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「うーむ、これはまた……峯蔵よ。お前の目が狂っていると言うわけではないのだぞ。そういうわけではないのだが……」
屯所の入口の石畳で私は再び片膝を地につけ、頭を一度垂れ──建物から出た場所で、こちらを見て固まっている、黒い総髪を垂らさずに髻を結んだ、堂々としながらも、どことなく温かな雰囲気の漂う、やや大柄な男を見上げた。
鍛えられた身体を持つその男は、歳の頃は三十ほどだろう。
峯蔵殿と同じ、白襦袢と灰の袴、そして立場の違いだろうか。裾の長い浅葱色の羽織を羽織っている彼は困ったように峯蔵殿に目を向けた。
「いや、近藤さん……僕も一応止めたんですけど……この安芸里哉という者がどうしても壬生浪士組に、と──」
峯蔵殿の言葉に、その男が近藤という者なのだと理解した。と──。
「阿呆か篠塚、壬生浪士組は捨て猫を拾う場所じゃねえんだぞ。誰でも彼でも拾ってくるな。お前の連れてきた奴、ただ一人として仮同志から本隊に移った奴、いねえじゃねえか。そんな見るからに使えなさそうな奴、さすがに最初から入れるのは反対だ」
そんな、低く、よく通る声が近藤殿の背後から聞こえてくる。
「……あの後ろの偉そうな方、誰です?」
私の問いに、顔中からダラダラと脂汗を垂らしながら、峯蔵殿は──、
「土方歳三さんですよ! 鬼の副長と呼ばれる、壬生浪士組の副局長! 手前の局長、近藤勇さんの次に偉い人です!」
と、ヒソヒソと私へと耳打ちしてきた──。
「ふぅん……」
私は近藤殿の影からゆっくりと姿を現したその偉丈夫に目を走らせる。
彼も近藤殿と全く同じ、長い羽織を羽織った出で立ちではあるが──、
「むむ、端麗者の予感……」
私は近藤殿と同じくらいの歳であろう──その土方歳三という長身の男の姿に小さく眉を顰めた。
肩を越す艶やかな黒髪を後頭部で一つに束ねた髪型に、切れ長の黒い瞳。
剣闘士の癖で、どうしても人を見た目で区別してしまう私は、その男──土方殿を剣闘士とするならば、一番の商売敵『端麗者』だと判断する。
剣闘士の世界で最も価値があるとされるのは、私もその括りではあったのだが、端麗者と呼ばれる、容姿が整っている者なのだ。
下から『凡庸、未熟者、上級者、最上級者、端麗者』という読んで字の如く、露骨すぎる分け方をされ、凡庸などに分類された日には、それだけで筆頭剣闘士にすらなれない世の中で。
市民──の中でも、差し入れなど直接的な益の多い女性の気を引くことが、いかに大切かを身をもって知っている私は、清潔感と女性の扱いには気をつけていたし、彼のような、同じ端麗者の存在には、私の益を横取りされないよう、常に目を光らせていた。
「第一なんだその、ヒラヒラとした呑気な着物に、根性の欠片も無さげな髪型は」
土方殿はまず私の纏うトガと、髪型に文句をつけてくる。
「根性の証明は難しいですが……ほら、副局長。安芸さんは外国から来たばかりですし、着物がないのも、奇抜な髪型なのも、仕方ないじゃないですか」
何とか場を和ませようとする峯蔵殿だが、土方殿の文句は止まらない。
「だとしても、だ。せめて後、四寸ほどは伸びてから出直して来い。ウチはそんなチビな細っこいガキに務まるような仕事はねえんだよ」
──この場で物言わぬ屍にしてやろうか。
私は彼の、あまりの暴言に、ついそんなことを考える。
剣闘士同士も、闘技場で相対すれば互いに挑発くらいはするが、これはもう挑発などという可愛らしいものではない。ただの一方的な罵詈雑言だ。
礼の構えを解き、抜刀する姿勢に移ろうとした──その時だった。
「なーに揉めてんの?」
と、ふいに辺りに響いた、やたらと陽気で甘ったるい声に、私は建物の周囲を囲む回縁を見やる。
「……何ココ、また端麗者が二人も」
陽気な声の主は、腰ほどまで伸びた長い白髪を赤い組紐で後頭部に一つに束ねた、甘い猫のような顔と、冷たい氷のような雰囲気を併せ持つ、美青年だった。
その隣を歩くのは、難しい顔をしている……と、ついでに、どことなく目が死んでいる、灰掛かった短い黒髪の青年。
二人とも、羽織が長いところを見るに、やはり上の立場の者なのだろうか。
「お前には関係のない話だ、沖田。……永倉、そいつを連れてとっとと道場へ戻れ」
土方殿の言葉に沖田と呼ばれた陽気な声の青年は仏頂面になり、そんな彼の肩を永倉と呼ばれた青年が掴む。
「副局長命令だ。道場へ戻るぞ沖田」
そのまま肩を引く永倉殿だったが、沖田殿は引かなかった。
「やーだね。だってもう夜じゃん。戻ってどーすんのさ、また疲れきった隊士引きずり出すとか鬼の所業だよ? ……ボクさぁ結構、峯蔵くんの連れてくる仮同志達の目、気に入ってるんだよね。まあ、みーんな、本隊に移る前に全員逃げ出しちゃったけど、ね」
と、何やら不穏なことを言う沖田殿に、峯蔵殿は拳を握り締めて俯く。
……この二人、何か訳ありなのだろうか。
「いいじゃん、土方さん。尽忠報国の志ある健康な者には入隊を。コレ、ボク達の大切な掟じゃん?」
「……健康とは程遠い、病を患って白髪になった奴は黙ってろ。と、言いたいところだが、確かに志ある者を仮入隊すらさせずに追い返しては、壬生浪士組の設立当初の理念に背く、か……」
沖田殿の説得に、近藤殿と土方殿はしばらく顔を見合わせて唸っていたが、結局──、
「仕方ないな、歳三。まずは仮入隊だ。総司の言う通り……じゃないが、峯蔵の連れてきた者は皆逃げ出してしまった。もしかしたら彼こそが意外にも、峯蔵の連れてきた中で一番目に残ってくれる者になるかもしれんからな」
と、局長である近藤殿から、私の仮入隊の許可が下りた。
どうやら私は、とりあえず第一関門は突破できたらしい──。
その後、土方殿に呼ばれてやって来た平隊士に連れられて、私はざっくりと屯所の中の説明をされた。
その道中に、まだ本入隊ではないので、浅葱色の羽織は貰えないものの、白襦袢と灰袴、そして寝間着である白浴衣も手渡される。
そうこうしているうちに、いつの間にか時間は夜の十一時を過ぎていた。
「はい、では今日の所は、こんな感じでしょうか。すみませんね、うちは見廻りの者以外は夕食の時間も厳しく決められておりまして……明日の朝食はありますので、今日は空腹かとは思いますが、堪忍してください」
最後に訪れた部屋の前で私は隊士からそう告げられ、まあ仕方がないかと思いながらも少しだけがっかりする。
──お腹、空いた……。
もちろんながら、そんな私の思いなど露知らず。隊士はスッと目の前の障子を手で引いた。
「じゃあ最後にここが、あなたに割り振られた部屋ですよ。押し入れの中に布団一式は入っているので、勝手に出して使ってくださいね」
私は開いた部屋を覗き込み、目を瞬かせる。
そこは平隊士達の共同部屋なのだろう。既に五つほど布団が敷かれ、隊士達が疲れ果てた身体を休めていた。
平隊士と別れ、私は皆を起こさないように部屋の片隅に布団を敷くと、暗闇の中で寝間着に──勝手に習得していた知識を元に着替えてみる。
「おお……なんか、不思議な着心地」
身体にぴったりとまとわりつくようなその感覚をくすぐったく思いながら、私は枕元に畳んだトガと木刀ルディスを置いて、目を閉じた。
──今日は、人生で一番色々なことがあった。
死んだと思ったら、一五〇〇年以上先の、日本の京都という場所に飛ばされて。
女性を助けたら運良く、仮とはいえ仕事も見つかった。
精神的に疲れていた私の頭はそれ以上、何かを思い出すことを拒み──。
そして、私はすぐに睡魔に襲われた──。
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