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2-7

「どうか、されましたか?」


彼の真意が読めない私は、頭から外したローレルを手に、沖田殿を見やる。


「あれ? 一人芝居の時は可愛かったのに、また可愛くなくなっちゃったよ」


その意地の悪い笑みに、私は彼がかなり長く背後にいたのだと理解した。


「……さっきはゴメン。ボクさ、仲間が危害を加えられそうになったら、結構すぐカッとなっちゃって」


沖田殿は私へとそう謝罪しながら、私の掛けていた庭石に背を持たせかけるようにしてそのまま地へと座り込む。


「いえ。私もあなた方のその……仲間というものでしょうか。その存在に向ける思いのことをよく理解していなかったので……」


 それは愚にもつかない独白会だろう。


「キミのいた国には、キミの仲間はいなかったの?」


「仲間というよりは、互いに敵だった、という方が正しい表現かもしれません。私は剣闘士でしたから。……私が彼らを殺めれば、私が生き延び、彼らが私を殺めれば、彼らが生き延びる」


 実に単純で良い関係だ。


 心の底からそう思う。


「アキリヤ、だっけ……?」


 私は自分の名をそのまま呼んでくれようとする者がいることに、驚きに目を見開いた。


「どうしてその名を……」


 私は彼に、直接名乗ったことはないはずで。


「さっきの仕合いと一人芝居。うっかりキミ、一人で名乗ってたからね」


 彼の言葉に、私は納得する。


 そう言えば、そんなこともあった。


「……アキリヤじゃなくてアキリア。それが私の本当の名前」


「ふんふん。アキ…リア、ね。呼びづらい名前だなぁ……」


 歯に衣着せぬ物言いに、私は小さく苦笑する。


 しばらく互いに空を眺めていたが、ふいに沖田殿がポツリと呟いた。


「ねえ、アキリア。さっきの仕合い。キミ、アレわざと怪我したでしょ」


 私は今まで観客にそれを見抜かれたことがなかったため、驚愕に目を瞠る。


「近藤さんも、土方さんも。組長達も。盛り上がっていなかった奴はみんな、気付いてた」


 確かに一五〇〇年、未来に来ただけのことはあるのか。


 一度の演技で、それだけの人々に見破られていたことに、私はただただ驚くばかりで。


「なんでそんなことしたの? キミは痛いのが……イヤじゃないの?」


 そんな、純粋な沖田殿の疑問に、私は眉根を寄せた。


「私達剣闘士は、訓練で観客に魅せるための演技を学ぶんです。致命傷に至らない怪我は私達にとって、観客を盛り上がらせるだけの技法でしかありません。それに、その技法を学んでおけば、昨日のように、いざという時に身体の一部を犠牲に身を守ることもできます」


 私の言葉に、沖田殿は「で?」と続きを促す。


「え……?」


「え、じゃないよ。ボク、もう一個聞いてるじゃん。痛いのがイヤじゃないのかって」


 私は目を(しばた)かせた。


 ──痛いのが、嫌!?


「難しいことを言いますね。観客を盛り上げるために必要だから、嫌も嫌じゃないも──」


「難しくないでしょ。怪我して気持ち良いワケ?」


「まさか、そんなワケないじゃないですか!」


 そこまでいったらもうただの変な人になるだろう。


 私は全力でそれを否定する。


「じゃあさ、ここでボクらと共にいる間は、それはもうやめよう。キミも楽しくないし、ボクらも楽しくない。……キミがかつてその剣闘士かなんか良く分からない、変な仕事をしていたコトはよく分かった。だけどココは違うんだからさ、ね?」


剣闘士は観客を楽しませるのが仕事。


楽しくない、と面と向かって言われてしまうと──。


「やれやれ、新しい技法編み出さないと……」


いつまでも古い技法にこだわり続けるワケにもいかない。


 私はため息を吐きながら、彼の言葉に従うことにしたのだった──。




「キミ、確かろうま、とやらから来たって言ってたよね」


 沖田殿の言葉に、私は彼方の故郷を思いながら遠い目をする。


「はい。信じてもらえないかもしれませんが……私、実は一五〇〇年前のローマから来たのです。うっかり闘技会で相手の筆頭剣闘士に殺されて……それで、まあ色々あってココの世界に来たのです」


 沖田殿はよほど驚いているのだろう。


私は空を見上げたままだが、向けられた視線だけでも、彼が充分に驚愕しているのが伝わってくる。


「一五〇〇年前に、殺された!?」


「はい。雨上がりのぬかるみで足を滑らせた所をグサッと」


油断、していないつもりだったのですがねぇ、と私はボヤく。


「その剣闘士とやらはココみたいに、辞めることが許されない仕事なの?」


「いえ。一定の任期を全う出来たら……ですが、この木刀ルディスを与えられ、辞めることが許されます」


私は腰に差したルディスを指で撫でた。


「その木刀を持ってるってことは、キミは任期を全うしたんだろ。何で剣闘士に殺されてるのさ」


「剣闘士って、殺戮中毒になる戦闘狂が後を絶たないんです。美しい闘技場。熱に浮かされたような幾万の市民の歓声。止まぬ喝采。一度任期を満了し闘技場を去っても、どうしてもそれが忘れられなくて……つい戻って来ちゃう者が多いんですよ」


 私は自分を見上げてくる澄んだ瞳を見下ろしながら、ただ笑んだ。


真顔で語ることでもないはずだが、さめざめと泣きながら語ることでも、怒ることでもないはずで──となると、笑顔で語るしかなくて。


「私は自他共に認める戦闘狂でしたので、木刀を授かった日ですら、闘技場から出ることはありませんでしたけど……。剣戟(けんげき)の音のない場所はどうにも落ち着かなくて……」


それに、と私は続ける。


「コロッセウムは私にとって約束の地でしたから。次、皇帝様にコロッセウムでお会いする時は、拾って頂けるという、約束の……」


闘技場を去るという選択肢は自分にはなかった。


「話だけでは伝わらないとは思いますが、皆さんにもお見せしたいですね。あの、とても美しい、皇帝様の栄華の都を──」


私の話に静かに耳を傾けていた沖田殿は、

「都も気になるけどさ……その剣闘士とやらは、みんながみんな、殺戮中毒に陥った戦闘狂ばかりだったの?」

と、ポツリと零す。


「さすがに全員ではないですよ。剣闘士という職に耐えられない者も、それはもう大勢いました。私達剣闘士には捕虜や志願者、罪人もいましたが、基本、売られた奴隷でしたから」


 私が胸の前で手を振りながら答えると、沖田殿は苦い顔で「奴隷」と一言呟いた。


「まあ筆頭剣闘士ともなると、そのほとんどが戦闘狂ですけど……。養成所に売られて間無しの、剣闘士になりたくない。その訓練に耐えられない。そんな者は比較的早々に自ら命を断ちました」


そうですねぇ、と、私は過去を少しだけ振り返る。


「剣闘士に自殺は認められていなくて、常に監視の目もありましたので、(かわや)の掃除用の海綿を喉に突っ込み、窒息死した者や、急にねぼけて転んだふりをして、馬車に己の頭を()かせた者。果ては愛し合う男性同士で首を絞め合って、心中した者。色々いましたよ」


 あの手この手で自殺を試みる者達を何十人と見てきたが、よくもまあそんな方法を思い付くものだ、と毎度ながら、その手段の多様さには感心させられた。


「権利のない奴隷を無理やり人殺しに仕立て上げ、自害すら認めない。……ボクに言わせれば、剣闘士は野蛮な文明としか言い様がないね」


沖田殿は少しだけ棘のある声で、吐き捨てるようにそう呟く。


「そうですかねえ、でも、誰しもが売られるワケじゃないんですよ? 奴隷の中で剣闘士になるのは、ご主人様に反抗ばかりする者なので」


──奴隷はかなりの高額で取引されるのだ。


殺すくらいなら、養成所に安く売ってでも、僅かでも元を取りたい。


そんな主人達に売られる奴隷が剣闘士となるのだ。


「反抗、ねえ……。キミもそうだったの?」


沖田殿の言葉に、私は首を横に振った。


「私は違いますね。私は……確かに奴隷ではありましだが、貴族であったご主人様の亡き後、自分で剣闘士になる道を選びましたので」


 遠い記憶を手繰りつつ、かつての主を思い出す。


脳裏に蘇る主の姿は、中年というにはまだ若い、彼が死ぬ直前のもの──。


「また何で自分から剣闘士なんかに……」


「んー、それは……秘密、です」


 私は己の唇の前に人差し指を当てながらそう返し、それ以上追及されないように、庭石から腰を上げる。


「お教えできなくてすみません、でも、一つだけ確かに言えることは、剣闘士になること、それは間違いなく自分の意志だということです──」


と、ふいに、遠くの道場から、打ち合いの掛け声が聞こえてきた。


「あ。私、あの訓練に参加してきても良いでしょうか?」


楽しそうだなと思いながら、私は沖田殿へとそう尋ねてみる。


「うん。ダメ、かな。近藤さんからコレを預かってしまってね」


沖田殿が懐から取り出し、すっと手渡してきた紙にずらりと書かれていたのは──、

「撃剣、柔術、文学、砲術、馬術、槍術──何より道徳」


それは、私の訓練の内容なのだろう。


「それの欠けている部分からやるように、って言われててね。教育係はしばらくはボクが務めるから。……で、キミはそこに書かれているものの、どれが足りてないと思う?」


ニンマリと笑む沖田殿と紙を交互に見返しながら、私は一人、鼻の頭に大皺を寄せながら、低く唸った。


「そうですね……とりあえず、この、私に道徳がないと書かれているような紙は破り捨ててしまって構いませんでしょうか──」


私にだって、道徳くらいはあるのだ──。


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