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3-3

──怖い。


それは怖いものなしで、どんな者が相手であれ、果敢に突撃していた自分でも抑えきれない恐怖。


この寺という場所は夜踏み入るには相当の勇気のいる場所だった。


(すく)む自分の足を叱咤(しった)し、なんとか一歩、また一歩と寺の中へと歩みを進めるも、ガチガチと歯の根が噛み合わないという、初めての感覚を楽しむ余裕などどこにもない。──と。


「ひえっ……!」


ふいに何か声が聞こえたような気がして、心臓が大きく跳ねた。


腰が抜け、屈み込むと──再び遠くから人の話し声が聞こえてくる。


それは男の、低く野太い声で──。


歯は相変わらずガチガチとうるさいが、なるべく足音だけは立てないように、声のした方へと向かう。


そこは──寂れた墓場だった──。





──うん、無理。


妙な寒気と吐き気で頭痛がしてくる。


この場所は生理的に身体が受け付けなかった。


墓くらいはローマにだってあったが、ここは何というのだろうか。


墓というものへの感覚的な湿度が違うのだ。


「やだよおおぉ……」


何となく知識に、こちらの世界での、魂を鎮める言葉のようなものは入っているのだが、恐怖のあまり、その「なむ」何とやらという言葉は上手く引っ張り出せそうにない。


そんな時だった──。


「灯り……いた──!」


一つの墓の前に、五人の男がいた──のだが、何やら様子がおかしい。


恐怖を噛み殺しながら、そっと近場の墓の陰に隠れ、顔を突き出すと、


「一人は…仲間じゃない……というか……」

五人のうち一人は、他の四人に囲まれて、胸ぐらを掴まれていた。


ふいに耳に飛び込んだ、四人の男の途切れ途切れの単語に私は目を瞠る。


それは「行き倒れ」、「死体」、「身ぐるみ」、「売る」という四つの単語だ。


「もしかしなくても……」


──あの、行き倒れた屍から身ぐるみを剥いで売ろうというのか。


(みにく)い……」


価値観と言えば、それまでなのかもしれなかった。


もう動かない屍からまだ使えるものを剥ぐ。なるほどそれは確かに合理的だろう。


しかし私の感性では、どうしてもそれは耐えられないことで──。


「勝っても驕らず、負けた者には称賛を。死して辱めるは……」


──そうだ。


それは、許されざるべき、汚らわしき蛮行だ──。


私は遠き世でいつも見てきた。


闘技場で相見え、命を散らした猛者達を。


そして、己の何の得にもならないと知りながらも、その屍を引き取って、私財で墓を建ててくれる、死した者の活躍を楽しみにしていた市民達を。


彼らの美しい精神をいつも目の当たりにしてきた私には、やはり到底、屍から身ぐるみを剥ぐというその蛮行を認めることはできなかった。



「よし……」


覚悟を決めて、私は勢いよく男達の前に躍り出る──が──。


「え、えーと……」


特に気の利いた言葉が出てこなかった。


男達は一瞬驚いたようにこちらを見やり──、


「何奴! って、あれ? テメエ……」


彼らの顔が一瞬呆けたようなものになる。


言葉が見つからず立ち尽くす私と、呆けたような彼らと。両者の間に流れる空気はなんとも間抜けなものだったろう。


そして──。


「やっぱり間違いねえ! この前の奴だ!」

と、男達は一目散に脚を庇いながら逃げ出した。


合流するぞ、合流! と叫びながら逃げる男のうちの一人へと駆け寄り、私はその男の腕を捻じ上げる。


「ちょ、ちょっと待ちなさい! 仲間が──」「──知らねえよ!」


私は男達の仲間意識を利用し、一人を人質に他の面々を捕縛(ほばく)するつもりだったのだが、その目論見(もくろみ)はなんとも見当違いに終わってしまった。


となると──。

──この男は餌にはならないし……。


正直、連れているだけで荷物であった。


「チクショウ、離せ!」


全力で暴れだした、捕らえた男の後頭部に手刀を叩き込み──


「あ──」


その瞬間に己の愚行に気付く。


力の抜けた男の身体が地に崩れ落ち、私は軽く青ざめた。


「うっかりやっちゃった……。ちょっと、あなた、起きて、起きるの! アイツら、アイツらと、どこ行くつもりだったのあなた! 教えなさいってば、ねぇ!」


必死に男の胸ぐらを掴んで揺するも、彼は夢の世界で──。


「うわあああん!」


本当にとんでもないバカをやらかしてしまった。


「ええと、皆に知らせ……いやいや、アイツらを追うのが先!? ああっ、コイツも縛り上げとかないとぉ……って、思い出した、ココ怖っ──」


私は闇に閉ざされた墓場で一人あたふたと騒ぎ散らす。


「落ち着け、落ち着いて私! まずは……コイツ縛り上げとかないと!」


懐にしまっていた襷を取り出すも、その長さは筋骨隆々の男を縛り上げるには、いささか短く。


「どうしよ……あ、そだ。あなたこれから暴れるつもりだったのでしょう? ちょっと胸元と袖口、失礼しまーす」


私は気絶した男のまずは懐に手を入れ──、


「あった!」


そこからびろんと襷を引っ張り出した。


二本の襷を結べば、充分な長さの紐になる。


私は力の抜けた男を転がしながら、できるだけ素早くその身体を縛り上げた。


「おっと……」


万一を考え、帯刀していた刀は没収し、近場の茂みに投げ込む。


後から拾えばまあ、問題はないだろう。


「よし、これでアイツらを心置きなく追える! もうこんな怖いところ、二度とゴメンだッ!」


私はだっと駆け出そうとし──、


「道…徳……」


ふと、昼間のことを思い出した。


「……ッ」


私は怖々と、ずっと地にうつ伏せに転がったまま動かない、ぼろぼろの身なりをした屍の傍へと片膝をつく。


「死んだ後に、意味があるのかは分からないけど、あなたが死後に素っ裸で転がされるのだけは避けてあげましたよ。……本当は生きている時にあげられれば良かったんだけど──」


懐から餅の入った風呂敷包みを取り出し、私は地に伏せた、手足を見るに、まだ年若いと思われる男の前にそれを供えた。


「もっと良いもの寄越せって言われたって無理ですよ。私の私物は、剣以外には本当にこの餅しかないんですから──」


一度祈るように目を伏せ、私は屍の傍から立ち上がる。


そして──この季節にはあまりにも寒々しい、薄い着物の屍へと、自分が纏っていた外套をふわりと掛けた。


「仕方ないから墓代わりにそれもあげましょう。……まあ、初給料が入れば弁償できるしね、うん」


屍の横で一人頷き、今度こそ私は逃げ出した男達を追って墓場を後にする。


そして、寺から飛び出した時だった──。


「あ!」


遠くに隊士達なのだろう提灯を掲げた男達を発見し、私はそちらへと駆け寄った。


「ん? どうしたの? 何か手掛かりでも見つけたー?」


運良く沖田殿の班に出会した私は、手短く、墓場に尊王攘夷派の浪士達がいたこと、仲間を一人残して逃げたこと、そして逃げた彼らが他の者達と合流しようとしていることを伝える。


「そっか。お手柄……だけど、浪士達の合流は厄介なことになったね……」


沖田殿は少しだけ悩む素振りを見せ──、


「よし、アキリア。キミは悪いけど、少しボクの先行を頼むよ。ボクはキミほど暗い場所ではっきりとは周りが見えないからね。……で、他の皆は、墓場から何としてでもその捕縛した浪士を連れ帰るように。ああ、それから、屯所に戻ったら応援を寄越してね」


死体がわんさか出るからね、と続けながら、沖田さんは私と隊士達へとそれぞれ指示を出す。


提灯を持った隊士達が寺へと向かうのを少しだけ見送り、私は沖田殿が迷わないよう、その浅葱色の袖をしっかりと掴んだ。


「では沖田殿、とりあえずどこかの班と合流したので構いませんか?」


私の言葉に沖田殿は一度目を瞬かせ──。


「思えば今初めて名前呼んでもらったんだけど……隊士達は一応同志なんだしさ、さん付けでよくない? なんならボクは割と軽めだから下の名前で呼んでもらっても──」「──では急ぎましょう沖田さん」


私の即答に、それ以上は私が呼び方に関しては、微塵も譲歩する気がない、と感じ取ったのだろう。


沖田さんはつまらなそうに唇を尖らせる。


分かってほしいとは言わないが、私にとっては『さん』付けで呼ぶことすら、中々に勇気のいることなのだ。


今まで、身分の高い者の方が私を取り巻く世界には多くいた。


だから、基本的には人を敬称の『殿』とつけて呼んでしまうのだ。


何故『様』でないかは簡単な話で──。


私にとって、様をつけるべきは『皇帝様』と、もういないけれど『ご主人様』だけなのだから。


くいっと袖を引くと、沖田さんは「あ、ちょい待ち」と、その浅葱色の羽織を脱いだ。


「あのねえ、何度も言ってるけど、くれぐれも隊士達にはバレないようにね……」


頭にパサリと降ってきた羽織に、私は眉尻を下げる。


「す、すみません……」


「どこで外套落としてきたか知らないけど……全くもう……」


呆れたような声を聞きながら、私は明らかに大きな羽織に袖を通した。


「……うん、絶望的なまでに、似合ってないね」


そっと私から目を逸らした沖田さん。


酷い話ではあるが、悲しいかな自覚はあった。


多分私は世界一、この浅葱色の羽織が似合わない存在であるだろう──。


面白い、続きが気になる!


と思ったら星5つ、


つまらない……。


と思ったら星1つ、思ったままでもちろん大丈夫です!


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