8-2
「安芸! これは一体どういうことだ! 芹沢達が揚屋から出たぞ!?」
駆け出した私は、隣へと現れ、並走する近藤さんと沖田さんに、揚屋であったことを話す。
「女呼んで呑気に飲み直し、か……ああもう、なんなんだよアイツ……!」
沖田さんは私の説明にぶつぶつと文句を垂れた。
「そんなワケで三番隊までで芹沢を討つことになりました! 以上!」
私は吉田屋へと飛び込む……が、勝手が分からなかった。
「えぇ、と……?」
「……ボクが呼んでくるから、そこで待ってて」
沖田さんが小さく息を吐き出しながら、店の人と何やら話し、しばらくして彼は戻ってくる──。
「手練てますねぇ。これは案外通い慣れてると見ました」
先程、彼が遊女達に何の反応も見せなかった時は、さすがに頭を疑ったが──、
「興味がない、じゃなくて、日常の一部すぎて、何の感慨も湧かない方でしたか……」
一人でしきりに頷いていると、沖田さんが真顔で私の額を指で弾いた。
「あだっ!」
「何を考えようと勝手だけど……せめて黙って考えてくれるかな?」
額を押さえながら、私は近藤さんの背後に隠れ込み、安全地帯へと逃げ込めた気分で、ふう、と大きく息を吐く。
──近藤さんの近くはこう、何というか、ほっとするのだ。
そんな私と、不機嫌そうな沖田さんを交互に見返し、近藤さんが苦笑する。
「あー、アホらし……。お梅は呼んだけど、次は?」
何やら刺々しい言葉の沖田さん。
「そうですね、お梅さんをお呼びしたら次は──」
──その時だった。
「こら、お梅!」
男の野太い声がしたかと思うと、階段を駆け下りてきた、私と同じくらいの年齢の遊女が一人、裸足のままで建物から飛び出そうとし──、
「おっと」
彼女は、建物を出奔する直前で、沖田さんに腕を引き戻される。
「梅! あ、ああ、捕まえて下さってありがとうございます……!」
彼女の名を呼んでいた男は礼を言いながら、お梅の腕を掴む。
すると、お梅は甲高い声で泣き叫んだ。
「イヤよ! 芹沢様だけは絶対イヤ! 小寅ちゃんや、お鹿ちゃんのようにはなりたくない!」
彼女の言葉に、近藤さんと沖田さんの表情が曇る。
確か、この前芹沢が立腹して殺めてしまった遊女達だったか。
そんなことを思っている間にもお梅は騒ぎ続ける。
「離して、離してよ!」
その、あまりの怯え様に、さすがに可哀想になる。──と、ふいに近藤さんが手を軽く挙げた。
「お梅さん。ちょっと話を。良いだろうか──」
ここで立ち話をするワケにもいかないので、私達は普段お梅の使っている座敷へと向かったのだった。
「芹沢様の……誅罰……」
「そうだ。君としても、小寅さんやお鹿さんの仇討ちになると思うのだが──」
近藤さんはお梅へとこれから自分達が実行することを告げる。
「それは、私だって…そうしたいです……小寅ちゃん達の仇を討ちたい。けど、怖いんです。……だって、そこに辿り着くまでに、私が彼女達と同じように殺されないかなんて、分かるはずもないじゃないですか……!」
目に涙を溜めるお梅。こんな時だが、私は「色っぽいなー」などと呑気なことを考えてしまう。
「殿方って、本当に身勝手ですよね……。自分に従わないから、って斬り殺したかと思えば、その仇討ちのために危険に身を晒せって……。私達を一体何だと思っているんですか? 私達は餌や道具じゃない……!」
刹那、お梅の眦から涙が一条、頬へと垂れる。
「私が危険に晒された時、あなた方は助けて下さるのですか? 私が危険に晒されようが晒されまいが、外でのんびりと、討ち入りの時を待っているだけじゃないですか!」
そう、感情を吐露するお梅。いつの間にやら、その目からは止めどなく涙が溢れ出していた。
私はふいに、近藤さんがこちらをじっと見つめてきていることに気付き──ため息混じりに、ではあるが私はその視線に頷いて返す。
もう、手段を選んではいられなかった。
「お梅殿。そなたの身の安全は、こちらの隊士──安芸がお守りしよう」
「どうやってですか! 適当なことを言わないで下さい!」
怒りを含んだお梅に、私はそっと声を掛ける。
それは、町娘にかけるような気取った声ではなく、彼女に寄り添うため、彼女の一番安心するであろう言葉使いで──。
「お梅さん、大丈夫。私がいるから。……あなたは、私がちゃんと護ってあげるから」
「え…ええっ!? あなた、まさか女の方なのですか!?」
お梅は私を驚愕の目で見やり、ポカンと口を開く。
「ええ…まあ、こんなでも一応は。……あ、でもお梅さん、このことは内密に」
私は唇の前に人差し指を宛てがって見せた。
お梅はしばらく目を見開いていたが──じりじりと、私の前へと膝立ちでにじり寄ってくる。
そして、私を上から下まで流れるように見やり──、やはり判別が付かなかったのだろう。
彼女は事もあろうか、遠慮なく私の胸を両手で掴んだのだ。
「──ぇ、は!?」
胸に走る何やら気色の悪い感覚に私は、ばっと身を引いた。
「あら本当。晒で巻いていらっしゃるけど、確かに……この感触は、ええ、本物ですわ」
「要らない! 要らないから、その感想!」
手に残る感触を分析するお梅は、私が女だと分かった瞬間に、かなり落ち着いたのだろう。
彼女は私の手を、その白く美しい手で握り、眉を下げた──。
「あの、お侍さんは大変でしょう……? もし良ければ、此処で働きませんか、口利きは致しますよ?」
「へ……?」
私は彼女の申し出に目を瞬かせる。
「此処は遊女達、皆仲良くやっております。引退した後も、下級の遊女達も、最高位の花魁達が面倒を見る。それを代々続けてきていますので、本当に……良いところですよ」
お梅は本当に親切心からそう言っているのだろう。
だが──。
「ありがとう。……でも私は多分、剣を振り回している方が性に合ってるから──」
多分、天職ですらあると思う。
だから──彼女の誘いはやんわりと断った。
「……お侍さん、少し、席を外して頂けないでしょうか」
お梅の言葉に、近藤さん達は「ゆっくり話せ」と、襖の奥へと消えていく。
普段雑踏の喧騒中の声から、浪士達の情報を拾い上げている彼らには、それだけの距離など意味が無いに等しいのだが、お梅は彼らが見えなくなったことで肩の力を抜いた。
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