2-8-1
ガッ、と刃に硬い木刀が食い込んだ音が響き渡る。
「──そこまで」
そんな、落ち着いた低い声に、私は驚愕に目を見開く。
「え。あなた……何で、ココに……!」
私の剣を止めたのは、半月以上前に、五条大橋で手拭いを拾ってくれた男だった。
「何故私が此処にいるか、か。……それは、私が尊攘を掲げる長州藩の者だからだ」
男に落ち着いた声でそう告げられ、私は頭が混乱する。
「尊攘派って……そんな……!! ──手拭いを拾って頂いた日、私はこの羽織を羽織っていましたよね。……私が新撰組だと知っていたはずなのに、何であなたはあの日、私の手拭いを拾いに行ってくれたのですか……!!」
背後から殺すことだって出来たはずなのだ。
私は理解ができず、ただ首を横に振った。
「あれは戦場ではなかった。だから、私も一個人として、困っている貴殿を助けた」
だが、と男は続ける。
「こうして戦場で相見えた以上、私の邪魔をするのなら、貴殿を斬って捨てるより他あるまい」
アレスの前に立つ男は、水面のような静かな面差しで、此方の出方を伺っていた。
──斬るか。斬らざるべきか。
チラリ、と隣を見やると、斎藤さんは「好きにしろ」と言わんばかりに、一旦鞘に戻していた、腰に差した刀の鯉口を再び切り、此方を見つめている。
恐らく彼は、私が目の前の男と相対すると決めたら、そのまま抜刀し、男と敵対するつもりなのだろう。
──どうすれば良い?
ギリ、と歯を強く噛み締めた時だった──。
「里哉……。ここは素直に引き上げよう。其奴こそ、ワシらが警戒していた男──桂小五郎だ。尊攘派の浪士もだが、我々もかなり消耗している。今日はここで切り上げよう」
ふいに響いた近藤さんの声に、私は目の前の男が、尊王攘夷派の浪士達の首魁──桂小五郎であることを初めて知った。
近藤さんが『恐ろしい以上』と言っていた彼には、驚くほどに何の圧も感じなかった。
それはまるで、静かな山を眺めているような──。
だが、きっと──。
「山は山でも、ヴェスヴィオ火山と同じ……普段は静かでも、噴火すれば一番厄介な山……か」
彼の正体が分かった上で、それでもやはり戦うという選択肢はまだ己の中にはあったのだが──。
「手拭いの恩は、返さないと……」
手拭いの件が、どうしても自身の中で大きな貸しになっていた。
私が大人しくルディスを腰に差すと、隣で臨戦態勢に入っていた斎藤さんが「いいのか?」と尋ねてくる。
「……はい。やはり、恩を仇では返せませんから。一度だけ、見逃すこととします」
そう決め、くるりと踵を返す──と、背後から「かたじけない」と、桂さんの静かな声が聞こえてきた。
私は一度立ち止まり──、
「一つだけ忠告しておきます。……敵のために冬の川に飛び込むなんて止めなさい。無一文なら尚更ですよ」
と、それだけを告げ、数歩先で止まってくれていた斎藤さんと共に再び歩き出す。
「肝に銘じておこう──」
あちらも背を向けて撤退しているのだろう。そんな、静かで、深みのある声がゆっくりと遠ざかっていった──。
結局その日、桂小五郎を始めとする、数名の浪士には逃げられたものの、池田屋は総勢三十名。明保野亭は二十八名の浪士達の誅殺、又は捕縛と相成った──。
八
池田屋の討ち入りから五日。
十二月三十日、大晦日──。
その日は久々に新撰組総出での宴会が京都嶋原花街の揚屋・角屋で行われた。
それは池田屋、明保野亭、四国屋での討ち入りを労うために松平容保公が開いてくれたものであり、新撰組の面々にとっては、大いに年越しを祝える──そんな宴でもある。
まあ、討ち入りから六日なので、当然、まだ動けないほどの重傷を負っている者は来られないのだが、誰かが来られないから、と延期ばかりしていたら永遠に宴会など開ける日は来ないので、そこは割り切るしかない。
賑わう宴会場で、私は右隣に座る斎藤さんの、空になったお猪口へと徳利を傾ける。
まあ、たまには気を利かせておこう──というワケでもなく、本当にただの気まぐれだ。
「驚きましたよ斎藤さんー、まさか天使を斬り殺すなんてー」
「うむ。見えていなかったゆえ、未だに実感はないが、助けになったようで良かった」
どこまでも彼は真面目だ。
此方に来た頃は上手く扱えなかった箸もだいぶマトモに扱えるようになった私は、宴会用の低い大机に載った、大皿の大根の煮物へと箸を伸ばす──のだが、その手はペシリと左隣の沖田さんに叩かれてしまう。
「痛っ!」
──何をするのだ。
ぶすっとした表情で沖田さんを睨む──と、彼は自身の手に持つ箸を開閉して見せる。
暗に、箸はこう持て、ということなのだろう。
だが──。
「無理でーす」
私は知らん顔で、味の染みた大根をひょい、と取る。
「無理じゃないでしょ。最近上手く箸使えてたんだからさぁ。ちょっと指曲げるだけじゃん」
尚も矯正を諦めない彼へと、私は左手を翳して、開閉してみせた。
「薬指、先の関節が曲がらなくなっちゃったんですよ」
開閉の動作に取り残される薬指に、それが冗談などではないと理解したのだろう。
沖田さんは、ばっと私の左手を掴むと、薬指を凝視する。──と、何やら人の前に身を乗り出して、斎藤さんもまた、沖田さんの掴んだ私の手を凝視していた。
──とりあえず、そこに居られては他のご飯も食べられない。
視界を脇腹で塞ぐ斎藤さんへと内心文句を言っておく。
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