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第二部 池田屋事件
一
一八六三年 十二月三日──。
新撰組筆頭局長 芹沢鴨の騒動が落ち着き、約一月半──。
治癒力には自信のある私は、先の戦いで負った大怪我もようやく治り、十二月の頭から隊務にも支障なく復帰出来ていた。
そんな、隊務に復帰した矢先の本日。十二月三日──。
私は大いに困っていた。
「と……取れない……」
その日の隊務を終えた私は、散歩がてら五条通りをぽてぽてと歩いていたのだが、五条大橋に差し掛かった時に突如として吹いた、強い冬の風に、手に持っていた小さな温石を落とし、包んでいた布を風で飛ばしてしまったのだ。
石自体はそこら辺で拾ったものであったので、また拾えば良いや、と、まだ熱いそれを御役御免とばかりに川に蹴り落としたのだが──。
「手拭いは回収したい、な……」
川に落ち、上手く水中の枝に引っ掛かった手拭いだけでもどうにか拾えないものかと、私はそこら辺から拾ってきた枝を川の縁から腕いっぱいに伸ばすも、届きそうにない。
あと腕が少し長ければ枝を引っ掛けられた……なんて近さではなく、川の中ほどでこちらをまるで小馬鹿にするように手拭いはヒラヒラと踊り続ける。
そんなこんなで川をずっと覗き込むこと、かれこれ三十分ほど──。
新撰組の羽織を羽織った者が川縁にずっと屈み込んでいることに、町行く人々はぎょっとしたような視線をこちらへと向けて、歩き去ってゆく。
そんな町行く人々の視線を肌に感じながら、己の纏う羽織と、黒い襦袢をチラリと見下ろし──、
「そりゃ、怪しいよね……」
私は驚かせてしまった道行く人々に内心で謝っておく。
手拭いの一枚、川に入って取れば良いのでは、という話であるが、私は残念ながら泳ぐことができなくて。
「うう……」
もう諦めるしかないのか、と川縁で這いつくばったまま、両手をぎゅっと握り締めた。
その時だった──。
「どうかされたのか?」
ふいに背後から掛けられた、落ち着いた男の声に、私は川を見つめたまま──、
「あ、いえいえ、何でもありませんので」
と、枝に引っかかった手拭いが、枝から離れて流れて行かないか見張りながら、そう答える。
「お気遣い、ありがとうございます」
──誰かは知らないが、手拭い一つで足を止めさせるのは申し訳ない。
手拭いのことは自分のことなのだ。自力でどうにかしないと。
そんなことも思いつつ、じっと水面を見つめていると──、
「手拭いを、川に落とされたのか?」
私の視線の先。川の流れにはためく、手拭いに気付いたのだろう。
川縁に両の手と膝を突いて川を覗き込む私の隣に、その男が屈み込む。
私は屈んだ男を横目でチラリと見やり──目を瞬かせた。
洗いざらした紺の道中着に同じ紺の股引。
黒い脚絆に草鞋、頭には菅笠、と、男はどう見ても旅装束で、京の者ではなさそうだった。
髪を首元でこざっぱりと切っている、歳の頃は三十ほどの、見るからに優男な彼は「待っていろ」と──、隣でおもむろに着物を脱ぎ始める。
「ぇ──」
ポカンとする私の横で褌一丁になった、思いの外、筋肉質なその優男は、十二月に入ったばかりの、まず水遊びをするには適していない気温の中──、冷たい川に迷わず飛び込んだのだった。
「ええええっ!?」
──え。私のせいだけど、バカなの!?
この冬に、他人の手拭い一枚を取るために冷たい川に飛び込む者がいるとは。
しかも、荷物の一切を川縁に残して、である。
川の冷たさを想像するだけで、こちらの心臓がぎゅっとなる。そんな感覚がした。
「どれだけお人好しなの!? ……ん? お人好し? まさか……」
私は嫌な予感がして、男の置いていった振分け荷物を恐る恐る振ってみる──と、
「やっぱり小銭の音が少しもしないんですけど──!?」
男は案の定、無一文のようだった。
しばらくして、髪の先から水滴を滴らせながら戻ってきた男は、私の落とした手拭いを聖人の如き微笑みとともに差し出してくる。
「次からは気を付けられよ」
濡れた手からそれを受け取る──と、同時に私は男の手をがっちりと、逃げられないように掴んだ。
「お礼はします! ですが、その前に早く身体を温めてください!!」
──とりあえず火鉢ででも何でも、身体を温めさせないと。
私は有無を言わさず、男の手を引いて、近場の旅籠に駆け込んだ。
「ひ、ひぃ、どうされましたか!?」
あまりにも血相を変えて私が飛び込んできたからだろう。
老いた宿の主は、新撰組の羽織を羽織った私の姿に、怯えた様子で。
「おじいさん、見ての通り、新撰組! 逃げも隠れもしないから、後払いでこの人、一晩泊めてあげてください!」
私は怯える宿の主へと、褌一丁の男を突き出した。
「ほ?」
急の出来事に、宿の主はきょとんとした様子である。
「この人は、私の代わりに川に飛び込んでくれたのです。でも、私、今持ち合わせが全くなくて……。でも、ほらこの格好でお金を踏み倒そうなんて考えるワケがないでしょう? だから、どうかこの人、後から支払いに来るから一泊させて欲しいんです!」
両手をパン、と打ち鳴らしながら私は頭を何度も下げた。
「絶対にお金は持ってくるから、お願いします──!」
必死に頼み込んでいると、流れを静観していたびしょ濡れ男が「待て」と、声を上げる。
「別に礼を貰おうとか、一泊させてもらおうとか、打算があって助けたわけではない。だから気に召され──」「──気にしますッッ!」
──明日、路地裏で凍死体が見つかるとか、冗談じゃない。
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