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「死体を二日くらいは探し回ってたんだけど、闘技場のどこにもなくて。まあ、確かに殺したはずだし。って、死体を探すことをやめたんだけどさぁ──」
刹那、アレスから私へと向けられた目は、憎悪と殺意に彩られていた。
「そうやって、ようやくアンタを世界から消して……これからどう生きよう、って思っていたところだよ? ようやく自分の人生に向き合える、って心を弾ませていたところに……、あの忌々しいお触れが出たんだ」
「お触れ? 元老院から?」
私は勿論、自分の死後のことなど知るはずもないので、首を傾げることしかできず。
「違う。アンタの大好きなコンモドゥス帝からだよ。あの皇帝、急に何を言ったと思う? アンタを見つけ出した者には身分も何も関係なく、四〇〇〇セステルティウスの褒賞を遣わす。その上、罪を負っている者はそれを永久に免除する。などと言い出したんだ……」
ふざけるな、とアレスは声を荒らげる。
私はしばらく彼の発した言葉の意味が理解できなかった。
──はあ。褒賞。四〇〇〇セステルティウス。……って、え!?
「嘘でしょう!? 私を見つけ出したら四〇〇〇セステルティウス!?」
素っ頓狂な声を上げる私に、斎藤さんが「幾らほどなのだ?」と首を傾げた。
「ええと、安く見て、こちらで言うところの三〇〇両、ってところですね」
──ちなみに一両あれば、人一人が、八十日ほどは米の心配をしなくても良い。
現在、京における一両とは、それくらいの価値である。
「す、すごい金額だな……」
近藤さんは軽く頬を引き攣らせ──、原田さんは「ええと、つまり三〇〇両あれば団子が、一、十、百……」と、一人で団子換算を始めた。
アレスはそんな近藤さん達へと目をくれることもなく、私へと苛立ちをぶつける。
「アンタはいつもそうだ、僕がどれほど望んでも手に入らないものを、何でアンタだけ、いつも涼しい顔をして簡単に手に入れることができるんだよ!」
アレスは、ばっと私の胸ぐらを掴むと、座布団に座っていた私を己の方へと引き寄せた。
「やめろ、アレス!」
近藤さんが制止の声を上げるが、アレスは瞳に憎悪を込めたまま、絶対にその手を離そうとはしない。
「アンタを見つける。ただそれだけで、僕の命の値段なんて軽く超える……! ホントに、何なんだよアンタ。殺したんだから死ねよ。頼むから死んでくれよ……!」
悲愴さすら感じる、怨嗟の声を聞きながら、私は歯を噛み締める。
私は、ここまで純粋な憎悪を向けられたことは今まで一度もなかった。けれど──。
「怨んでばかりであなたの価値が上がるの? その時間があるなら──」
と、次の瞬間、私は畳に思い切り背を叩きつけられ、肺の中の空気を全て絞り出された。
「──のッッ!」
咳き込みながら、私は己を畳へと叩きつけた──私が顔を歪めるのを、昏い笑みを顔にひたりと貼り付けて覗き込んでいたアレスを、下から睨み上げる。
と、彼の頭には鈍く光る刃の鋒が、左右から、ぴたりと当てられていた。
「アレスくん。すぐ手を離さないと、首、胴から離れちゃうかもよ?」
「……沖田殿。俺はもう首を刎ねて良いと思うのだが」
瞬時に抜刀した沖田さんと斎藤さんに刃を突きつけられたアレスは、私の襟から手を離し、乾いた声で嗤う。
「アキリア……昔話、しよっか──」
低く、怨嗟の篭る声を聞きながら──私は身を起こして、掴まれていた襟元を整える。
「アンタは覚えてすら、いないだろう。僕とアンタはフォルムの……奴隷市場で同じ日に、ご主人様に買われたんだ……」
フォルムとは、ローマ都市の公共広場だ。
フォルムには物を売り買いできる商業施設や宗教活動ができる神殿等もあったし、元老院議事堂もある、市民生活の中心の場である。
「私と同じ日に、あなたが買われた……?」
私は売られていた時の記憶を必死に手繰るが、そこにアレスの姿はなく──。
「そうだ。親元から人攫いによって攫われて、奴隷商人に売られた僕はブリトンの血が入っていたから品質が悪いとされ、ご主人様に八〇〇セステルティウスで買われた……。分かるか? 八〇〇セステルティウス、それが僕の命に付けられた価値だったんだ」
「……はあ、なるほど。でも悪いんだけど、私、自分が戦争の最中に両親を殺した兵士に捕まって、商人に売られたってことは覚えてるけど、どこの国出身だったかは覚えてないし……もちろん自身の値段も知らないから、比べようがないんじゃ?」
思ったままを告げた私の言葉に、アレスの顔が怒りに赤くなる。
「アンタは……二十万セステルティウスだった……。他者より、ずば抜けて容姿が良かった、ただそれだけで、奴隷のくせに、色んな教養や技能を身に付けさせてもらえて……。その分、価値もどんどんつり上がった」
私は初めて己につけられた金額を知って、目を瞠る。
──え。そんなに高かったんですか、私。
「片や六〇両。片や一五〇〇〇両、か……」
悪気なく換算してしまった斎藤さんの言葉に、アレスは苦虫を噛み潰したような顔をする。
あまりにも露骨な金額差のためだろうか。「それは……」と、近藤さんも言葉を失っていた。
「ご主人様もご主人様だけど、皇帝も皇帝だ……。アンタなんかに狂わされて……」
昏い表情でそう呟くアレス。
確かに、たかが剣闘士一人探すのに四〇〇〇セステルティウスは高すぎるとは思う。
だけど──。
「それくらいで皇帝様を狂ったなどと侮辱するのはやめなさい!」
──皇帝様の悪口は許さない。
私は眉間に皺を寄せながら、アレスを睨みつける。
「狂ったよ? アンタ、今コンモドゥス帝が……ローマがどうなってるか知らないんだろ?」
そんなアレスの言葉に、私は心臓がドクリと跳ねた。
「コンモドゥス帝は悪政に踏み切った。……お前が消えた直後に、皇帝はルキッラ様に命を狙われた」
私はその言葉に、思わず声を張り上げる。
「ルキッラ様──って、皇帝様の姉上様がどうして!?」
「自分の地位のためさ。……まあ、それからというもの皇帝は常に疑心暗鬼だね。周りの者を排除し始め、何故かは知らないけどさ、何とかしてアンタを見つけようと、さっき言った通り、多額の褒賞金を懸けた」
皇帝様が私を探している理由に、心当たりはあった──。
皇帝様は、まだ私を、昔出逢った頃と心変わりをしていないと信じてくれているのだろう。
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