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悪役令嬢、大魔王と対峙する

「…地図がないわ」

 

 カナタイド辺境伯領地にたどり着いてすぐ、私は折角印をつけたはずの地図がないことに気がついた。

 地図がないと、広大なカナタイドの領地を彷徨うことになる。

 両肩に乗っている2体の生き物が冷めた目で私を見つめた。手のひらサイズであり伝説級のモンスターであるマイリントアと、ペンギンのような形をして同じく手のひらサイズの竜神リュージュは、私の耳の横で馬鹿だ間抜けだと、ピーチクパーチク私を罵ってくる。


「し、仕方ないじゃない。大魔王が現れたら、本当に大変なことになるのよ。ベック達と一緒に1つの『呪いの沼』を落ち着かせるだけでも大変だったのに、それをまた12箇所も、短期間に壊さないといけないって思うと、焦ってしまうじゃない」

「それで地図を忘れたら、元も子もないじゃろうが」

「わかってるわよ」

 あまりに言われ過ぎると、段々と開き直りたい気分になる。

 私はぶすっとしてみせると、マイリントアはわざとらしく大きなため息をついてみせた。

「まぁリーネらしいといえばリーネらしいか。仕方ない。沼は大サービスでワレが消滅させてやろうぞ。どこかの太った竜とはパワーが違うからな」

 太った竜、と言われて、リュージュがピクリと身体を強張らせる。

 リュージュは冬眠のために、元々の体型よりもポッテリとさせていた。長い冬を越えて、エネルギーを使い果たし痩せた身体で春を迎えるはずなのに、ジルお兄様と一緒に暖炉のある部屋で寝ているものだから、うっかり目が覚める度に何かをもらったのだろう、脂肪を蓄えたままで冬眠を終えてしまっていた。


 ダイエットといって、しばらくマイリントアのあとを付いて回っていたが、結局、体型は変わらなかった。むしろ太った気さえする。運動量と食事量のバランスが悪いのだろう。

「チビ虎が何を抜かすか。わしの方が強いに決まっておろうが。そこまで言うなら、わしとどっちが沼を早く潰せるか、勝負といこうではないか」

「誰が虎か。しかし面白い。そうしようかの」

 

 今度は私は関係ないのに、2体は私の耳元で煩い。

「ちょっと、本当に時間がないんだってば。早くカナタイド辺境伯邸に行って、まずはレイラに相談しましょ。レイラ達に沼を探してもらっている間に、私達は一度戻って、地図をもってくればいいじゃない」

「…そうじゃの。そうしよう」

 マイリントアの返事に一瞬間があったが、私はマイリントアの言葉を信じた。

 マイリントアは口からストックの転移の魔道具を出して、そこにまた、細かく場所を指定する魔法をかける。

「大魔王様が現れるのは、ツノセゴ平野じゃったな。そこは知っておるぞ。魔界の土地に少し似た場所があるからのぉ。王宮から北に位置するツノセゴ平野か。よしよし、わかるぞ」

 ん?と私は右肩に乗るマイリントアを見つめた。

「マイリントア。ここはすでにカナタイド辺境伯領地なんでしょ。転移の魔道具は出さなくていいんじゃない?それに目的地はカナタイド辺境伯邸であって、ツノセゴ平野じゃ…あっ!」


 マイリントアが転移の魔道具を破ると、転移の魔道具が発動する時の光が辺りに充満した。

 私は眩しくて顔をしかめ、左手で顔の前を覆って光を遮断した。


 次の瞬間、目の前には、大きな岩しかない平地が広がっていた。地面には草も木も生えていない。

 完全に岩だけの土地だった。

 見たこともない景色だったが、カナタイド辺境伯領地ではないことだけは明らかだ。

「ちょっとマイリントア。カナタイド地方に行くんじゃないの?私、久しぶりにレイラに会いたかったのに」

 私がマイリントアに愚痴ると、マイリントアは肩を怒らせて私に怒鳴る。

「てぇい。『呪いの沼』の場所を示した地図を忘れていったのはどこのどいつじゃ。転移の魔道具はお高いのじゃぞ。そう何枚も無駄に使えるか。よく考えたら、あと12枚も転移の魔道具使うより、この場所にきて、一気にその12箇所を壊してしまった方が早いと思ってな。ここから放物線状に『沼』はあるから、目標さえ外さなければ大丈夫じゃ」

 それは絶対、リュージュと『ここから魔法を放ってどっちが多く12箇所の沼を壊せるか』とかの競争にする気なのだと思った。


 私は顔を盛大にしかめてみせる。 

「それこそ転移の魔道具の無駄遣いじゃない。ここから12箇所を破壊って、どれだけの地域を壊す気?カナタイド地方なんて北の果てよ。そこまでの道のりを全部壊すなんて、ものすごい被害が出るに決まって…」

 

 背中に何かの視線を感じて振り返ると、私達の方に両手を伸ばしている白い服をきた偉そうな男の人と、その後ろに頭から白の布をかぶったシスターが立って私達を驚くように見ていた。

 茶色の髪をオールバックにした、彫りの深い顔立ちの男の人は大層ご立派な格好をしているのに、顔がぐちゃぐちゃになるほど涙を流していた。

 司祭とシスターだろうが、もしかして痴話喧嘩だろうか。別に聖職者が恋愛をしてはいけないという決まりはない。


 私は2人のお邪魔をしているのかと思って、居心地の悪い思いをしながら、少し身を屈める。

「ーーーお取り込み中…でしたわよね。申し訳ありません。すぐ、ここを退散しますので…」

 私が立ち去ろうとすると、マイリントアが真面目な時の声に変わり、私を止めた。

「リーネ。そのまま動くでないぞ」

「ーーー?」

 言われるまま、私はその場に立ち止まる。

 堀の深い顔立ちの男の腕が、私の方に伸びたままになっている。

 男の人は、言葉が話せないようだった。何か言いたそうな雰囲気はあるが、少しも身動きできていない。


 その後ろにいるシスターに目を向けると、そのシスターは恐ろしい顔つきをして私達を睨んでいた。

 そのシスターの瞳は金色に輝いている。顔がひび割れ、口が裂けている。とても人間とは思えなかった。


 突然、マイリントアが高らかに笑い出した。

「ホッホッホッ。…ハ、ハハハハハ」

 ホの言葉以外でマイリントアが笑うなんて珍しい。

 私がマイリントアを覗くと、私の肩の上で狂ったかのように足をバタつかせてマイリントアは笑い続ける。


「どうしたの、マイリントア」

「ハハハハ……あぁ、全く、可笑しくて仕方ないわい。こんな偶然もあるものなんじゃろなぁ。おいリュージュ。あのシスターを見てわからんか。金の目をしておるぞ」

 左肩に乗るリュージュは、シスターの方に目を向けて、首を傾げた。

「金の目だなぁ。昔、この国を統治しておった一族が、そんな目をしておったが。その末裔だろう。それがどうした」

 マイリントアはリュージュに呆れて、不憫そうな顔をしてみせた。

「リュージュ、お主……冬眠しすぎて脳ミソが腐ってしまったのではないのか?」

「何をっ」

 憤慨するリュージュは、もう一度、金の瞳のシスターを眺める。

「……金色か。魔力は強かろうな」

 それでもリュージュはピンときていない。勿論、私も全然、マイリントアが何を言いたいのかわからなかった。

「リュージュ。ここで大魔王が復活する予定だということを忘れたか」

「そんなのわかっておるわ。ーーー大魔王復活に金の目か。その前の男の魔力も素晴らしいものだな。……お?おぉ、そうか、わかったぞ、マイリントア」

 リュージュは閃いたとばかりにマイリントアにどや顔をしてみせる。

「こんな場所にこれほどの魔力を持つ人間が揃っておるということは、大魔王召還に関係があるやつらだと言うことなんだろう?」

 マイリントアは、少し複雑そうな顔をする。

「そうなんじゃが、なんかモヤっとするのぅ。……リュージュ、わかっておるのか?お主が嘆いておった山の麓の呪いは、大魔王を召還するためのものだろうということを」

「はっ!」

 ようやく気付いて、リュージュはぐるりと首を回してシスター達を睨み付ける。

「貴様らか、わしのテテテト山脈の麓に余計なものを作ったのはっ」

 マイリントアはため息をついた。

「やっと理解したか。まさか、沼を破壊しに来ただけのこの場所に、ちょうど黒幕がきて呪いの儀式をしようとしていたとはな。あまりに偶然過ぎて笑いが出てしまったが、お主らの鈍感さに興醒めしてしもうたわ」


 そういうことだったのか。

 じゃあ、この人達が沼を作って、大魔王を召還しようとしている人達ーーー。


「なんでそんなことをしようとされるのですか」

 私がやんわりと聞くと、男は答えず、シスターはリュージュの方をじっと見ていた。

「……テテテト山脈の麓……赤黒い身体に黄色の足……」

 何か思い当たるものがあったらしい。シスターの顔がジワジワと青白くなっていく。

「ーーーなぜここに……」

 シスターが動揺した時、オールバックの男が急に動いた。泣いているようにみえた男は、金縛りに遭っていたようだ。術者の動揺によって術が解けたらしい。隙をみて、男が私に叫ぶ。

「っリーネ様。お逃げ下さい。ーーー術は完成してしまいました。大魔王がっ」 

 まさか男が私の名前を知っているとは思わなかった。

 いきなりのことに私が動けないでいると、男はどっと地面に倒れ、苦しみ始める。身体はどす黒くなり、身体中の血管が太いパイプでも埋め込まれたかのように膨れ上がって、人の形を留められなくなっていく。

 私は男に駆け寄り、苦しむ身体に触れた。

「ーーーっ一体何がっ」

 ポツリと肩の上で、マイリントアが呟く。

「……『呪い』の反動じゃ。こやつが術者なのじゃろうーーーただし……」

 ちらりとマイリントアはシスターを見る。

「あやつに操られての儀式だったようじゃがな」

 

 マイリントアの声を聞いて、シスターは目を大きく見開いた。なぜそれを知っているという表情を浮かべる。


 マイリントアは人の心が読める。

 もう多くを語れそうにない男の心の中の声を聞き届けたのだろう。

「ーーーそなた、教皇か。馬鹿なことを」

 男は青く、あるいは赤黒く、繰り返しながら人としての姿ではなくなっていく。だが、こちらを見つめる瞳だけがしっかりと私達を捉えていた。

 苦しみながらも何か言いたそうにしている男に、マイリントアは、魔法をかけた。

 その魔法のせいだろうか。

 男の声が私の耳に届く。

【……聖……聖女が……私の……】

 

 ボッ。と音を立てて、いきなり男は燃え上がった。

 男の、咆哮にも似た断末魔の叫びが耳に響く。


 マイリントアはシスターを激しく睨み付けた。

「お主に人の心はないのか」

「ーーー何のことだか、私にはよくわかりませんが」

 シスターは、燃え上がった男を見ることもなく、シスターとはこうあるものというように、優しい雰囲気に戻って、自分の手を組み合わせた。顔のひびも、裂けた口もなくなり、普通の姿になっていた。


「猊下は、神のもと、人々が幸せに、そして平和な世界になることを望まれておりました。私はそのお手伝いをしようとしただけで御座います」

 祈りを捧げるように、シスターは組み合わせた手のまま、地面に跪いた。

「無事、神のみもとへ旅立てますように」


 呪いの儀式を行った人間は、身体を失い、魂も傷つく。これだけの巨大な呪いの儀式を行って、魂が無事に神のいる場所にいけるはずがない。このシスターは、決して叶わないということを知っていて、その言葉を吐くのか。


 私の目に焼き付いたあの男の眼光と叫び声が、繰り返し繰り返し、脳裏に浮かび上がる。


 さっきの男のことを私は殆ど知らない。

 教皇、猊下と言われて初めて、あの人がそうだったのかと思い出すだけだ。

 教皇とはアラン皇子の誕生祭で1度だけ会った。貴賓席の位置にいて、高い身長が他より頭1つ出て見えた。

 教皇に相応しい、華美ではないが厳格さを示す礼服を身に纏い、彫りの深い顔に優しげな笑顔を浮かべていた男性。


 その男は、もう目の前に姿はない。

 ここまで完全に消えるとは。

 燃えてしまったため男の服さえ残っていなかった。

「……酷い……」

 一度死んだ人間をもう一度倒すのとは違う。

 さっきまで普通に呼吸をして、心臓を動かしていた人間が、目の前で滅んだのだ。 

 私は眉間に皺を寄せて目を閉じ、男のいた場所から顔を背けた。

 

「リーネ。来るぞ」

 マイリントアの声が聞こえた。

 マイリントアは私の肩から地面に降りて、四肢を地面に踏ん張る。

 さっきの男がいたところからすぐ近く。

 12の呪いの沼の中心に当たる場所なのだろう。

 ドライアイスが蒸気を舞い上けるように、薄暗い煙が沸き上がって辺りを全て隠した。


 気を抜くと吹き飛ばされそうな風が煙の中央から強く吹いて、私も足を踏ん張って抗った。


 初めはマンホール程度の穴だった。

 宙に出現した穴は、徐々に広がり拡大していく。

「まずい。走れ、リーネ。潰されるぞ」

 マイリントアの声で私は思い出した。

 ゲームの中で見た、大魔王の大きさを。


 遠近法を間違えたのかと思うほどの大きさ。

 高層マンションかといわんばかりの『そのお方』を、私は首が千切れそうなほど伸ばして見上げた。


 そう、大魔王は。

 本来のマイリントアやリュージュのように、ありえないほど巨大なのは一緒なのに。

 ーーー大魔王は人の姿をしていた。


 地獄の閻魔様のイメージとはまた違う。

 どちらかというと細身で、鎧を装着しているように肩が張った服を着ている。

 白く長い髪を腰まで伸ばし、手の指が異常に長い。

 大きさ以外では人間のようなのに、それでも人間ではないとわかるのは、その肌の色が緑だからだ。エメラルドグリーンと言ってもいい。

 あまりの緑色の強さに、顔自体はよく見えない。顔で見えるのはぎょろついた大きな目と、唇の色が緑ではないためになんとか口の形が見える程度だ。

 そしてその大きさゆえ、顔の位置が遠かった。


 大魔王が完全に姿を現してから、ようやく声が聞こえた。

【ーーー(ちん)を呼び出したのは誰であるか】


 地響きかと思った。

 あまりに重いその声に、身体が痺れそうになる。


 シスターがすぐに跪いてひれ伏し、大魔王に進言した。

「ーーーあなた様を呼び出した術者は、その身をもって願いを私に託されました」

 大魔王はシスターを見下ろす。

【呪いと神の技を合わせたか。まぁそうでなければ朕を呼ぶなどできまい。ーーー癪だが、召還された以上、願いを叶えなければ魔界には戻れぬ。言うてみよ、わざわざ朕を呼び出してまで叶えたい、その願いを】

 

 シスターは地面に頭を押し付けながら、それでも怪しく笑ってみせた。

「ーーー大魔王様、ぜひこのリンドウ帝国の滅亡を」

「大魔王様っ」

 私はその声を掻き消すように、大声を出した。

 シスターは目を見開いて私を見る。

 私は、とにかくシスターの邪魔をしないといけないという思いで叫んでしまったが、特に何を言おうとか考えていなかった。

 アラン皇子にも、思い付きで行動するのはどうかと、よく言われているのに。

 とにかく何かを言わなければ。 

 

「……マイリントアを覚えておられますか?」

 思い付きで、私はマイリントアの話題を出した。

【マイリントアーーーとは誰か】

 大魔王は眉を寄せる。

 そうか、マイリントアという名前は、魔物に人間が勝手につけた名前だった。

「リ、リーネっ」

 マイリントアは私の足元で慌てていた。

 見つかりたくなかったのだろうか。それでも、私はこの国を滅亡させないために必死だった。マイリントアの小さな身体をガシリと掴んで持ち上げる。

「マイリントアは、これです。何百年か前に、大魔王様の大切なケーキを食べて左遷された、四天王の1人ですわっ」

「ーーーリーネ!やめてくれ。ワレのこんな姿をっ」

 マイリントアはパタパタと足を動かすが、むなしく宙を搔くだけで、私の手からは逃げられなかった。


 大魔王は手のひらサイズのマイリントアを見据えて、少しだけ手をピクリと動かした。

【ーーー朕の怒りを買った昔の四天王のことはよぅく覚えておる。しかし、そのような小さき者など、知りようもないな】

 わずかに大魔王の声が揺れたのは気のせいだろうか。

 マイリントアは、上司である大魔王の言葉を聞いて、悲しそうに項垂れる。

「そんな……大魔王様……」

 私はマイリントアを少し不憫に思いながらも、諦めずに、次は私の左肩に乗ったリュージュをガシリと掴んだ。

「では、こちらの竜神は知っていますか。この地上で何千年と生きている神の使いです」

 大魔王は、今度はリュージュを見下ろした。

【ーーーふむ。噂は聞いておる。竜の形をした神の僕が地上を守っておるとな。しかし、そんな小さくて不細工な形のものが、地上とはいえ守ることはできぬだろう。ーーーして、貴様は朕に何が言いたいのか。朕も暇ではないと言うたであろう】

 大魔王は不機嫌そうに言う。

 簡潔明瞭でないのが嫌いらしい。

【その白い服の女は、この国を滅ぼして欲しいと朕に申した。そのようなことならば、その気になれば1日もかからぬこと。人間に遣われるなどとんでもないことだが、破壊は朕も嫌いではない。容赦なく暴れてみせようぞ】

 大魔王はニタリと笑う。

 それを聞いたシスターも、私に願いを邪魔されたのかと不安になっていたようだが、自分の意図が伝わっていたことに、ほっとした表情をしてみせた。

 

 だめだ。

 聖女は、スミレはまだ見つかっていない。

 アラン皇子が必ず探し出すと言ってくれたけれど、スミレが本当に見つかるかも、あれから成長しているかどうかもわからないのだ。

 大魔王は聖魔法でないと倒せない。

 強力な聖魔法を使えるのは、聖女だけなのに。


 私は唇を血が出るほど噛み締めた。

 私が、今、どうにかしなければ。


「ーーーーわたくしはーーー強いですわよ」 

 大魔王を私は睨み付けた。

「ーーー伝説級の魔物であるマイリントアも。この竜神のリュージュも。このわたくしが倒しましたのよ。わたくしは強いのです」

 ぐっと歯を噛み締める。


「ーーーそう、大魔王様、貴方よりも」


 虚勢を張るしかなかった。

 それでも、言ってしまうと、なぜか肩の力が抜けた。

 もう、引き返せない。

【……なんだと、小娘】

 ギロリと大魔王が大きな目を私に向けた。そしてマイリントアにもその視線を流す。

【ガイドル。今の話は本当か】

 ガイドル、と呼ばれたマイリントアは、少し驚いたようにして大魔王を見上げた。知らぬと言われたが、本当は覚えてくれていたことが嬉しかったようだ。そしてマイリントアは私を見て、私の気持ちを汲んでくれた。

「……大魔王様。嘘では御座いません。不意をつかれたとはいえ、確かにワレはこの小娘に負けました。そこの竜神もです。大魔王様より強いとはとても思いませんが……」

 ごくり、とマイリントアは唾を飲み込む。

「ーーーーー勝負次第では勝つことはあり得るかと」

 

「マイリントア……」

 私は激しく感動してしまった。

 あれほど私を貶し、見下していたようだったのに、マイリントアの上司である大魔王に、そうやって私のことを言ってくれたことが、心から嬉しかった。


 マイリントアの言葉を聞いて、大魔王から、【ふ】と地に響く音が鳴る。

【ふ、ふ、ふ、ふ……】

 大魔王は笑っていた。

【ーーーなるほど。魔族の四天王の1体と、神の手下の1体を倒し従わせる小さき人間の娘か】

 大魔王の緑の手が、大魔王自身の顎を撫でる。


【もう何百年も前とはいえ、朕の傍で遣えてきた者から、朕がこんな小娘に負けるかもしれないなどという戯れ言を聞くことになろうとは……】

 口は笑っているが、その声には怒りが宿っている。

【ーーー小娘。お前の名は何と言う】

 重い言葉が降りてきて、私は重圧に押し潰されそうになりながら答えた。

「わたくしの名は、リーネ。ーーーーリーネ・アネット・グランドロスでございます」

 

 私が名乗ると、大魔王はニヤリと口を歪めた。

【あい、わかった。リーネ・アネット・グランドロス。今、その名に鎖をつけさせてもらった。約束を守るまでは解けることのない鎖をな。もう逃げることは叶わぬ】

 

 名前に鎖を?

 指切りげんまんのようなものだろうか。

 破った時の罰が、針千本どころではなさそうだけど。


【リーネ。お前の望み通り、この魔界の王である朕が、お前と戦ってやろうぞ。ーーー今すぐでもよいが、そのヒラヒラした服装では、ろくに戦えないであろう。そんな服装のために朕に負けたなどという言い訳は許さぬ。着替えて体調を整えよ。期限を1週間やろう。それまでにすべての準備をしてくるのだ】


 え、と私は大魔王からマイリントアに視線を移す。

「……猶予を1週間もくれるの?すぐに戦うとか言い出すと思ったんだけど」

 私がこそっとマイリントアに小声で言うと、マイリントアはまた私の肩に乗り、小声で返した。

「大魔王様は、とにかくプライドが高いのじゃ。言い訳をされるのを好まん。完膚なきまでに叩き潰さんと気が済まんのじゃろ。あと意外と女に優しい。フェミニストというやつじゃな。女でよかったぞリーネ。もし男じゃったら、そなたが大魔王様に声をかけた瞬間、アリのように潰されておったな」

「……怖っ」

 ぼそりと私の口から本音が出る。

「まぁ、結果オーライじゃろ。これで時間が稼げた。あと1週間でスミレを探せ。あれだけ大きな口を叩いたのじゃ、リーネが負けたら、ワレもただじゃ済まん。どうにかスミレを見つけ出すぞ」

 腕捲りするように、マイリントアは気合いを入れる。

【……そこで何をコソコソと話し込んでいるのか。正々堂々と戦わないのであれば、やはりここで決着をつけるか】

 私はわわわと慌てて、大魔王を見上げた。

 悪の化身と思っていた大魔王から『正々堂々』という言葉が聞けたのには驚いたけれど。

「大魔王様の寛大なお心には、感謝いたしますわ。では、真の戦いに恥じないよう、しっかりと準備しておきますので、1週間、お待ちください」

【うむ。朕は、暇潰しに、この土地にダンジョンでも作っておくとしよう。1週間でどこまで作れるかはわからぬがな。ふ、は、は、は、は、は】


 そう言って、大魔王はどこかへ消えた。

 マイリントアが言うには、ダンジョンを作るために地下に潜ったらしい。

 大魔王がいなくなって、私は地面に膝をついて息を吐いた。大魔王こあまりの圧迫感に、呼吸がおかしくなりかけていた。

 ーーーあれが大魔王。

 さすがに迫力が違う。


 ーーーだけどーーー。


「ものすごく怖いけど、なんか大魔王って、思ったより悪くない人のように感じてしまったんだけど……」

 マイリントアがどや顔で笑う。

「そりゃそうじゃろ。魔界も魔族がいるというだけで、そんなに地上と変わらんぞ。魔族は人間と比べて、寿命が桁違いに長く、数百倍大きくて、数千倍強すぎる存在というだけじゃ。悪いから魔族なわけではないわい。あとは、魔族は『魔力』や『生命力』を食糧とするということが地上世界の生物との違いかのぉ」


 私は魔界について教えてもらい、すごく不思議な気分になる。

 ゲームでは、大魔王が現れてからすぐに多くの村や街が壊され、万を越える人間が殺されていた。

 死に物狂いで人間達が大魔王に挑む中で、唯一聖魔法が効果があったために、聖女をはじめとする聖魔法に近い白魔法が使用できる魔術師が集められた。

 聖女と魔術師を守る盾になるためだけに、騎士団やギルドの人間も集まって、人類と大魔王との最終大戦が始まるのだ。

 ーーーそのはずなのに。


 今の大魔王は、とてもそういうものではなかった。呪いの沼を12箇所使ってまで召還した大魔王なのに、召還者ーーー召還したことになっている男は死んでしまったけれど、その遺志を受けたシスターに操られる様子もなさそうだった。


 また、ゲームの物語と違う……と思ってもいいのだろうか。


 私は私の後ろにいるはずのシスターを振り向くが、金の目をしたシスターは、すでにいなくなっていた。

 転移の魔道具でも使って逃げたのだろう。


「……いなくなっちゃった。色々と聞きたかったのに」

 マイリントアは、金の目のシスターを軽蔑するように目を細めた。

「ふん、大魔王様を手駒にしようとする不届き者じゃ。大魔王様がこの地上におわす限り、また嫌でも会うことになるであろうよ」

「そうかしら」

「そのための大魔王様召還じゃからな。しかし、そう簡単に大魔王様が都合の良いように動かれるとも思わぬ。大魔王様を本気で怒らせると怖いなんてものじゃないぞ。この国ではなくこの世界が1日もかからず崩壊するであろうて。ーーーさて、あの女に、大魔王様が制御できるかどうか、見ものじゃな」

「……そうね」

 私は大魔王が待つという地下を、遠く見つめた。

 本当だったら、呪いの沼を壊している途中だっただろう。間に合えば、大魔王召還を防ぐことがーーーせめて、遅らせることができていたのだろうか。

 今となってはわからない。

 ただ『いま、この時、大魔王召還の儀式に居合わせたこと』こそに、意味があるのかもしれない。


「ーーー探しましょう。スミレを」


 1週間の猶予ができたこと。

 それが、私がここに居合わせた意味ではないかと、勝手に解釈する。


「大魔王を倒せなくてもいい。勝負に勝てれば」

 1週間。

 私にできることをするしかない。 

 スミレが見つからなければ。

 私が、勝負で大魔王に負ければ。


 ーーーーーこの国は、滅ぶのだから。


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