2-1-5
目が覚めた私は、背にびっしょりと嫌な汗をかいていた。
二枚支給されている、替えの寝間着である浴衣に着替え、早鐘を打つ心臓を宥める。が、幼女の平淡な瞳を思い出し、薄気味悪い気分になり──。
「午前三時、か……」
時計を見上げて後悔する、草木も眠る丑三つ時。
いつ故郷に帰るか分からないから、と備え付けのもの以外は大きな家具もない伽藍堂の部屋を見回した後、私はぶるり、と身震いした。
──時間が時間だけに、ますます気味が悪い。
やたらと神経が過敏になっているのだろう。僅かの物音にすら、そこに誰かが潜んでいるのではないかと、びくりと身体が反応してしまう。
運命に抗うことは決めたものの、それと天使に対する不気味さはまた別の問題で──。
「う…うぅ……」
怖さを紛らわせるためには仕方がなかった。
私を女だと知らない隊士とうっかり鉢合わせした時に、体型から、隠している性別が露見しないように、支給されている大きめの外套を纏うと、私はそっと寂寥感に溢れた自室から出る。
そして──。
「誰かぁ〜……」
と、情けなく、小声で独りごちながら回縁をぽてぽてと歩き、自身の部屋と同じ並びにある組長達の部屋の障子を一つずつ確認していった。
どこかの部屋に明かりが見えたら、少し気を紛らわせるためにお邪魔しようと思ったのだ。
しかし、時間が時間であり──。
「だーれも起きてないや……」
当然ながら、皆、就寝中で。
裏の並びの、局長達の部屋も覗いてみるが、やはり明かりはどこにもなく。
もう一度だけ障子に明かりが見えないかゆっくり確認して回り、結局、どの部屋の障子にも明かりの色はなく、私は諦めて庭に降りた。
深く息を吸うと、肺に冷たい空気が流れ込み、肺で温められたそれは、吐くと同時に白く夜風に流されてゆく。
縮こまる筋肉と吐く息の白さに冬であることを実感する。
池の畔の庭石に腰を掛けると、その冷たさが徐々に身体に伝わり、全身に鳥肌が立った。
寒さを堪えながら、静かな水面を見やる──と、鏡のような水面に、丸く青白い月が映る。
つられるように、夜空を見上げ──、
「綺麗……」
藍の空に冴え冴えと耀く、氷の玉のような、冷たくも美しい月に目を細めた。
手を伸ばしたところで届くはずもないけれど、それでもあの美しい月に少しでも近付きたくて、星々の煌めきが零れる空へと手を伸ばす。と──。
「んん……?」
何やら、人の動く気配とでもいうのだろうか。
複数の人が動く気配は静寂という水面に広がる漣のような感覚に似ていて。
それを遙か後方に察知して振り返り──、
「うげ」
と、蟇の潰れたような声が、自身の喉から上がった。
──まずい。非常にまずい。
先程まで暗かった組長達の部屋に、徐々に仄かな明かりが灯り始めているのを見やりながら、私は慌てる。
彼らが起き出した、その理由は深く考えるまでもなく──、
「ど、どうしよう……!!」
絶対に、間違いなく、確実に──私がこんな時間に敷き詰められた白い玉石を踏む、ギョリギョリと鳴る音を立てながら、庭を歩いていたからに違いなかった。
「ぇぇぃ──!!」
苦肉の策で、さっと庭石の陰に身を屈め、全身を隠す。
皆を無意味に起こしたのが私だとバレたらまず間違いなく怒られる。それだけはゴメンだった。
息を潜め、じっと時間が過ぎるのを待つ。
恐らく皆が顔を覗かせて、庭を確認してはいるのだろうが、障子を開ける音は、さすがにここまでは聞こえてこないため、ただ誰もこちらに来ないよう祈りながら時間が過ぎるのを待つしかない。
そして寒さに震えながら待つこと三十分ほど──。
「さすがにもういいかな」
そっと庭石の陰から顔を突き出す──と、案の定、全ての部屋から明かりは再び消えていた。
また性懲りもなく、玉石を踏み締めながら部屋に戻るワケにもいかないため、遠回りにはなるが、一度平隊士達が寝泊まりしている棟まで行くことにする。
そこから廊下を伝い、部屋に戻れば良いだろうという考えだ。
作戦は順調に進み、私は足音を忍ばせながら、組長格の部屋がある棟まで戻って来られたのだが──、
「ひえっ!?」
ふいに心臓がドキリと跳ねた私はつい、小さな悲鳴を上げてしまう。
悲鳴の理由──それは、自室へと戻る前に、通りかかった部屋の障子が音もなく開いたからだった。
「……ようやく戻ってきた。何やってたのさ、アキリア」
部屋に明かり一つ点けずに、呆れた表情でこちらを見下ろしてくるのは──、
「沖田ざんんんんん!」
白髪の剣豪、一番隊組長──沖田総司その人だった。
普段は腰ほどまで伸びた白髪を赤い組紐で結い上げている彼だが、先程まで就寝していたからだろう。その髪は珍しい下ろし髪で、私と同じ寝間着の浴衣を着ている。
彼は、こんな時間に徘徊していた私に、ただ呆れたような顔で──。
「ホントにどうしたのさ。顔、青いよ?」
私の顔色を訝しみ──すっと頬へと伸びてくる掌。
──温かい。
頬に当たる掌の温かさに、張り詰めていた心が少し解れる。
「あーあ、ホント何でこう冷え切るまで外にいるかなぁ……」
沖田さんはそうボヤくと、私の腕を掴み「火鉢、当たって行きなよ」と、部屋へと引きずり込んだ──。
「火鉢、そこにあるでしょ」
沖田さんの顎で指し示す先に、趣味の良い陶磁器の火鉢を見つけ、その前の座布団にちょこんと座り込む。
赤くて綺麗な木炭をぼんやりと眺めていると、視界の端に、沖田さんが行灯の油皿に浸した、灯芯に火をつけるのが映り込んだ。
柔らかな明かりの灯された部屋で、私は火鉢に手を翳し、大きく息を吐く。
自室には布団以外は、夜着に至るまで、身体を温めるためのものは何も置いていないので、初めて当たる、その温かさがじんわりと身に染みる。
思えば、彼の部屋を訪なうのは初めてのことで。
部屋中からお香のような良い匂いがする。自分の部屋は皆からしたら、どんな匂いがしているのだろうか。そんなことを考えながらくんくんと鼻をひくつかせていると、火鉢の炭がパチリと弾けた。
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