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スミレサイド~薔薇の人の正体~

「1週間後、大魔王と公爵令嬢が勝負をするらしいのです」 

 突然のことだった。

 いつもの夕方の、いつもの少しだけの薔薇の人の訪問。いつものように私が今日の出来事を報告したら、薔薇の人が、いつもと違うことを言い出した。


「大魔王ーーーですって?」

 

 私が言葉にすると、薔薇の人は大きく頷いた。

「ご存知ですか?」

 聞かれて、私は首を捻る。


 日に日に記憶が薄れていく気はしていたが、大魔王という言葉は()()()()()()()()()


 私は首を振って、知らないことを伝えた。


 聖女が5歳の時にこの世界にやってきて、ゲームの記憶を忘れないように繰り返し繰り返し、それぞれの恋愛攻略者のことは考えてきた。そのストーリーの記憶も怪しくなり出してはいるが、大魔王なんて、物語に出てきただろうか。


 公爵令嬢と大魔王が戦う?

 そんなシーンの記憶も一切ない。


 公爵令嬢といえば、あのリーネという女のことだろう。このリンドウ国に公爵家は1つだけ。その公爵家の娘も1人だけだった。

 私から、全てを奪った憎らしい女。

 私はその気持ちが顔に出てしまっていたのだろう。私の顔をみた薔薇の人が、困ったように笑った。

「ーーー随分と公爵令嬢を嫌っているんですね」

 そりゃそうよ、と私は声を大にして言いたかった。でも、薔薇の人は優しい。きっと、人を嫌いになる女なんて好きじゃないだろう。


 私は少しだけぶりっ子をするつもりで、首を傾けた。

「嫌いというわけでもないんですけど。リーネ様は、前々から評判が悪いでしょう?私からしたら、怖いっていうか。あまり近寄りたくないっていうか」

 薔薇の人はその言葉を聞いて、口の端を上げた。

「ーーー確かに彼女の評判は悪いですね。でも、今は昔の噂と違うようですよ。彼女は今は明るくて元気が良い。スミレも一度、しっかり話してみたらどうです?意外と気が合うかもしれませんよ」


 薔薇の人が、公爵令嬢をよく知っているような、親しげな様子でそんなことを言うから、私は急に不安が押し寄せた。

 アラン皇子もロジーも、公爵令嬢に惹かれていた。

 まさか、あの女は薔薇の人にまでも手を出してきたのだろうか。

 あの悪魔。

「ーーー薔薇の人まで、あの人は私から奪うの?なんであんな子が。……ただの悪役令嬢のくせに」

 言って、私は顔を覆う。

 薔薇の人は私の顔を覗き込むようにして謝罪してくれる。

「……申し訳ありません、スミレ。そういうつもりではなかったのです。私は今まで公爵令嬢をそういう目で見たことは一度もありませんし、この先も絶対にあり得ません」

 はっきりと断言する薔薇の人に、少し驚く。

 ーーーそこまで言うなんて。


「貴女が嫌がるなら、もう貴女に公爵令嬢の話も致しません。それでよろしいでしょうか?」

 私はおずおずと薔薇の人に顔を見せる。

「……薔薇の人が、そういうなら……」

 にこりと薔薇の人は優しく微笑んだ。

「ありがとうございます」

 

 いつもこうだ。薔薇の人は、淡々と私のどんな言葉も受け止めて、それを解決してくれる。

 薔薇の人が感情的になるところは見たことがなかった。


「ーーーそれで、話を戻してもいいですか」

 薔薇の人はそう言って、話を続ける。

「大魔王がくるのは、もっと後の予定でした。この時期になるとは、私も計算しておらず……」

 予定って?

 なぜ薔薇の人が、大魔王がくるという予定を知っているのだろう。


「それに、教会は安全と思って貴女をここに連れてきましたが、教皇はもういなくなり、シスターも怪しい。こうなると、貴女がここにいる理由もなくなりました」

「あの人、いつの間にいなくなったけど、どうかしたんですか?」

 ここのところ全然見なくなったなと思ったら、いなくなっていたなんて。

 私が教皇のいなくなった理由を尋ねると、薔薇の人は穏やかに、しかしはっきりとした口調で言い切った。

「スミレ。それは、貴女の知らなくていいことです」

 スパンお鋭い剣で斬られたような感覚になり、私はそれ以上は聞くことができなくなる。


 聞いてはいけないことなのだろう。

 教皇が特に私に何かをしてきたわけではないけれど、私は彼を好ましくは思わなかった。

 あの人は行動も怪しかった。

 結局何をしていたのかわからないままだったけれど、いなくなったのなら良かったと思う。

 薔薇の人が知らなくていいというのであれば、私は別にそれで構わない。

 

 私が了解するのを確認して、薔薇の人は話を続ける。

「学園に戻るのは約一年後のつもりでしたが、むしろ、こうなると学園に戻った方が安全かもしれません。あそこは強力な結界が張られている。少なくとも大魔王の被害からは免れる可能性が高い」

「学園に帰る?」


 タートイズ高等学園。

 将来のために帰らなければとは思うけれど、帰りたいとはまだ思えない場所。

 あそこの人達は誰も私を愛してくれない。

 嫌な公爵令嬢もいる。

 学園に帰るのはあと1年後と聞いていたから、そのつもりだったのに。

「……あんまり帰りたくない……と言ったら?」

 私は薔薇の人の様子をみながら、軽いジャブのつもりで聞いてみた。

 私が学園に帰りたくない、という意思は伝わっているはず。

 この教会の生活にもだいぶ慣れてきた。

 聖女として祈りを捧げる必要性も理解できてきた。

 少しだけ、やりがいも感じるようになってきていたのに。


 そんな私の言葉に、薔薇の人は少し考えて、私をじっと見つめてきた。こんなに見られることは滅多になくて、私は思わず照れてしまう。

「………っ」

 私はピンクの髪が揺れるほど身をよじるが、薔薇の人は、全くそんなことに気も止めず、私に視線を向けたままで薄めの唇を動かした。

 

「ーーー私と、この国を出ますか?」

 

 急に言われて、え、と私は顔をあげる。

「国……ですか?」

 薔薇の人は深く頷く。

「大魔王は、多分、この国を破壊し尽くすでしょう。そうなると国全体が混乱に陥るので逃げることが難しくなる。それより先に、逃げてしまいますか?他の国に行くということは苦労もあるでしょうが、この国にいるよりは安全でしょう」

 私は確認のために、もう一度聞く。

「薔薇の人も一緒にーーーですか?」

 にこりと薔薇の人は微笑む。

「もちろんです。見知らぬ土地に、貴女を1人になどしない」

 形の良い唇がそう私に告げて、私の渇いた心がジワジワと満たされる。

 私と一緒に他国へ。

 薔薇の人は、きっとそれなりの地位がある人だと思う。それなのに、私のために全てを捨てて?

 私のためだけに。


 嬉しかった。

 私と気持ちが繋がった気がした。

 私が朝から晩まで薔薇の人のことばかり考えているように。この人も私を考えてくれているのかもしれない。

 私のために全てを捨てられるくらいなら。

 きっと、そうなのだろう。

 そして、聞いてみようか、と思った。

 ずっと聞けなかったことを。

 今ならーーー。


 いざ言おうとすると、頬が紅潮し、喉が震える。

 私は自分の喉を押さえながら、薔薇の人に尋ねた。

「ーーーそれは、あなたが私のことを好きだとーーーそう言うことですか?」


 私が言いきると、薔薇の人の身体がしばらく固まった。 

 薔薇の人の視線も、私の顔を見たままで動かない。

 先ほど潤ったはずの私の心が、また渇き始めて焦り出す。

 私のために国を捨てるというのに、私への気持ちがないということなんて、あるのだろうか。


「……わ、私は、あなたが好きです。だからーーー」

 だから、あなたも私のことを。


 しかし私の告白を聞いて、薔薇の人は更に困惑した様子を見せた。

 額を押さえ、何かを真剣に考えている。

 私への言い訳だろうか。

 心臓が、早鐘のように打ち続ける。

 耳まで聞こえる鼓動に、薔薇の人の声まで聞こえなくなりそうだった。


「ーーー申し訳ありません」 

 薔薇の人は、考えた末、そう言って目を伏せた。


 ドクン。


 一瞬、心臓が止まった気がした。

 

「貴女のことを想う気持ちは十分にあります。貴女の気持ちもとても嬉しい。ですが、理由があって、その気持ちを私は受け取ることができないのです」

 

 どういうこと。

 私を想う気持ちがあって、それなのに受け取れない?

 そんなのただの言い訳じゃないの。

「っじゃあなぜっ!!!」

 声は金切り声のように辺りに響く。


 なぜ、私を期待させるようなことを言うの。

 ボロボロと、私の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


 ようやく薔薇の人は、私の様子に僅かに狼狽える。

「気持ちに添えることはできませんが、でもーーー」

 薔薇の人は、私の手を両手で強く握った。


「私の人生は貴女のためのものです。貴女を守るためだけに、私は生きている」


 その言葉に重みがあった。

 きっとこれは本当の言葉だ。

 1日に会える時間は短いとはいえ、もう長い期間、私は欠かすことなく毎日、薔薇の人と話をしている。

 薔薇の人が言う言葉が、真実か嘘か、なんとなくわかるようになってきていた。薔薇の人から出る言葉に嘘は少ないが、私を守るための優しい嘘はたまにつく。

 それでも、この言葉に嘘は感じられなかった。

 

 薔薇の人は目元を覆う仮面をつけている。

 そこから見える瞳が、真摯に私を見ていた。まっすぐ。私の身体を突き通すように強く。

 私を。

 

 ………いや、私の奥の『誰か』を。


 私はその瞳を見ただけで、それ以上の言葉を失った。

 嫌でも、気付かされる。


 そんなに。

 そんなに好きなの。

 ーーーその人のこと。


 私の口元に近い頬が小さく痙攣した。

 ガクガクと顎が震える。


 薔薇の人が何者なのか、私は知らない。

 私は全く、薔薇の人のことを知らない。

 でも薔薇の人のことは、ずっと見てきたからわかる。

 薔薇の人には好きな人が間違いなくいる。

 それは多分、私の身体の本来の持ち主。 


 ーーーー聖女。


「どうしたら………」

 私の口が自然と動いた。

「どうしたら、薔薇の人はその人に会えるの?」

「ーーー、スミレ、何を」

 薔薇の人は私の手を両手で握ったまま、戸惑っている。

 私は声を落として、呟くように言った。

「私の中に、聖女がいるんでしょう?どうやったら、薔薇の人は聖女に会うことができるの」

 言いながら、身体が張り裂けるかと思うほど軋んだ。

 こんなこと、言いたくない。

 言いたくないのに、こんな哀しそうな薔薇の瞳を見ると、何かしてやりたくなった。

 薔薇の人が、知らないはずだった私を必死に守ろうとしてくれるのも、毎日会いに来て、私が淋しくないように声をかけにきてくれていたのも、全部、その人のためなんでしょう?

 私はぐっと歯を噛み締めた。

「ーーー私が死ねばいいの?私が死んだら、その人は私の中から出てきて」


「死ぬなんて言わないでくれ!!!」


 悲痛な声だった。

 薔薇の人が、初めて私に声をあげた。

 薔薇の人の頬を、一筋の涙がつたう。


「もう、貴女の死ぬ姿は、二度と見たくないんだ。お願いだから死ぬなんて、絶対に言わないでくれ」

 

 薔薇の人の声は震えていた。

 力が抜けるように、薔薇の人は私の前に跪く。私の手を握り続け、祈るように私を見上げた。


「ーーースミレ。この国は滅ぶだろう。だが貴女を死なせるわけにはいかない。それだけは貴女にもわかって欲しい。ーーーどうかーーー」


 薔薇の人は、必死だった。

 必死で『誰か』を守ろうとしている。


 私は胸が締め付けられ、苦しくなった。眉を寄せ、薔薇の人の手を強く振りほどく。

「ーーーそれは『私』のためじゃないでしょう?」

 激しく振りほどいた時、薔薇の人がいつもその正体を完全に隠すために頭全体を覆っているシルクハットから、一筋の髪がこぼれ落ちた。


 ーーーーそれは金色の髪。


 金色。王族の証。

「ーーーー?」

 私は目を見開く。

 そして私は薔薇の人の目元を隠す仮面に手をかけた。

 今まで、どんなに素顔を見たいと思っても、薔薇の人は理由があって素性を隠さなければならないのだろうと思うと、行動に移せなかった。だがもう、金色の髪を見てしまうと、そんなこと気にする余裕もない。


 私はその仮面を薔薇の人の顔から取り外す。取り外してすぐに私は、自分のその目を疑った。


「………貴方は」


 仮面の下から現れた顔に驚いて、私は思わず後退りしてしまい、足がもつれて床に尻餅をついた。


「ーーーーそんな………」


 私の思考の全てが、その時に完全に停止した。

  

 ーーーーこの人が、薔薇の人ーーーーー。

 

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