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2-5-3

「お前の情報が手に入ると、皇帝はすぐにそこに出向いたさ。……そんなことをすれば政務が滞るというのに。実に愚かだ……」


私は心臓を素手で鷲掴みにされるかのような、そんな感覚がした。


──私は、皇帝様に何をさせているのだろう。


俯き、届くはずもない謝罪を、過ぎ去りし方の──記憶に残る賢君に、心の中で何度も繰り返す。


「報奨金目当ての偽情報ばかりで、アンタの本当の情報が何一つ得られない以上、皇帝もさすがに探すのを諦めるだろうと思ってた。……だけど、皇帝は何を血迷ったか、情報が得られないと分かると、自ら闘技場へと立ち始めたんだ」


「待って! 皇帝様、そんなことしたら死んじゃう! 何で、何で誰も止めないの!?」


私は思わずアレスへと詰め寄る。


だが──。


「余計な心配じゃない? 取り憑かれたように、猛獣を素手で(くび)り殺す皇帝に何の心配が要るって?」


猛獣を素手で縊り殺す。


記憶の中の賢帝から、どんどんと離れていく皇帝様の現状に、私は言葉を失った。


「皇帝は闘技場にいればいずれお前と会えるとでも思っているのか、トガを捨て、狼の毛皮を纏って毎日のように自ら剣をとる日々──。これでもアンタは皇帝を狂わせたのが自分じゃないとか言うワケ?」


アレスの言葉に、心が絶望にざらつく。


言い逃れのしようがなかった。


ただ黙って俯き、畳を見つめる。と──。


「で、結局貴様はどちらがアキリアを憎む理由なのだ? 自身との格差から来る醜い、逆恨みにも似た嫉妬の方か? それとも、間接的にではあるが、ろうまとやらを滅茶苦茶にされた方か?」


ふいに部屋に響いたそれは、淡々とした斎藤さんの声だった。


「ま。間違いなく前者でしょ。お門違いな嫉妬。そんな自分を正当化するために、祖国の憂いを理由にしてるってだけ」


沖田さんはいつもの意地悪な口調だけど──、それでも、間違いなくこちらを庇ってくれているのだろう声に、私は肩を震わせる。


「なあ……お前さ、おかしいと思わねえのか? お前が今まで言ってたコト全部、安芸が直接何をしたよ? コイツが自身の金額を決められたか? 皇帝に三〇〇両で自分を探してくれって言ったか? 政務を放り投げてほしいなんてコイツが一言でも言ったか?」


藤堂さんの困惑気味な声が、局長室に響き──消えていった。


「そうやって事実を突き付けられるのは不快だけど……確かにほとんどが私怨さ。僕はね、その『私は悪くありません』ってカオして、のうのうと生きてるソイツが許せなくてね」


アレスは「これ、見るかい?」と、右目を隠す長い前髪を手で掻き上げる。


前髪の下──彼の右目の周囲にあるのは、深く、引き攣れた傷跡だ。


「それは?」


痛々しいそれに、近藤さんが声を上げる。


「主人の許から逃げ出した奴隷に捺される烙印を、皮ごと剥ぎ取った傷。これはね、そこの偽善者が無理矢理、剥ぎ取ったんだ──」


己に集まる視線に俯きながら、私は両手を握りしめる。


「烙印を捺された者は……幾らお金を積んでも、永遠に奴隷という身分から抜け出せない。そうでもしないと、屋敷の皆を……解放奴隷にできなかった……。解放奴隷にしないとご主人様の暗殺された日に皆、死刑に処されるだけだった──」


今まで黙っていた土方さんが「どういうことだ」と、こちらへと視線を向けた。


「えっとですね──」「──まあまあ、下手に脚色される前に僕が全部暴露してあげますよ」


アレスは昏い笑みで周囲を見回すと、


「先ほど僕がアキリアを憎む理由を、醜い嫉妬って、言いましたよね?」


──と、斎藤さんへとその視線を止める。


「何が違う」


「違いますよ。だって、そこのアキリアも、一度、ご主人様の許から逃げ出しているんですから」


アレスの言葉に、私は何も言えなかった。


「屋敷の奴隷の中で格別な待遇を受けておきながら、あろうことかご主人様の許から逃げ出した挙句、捕まった後も烙印を捺されることもなくて。──この理不尽な待遇の差でも、僕がアキリアを憎む理由が嫉妬などと言えますか?」


斎藤さんからチラリと視線を向けられた私は「本当です」と消え入る寸前の声で零す。


「しかもですよ? アキリアは結局捕まったワケですが、その後ご主人様に、二度と逃げないと約束するなら、烙印は捺さずに置いておいてやる──と情けを掛けられたのですが、あろうことかコイツ、それを断ったんです」


アレスは私を睨み付け、言葉を続ける。


「ご主人様の優しさを踏み(にじ)った挙句、その顔に泥まで塗った。……なのにですよ、結局ご主人様はソイツには烙印を捺さなかった」


傍目に見れば、それは立派な贔屓だろう。


だけど──。


「アレス……私はご主人様の優しさに付け込んでいたワケじゃ……」


「どこがさ!」


怒鳴るアレスへと、近藤さんが宥めるように、ゆっくりと声を掛ける。


「アレス。里哉の話も聞いてやってくれ。もしかしたら、すれ違っている心もあるやもしれん」


「ありませんよ、すれ違っている心なんか。だけど、まあどんな言い訳をするのかは気になるところです。……アキリア、アンタ、この件について何か言い逃れができるか?」


──どうしよう。


私は思ったことを素直に言うべきか迷い、視線を彷徨わせた。


と──。


「言いたいことがあるなら言え。誤解があるなら、きちんと解け。……このまま黙っていては、お前は本当に主人の顔に泥を塗った者になるのだぞ。お前を買ってくれた主人のためにも、お前に正当な理由があったことをしっかり弁明してみろ」


斎藤さんは私が逃げようとしていることを察知したのだろうか。先んじてそう釘を刺す。


──誤解があるなら。


私は、両手をぎゅっと握り締め──恐る恐る口を開く。


もし、まだ私の言葉がアレスに届くなら──


「私がご主人様の許から逃げ出したのは……、あなたが言う通り、私が贔屓されていたから。私が屋敷でどれだけご主人様に可愛がられていたかは、私自身が一番良く知ってる──」


でも、いくら可愛がってもらっていても、奴隷はどこまで行っても奴隷なのだ。そこに格差があってはならないし、それを望んでもいないかった。だから──。


「私が去れば、きっと屋敷の奴隷同士の格差はなくなるって思って……それで逃げ出した……んだけど、追っ手が多すぎて、あっという間に連れ戻されて……」


私は苦い顔で俯いた。


「連れ戻された時に、二度と逃げ出さない代わりに、烙印は捺さないって言われた件。……それを断ったのは、また逃げ出してやる、って意味じゃなかった」


あれはただ──。


「私も、捕まった以上、皆と同じように扱われるべきだと思った……。いくら大切にされていようが奴隷は奴隷。だから、私は烙印を捺される道を望んだ──」


私はアレスを真っ直ぐに見つめる。


彼が傷付いてきたことは、充分に分かった。


だから、もう隠さなかった。私は、私の思っていたことを素直に話した。のだけど──。


「さすがの教養だね。嘘をつくにせよ、頭だけはよく回る」


──やはりもう、彼の心には私の声は届かないのかもしれなかった。


「僕はアンタには騙されない。ご主人様や皇帝──時の権力者には決して見せないアンタの裏の顔が、どれだけ姑息で、どれだけ残虐か知ってるから」


「オイオイ、さすがにそんな妲己(だっき)みたいな扱いはしてやるなよ……」


一応、自隊の隊士だったからだろうか。


ずっと沈黙していた原田さんが困ったような表情でそう口を開く。


──ダッキ、が何かは知らないが、まあロクなものではなさそうだ。



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