2-4
私が沖田殿に先導されて、訪れたのは、巨大な屯所の一角にある、何の変哲もない一室だった。
沖田殿が一つの部屋の前で障子の枠を控えめに叩く──と、中から「入れ」という声が返ってくる。
「失礼しまーす」
軽い口調の、彼が入ったその部屋では、恐らく何かを話し合っていたのだろう。壬生浪士組の局長と副局長である近藤殿と土方殿が正座して、向かい合っていた。
「おっ、総司。実技試験は……やっぱりダメだったか?」
ニコリ、と屈託のない笑みを近藤殿は沖田殿へと向ける。
「ボクもそうなら、どれだけ良かったか……。残念なことに、腕前は合格……どころか、反撃までしてきやがる、満点合格でしたよ」
そんな沖田殿の言葉に、土方殿は彼の方へと目を向け──その背後に立つ、黒布を纏った私に気付いたのだろう。その切れ長の目が僅かに瞠られた。
「嘘だろう? まさか本当に使える奴だったのか?」
「使える、使えないで言えば間違いなく使えます。一瞬の判断で刀のしのぎを腕で打ち払い、反撃してくるような狂った奴ですよ? 使えないワケがない」
沖田殿の言葉に、近藤殿は心底驚いたような顔で、黒布に隠されていて見えない私の腕の辺りを見やる。
「それは凄いじゃないか! 隊士達の前で是非、見せ仕合いの一つでもやってもらえたら、奴らの士気も上がるというものなのだが」
ははは、と実にご機嫌な様子で近藤殿は声を上げて笑った。
「……それがですねぇ、隊士達の士気がうっかり下がる……というか、屯所内が大変なことになりかねないからこうして連れて来たワケです」
「ん? そういや、確かに合格者を沖田、お前が連れてわざわざ報告に来るなんざ、初めてのことだな」
土方殿の言葉に、近藤殿も「確かにな」と頷く。
「流派も気になるし、沖田、お前が何を気にしているかは知らんが、入隊でいいんじゃないか? 間者の疑いがあるっていうのなら話は別だが……」
至ってのんびりと口を開いた土方殿へと、沖田殿は小さくポツリと呟いた。
「それが女でも、ですか?」
──と。
周囲に目に見えて沈黙が落ちた──。
私は三人の顔を──というには、一人は背中しか見えないのだが、順繰りに見回し、首を捻る。
それからたっぷり十秒は経っただろうか。
引き攣った顔で、土方殿がようやく口を開いた。
「沖田。つまらん冗談は──」「──なんでボクがわざわざこんな時間に、そんなつまらない冗談なんか言いに来なきゃいけないんですか」
至って真顔の沖田殿の言葉に、土方殿は再び沈黙する。
「その、安芸里哉君、だったね? 総司の言うことに間違いなんて、あってくれたりしないか……なぁ?」
何やら願望混じりの局長、近藤殿の言葉に私は、
「えーと。別に女で入隊してはいけないとは、今まで誰にも聞いていなかったもので」
と、素直にありのままを述べた。
「……見せ仕合いをご希望されていましたよね? でしたら明日、どなたかと一戦組んで頂けませんか? 私としても、ここまで来て誰とも仕合うことなく帰れと言われるのは不服と言いますか……」
決まりであるなら、と、入隊は諦めた私であるが、せめて、立ち去る前に自身の力を試してみたいのもあり、そう申し出てみる。
「どうする、歳三……?」
コソリ、と土方殿へと小声で問い掛ける近藤殿。
「……此方の落ち度でもあるから、そのまま追い返すのも寝覚めが悪い。明日、七番隊組長、谷三十郎と一戦組もう。谷は槍術師範と神明流剣術の指南役だ。そうそう無様は晒さんだろう。それでコイツが己の力量を理解して、心置き無く帰ってくれることを期待しよう」
そんな土方殿の言葉に、私は明日、この時代を生きる猛者と打ち合うことができるのだ、と理解し、内心で大きく拳を握り締めた。
結局その晩は、私は客間を宛てがわれ、そこで朝まで一人で就寝した。
周囲に誰もいない状況で眠ることなどまずなかったため、その静けさに落ち着かず、あまり良い睡眠がとれたとは言えず。
大いびきをかく剣闘士達と同じ檻の中で眠るよりも、よっぽど良い待遇であるとは理解しているのだが、慣れとは厄介なものだ──。
そして迎えた翌朝──。
「何か、申し訳ないですねえ……」
私は運ばれてきたお膳に載った朝食を見ながら、それを運んできてくれた後、何をするでもなく部屋の入口に背を持たせかけている沖田殿へと声を掛けた。
「まあそのカッコで出歩かれても困るしね」
沖田殿は寝起きの私が浴衣姿のまま、飯を手掴みで口に運んでいるのを見やり、眉を顰める。
「ホント、どういう教育受けたのさ。箸使いなよ……」
「はあ、箸……」
目の前に置かれた二本の棒きれに私は口をへの字に曲げ──唸った。
着物の着方は勝手に天使とやらが習得させてくれていたので問題なかったのだが、残念ながら箸という物は、その名は教えてくれていても、使えるようにはしてくれていないようで。
とりあえず、何か小さな皿に載った、白くて丸い──知識があった。里芋だ。里芋を握り締めた箸で刺そうとするも、それはツルツルと箸から逃げていく。
「この…このっ……!」
何度か試みるも、結局里芋は突き刺せず、苛立ちが募るばかりだったので、諦めて再び、ローマにいた時のように、手掴みで食べる。
「──!!」
それは、初めて食べる、とても不思議な味がした。
甘い、辛い。その両方がとても良い塩梅で里芋に染みていて──。
「美味しい…これも美味しい……!」
私はもの凄い勢いで、膳の上に載った食事を素手で食い散らかした。
「うわっ……」
何やら沖田殿がやたらと引いた表情をしているが、知ったことではない。
一般市民の評価は大切だが、同じ剣闘士からの評価など要らない。それと同じ理屈だ。
「百歩譲って……いや、譲れないけどさ、食べ方には目を瞑ったとしても、さすがに出たゴミを畳に捨てるのはやめようよ?」
渋い顔の沖田殿の言葉に、私は知らん顔をする。
彼は食べ方に口うるさい。
せっかくの美味しいご飯が、彼の文句で台無しだった。
食事が終わり、濡れた手拭いで沖田殿に無理やり手を拭かれた私は、差し出された白襦袢と灰袴、そして長い外套と、一枚の晒を受け取った。
「えーと、お風呂」
晒を使う知識をそれしか与えられていなかった私は、ベロンと伸ばしたそれに、一人頷く。
「バカなこと言ってないで、とっとと着替えてくれる? ボク部屋出とくからさ」
もう呆れしか見えない顔でそう告げてくる沖田殿へと、私はばっと手を伸ばした。
「ま、待って下さい! 本当に知らないんです! 入浴に使うものじゃないんですかコレ!?」
彼は私が本気でそう言っているのだと、ようやく理解したのだろう。
頭痛でもするのか、彼は己のこめかみに手を当てた。
「言ったろう、ここは男しかいない屯所なんだ。女性がいて良い場所じゃないの。分かったのなら、さっさとそれで胸、隠してくれる?」
沖田殿の言葉に、私はようやく晒と外套を手渡された意味を理解する。
「なんか、一五〇〇年先って……大変な世の中だなあ……」
言われた通りに早速着替え始めると、沖田殿は素早く部屋から出て行ってしまった。
「ねーねー、キミ、ホントどっから来たのさ」
障子越しに掛けられる声に、私は伝わらないとは思いつつもローマと答えておく。
「ろうま? 知らない国だね……。そこの女性って、みんなキミと同じなの?」
「……いえ、一応こちらの人達と同じように、それぞれが全く違う、色んな顔をしていますが」
「そうじゃないよ。みんな、そんな感じで腕が立つのか、って話」
てっきり外の国の者は皆、同じ顔をしているのかと、そう問われていると思っていた私であったが、どうやら勘違いだったようで。
「んー、そうですねぇ。ローマの中で私より強い女性に出会ったことはないですね。だから他の女性の一般的な強さは分かりませんが……少なくとも私よりは弱いと思って頂けたので良いかと」
そんな私の言葉に沖田殿は、はははっと声を上げて笑った。
「いやあ、良かったよ。女性の強さが軒並みキミのような、そんな国がこの世にあったとしたら、心臓に悪い衝撃を受けるところだったよ」
「そうですかねえ?」
そうこう話しているうちに、私は着替えが終わる。
障子を開けると、外にいた沖田殿がこちらを振り返り──僅かに目を丸くした。
「そうやって体型を隠して見ると、ホントに男だか女だか分かんないねえ。人形かと疑うくらい、整った顔であることは間違いないんだけど、男と言われても女と言われてもギリギリ納得できるというか……」
「……まあ、そう見せようと努力はしていますので」
私は一剣闘士として、男であろうが猛獣であろうが、真正面から万全の状態の相手を打ち下すことを良しとした。女を理由に相手の油断を誘うような真似はしたくなくて、色々と試行錯誤した結果、今のかなり中性的な見た目まで辿り着いたのだ。
「妙な努力をするねぇ……。ま、いいさ、行こっか」
沖田殿は、私を先導するように歩き始める。
そして──私が沖田殿に連れて来られたのは、木造建築の道場だった──。
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