2-5
「わあ、本当に観客がいますねぇ」
私は周囲に観客──ではなく恐らく隊士達なのだろう。浅葱色の羽織を羽織った男達が道場の床の、大きな四角い枠の外に集っているのを見て、胸を高鳴らせた。
私が今回仕合う、既に枠の中で位置についているその相手は、禿頭の三十は越えているであろう、かなり大柄な、筋骨隆々の男で。
「ふむ。槍に刀。サムニッスといったところ、か」
サムニッスとは、剣や槍を持った、剣闘士として基本の武器を携えた者達のことだ。
禿頭の男は私を見るが早いか、少し高い場所に掛けていた、近藤殿と土方殿を見やる。
「局長…まさかと思いますが、儂の相手とは……」
「はは……頼むよ三十郎。見た目に寄らず、結構腕が立つらしい」
近藤殿の苦笑に、七番隊組長──谷殿はため息混じりに私へと視線を向けた。
「小僧。名は?」
「アキリア──じゃなかった、安芸里哉」
「珍妙な名だの……」
「それはどーも」
私は枠の中に踏み入りながら、三白眼でそう返す。
「待て安芸。お主の得物は?」
「はい? 見ての通りルディスを帯刀していますが」
私は腰に差していた木刀を引き抜く。
「る…るです? ま、まあ良い。今回は稽古ではなく仕合いだからな。……一応実戦形式を取ろうと思うのだが……真剣は持っとらんのか」
「ああ、剣? グラディウスなら死んだ時にうっかり手放してそのままですね」
私は何一つ嘘は吐いていないのだが、谷殿は「意味が分からない、助けて」と言わんばかりの視線を近藤殿へと向ける。
と──。
「んー、コレ貸してあげよっか、菊一文字則宗。もしくはこっちの加州清光でもいいけど」
ふいに上がった沖田殿の声に、周囲がどよめいた。
「おい、嘘だろ! 沖田さんが愛刀を……」
「じ、冗談だろ……冗談!」
周囲の反応を見るに、彼は愛刀をとても大切にしているようだ。
確かに今思えば、昨日私の腕を斬り裂いた刀の切れ味は異常だったように思う。
安物のグラディウスであれば、例え刃を殴りつけたところで、皮が剥ける程度なのだが、彼の、どちらかは知らないが、腰に差している二本のうちのどちらかの愛刀は、しのぎを払っただけなのに、僅かに刃に触れただけの腕の肉が切れたのだ。
もしかしなくても、両方とも切れ味が抜群ということも充分に考えられるが──。
「はい、どーぞ」
面白そうな笑顔で手渡された一振の刀を鞘から少しだけ抜き──、
「……」
私はすぐにそれを再び鞘へと収めた。
「お返ししておきます」
「ん? なんで?」
愛刀を受け取ろうとしない沖田殿の足元へとそっと刀を置き、私はルディスを片手に、再び谷殿と相見える。
「何故って…そんなの簡単です。あなた達の剣は私のよく知る剣とは遠くかけ離れたもの。私がそれを使えば、一太刀でそれをなまくらに変えるでしょう」
先程一瞬見た、背筋に薄ら寒いものを覚えるほどに、磨き抜かれた美しい銀色は、グラディウスとは勝手が大きく違う。
前者は対象を技術で斬るものだろうが、後者──グラディウスはそうではない。
ある意味技術は要るが、グラディウスは鈍器。それくらいに考えておいたほうが良いくらいには鈍い剣なのだ。
斬るよりは殴る、もしくは突く。そんな使い方が主なグラディウスだけを使ってきた私には、打刀は過ぎた武器だろう。
「断っておきますが、私がルディスしか帯刀していないからって、油断していると痛い目を見ますよ」
私のその挑発に周囲からは「谷さんに勝つ気だぞ、これは見物だな!」やら「可愛い顔で泣き落としでもするつもりか?」やらと野次が飛ぶ。
ちなみに、谷殿は──心底楽しそうに大笑いしていた。
「ははは! 最近大人しい奴らばかりを相手しておったからな! 久々に生意気な小僧の性根を叩き直せるようで嬉しいぞ! 安芸よ。どこからでも掛かって参れ!」
谷殿は背に背負っていた槍を下ろし、柄を握ると、その穂先をこちらへと向ける。
先程までの和やかな気を一瞬で凍てつかせる、槍を構えた谷殿の姿に、私は一つの確信を得た。
──間違いない。この世界には筆頭剣闘士に比肩する者が数多く存在する。
「アヴェ インペラトル モリトゥリ トゥ サルータント──」
私は剣闘士としての、仕合い前の祈りを声高らかに告げる。
そして私は一足飛びに谷殿へと距離を詰めたのだった──。
「むんっ!」
谷殿が薙ぎ払おうとした槍の柄を、勢いがつく前に体当たりで弾き、私は分厚い胸板に回し蹴りをお見舞いする。
「……まずは、お主が一本、か」
凄むように笑う谷殿へと、私は思うままに首を傾げた。
「いえ。一本じゃないと思いますが。……私の思う一本であるのなら、あなたはこの世にはもういませんので」
「言いおるわ、この小僧!」
比較的遠距離から伸びてきた槍の穂先を最小限の動作で躱し──、
「時が経とうとも、変わらない戦術もある、と」
私は反対の手で腰の刀を抜刀しようとした谷殿の手を踏みつけるようにして、その抜刀を防ぎ、大きく後方へと跳躍する。
──多分間違いない。谷殿より私の方が強い。
剣闘士の直感で、自身は彼より強いと判断した。
「これなら……」
──観せる闘いに切り替えても良いかもしれない。
私は上唇をぺろり、と小さく舐めた──。
「おい! 意外とあの新人やるじゃねえか……!」
「だな……! おい、頑張れアンタ! もっと食らい付け!」
周囲の平隊士から上がる声援が肌に心地よい。
闘技場にいた頃とは、数も熱気も違うけれど──でも、その鱗片だけでも味わえる、この瞬間を私はじっくりと噛み締める。
そして私は頭の中でおおよその時間を測り──、
「そろそろ盛り上がり、か」
と、谷殿へと肉薄した。
剣闘士は市民の娯楽のためにいるのだ。彼らが退屈しないよう、的確なタイミングで場の空気を操作することも求められる。
「おおおおお!」
周囲から上がる歓声を耳にしながら、やはり時代は違えど、変わらないものもある、と確信した。
盛り上がりの時間に谷殿を仕留める気はない。
それでは興醒めとなり、観客が満足しないから。
私はルディスで素早く打ち込みながらも、谷殿がギリギリ反応できるであろう速さで、尚かつ、明らかに手を抜いてなどいない、と思われるように、常に一定の間隔で彼へと攻撃を叩き込む。そして──。
「ぬんっ!」
来た──。
追い詰められた相手は、主導権を取り戻そうと、一度私を大きく槍で振り払うだろうことも予測済みだ。
それからはしばらく相手の独壇場に持ち込んだ方が良い。
観客はギリギリの接戦を好むのだから。
本当に危険な一撃だけ、ルディスでいなしつつ、たまに大きく跳ねる髪を散らさせるくらいのギリギリで躱しながら、最後の大盛り上がりのタイミングを狙う。
谷殿の五月雨のような突きに、一瞬、彼の筋肉が追いつかなかったのを私は見逃さなかった。
私はルディスでそれを受け損なったふりをして、二の腕をほんの少しだけ斜めに切り上げさせ──。
「終わり、っと」
私をついに谷殿の槍が捉えたことに盛り上がりが頂点に達したところで、私は偶然を装い、躓くように、彼の懐へと潜り込むと、返しの脚の一撃を谷殿のこめかみに叩き込んだ──。
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