リビア内戦 -ジャスミン革命後-
ジャスミン革命からくる民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなどほかのアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。こうした一連の動きはアラブの春と呼ばれる。
チュニジアで2010年暮れより発生した一連の反政府運動、ジャスミン革命に対してカダフィ政権は一貫して批判的な立場を取り続けてきた。
しかし、国民はインターネット上で反政府デモを呼びかける動きが始まり、書き込み者を逮捕するなど封じ込めに躍起となった。
そのインターネット上のGoogleやFacebookなどのネットメディアがアメリカ政府の戦略に加担し、アラブの春を裏側で支援していたという憶測もある。その運動も秘密裏にCIAやDIAも噛んでいたことは、
想像に難しくない。
2011年2月15日
拘留されている人権活動家の弁護士の釈放を要求する集団デモがリビア東部のベンガジにて発生した。これによりデモ隊と警官隊や政府支持勢力と衝突。警官を含む38人が負傷した。同時に、政府を支持する行進もリビア全土で行われる。ベンガジはカダフィ大佐が倒したリビア王国の中心地であり、前国王イドリース1世の出身地であって、カダフィへの支持が比較的弱い都市であった。
後にリビア政府は沈静化のため16日にはデモ隊の釈放要求に応じ、拘留されていたリビア・イスラム戦闘集団(LIFG) のメンバー110人を釈放。
釈放するも16日以降もデモは継続。反政府デモが数日前より呼びかけられてきた17日には「怒りの日」として複数の都市においてデモが発生。16日と17日の反政府デモでは治安部隊の弾圧により24人以上が死亡。このような抗議運動に対抗手段として、17日には数千人の政府支持派が首都トリポリなどで集会を開いた。又、早期収束化を図る為に、治安部隊に軍やリビア政府直属の民兵だけでなく外国人の傭兵も投入する自体が起きている。
18日、ベンガジに軍が配備された[18]。この日にベンガジを始め5つの都市で数千人規模のデモが発生し、治安部隊はこれを実弾で制圧し、35人が死亡、合計死亡者数は84人に達した[20]。
ベンガジの東にある都市であり、旧王家(サヌーシー教団)の本拠地であったベイダが反政府派によって制圧され、政府支持派の民兵2人が処刑された[21]。
19日、ベンガジで再びデモが発生し、受刑者が刑務所から多数逃亡し警察署に放火。また犠牲者の葬儀に集まった反政府デモ隊に対して治安部隊が発砲し死傷者が出た。デモ参加者は数万人規模となった。