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スミレサイド~私の薄れゆく記憶

 リンドウ帝国最大の大聖堂。

 私がここに来てから、もう半年になる。

 毎日のお祈りにも慣れた。

 薔薇の人が、私のお祈りをした場所がどう改善していったかの報告をしてくれるので、祈りの効果を感じられて、やる気も出てきた。

 護衛になったロジーは、相変わらず私の傍にいて、オレンジ色でボブカットの髪の女の子のふりを続けてくれている。

 私がここにいることは今でも秘密にされている。だから薔薇の人が私にここから出てはいけないと言うから外出はできなくて息苦しいけれど、毎日薔薇の人が来てくれるから我慢できた。

 

 ただ少しずつ。

 少しずつ、自分の記憶が曖昧になっている気がしている。

 この世界であるゲームの話の内容が、ぼんやりとしていて思い出せない。

 ゲームの恋愛攻略者が、アラン皇子、ジル、ノクト、ロジーとケリー先生の5人だったことは間違いないのだけど、その物語の内容を思い出せないことがある。学園に入るまでの10年間、あんなに忘れないように繰り返し思い出していたのに。たった1年でこんなに忘れてしまうのは、どう考えてもおかしい。

 私の向こうの世界での記憶も、思い出すのにかなり時間がかかるようになってしまった。

 高校生だった私は、この世界に飛ばされて、5歳の聖女になって。高校生だった私の家族は、お父さんとお母さんと、弟と妹の4人。ーーー名前は…。

 通っていた学校の名前は…。

 住んでいた街の名前はーーーー?


「スミレ様」

 急に声をかけられて、私ははっとして振り返る。

 私はロジーが扮するメイというオレンジ色の髪の女の子が視界に入って微笑んだ。

「メイ。どうしたの?」

 ロジーは、私に軽く会釈した。

「お食事ができました。食堂までお越しください」

「わかったわ。少し準備するので、待ってもらえる?」

 私が準備をするために部屋に戻ろうとすると、ロジーが私の前に手を伸ばして、私よりも先にドアのノブを握った。ロジーは整った顔を、にこりと笑顔にしてみせる。

「私がそのお手伝いをしても?」

 こんなことロジーが言い出すなんて、滅多にない。

 何か話でもあるんだろうか。

「お願いしても良いかしら」

 私が了解して、2人で私の部屋の中に入った。


 入った瞬間、ふっとロジーの顔から笑顔が消える。

 私はこのロジーが見せる、機械のような無表情の顔があまり好きではなかった。ゲームの時は、ロジーは子犬系男子とか呼ばれて可愛いと思っていたけど、相手の気持ちが自分にないと、ここまで無関心になるのだなと寂しく思う。

「報告が1つ」

 声が本来のロジーのものに戻っていた。

「どうしたの」

「スミレ。あんたを探している人間がいるよ」

 言われて私は首を傾げた。私のピンクの長い髪が揺れる。

「私を?いったい誰が」

「アラン皇子のようだね。あの黒鎧が動いている」

「アラン皇子?」


 アラン皇子は恋愛攻略者の1人だ。

 でもあの人は悪役令嬢のことばかり気にして、初恋のはずの私のことなどどうでも良いようだった。

 なぜ今さら私を探しているのだろう。

 私が学園から去って、もう半年にもなろうというのに。

 私が聖女だから?

 私を聖女として使うために?

「どうする?」

「どうするって…」

「僕は、あんたの『薔薇の人』に、スミレを守るように言われている。スミレを隠すようにもね。元々、薔薇の人があんたには隠蔽魔法を使っているからバレないはずなんだけど。でも、あの黒鎧は手強そうだ。見つけられる可能性がある。いざというときに、どう動くか決めておきたい」

「ーーーーどうするの」

 私が尋ねると、そうだな、とロジーは呟く。

「見つかった場合、アラン皇子と交渉して、スミレがここにいることを秘密にしてもらう。交渉できなければ、ここを離れる」

 ロジーは、淡々と話す。

 私は、跳ねるように顔を上げた。

「ここを?でも薔薇の人は、ここが一番安全だからって」

「そうとは限らないよ。薔薇の人は本気でそう思っているようだけど、この中で暮らしてる僕からしたら、こここそ危ない気がするけどね。特にあいつ。ロールドは、何かよくないことを企んでる。スミレのことではなさそうだけど、信用できない」

 私は口を閉じる。

 私もそう感じていた。

 猊下と呼ばれるロールドは、この教会の一番偉い人だというのに、とても信用できる人とは思えなかった。

 なぜ薔薇の人が、私をあんな人のところに預けたのか、よくわからない。

「ーーーでも、薔薇の人からは、私をここで守るように言われているんでしょう?」

「あの人はこの教会の中に入っていないからね。入ったら考えが変わるかもしれないよ」

 そう。薔薇の人は、私がここにいれば安全という確信を、なぜか持っている。その自信はどこからくるのかわからないけれど。だけど薔薇の人は、この大聖堂の中には一度も入ってきていない。ベランダで私と話をしてすぐに帰るだけだ。

 ーーーでも。

「…薔薇の人が、ここにいろって言うなら、私はここにいる」

 ロジーは驚くように目を見開く。呆れるように、と言ってもいい。

「それは本気?」

「本気よ。私は薔薇の人を信じているから」

 ロジーは、わざとらしく大きなため息をついてみせた。

「他人より自分の考えを優先しなよ。あんただっておかしいと思ってるくせに」

 そんなのわかってる。わかってるけど…。

 私は眉を下げた。

「あと一年と少し。そう薔薇の人からロジーは言われているんでしょう?ロジーの任務が外れたら、きっと私は学園に戻るわ。ずっとここにいるわけじゃない。そのくらいなら、私は薔薇の人を信じてここにいる」

 私がそう言うと、ロジーは苦笑する。

「薔薇の人を盲信しているな。そんなことを言っている間に、身を滅ぼしても知らないよ」

「滅ぼさないわよ」

 つんと私はそっぽ向く。

「ーーーわかった。では、何があってもここにいるということは決定したとしてーーーアラン皇子はどうする?見つかったら」

 

 アラン皇子。

 そして目の前のロジーさえも。

 あのリーネという悪役令嬢にばかり執着して、私のことなんてどうでもいいくせに。

 昔、私がこの世界にきて、ゲーム通りに小さい頃それぞれの攻略者と会った。ちゃんとゲーム通りだったはずなのに、ゲーム通りに2人は私を好きになってはくれなかった。2人だけじゃなく、攻略者は誰もーーー。

 絶対、あのリーネという女のせいだ。


 私は睨むようにして、ロジーに言った。

「何言ってるの。ロジーは私の護衛でしょ?私が見つからないようにしてちょうだい」

 ロジーは困ったように肩を竦めてみせる。

「…はいはい。わかったよ。まぁ、すでに隠蔽魔法は使われているし、あとは僕らしい方法で隠させてもらうけど」

「それでいいわ」

 私が機嫌悪そうに言うと、ロジーはにこりと笑う。その笑顔に感情は一切感じない。

「じゃ、スミレは食事しておいで。あとは僕がどうにかしておくから」

 私は頷いて、言われるまま部屋を出ていった。


 食堂に向かうと、大聖堂で働くシスター達が揃っていた。大聖堂に住む人間は、皆で同時に食事をする。

 大きな食堂だけど、長いテーブルを敷き詰めるように人が並んでいる。

 まだ全員が揃っているわけではなさそうで、私は少し安堵して席に着く。

 スープやパンなど、簡単な食べ物が並んでいた。

 この世界の貧しい家に生まれて、寮でもお金がなくて食べることもできない日があったことを考えれば、ちゃんとした食事が毎回出てくれることは有り難かった。

 シスター達が揃い、皆で神への祈りを捧げて食事を始める。

 

 祈りは魔法に近かった。

 魔法ほど目に見えて物理的に何かが起こるわけではないけど、あとでじわじわと変化が表れる。

 魔法が扇風機をつける動作だとしたら、祈りはエアコンをつけるようなものだ。すぐに涼しくはならないが、時間をかけてから大きな効果が出る。


 食事の祈りは、さすがに神への感謝の気持ちなのだろうけれど、私はもう、祈りを軽んじることはしなくなった。

 

「…薔薇の人が気長に私を支えてくれたからだわ」

 呟いて、私は薔薇の人を肯定する。

 薔薇の人は間違っていない。

 間違うことはない。

 あの人が言うなら、絶対そうなのだ。


 私を好きだとは言ってはくれない。

 でも、薔薇の人の心にはきっと、私と同じ気持ちがあるはず。そうでなければ、こんなに毎日毎日、私に会いに来てくれるはずがない。

 あんなに優しい顔をするはずがない。

 

 あんなに。


 そう思った時、また、私の頭の中に、あの日の事が思い出された。

 あの日。私の口から別の人間の声が出た日のこと。

 今でもあれが何なのかわからないけれど。自分の口から別の人の言葉が出た時に、すごく気持ち悪くて、薔薇の人に相談してみた。

 話した時。一瞬だけだったけれど、薔薇の人が泣くのかと思うほどに嬉しそうな顔をしてみせた。顔半分を隠している仮面をつけているのに、それでもはっきりとわかるほどに。その顔はすぐにいつもの優しい顔に戻ったけれど。


 あれ以来、私の口から別の人の言葉が聞こえたことはない。

 だけど、あの日のことは、今でも何度も思い出してしまう。

 薔薇の人は…何かを知っているのだろうか。

 私の口を誰かが使って通信したり。

 そんな魔法があったりして。


 それでも。

 それでも本当は、私のことを好きでいてくれているんでしょう…?

 リーネという、あんな悪役令嬢より。

 私の中から聞こえた、あの声の人より。


 食事が終えて、私はトボトボと祭壇の部屋まで歩いていった。

 赤い絨毯の敷き詰めてある廊下を歩くと、ロールドとまた遭遇する。

 私はロールドに、会釈だけをしてみせた。

 ロールドもそれを会釈で返し、すれ違おうとした。

 その時、ロールドが、ポツリと言葉を漏らす。

「ーーー魔力が随分と高まっている」

 え、と私はロールドを振り返る。ロールドは自分でも気付いていなかったようで、私が振り返ったことを少し困ったように笑った。

「あぁ、言葉に出てしまっていましたか。いや、最近聖女様とお会いしていなかったので気付きませんでしたが、この間お会いした時よりもずっと、魔力が増えていますね」

 私は背の高いロールドを見上げた。堀の深い顔がにこりと微笑む。

「まだ若輩者の私がこの地位にいるのは、この能力があるのも理由の1つなんですよ。相手の魔力が見えるんです。その色も。聖女様、貴女の魔力はとても綺麗ですね。さすが聖女になるだけはある」

 そこにパタパタと、若いシスターが駆けてきた。ロールドに用事のようだったが、ロールドが私と話をしていることに気付いて、少し手前で足を止める。

「ーーーどうしました?」

 シスターは「いえ、」と首を振って、その場で待機をしていた。この場では話せないということなのだろう。

 ロールドはシスターに一度頷いて、私に向き直った。

「何かあったようなので、私はこれで。またゆっくりお話をしましょう、聖女様」

 私も愛想笑いを浮かべる。

「ーーーええ、是非」

 絶対に、あんたとゆっくり話なんてするものですか。

 私は心でロールドに舌を出して、苦い顔をしてみせるイメージを描いた。

 シスターとロールドは、廊下の奥の方に歩いていく。

 

 絶対、ロールドは何かを企んでいる。


 私はロールドの背中を目で追い、足を一度、ロールドの方に向けた。だが、また前を向いて歩き始めた。

 好奇心旺盛の人はロールドを追いかけたかもしれない。

 でも私は違う。

 ロールドを怪しいとは思うけれど、ロールドを追ってその秘密を暴くほどの勇気はない。ロールドが何をしていようとも、私に影響がなければ特に興味もない。

 私はやるだけやっている。私の祈りで助かっている人が沢山いる。

 それだけでも、私は、人のためになっているのだから。

 それでも状況が悪くなるのなら、もう私には関係がないことだ。


【ダメよ】

「ーーーっ!!!」

 数ヶ月ぶりに、また声が聞こえた。

 私は辺りを見渡すが、傍に誰も私に声をかけれそうな人はいなかった。

 私は耳を塞ぐ。


 聞きたくなかった。

 薔薇の人にあんな顔をさせる人の声。


 やめて。

 もう、私を苦しめないで。


 記憶が少しずつ薄れていく。

 私の居場所がなくなっていく。

 

 私は誰。

 いいえ、この身体は私のもの。


 怖い。

 あの声は何なの。


 私は聖女。

 私が『ゲームの主人公』。

 そのはずなのに。

 

 ーーーーなぜ、私はこんなにも苦しいのだろう。



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