5-2
「三日の期限だが…まあ、どうにかなりそうか。明日早朝に発てば、夜には屯所に着く」
私は峠の木の一本に上がり、ギリギリ己の重さに耐えられる太い枝に腰掛け、独りごちる。
昨日もだが、今日も一睡もできそうにはない。
あちこちで木に背を持たせかけたり、地に横臥したりしている隊士達はぴくりとも動かないが、油断などしていたら、いつ寝首を掻かれるか分かったものではないのだ。
それもあり、私は枝で一晩明かすことに決めた。この枝であれば、誰かが襲い掛かってきたとしても、彼らの体重ならば、私のいる枝に届く前に、乗った他の枝が折れるだろうし、直接幹を登って来たとしても、音で気付くだろう。
結局、その晩は何も問題は起きなかったのだが、それは長い一晩だった──。
翌日は、もう京都へと向けて、ひたすら歩くだけだった。
最後に摂ったのが、宿屋で出された前日の朝食なので、かなり空腹だが、今の希望はただ一つ。早く帰りたい。それだけである。
運良くなのか、そもそも出されていないのか、追っ手は現れなかった。
行き道と同じ長さであるため、当然といえば当然なのだが、屯所へと辿り着いたのは、その日の夜の帳が落ちた後で。
私は屯所へと到着するが早いか、自隊の組長の許へと帰還を知らせに行くよりも先に、芹沢の自室へと向かった。
「さすがの手腕である! 良くやったぞ、安芸君!」
寝間着である浴衣へと着替えていた芹沢は、ご機嫌な様子で証文に目を通す。
どうやら芹沢は直前まで飲んでいたのだろう。部屋は相変わらず酒臭い。
私は用も済んだため、早々に引き上げようと立ち上がる──と、
「君は実に良い男だね。この証文をどうするかなどと、余計な詮索などせず、仕事が終わればさっさと引こうとする。儂はそういう者が実に好きだよ」
芹沢はそんな言葉で私の足を止めてきた。
用が済んだならとりあえず、もう眠りたい。そう思って引き上げようとしただけなのだが、それが良いように取られたようで。
「儂は懐も広い故、そなたには褒美をやらねばな」
のんびりと口を開く芹沢に眠さからくる軽い苛立ちを覚えながら、報酬よりも睡眠。それしか頭にない私は手を振ってそれを断る。
「ああ、報酬などは結構ですよ。筆頭局長は新撰組の名を貶める狼藉を働いた水口藩より、謝罪を受けようとされていただけ。同じ同志として、それをお手伝いするのは当然のことにございますので」
そんな私の言葉に、芹沢はますます機嫌を良くした。
そして──。
「安芸君。後、数日待ってみよ。この証文が面白いモノに化けるでな」
と、立ち去る私の背にそんな言葉が掛けられたのだった──。
「安芸、無事帰ったか!」
芹沢との話が終わり、私が戻るのを、私の部屋の前でずっと待っていたのだろう、斎藤さん、もとい番犬が薄い微笑みをその顔に貼り付けながら、部屋へと戻るべく現れた私の許へと駆け寄ってきた。
何だろう、彼の後ろに、大きく振られる尻尾が見える気がする。
「疲れたろう。風呂は沸かした、腹が減っているかとも思い、握り飯も用意しておいた」
──はい、実にとんでもなく、良くできた番犬です。
そんなことを思いながら、部屋へと入ると、畳の上に竹皮の包みが置かれていた。
どうやら彼が用意してくれた握り飯なのだろう。
「飯か? 風呂か?」
そう尋ねてくる彼には悪いが──。
「すみません…寝ます……」
もう眠気は限界だった。
斎藤さんは周囲に目を走らせ、本当に僅かに表情を曇らせる。
「そ、そうだったな……そんな選択肢もあった……すまない」
何故か彼は謝りながら、押し入れから敷布団を取り出してくれた。
むしろ謝るのはこちらだろう。折角あれこれ用意してくれたのに、その全てを蹴り飛ばしたのだから。
「ん? 何か畳に黒い染みが出来てるんだけれど、これ、何ですかね?」
羽織を脱いでいると、出発時にはなかった、畳の染みを見つけた。
「ああ、それは昨日、お前が帰ってきた時に、と干し柿を置きに来た沖田殿がそこで喀血したのだ。お陰で干し柿がダメになった」
「え!? 沖田さん大丈夫ですか!?」
干し柿どころじゃない。何をさらりと干し柿がダメになったとか言っているのだ、この組長は。
「よくある話、らしい。ちなみに一晩休めば復活するそうだ。畳は後日張り替えると言っていた」
「……いや、そこまでしなくても別に良いです」
斎藤さんがせっせと敷いてくれた布団に私は顔から倒れ込んだ。
──幸せだ。ようやく眠れる。
心から、そう思った。
それをその日の記憶の最後に、後のことは何も覚えていない。
私が次に目覚めたのは、翌日の昼頃で。
きっと私が疲れているから、と配慮して、誰も起こしにこなかったのだろう。
斎藤さんへと謝りながら、隊務に復帰して、日々訓練と座学に励みつつ、ようやく同行を許可された管轄内の見廻りや取り締まりに明け暮れる。
証文の件が再び動いたのは芹沢の言っていたように、本当に数日──私が寝坊した日から五日ほど経った頃だった。
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