怒鳴られた私は、ふんと鼻を鳴らした。


「どうもしませんよ」


だって──。


「命の意味って、そういうものじゃないですか。誰だって、最期の時を先延ばしにしながら、今に縋り付いているだけ。でも、それは『最期』を賭けるに足る、理由がないから。そうでしょう?」


──ただ、長らえることに何の意味がある。


「私はただ長らえるだけの人生のために、死を先延ばししたワケじゃない」


そこに、叶えたい夢があったから。


だからこそ、まだ生きたいと願った。


「命惜しさに本懐を忘れるなど、言語道断です。アレスを殺すには天使を殺すしかない。天使を殺せば私はローマの地へと戻れる。そして、こちらの世界は……私もアレスも干渉しない、元の時の流れに戻る。……私が『最期』を賭けるには充分な理由です」


それは、全てが一番、キレイに収まる道筋だろう。


「皆とともに戦えなくなることだけは本当に心残りだけれど……それでも、アレスの始末だけは私がつけないといけないことですから……」


今の凝り固まった私の頭に考えられるのはそれだけだった。


「へえ……? アレスくんを殺す云々は一度横に置いておいたとしても、ろうまに戻る、その頃にはキミは屍なんだけど? 皇帝に仕える夢は何処いったの?」


やたらと刺々しい沖田さんの言葉に、私は胸を張って答える。


「勿論、叶えますよ? とりあえず意識さえ保てば死なないのです。なんて簡単な理屈。アレスの始末をつけたら、気合いと根性でまあ、生きたまま帰ってみせますとも」


それはただの根性論──なのだが、私は何故か、それをやってのけられる自信があった。のだが──。


「「阿呆か」」


口を揃えて放たれた、その心を抉る一言に、半眼になる。


そして──。


アキリア、と斎藤さんに真剣な表情で名を呼ばれ、私は何ごとかと首を傾げる。


「……故郷に帰るのならば、そんな根性論ではなく、きちんと無事帰れる方法を探せ。探しても探しても方法が見つからなければ……」


「見つからなければ……?」


一体どんな手段があるというのか。


そう思って耳を真剣に傾けていたのだが、斎藤さんからの返答は──、


「見つからなければ……俺は嬉しい」

──との、何とも拍子抜けするもので。


思わずがっくりと肩を落とす私に「いいじゃない」と沖田さんが雪のちらつく夜空を眺めながら呟く。


「こっちの世界も悪くないって。ほら、ボク達新撰組に関わっちゃった責任も取って、もう大人しく移住しちゃいなよ。そうすれば天使とアレスくんなんて、出てきたら安全に首だけ刎ねて、また出てくるまで放っておけば良いだけだし──」


──そんな、春先に生えてくるタケノコみたいな。


この上なくぞんざいに扱われている天使とアレスに、少しだけ同情する。


「まあ、確かにこちらの世界も好きですよ? でもそれこそ、皇帝様にお仕えするという私の夢が…ですね……?」


彼の言葉が、いつも飄々としている沖田さんの、滅多に聞けない本音だということは理解している。


心底、自分が二人いれば、と思ってしまう。そしたら、こんなに悩まなくても済むのに、と。


此処と故郷を天秤にかけて、口をへの字に曲げていた──その時──。


わっと、周囲の建物から大きな歓声が上がった。


「あ……新年だね──」


その賑やかな声の理由にいち早く気付いた沖田さんが、宙を見上げながらそう呟く。


「一八六四年、ですかぁ──!!」


遠い未来で、更に新しい年をこうして迎えられたことに、嬉しいような、くすぐったいような、不思議な気持ちになる。


「あけましておめでとう、斎藤くん、アキリア」


沖田さんの声に、斎藤さんが頷き──同じように挨拶を返す。


「ああ、おめでとう。……今年も宜しく頼む。沖田殿。アキリア」


──そうか、こちらではそうやって新年を祝うのか。


こちらの世界での、初めての年越し。


故郷にいずれ帰らなくてはならないのに、心の何処かで、来年もこうして迎えられたら、と願う声がする。


頭を振って、その声を遠ざけると、私は両隣に立つ組長二人の手を取り──、目の前でそれを重ねた。


「……えーと?」


「何故、沖田殿と俺が手を重ねられているのだ?」


そんな組長二人の声に、私は己の行動に目を瞬かせる。


「い、いえ、何となく……」


本当に深い意味はなかった。


「まあ、いいじゃないですか。今年も頑張りましょうということで──」


重ねた二人の手を両手で挟み、ぺしぺしと叩く。


と──。


「おーい、色男共ー、いつまで三人で遊んでるんだー?」


頭上から降ってきた声に、上を振り仰ぐ──と、座敷の肘掛窓から原田さんや谷さんが徳利を振りながら、こちらを見下ろしていた。


「飲み直し、行きましょうか──」


私は手を重ねさせていた二人に、苦笑混じりにそう提案する。


「うん。そうしよっか」


「そうだな」





こんな、心穏やかな日々があとどれだけ続くのだろう。


ふいに、そんなことを考える。


「でも……」


──もう、そこまで来ている、動乱の大波を乗り越えなければ、本当の穏やかな日々は訪れないのだから。




──私はきっと忘れない。


新たな年を踏み出せた、今日という日を──。


面白い、続きが気になる!


と思ったら星5つ、


つまらない……。


と思ったら星1つ、思ったままでもちろん大丈夫です!


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