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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕の死んだ夏

作者: ひじき

比翼の鳥。

お互いに片方の翼しか持たず、もう一方がいなければ大空へ羽ばたくことすらできない伝説上の鳥。

だがその双方が揃い、息を合わせて羽ばたいた時。確かに歴史は動いたのだという。その姿を、人々は比翼連理と言うのだった。


「昨今では仲睦まじい夫婦を指すこの言葉でも、その成り立ちや元の意味は違ったりするものだ。例えば、二人が揃うことで初めて才能を開花させたバドミントンダブルスのーー」


そう熱く語る国語教師の薬指には、虚しくも指輪の跡が白くうっすらと残っている。

噂では、仕事が忙しすぎてあまり家族との時間が取れず、挙げ句どこぞのホスト相手に浮気をされて、多額の借金を置いて逃げられたらしい。

なんとも可哀想だ。

嘘にしたって何にしたって、噂っていうのは基本悪い方に転がされていくものだ。なのに今回のは、本人にあまり否がないような内容で出回るんだから、きっとこの国語教師は愛されているのだろう。人も良いんだと思う。だからこそ、可哀想だ。

ま、僕には関係ないけどね。

「聞いた?かわいそうだよね。」

「仕事熱心すぎるんだよ。私が奥さんでもこうするかも。構ってもらえなそうだもん。」

「たしかに。」

噂をおかずにこそこそと笑いを交わす女子たちを他所に、僕は窓の外を流し見る。

遠目には、学校のある盆地を囲むようにしてそびえる山々。

眼下には、暑苦しい体育教師の怒声と、ヘナヘナトロトロと走る陸上部員の姿。なんともつまらない、いつもどおりの景色だ。


「こら、聞いておるのか芦戸。」


こうやって外を見ていると、ちゃんと聞けと怒られる。これも、もう飽きるぐらい繰り返した。


いっそ比翼の鳥でも現れればいいのに。

僕はそうやって変わり映えのしない現実に嫌味を吐きながら、汗が滲んで肌にくっつくワイシャツを引き剥がす。何度剥がしてもくっついてくるベタベタした生地は、この夏もどうせなにもないぞと僕を笑ってるみたいで、やけに腹立たしかった。


「それじゃあ、今日は終わりだ。課題忘れんなよ〜。」


50分の拘束時間が終わった解放感からか、皆は一目散に教室の後ろにあるドアから教室を出ていく。

その誰もが、「スタバ寄ってく?スタバ!」だったり「やっぱプールっしょ。時間?まだ昼前だべ」だったり。希望が溢れた、なんともいい表情だ。


「それがその場しのぎの希望だとしてもね。」


僕は知っている。ここを出た先にある、自由という名を冠した地獄を。そこではそんな紛い物の希望なんて抱えられなくなるほど疲弊すること。叩きのめされること。

だから、それから目を逸らすような希望は必要ない。あったとしても、僕にはもう見えてしまっているから。いつかは直視しなくてはならない現実が。


「早く行かないと。」


僕は買い物のメモがしっかりとぽっけに入っていることを再確認してから、その教室を出る。

もちろん、下駄箱に近い後ろの方のドアを使って。


「結局遅くなっちゃったな。」


スーパーっていうのはなんでこう、人が殺到するようなゲリラ的な値下げをやるんだろうか。おかげ様で、夏だというのに空はもう薄暗い。

そしてようやくたどり着いた我が家も、その光量は空と同じで。


「ただいま。」

訂正。決して同じではなかった。鍵を回して入ったそこは、明かりの一つも無い洞窟のような暗闇だった。カーテンはすべて閉められ、隙間には黒いガムテープが貼られている。これは外が薄暗くなければ、すぐそこにある照明のスイッチすらすぐには見つけられなかっただろう。

ところで、こんなに暗い洞窟のような家だ。ひとり暮らしなんだと思うだろう。

もしくは、まだ誰も帰ってきてないんだと思うだろう。

この闇の中に誰かがいるだなんて誰も思わないだろう。

「電気、付けるよ」

僕は暗闇に一言断りを入れてから、なるべく優しく、音を立てないように、パチッとスイッチを入れる。

ヒッと、奥の方で小さな悲鳴が上がる。

僕はその声の主をなるべく刺激をしないように荷物を玄関先においてから、ゆっくりと歩いて声のした方へと進む。

そこは、キッチンの奥。他のところからは覗かなければ見えなくなっている、この家唯一の死角。その片隅のさらに隅っこに、彼はいた。頭を抱えて縮こまって、なにかにおびえるような彼は、生まれたての子鹿のように震えていて。

「ただいま兄さん。」

僕はその彼に向かって優しく声をかける。

でも彼は、その声にすらおびえる。

「だれだ…だれだ!」

錯乱したように叫ぶ彼は、顔を膝の間に埋めたまま手を振って威嚇してくる。

その手にはだが一切の力が無く、僕は片手で受け止めつつ膝をつく。

「兄さん、大丈夫。僕だよ。つばさ。」

「つば…さ。」

こうしてやっと、兄さんは膝の間から顔を引き抜いて僕を見る。

何時間も暗闇の中でなにも写さなかったであろうぼやけた目で、視線を同じ高さにして微笑む僕を見て、兄さんは曖昧に笑って。

「おかえり、つばさ。」

平静を装って絞り出される声は、老人のそれとよく似ていた。


「ごめんな、ごめんな。」

僕が夕ご飯を作っている間、兄さんはリビングにある椅子に座ったまま譫言のように繰り返す。それはまるで、壊れたラジオみたいに。

「大丈夫だよ兄さん。」

僕は実のところ、兄さんがなにを謝っているのか、誰に謝っているのかさえも知らない。

分かっているのは、僕が視界に入っていれば言わなくて、そうじゃなければずっと繰り返しているということくらい。

でもなんとかして落ち着いて欲しいから、いつもこうして声をかける。

「大丈夫だよ兄さん」

たとえ届いていないとしても。

「大丈夫だよ兄さん。」

たとえ、謝ってる相手が僕じゃなくても。

「大丈夫だよ、兄さん。」

……

「大丈夫だよね、兄さんは。」


「これ、美味しいな。また腕を上げたんじゃないかつばさ。」

「うん、ありがとう。」

こうやって向かい合って食卓を囲むとき、兄さんは安定することが多い。こうやって普通に会話が成立することも、食事の間なら珍しい話じゃあない。

でも、そんな時間も長くは続かない。

「そういえば、兄ちゃん昇進が決まってな。」

事の始まりはいつも同じ。昇進が決まったという話から、徐々に。

「上司が、お前は…あ、あれ。言葉が」

最初は、どうにかしようと頑張ってみたりもした。でも、どうしようもなかった。

「俺はさ、生き…息…?うっ……」

毎回のこの流れを、僕は止められない。ただ黙って聞いてることだけが、僕のできることだった。

「ごめ、んな。ちょっと…にい、といれに…いいや、ちが。お前の、が。ない、からな。」

そう言って席を立つ兄さんは、その日はもう食卓に戻ってくることはない。僕の前に姿を現すことも、もちろん会話らしき会話を交わすことも無い。

後に残されるのは、食べかけのレトルトカレーと、何にもできない僕だけ。

なんとも、惨めなものだ。


夏休みということには関係なく、僕の朝は早い。

僕は起床をしたらまず顔を洗って、それからご飯を作る。3人分の朝ごはん。作り終えたら、そのうちの1皿を腹の中に押し込んで皿を洗う。

残りの2皿はサランラップを掛けて冷蔵庫へ。

そしてそれが終われば、俺はやっと自分の本分へと戻ってくる。

慣れた手付きで少し黄ばんだワイシャツを着て、いつの間にかクタクタになってしまったベルトをキュッと締める。3つ目ではブカブカなので、刺す穴は5つ目。

カバンには定期と財布と、それと一応の教科書たちを詰め込んで、僕はまるで長い旅にでも出かけるように大股で家を出る。

兄さんは寝ているだろうから、いってきますは言わない。他の音で起こすのも忍びないから、扉の開閉から鍵をかけるまで、一連の動作には最新の注意を払う。傍から見ればそれは、さながら忍みたいに見えるだろう。


僕の通う高校は電車で30分、そこから徒歩で5分くらい。僕の家からなら乗り換えもない、比較的通いやすい所にある。と言っても、この学校の良いところと言えばそのくらいで、夏はしっかり暑いし冬は凍えるほど寒い。その上、山が邪魔をして風も変則的な強風しか吹かないし、それが吹く日には平気で購買が閉まる。田舎らしいと言えばらしいのだろうけど、別に田舎だからどうというわけでもない。

ところで、そろそろ気になっている頃だろう事の説明をしておこう。先に言っておくと、ここまでの情報に嘘はない。齟齬はあるかもしれないけど、故意の嘘はどこにもない。

僕が今どこに向かっているのかと言われれば学校だし、昨日どこに居たかと聞かれればそれもまた学校で間違いない。そして、今が夏休みであるということもまた、間違いのない事実だ。

これがどういう意味で、どうしてなのかなんて野暮なことを聞くのはやめてくれよ?僕にだって恥辱感はあるんだ。


そうこう説明しているうちに、僕は校門へとたどり着く。数部活が活動しているだけのはずなのに、何故かいつも全開にされている正門の無防備さに去年は驚かされたっけな。でも二年目ともなればそれに何を思うことも、いや、防犯大丈夫なのかなとは思う。でも、それだけ。

僕はその門を通って、これまた全開にされている下駄箱に足を向ける。

上履きは基本、長期休みの際には持ち帰らなければいけないのだが、僕のような生徒は特別に置いておくことが許可されてる。だってそうでもしないと、誰も来ようとしないから。

だから不名誉かもしれないけど、これはたしかに僕たちの特権だった。誇らしいとまでは言わなくとも、少しの優越感に浸れる数少ないそれに、僕は微笑しながら履き替える。

夏休み中の校舎内は、意外とさほど暑くない。

確かに屋根と厚めの窓の格子で太陽光はいくらかカットしているが、それよりも人がいないというのがデカいらしい。

確かに考え方を変えてみれば、自分以外の人間なんて35~7度の熱源でしかないからなあなんて涼しい理由の考察を広げながら、日の当たる階段を上る。指定教室は、3階だ。


「こっから出るのは、a.bを通るように引いたときの接点tだーー」

「この時の分離した血液はーー」

「日本史学的にはこれは防ー」

「ここの関係詞はー」

僕は黒板を見ない。僕は話をあまり真面目には聞かない。僕は、そもそも勉強が嫌いだ。

なぜそこにいるのかと、聞かれることがある。

僕は仕方がないからだと答える他無いのに、こぞって聞いてくるのは同じようなことなんだから困ってしまう。

僕が思うに、学生時代というのは、これからを耐えるために必要な休憩を取っておくためのものなんだ。だからこそ学生の本分は勉学でも青春でもなく、サボりと惰眠にこそあると思う。

誰に話しても、わかってはもらえない。勿論、同調してくる奴はいる。でもそれは、そう捉えてしまえば楽だからだ。今を楽するために、奴らは僕に汲みしたりした。吐き気がする。

僕が好きなのはこの学生という縛られているようで守られている身分であって、そうやって常に楽を探して生きるようなゴミのことも、退屈でうるさい授業のことも、少しも好きではない。できるものなら、この学校には俺だけ。

守られるのも縛られるのも、俺だけ。

情報は端末を使って垂れ流され、課題もテストもなにもかも誰とも接触しない。

そんなSFを妄想したりして。


家に帰れば、昨日と同じことの繰り返し。

今日は別段暗くはなかったけど、僕は一言断ってから電気をつける。そうしないと兄さんは僕に気づこうとすらしないから。突然傍に現れた僕に驚いてしまえば、また何をするか分からないから。

そして昨日と同じように優しく声をかけ、拒絶する腕をつかんで膝をつく。

「大丈夫、大丈夫」

と言いながら。

「これ美味しいな。また腕を上げたんじゃないかつばさ。」

「うん、ありがとう。」

兄さんはまたレトルトカレーに手を付けながら僕に言う。そして僕も、なにもないように応える。そんな日が、続く。


「そういえば、兄ちゃん昇進が決まってな。」

何度も何日も、欠かすことなく

「上司が、お前は…あ、あれ、言葉が」

毎日毎日、寸分違わず同じセリフを

「俺はさ、生き…息…?うっ……」

何度も何度も、毎日毎日。

「ごめ、んな。ちょっと…にい、といれに…いいや、ちが。お前の、が。ない、からな。」

何度も何回も、毎日毎秒、違わず言葉を。

ーーあ。

僕の中で、なにかが切れて、奈落の底へと落ちていった。


それは、太陽がジリジリと容赦なく照らす暑い日だった。体温としては耐えられないような温度まで上がったこの街は、それに対抗するように昼前から水、水、水。

打ち水にプール、噴水にシャワー。

どこを見ても何を聞いても、水の気配、水の音。別に嫌いではないけど、街中がそんな感じだと、流石に気が滅入る。そしてそれに混じって聞こえてくるのは、浮かれた声と、カランコロンという下駄の音。それでもって僕はようやく、今日が地元の花火大会の日だということを知る。毎年やっているそれは全国にしてみても規模が大きいそうで、東京のテレビがわざわざ取材に来たりなんかもする。

なんか、鬱陶しいな。僕はただのワイシャツとくたびれた顔だというのに、みんな、晴れ着と笑顔だ。それが、形容化できないような感情を揺さぶって。

僕はその感情に名前をつけるよりも先に、目の前にあった石を強く蹴り飛ばした。その石が川に落ちる姿を真顔で眺めてたら、その感情が少し和らいでいたことに気づいてほくそ笑んで。


「それじゃ、今日は色々あるから早めに切り上げるぞ。みんな楽しんで来いよ。」

そうやっていつもより早く解放された僕は、寄る辺のないカラスだった。

もちろん、あの中に自分から飛び込むなんてことはしたくない。花火大会の会場には、絶対に行かない。欺瞞とペルソナに塗れた人たちの中なんて、絶対に嫌だ。

でも、花火そのものには少し気があって。

それはいつだかの記憶。誰と見たのかも分からないその記憶の中で、僕は確かに笑っていた。

別に、笑いたかったわけではないけど。僕がそうやって今の状態から変われるとするなら、それが一番な気がしたから。


「案外もろいな。」

僕は屋上へと繋がる道を塞いでいたドアを蹴り開ける。運動部でもなんでもない僕の蹴りでも開いちゃうんだから、セキュリティはガバガバだ。まあ、こんなことしようとする奴なんて普通は居ないだろうから、妥当か。

僕はそうやって不用心に納得をしながら、屋上を見渡す。部屋にして10畳くらいのここには、なにもない。よくアニメとかにあるらしい貯水タンクとか、なんなら柵もない。

「ほんとに誰も使わない、ただの屋上だったんだな、お前。」

そうやって僕は、足元を埋めるコンクリに向けてつぶやく。こういう場所っていうのは、なにかしらで使われてたりするものだと思ってたから。

僕は未だ高い日に照らされながら、それを拒むでもなく横になる。大の字に転がった僕を見下ろす空は、とてつもなく大きくて。

「なんか、嫌味な空だよな。」

返答なんてあるはずもないけど、僕は彼に話しかけた。そうやって口を開いていなければ、目の前に広がる広大な青に飲み込まれそうな気がして。


「っつう……」

体の節々が痛いことに気がついて、僕は身を起こす。どうやら、寝てしまっていたらしい。この僕以外誰もいない空間で、気が緩んだのだろう。何もかもを忘れて眠ったのは本当に久しぶりだった。

空は既に青からオレンジへと着替えを済ませていて、あんなに照っていた太陽も彼方に沈みかけている。ざっと5時間くらいだろうか。そんな長時間寝たのも、いつぶりか分からないくらいで。その睡眠への感動に比べれば、体の痛みなんてどうでもよかった。

「僕は今、守られながら自由を楽しんでる!」

気づいた時には、声に出していた。

扉を蹴ってここに入った瞬間から、僕は自由だったこと。でもここに入ったとしても、後からバレて退学になる可能性はあれど、今このときに守られなくなるわけじゃない。なんて素晴らしいんだろう。僕は歓喜に咽ぶハツをワイシャツの上から叩きながら噛みしめた。何度でも、何度でも。

そうしていたから、僕は背後にゆらりと現れた気配に気づかない。

「なに、してるの?」

突然の声に驚きつつ反射的に振り向くと、そこには見たことのある顔をした女が立っていた。

「いや、別に。」

その顔に、僕は一つだって情報を与えるつもりがなかった。だからこうして、短く、分かりにくく返す。でも。

「扉を壊したことはあとからでも隠蔽できる。ここで大の字で寝てたとしても、汗の跡は乾くから明日の朝には元通り。」

でも?とその顔は僕にわざとらしく話を振る。喋ったことはないはずなんだけど、初対面にしてはやけに馴れ馴れしいなと思いながらも、僕は答える。振られた話に応えないでいられるような状況ではないと、眼前の彼女に思い知らされたから。

「ちゃんと答えないと、君がチクるのか」

「大正解!」

やっぱり君は凄いねと言いながら拍手をする彼女に、だが僕はまだ彼女と記憶との照合ができずにいた。確実に2度以上は会っているような態度なんだけどな。とはいえ、脅してきている相手を深彫する必要は無いのかもしれない。少なくとも今は、しっかりと応えてチクられないようにしておけばいい。

「君はわざと補習を受けに来ていた。本当は、そこまで馬鹿じゃない。」

最初からかなり際どい質問が飛んできて、僕は一瞬怯むけど、それでも退学よりはと思って答える。

「いえす。」

「それは、なんで?」

なんで、か。

「学校が好きだから。」

「いや、違うね。君は学校、ひいては授業が嫌いだ。」

「なんで知ってる。」

僕は、彼女の僕に対する知識が怖くなって問う。

「で、どうして?」

だが彼女はそんな僕の問いに構うことなく、質問を続ける。こうされてしまうと、仕方がない。この状況では、僕にはどうしようもできない。

「……守ってもらえてる環境が好きなんだ。学生ってのを体現してれば、少なくとも社会人として扱われることはない。それだけだ。」

「ふうん。ま、今はそれでいっか。」

誰にも理解されなかったそれを、彼女はまあいっかと言って半ば受け流した。馬鹿にするでも否定するでもなく、かといって肯定するでもなく。「いっか」と、許容して。それは、今までにない対応だった。僕は少し取り乱して、彼女から視線を外して空を仰ぎ見る。目に映る空は、もう黒のドレスに着替え始めていた。

「よし。」

彼女は確認完了というように1言挟んで、それから僕の方に歩いてくる。僕はそれに身構えるけど、彼女は僕を通り越して。縁石みたいなところに腰を下ろした。柵の代わりにしては低すぎるそこに腰掛けた彼女は、隣をポンポンと手で叩く。これがこっちに来て座れと、そういう動作だということは誰でもわかるだろう。

僕はそこに関してはなんの疑念も持たず、隣まで歩いていって同じく腰を下ろす。

数分か、それとも十分くらいか。彼女は何も言わず、ただずっと先の方を見ている。そっちには、山しかないはずなのに。

「面白い?山。」

僕は、そう彼女に質問していた。ここに住む人なら、面白いわけがない山々。でもそれをずっと眺めるものだから、もしかしたら好きなのかもしれないと思って。

「君は、この山々についてどう思う?」

だが返ってきたのは、またしても質問だった。

どう思う?と、目線はずっと山の方を見たままで問われる。

「鳥かごみたいだ、と思ったかな。」

僕は何を隠すこともせず、ありのままで答える。

「そう。」

彼女はまたしても、そっけない返事で返す。

その横顔は、聞きたいものが聞けなかったみたいで。

「あのさ」

僕の言葉は、ドォンという体中に響くような爆音にかき消された。

花火が、始まった。

いつの間にか黒に着替え終えていた空が、七色の火薬で彩られる。その光景は、荒んでしまった僕の心にも沁みるほどにきれいで。

「お兄さんのことさ」

間隙を縫うようにして、かのじょから発せられた言葉。その内容は、きっと聞いて置かなければいけないものだった。でも、僕はすっかり花火に魅せられていて。

「私がーー」

「え?」

突然のことだった。視界ががくんと下がって、踏ん張りどころがなくなる。

まるで宇宙空間にいるかのように、強い浮遊感に襲われる。

でも、ここは地球だ。地球には、重力がある。

僕は落ちていく。落とされたのだ。

もう助かりはしないと直感では分かりながらも、僕は醜く足掻く。彼女の方を、なんでこんなことをと見て。


最後に目に写った彼女は、泣いていた。

ご一読いただきありがとうございます。感想やブックマーク等をしていただけると活力になりますので、よろしければぜひおねがいします。短編と言いつつも、この話には続編があります。謎を紐解く、彼を生かす物語。お楽しみに。

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