8-7
「残念です。私の方が一つ武器が多かったみたいですねえ」
ぺっと食いちぎった肉片を吐き捨て、私は笑う。
芹沢はもう絶対に止まることのない、出血する手首を庇うようにして、何度かふらついた。
そして──。
「おっと……」
ぐらりと大きく前方に傾ぎ、そのまま前のめりに倒れる芹沢を支えようと、私はその巨体の下へと自身の身体を滑り込ませる。
全身全霊の力を脚に込めて、潰されないようにと身構える私であったが、肩にもたれ掛かる形となった芹沢は思ったよりも軽かった。
まあ、思ったよりも軽い、というだけであって、決して軽くはない芹沢を立ったまま支えるのは困難なので、私は床へと膝をつく──と、
「……あ」
何故、彼の身体が軽かったのか、理解した──。
芹沢がふらつき始めた時には既に、動き始めていたのだろうか。
私が潰れないように、そして、彼へ最後の優しさを見せるように。背後から倒れる彼の背を引いていたのは、局長、副局長、そして組長達だった。
「ははは、儂の、負け……じゃな……」
芹沢は力無く笑う。
「儂よりも、獰猛な奴が……おったとは……」
私はもたれ掛かった状態では呼吸が苦しいだろう、と芹沢をゆっくり畳へと、仰向けに転がすように寝かせ、気道が血で塞がらないように己の膝に彼の頭を載せた。
「ああ、ああ……まさかの儂が、男の膝の上で……死ぬことになるとは、のう……」
「諦めてくださいよ。まだむさ苦しくないだけ、良いじゃないですか」
そんな冗談混じりの私の言葉に、芹沢は小さく「そうだな」と笑う。
「安芸……そなたは、外の国から、来たと聞く……。儂と同じ、戦馬鹿のそなたが、そこまで渇望する……皇帝がおるのは、何処と言ったか……?」
「ローマですよ」
「そうか……ろうま、か。輪廻転生というものが、あるのなら……次の世では……儂も、生まれついて、みたいもの、よ……」
芹沢は見たことも、聞いたことすらもない、ローマへと思いを馳せているのだろう。
その目には遠い遥かな異国への憧れが浮かんでいた。
「良いじゃないですか、行ってみて下さいよ。私達、戦馬鹿には、きっと……良い世です。剣闘士になれば、猛者にも事欠かないですし」
「剣闘士、か……。心躍る、言葉、であるな……」
私の言葉に芹沢は噛み締めるように呟く。
「でしょう? そこで、アキリアと互角に打ち合った、と仰って頂ければ、猛者がこぞってやって来ますよ」
「それは楽しみだ。……はは、身一つで、己の腕だけを頼りに、上り詰める夢、か……」
光を失いつつある瞳を覗き込みながら、私は「あ、そうだ」と大切なことを思い出す。
「ローマへと行かれるなら是非……もし、万一にも、皇帝様にお会いすることがあれば、伝言を」
「最後まで……ちゃっかりして、おるわい。儂を……伝令係のように、扱うとは……で、何ぞ……」
苦笑する芹沢に、私は己の望みを託す。
「アキリアは、皇帝様とのお約束をまだ、忘れてはおりません。と」
それは、遠い日の約束。
彼に仕えると約束したけれど、叶うことなく途切れた夢。
「よい。確かに承った……ぞ──」
芹沢は息を吐くように言い切る──と、その手から、力が抜けた。
するり、と畳に落ちた血に塗れた鉄扇を、私はそっと指で撫で、血を拭う。
血に塗れて見えなくなっていた、鉄扇に彫られた文字は『尽忠報国の士 芹沢鴨』というもので──。
「今度こそ……今度こそ、止めましたよ。ご主人様……」
最悪の結末だけは防げた。同じ過ちは繰り返さなかった。
それを、無意識のうちに、かつての主に報告する。
と、視界がぐらついた。
芹沢の傍で先程まで並んで黙祷を捧げていた組長達の端にいた斎藤さんが、私の背へとすかさず手を伸ばし──、
「ああ……大丈夫、ですので……」
私は何とか、倒れることなく踏みとどまった。のだが──。
「バカねぇ。いいのよ、頑張ったんだから、倒れても──」
そんな声とともに、背後から両肩を引かれ、私は今度こそ仰向けに倒れ込んだ。
「お梅、さん……」
彼女の膝の温もりが後頭部に伝わってくる。
たおやかな微笑みが、優しく頬を撫でる掌が、私の昂っていた心を落ち着けた。
心が落ち着くと、急激な眠気が襲ってくる。
朦朧とする意識の中で、何を言っているのかは理解できないけど、皆が声を張り上げているのが分かった。
そして、運ばれてきた担架に乗せられた私に、応急手当をしてくれていることも──。
──大丈夫。
「今度は……皆、悲しく、ない……」
手当てを受ける己の左手を、温かな両手で握る、悲痛な顔をした近藤さんを宥めるように、私はそう告げた。
かつて、ローマにいた頃とは違う。
──少しだけ。少しだけ休むけれど。
でも、休むだけで、ちゃんと今度は帰ってくるから。
もう、誰も、私のせいで、悲しませはしない──。
途切れる寸前の記憶の中で、私の言葉に、悲痛の中に少しだけ安堵の混じる表情を浮かべた近藤さんは、
「ああ、そうだな……」
と、くしゃりと微笑み──それを最後に、私の意識は途切れたのだった──。
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