8-4
しばらくして座敷に戻ってきたお梅は、高身長の、強気な顔をした美女を連れていた。
「紹介しまーす、こちら、お藤さんでーす」
お梅は私へと、屈託のない笑みで、連れの女性を紹介してくる。
お藤さんは煙管を片手にお梅の前に歩み出ると、私の顔を見下ろしながら、艶やかに微笑んだ。
「話は梅から聞いたよ。可愛いお侍さん。アンタの相手はアタシに任せな。──何、可愛い小寅の仇が討てるんだ。火の中水の中、どこでも行ってやろうじゃないか」
あっはっは、と高笑いするお藤さん。
──これは気が強そうだ。
度胸があるのは大変有難いのだが──、
「へぇ〜アンタ、見れば見るほど本当に可愛い顔してるじゃないの。侍なんかにゃ勿体無い」
と、お藤さんは何故かその白く細い指で、私の鼻や頬をつまんできた。
私は振り払って良いものか分からず、ただただ硬直する。
「この面子なら、手間は掛かりそうにないな……」
いじくり回される私を見やりながら、近藤さんが苦笑した。
──見てないで助けて下さい。
視線から私の言いたいことを察したのだろう、苦笑していた近藤さんは声を上げる。
「さあ、行こう。下手に時間を食って、芹沢に勘づかれでもしたら、皆の苦労が水の泡だ」
その言葉に誰からともなく、皆で視線を交わし、大きく頷く。
吉田屋から飛び出した私は、輪違屋と桔梗屋に立ち寄り、糸里さんと吉栄さんを連れ出すと、近藤さん達と一旦別れ、八木の邸へと向かったのだった──。
お梅の芹沢に対する手綱捌きは見事だった。
僅かも芹沢を不機嫌にさせることなく、彼女が細かに気を利かせて芹沢に尽くしたため、結局、私が芹沢を宥めなければならないような事態には陥らなかったのだ。
……まあ、それもお藤さんの徹底的な補佐があってのことではあるが。
彼女達のお陰で、贅の限りを尽くしたような、八木邸での宴会は恙無く終了した。
宴会が終わった後、私は自分に宛てがわれた座敷で、障子窓から自身の部屋の目印にするための襷を外に垂らす。
「雨が降り始めましたね……」
ここ八木邸の、すぐ近くにあるはずの、屯所──前川邸も白く霞んでよく見えない。
降り始めた雨が討ち入りに悪い影響を与えないといいのだが。
そんなことを思いながら、雨戸を閉めた。──と。
「おやおや、可愛い顔が台無しだ。そんな辛気臭い顔しないものさ」
私はお藤さんに抱きつかれ、布団へと倒れ込んだ。
覆い被さるようにして、私を覗き込んでくるお藤さんは、艶やかに微笑むと、
「今アンタに出来ることは、あのお侍さん達を待って、少しでも身体を休めておくことだね」
と、その白い手で私の頬を撫でる。
「刀を差したままじゃあ寝辛いだろうけど、そこは仕方ないねえ。まあせめて、癒されておゆきよ」
そう言いながら、彼女は私の頭を軽く抱きしめるようにした。
──温かい。
そして、お香のようないい匂いがする。
それは、人生で初めての感覚だった。
張り詰めていた緊張が解れるような。目に熱いものが訳もなく込み上げるような。
その感覚の正体を探し──、静かに目を瞑る。
「アンタはすごいよ。頑張り屋さんだ」
耳に染み込む声は蜂蜜のように甘く、蕩けてゆく。
私はただお藤にしがみついて、込み上げる不思議な感情に肩を震わせた。
「たまには言ってもいいんだよ。『私は頑張ってる。褒めろ』って。……勿論、立ち止まって、弱音も吐いて良いさ。アンタの周りにいるお侍さんは、きっと、アンタがそうやって心を開いてくれるのを待っているはずだからねぇ──」
──頑張っている。だから褒めろ。
それを周囲に言っている自分が想像できなくて、こそばゆいような気持ちになる。
きっと、それを言える日は来ない……と信じたい。
だが、例えその日は来なくとも、本心から私を気遣って、そう言ってくれているのだろう、彼女の優しさは素直に嬉しい。だから──。
お藤さんを少しでも喜ばせたくて、私は彼女の言葉に、無言で頷いたのだった──。
そして深夜二時頃──。
私達の討ち入りの音をかき消すように、天候は豪雨となっていた。
眠るお藤さんに抱えられるかたちで、その腕の中でうつらうつらしていた私は、そっと肩を揺すられ、はっと我に返りながらそちらを見やる。
音も立てずに座敷へと入ってきていたのは沖田さんだった。
「……何か随分、晴れやかな顔してるけど」
小声でそう囁かれた私は、真顔で沖田さんを見やる。
「沖田さん。遊女は危険です。私、自分がこうも簡単に籠絡されるなんて、思ってもいませんでした」
「はぁ!?」
相変わらず小声だが、怪訝な顔の沖田さんである。
「私、ぎゅってして貰いました。……あったかくて、優しくて──」
少し前に斎藤さんにも抱き締められたことはあるが、あれとは明らかに違う。
彼の場合は抱き締められたこと自体が奇行であったし、得た感情なんて混乱だけだった。
そんなことを思っていると──。
「良かったじゃないか」
と、沖田さんは私の頭に手を落とした。
私は目を細めながら頷き、お藤さんをそっと揺すり起こす。
起きた彼女は大きく頷き、布団の上に正座した。
彼女にはここで、全てが終わるのを待ってもらうことになるだろう。
足音を殺して廊下に出ると、近藤さんを始めとする討ち入りの者達が揃っていた。
私はあらかじめ用意していた紙を、一つだけ灯した提灯の灯りの下に晒す。
『椿の間、平山。桜の間、平間。松の間、芹沢』
それだけの文字に、組長達がそれぞれ指を伸ばし、己が担当する部屋を指差した。
平山には沖田さんと土方さんが、平間には斎藤さんが。そして芹沢のところには近藤さんと永倉さんが。
指が一本しか伸びていないところを見ると、私は平間の担当となるのだろう。
私達は並んだ部屋のそれぞれの前に立ち──そして、一斉に踏み込んだ──。
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