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3-1

    三



「沖田──そろそろ時間だ」


私は白髪の、情け容赦の欠片もない男に、かれこれもう何時間になるのだろうか。


ずっと休憩すらなく、道徳について叩き込まれていた。


もう頭は煮詰まってグラグラで、何を言われているのかも理解できない。


そんな中、私達が書物を紐解いていた資料庫に訪れたのは、昨日ココへ来た時に少しだけ見た、目の死んだ男──永倉殿だった。


「ん? ああ、もうそんな時間かー」


煮詰まりすぎて頭から嫌な汗を流している私とは違い、沖田殿は涼しい顔そのもので。


──時間んん……?


ぼんやりと見上げた壁掛け時計の針が指す時間は、午後の四時。


「え…もしかして、休憩ですか!」


永倉殿の方を見やる沖田殿の姿に、私の心に希望の風が吹き込む。


「休憩…というか、そもそも何をしているんだこれは……」


永倉殿は、沖田殿を前に文机(ふづくえ)で紙にミミズののたくったような字を書き連ねる私を、若干引き攣った顔で見やる。


「んー、びっくりでしょ。まさかの道徳の講義だよー」


「は?」


沖田殿の声に、疑問符を頭に浮かべている永倉殿は「そんな座学聞いたことないぞ」と低い声で呟く。


「うん。ボクも初めてだねえ」


長い白髪を揺らしながら立ち上がった沖田殿は、


「これが出来たら、一回休憩を挟もうか」

と、私に問題を突きつけてくる。


「道端で尊王攘夷派の浪士に脇腹を斬られた隊士がいました。隊士を斬った浪士は橋の向こうへと逃げていきます。さあ、どうする?」


私は煮詰まった頭を最大限稼働し──、


「道徳…道徳……! ええと、隊士を一思いに介錯(ころ)しま──」


刹那、巻いた書物が頭へと落ちてきた。


ポコンと音を立てて、丸めた書物で私の煮詰まった頭を叩いた沖田殿は、


「はい、もう一回どうぞ」

と、それはもう冷たい猫の笑みでこちらを見てくる。


「え、ええと……じゃあ介錯より先に浪士をまずは殺しに行く、ですか……?」


再びポコンと書物で頭を叩かれた私は、茹で上がった頭で文机に突っ伏した。


「おい、冗談だろう……」


「あ、さすがの永倉くんもびっくりした? ボクはもうね、びっくりしすぎて何も思わなくなってきちゃったよ」


私は目を回しながら、頭痛のする頭を抱える。


「何ですか道徳って……。どっちを先に殺しても間違いじゃないですか……!」


「……何故、隊士を救護する、浪士を生け捕る、という発想がないのだ?」


私のボヤきに、永倉殿が渋い顔でそう呟く。


「時間の無駄ですよ。救うより殺した方が一瞬で楽になるじゃないですかぁ。浪士も、生け捕りは隙をついて逃げられる恐れがありますが、サクッと殺してしまえば、二度と逃げ出すことはないのですよ? 何でそんな小難しい発想ばかりするんですかー」


「どう、永倉くん。この倫理道徳のまるっと抜け落ちたバカの講義、代わってくれたりしない?」


「断固断る」


もう反論する元気もなく机にかじりついていると、沖田殿がふいに「仕方ないなあ」とため息を吐いた。


「これから一、二番隊で担当地域の見廻りに行くんだけど、気晴らしに付いてくる?」


沖田殿からの思わぬ言葉に、


「行きます! 行きたいです!」

と、私は跳ねるように立ち上がる。


永倉殿が「どれだけ座学が嫌いなのだ」とボヤいているが、そんなことは知ったことではない。


私の頭は小難しい道徳とやらで、爆発寸前だった──。





外に出て大きく息を吸い込むと、何やら美味しそうな匂いがあちこちから漂ってくる。


もう日も暮れかかっているので、民家の夕飯の匂いなのだろう。


「んー、いい匂いなのは分かるんだけど……」


何の匂いなのかはさっぱりだった。


「うん? コレは秋刀魚(さんま)を焼いてる匂いだねえ」


「秋刀魚!」


 食べたことのない魚だが、知識だけならある。


秋刀魚の味を脳内でふんわりと想像していると──、


「今日の死番(しばん)、誰だっけ」

 と、ふいに上がった沖田殿の声に、私は「しばん?」と首を傾げた。


「死番は輪番(りんばん)制になっていて、いざ有事の際に、一番危険な先陣を誰が切るか、という問題を解決するために作った案なんだよ。組長は全員先陣を切るんだけど、それだけじゃ数が少ないからね。隊士達も皆公平に、先陣を切る番を回り持ちにしてるんだ」


 死番はどうやら、この組織だけの当番らしく、私に知識として与えられていないのも仕方のないことで。


 だが、死番が何であるかが分かったのならば、やることは一つだった。


「それ、是非私もやってみたいです!」


 嬉々として手を挙げる私に、平隊士達が見事に全員、数歩引く。


「今日の当番からすれば願ってもない話だろうが……何なんだ、死にたいのか、お前は」


 何やら複雑そうな表情の永倉殿に、私は腰に差したルディスを指で撫でながら頷く。


「死にたいというよりはもう死んでますねえ。あ、でも今度の死に方の希望としては皇帝様をお守りしての最期とか素敵じゃないですか……!」


 少しだけ興奮状態の私を、冷めた瞳で見やりながら、永倉殿は沖田殿へとポツリと呟いた。


「沖田…俺はアイツが何を言っているのかさっぱり理解できん」


「うん。理解でき始めたら、是非教えてね。その時には永倉くんにも個別の講義してあげるからさ」


「いや、その時は悪いが殺してくれ……。正気を失ってまで生きる気はない」


 眉間の皺を揉みほぐしながら、永倉殿はため息を吐く。


「安芸。とりあえずもう一つだけ言う。備品のやつで構わんから打刀を持ってこい。見廻りは常に危険と隣合わせなんだぞ──」


「あ、ルディスがあるので大丈夫ですよ!」


私はグラディウスがないココでは、木刀ルディスにかなりの信頼を置いていた。


打刀は確かに凄まじい切れ味なのだろうが、使いこなせる気が微塵もしないのだから仕方ない。


使いこなせない打刀より、半ば鈍器に近かったグラディウスの代わりになる木刀の方が勝手が良いのだ。


「そうか…もう好きにしろ。……では行くぞ、お前達」


 永倉殿は諦めたような表情で、くるりと私に背を向け、歩き始める。


「なんと、皆で行動するのですか?」


 一斉にぞろぞろと歩き始めた隊士隊の後に続きながら、私は目を丸くした。


「うん、そうだよ」


 私は隣をのんびりと歩く沖田殿を見上げながら、疑問をぶつける。


「でも、それでは獲物の奪い合いが……じゃなかった、非効率的ではないので?」


「んー、ウチはずっとこれでやってきたからねぇ。数人の敵を倍以上の数で取り囲む。まあそれが、敵も味方もだけど、不要な死人を減らす一番良い方法なんだよねー」


「へえ……」


 そんなものなのか、と思いつつ、見廻りを続け──しばらく経った時だった。


「あ! 安芸様!」


 ふいに聞こえた女性の声にそちらを向くと、井戸端で(かしま)しく喋っていた女性のうちの一人がこちらへと小走りで走ってくる。


「ああ、梢殿ではないですか」


 私は胸に手を当てながら軽く膝を曲げ、彼女へと礼をし、にこやかに微笑みかけた。


面白い、続きが気になる!


と思ったら星5つ、


つまらない……。


と思ったら星1つ、思ったままでもちろん大丈夫です!


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