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アランサイド~つかの間の休息を極悪令嬢と。

少し残酷な描写があります。ご注意ください。

 春になり、俺も最年長の学年になった。

 魔法学園は、艶々した顔の新入生を迎え、新しく生まれ変わったかのように眩しく見える。

 今年の新入生は活気のある人間が多いようで、去年よりも学園全体が賑やかになった気がしていた。

 はじめは緊張してした者達も、徐々に慣れて、興味のあることに群がり出す。

 新入生の関心は、まずは生徒会長であるノクトに向いた。

 ノクトの癖のある性格は目立たず、生徒会長という肩書きから凛々しく見えるのだろう。顔がそこそこ整っていて見目が悪くないのがまたそれを増長させているのかもしれない。前生徒会長であるジルがいないのも大きい。相手は強大すぎるが、学園自体にいないので比較されることもない。

 このノクトフィーバーがいつまで続くか、見ものではある。


 ちなみに皇太子の俺は、言わずもがな。人の視線が絶えることはない。しかしそれは生まれた時からそうなので、今さらどうってことはない。


 そして当たり前といえば当たり前なのだが、公爵令嬢であるリーネも注目の的になった。女神のように飛び抜けて美しい人間が公爵令嬢だなんて、気にならない方がおかしい。俺が魅力減退の魔法を使っていてあれなのだから、本当に恐ろしいと思う。

 リーネは俺の前以外では比較的、ちゃんと大人しく『公爵令嬢』をやっている。

 それもあってか、新入生達の憧れとして、リーネを見るために男女問わず、リーネの周りをうろつく人間が増えた。


 去年は俺の婚約者でもあり、早い段階で剣技会でのスタジアムの件があったので、リーネに憧れつつも近寄りがたい存在として孤高の美女でしかなかったが、今年の新入生はリーネの良い噂しか知らない。

 あれだけの美人が、強くて賢くもあり、しかも公爵令嬢であると聞くと、うっかり知り合いになれないものかと傍を徘徊するようになるのだろう。

 鈍いリーネはそんな新入生達の視線に全く気づいていなさそうだったが、変な虫がついても厄介なので、俺はリーネが昼休みに中庭のベンチで食事をする時は、俺も一緒に食べることにした。

 

 はじめは微妙な顔をしていたリーネも、次第に一緒にランチすることに慣れて、今ではグルメで有名なグランドロス公爵が高額で引き抜いたというお抱えシェフ特製の弁当を、俺の分も持参してくるようになった。


 そうやって2人で毎日食事をしていると、ある日、ノクトが俺に言ってきた。

「学園の名所が1つ生まれましたよ。お二人の食事をしている中庭が『愛の聖地』なんだそうです。それにあやかって告白が成就すると永遠に結ばれるそうですよ。昼間はいいですけど、夜に学園に忍び込まれるは困ります。アラン殿下、食事の場所を殿下の部屋に移してはいかがですか」


 俺は呆れて息を吐く。

「そんなの知ったことか。勝手に夜に学園に忍び込んでトラブルに巻き込まれるやつのために、なぜ俺が行動を変えないといけない。そもそも、中庭で食べたいのは、俺ではなくリーネだ。食事の場所を変えてほしいならリーネに言うべきだろう」

 ノクトはそれを聞いて、わずかに口調を嫌味に変えた。

「ほー。アラン殿下は、すでにリーネ嬢に尻に敷かれておられるようですね。リーネ嬢の決めた場所だから自分では変えられない。反対に、あちらが変えるのであれば殿下はどこでも合わせるということですか」

 俺は顔をひきつらせる。

「ーーーどこでも、とは言っていない」

「それでも、リーネ嬢の意志を優先されると」

 からかうような言い方のノクトに、俺は口を歪めた。


 間違いではない。

 あえて変える気がないのは、中庭の景色を眺める時のリーネを見るのが好きだという理由もある。

 あそこはリーネのお気に入りの場所だ。学園の生徒がトラブルを起こすかもしれないから場所を移そうなどと、なぜ言えよう。

 俺が中庭に行くようになったから『愛の聖地』などと言われるようになったのであれば、俺だけでもいかなくなれば、そんな話はなくなるのかもしれないが。


 俺は、美味しいものを美味しそうに食べるリーネの顔を思い出す。

 新入生達がリーネにちょっかいを出すのも嫌だが、それとは別に、あの、いつでも食べ物を美味しそうに食べるリーネの姿を見るのが、俺の楽しみにもなっていた。

 あれが見れないのは、正直、辛い。

 かといって、リーネの食べる顔をこれからも見たいから、食事の場所を一緒に変えてくれないかーーーなんて、そんな馬鹿な事を言おうものなら、あのリーネの可愛い顔が盛大に歪んで拒否されるのは目に見えている。拒否されるのだから、恥をかくだけ損でしかない。


「ーーーどうとでも言え。この件に関しては俺は動くつもりはない」

「…わかりました」

 俺は顔を背けているが、正面でニヤニヤしているノクトの姿が視界に入って、ものすごく小突きたくなる。

 もう俺も良い歳しているから行動には移さないが、2年前なら間違いなくノクトを小突いていただろう。

 

 俺は昼を知らせる鐘の音を聞いて立ち上がる。

「休憩の時間だ。行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」

 その声にも、にやけるような含みがあり、俺は出るときの扉を勢いよく閉めてやった。

 

 ネロのところを訪問してから3ヶ月。

 父に憑依した人間を除去する方法はまだ見つからない。それと同時に、俺は少しずつ、リーネのことが気になるようになった。

 今さら、好きとかそういう意味での気になるではない。リーネの存在について、のことだ。

 リーネは、俺と出会う前まで、公爵邸に幽閉されるように閉じ込もっていた。俺はあまりにリーネの噂が酷すぎて、会う気にもなれず会わなかったのだから、知らなくて当たり前なのだが、俺は昔のリーネを何も知らなかった。ただ、耳を塞ぎたくなるような、信じられないような酷い噂だけがリーネという存在の全てだった。


 実際リーネに会って、なぜこんな普通のーーーむしろ善良とも言える少女がそんな噂を立てられるのかと、不思議に思った。やはり家から出ない公爵令嬢など、そうやって周りの暇人から面白可笑しく騒がれるのだろうかと呆れたほどだ。


 だが父の変化と、それが憑依によるものとわかってから、少しずつ、リーネのことも気になってきた。

 ずっと前から、リーネが何かを隠している雰囲気はあった。しかしリーネは言いたくなさそうだったし、そんな時にリーネが浮かべる顔はとても哀しそうで、俺は、リーネが言いたくなった時に言えばいいと、そう思って何も聞かなかった。 

 それでも。


 きっかけは、手に入れた神のギフトだった。俺に悪夢を見せ続けた球体は、ネロとケリー先生によって邪悪のものから本来の姿に近い形まで戻され、俺に悪夢を見せなくなった。

 リーネの闇の力と俺の膨大な魔力の結晶であるらしいそれは『過去も見渡せる千里眼』だという。

 俺とリーネしか使えないというその球体は、まだ魔法技術が未熟なリーネには使いこなせないだろうと、結局、俺が持つようになった。


 マイリントアが言うように、これで視るには、相当の魔力と、かなりの繊細な技術がいる。俺でもだいぶ苦労しているが、あれから3ヶ月も経ち、少しずつ見たいものが視えるようになってきた。


 本来は行かなければわからないような国の端の状態も、それで視れば、今の状態も、なぜそれが起こったかという過去に遡ってその原因まで探れる。膨大な時間と人手を要するはずのそれが、あっという間に片付くのだ。

 国を守る俺にとって、もう手放せない物体となった。


 そんな時、ふと、リーネの過去を視てはどうかという思いが頭を過った。

 人の過去など、見ない方がいいのだろう。

 見られたくないものを見て、リーネが傷つくかもしれない。聞きたいならリーネに直接聞けばいいのだろう。こんな後ろめたい気分になってまで、することではない。


 だが。

 俺の勘が言っていた。

 視なければ、と。

 視なければ、後悔することになる気がしてーーー。

 俺は、『俺と会う前の過去のリーネ』を視るために、球体を使うことにした。


 透明な球体に力を注ぐ。

 ぼんやりと透明な球体の中に黒い渦が巻き始め、映像が映し出された。


 きらびやかな部屋だった。ピンクの華やかな飾りが部屋全体を覆い、至るところに豪奢な装飾がされている。俺の部屋とは真逆といっていいほど様々なものが置いてあり、贅を極めている。

 ベッドの上に、小さな少女が上半身を起こして座っていた。白銀の長い髪。スカイブルーの綺麗な瞳。

 リーネだった。

 まだ10歳くらいだろうか。

 なぜか暗い瞳をしていて、今のリーネとは思えないほど顔を醜く歪めていた。

 小さなリーネの前には、4人の従者が床に平伏している。どの人もこの世の終わりのように顔を青褪め、小さく震えていた。

「ーーーそれで?どうするつもり」

 今よりまだ子供の、それでも鈴のような可愛い声が、部屋に響き渡る。

「も、申し訳…」

 リーネはベッドから降りた。ガツッと音を立てて、声を出した男の顔がリーネによって蹴飛ばされた。子供とはいえ、リーネの身体能力は尋常ではない。

 首だけがもげるのではないかというほど、男は蹴られた方向に飛ばされ、男はどっと床に倒れた。間違いなく顔の骨は折れただろう。

「言い訳とか謝罪とか、どうでもいいのよ。どうするつもりかって聞いてるの」

 4人の従者の前で腕を組んで、仁王立ちをするリーネの顔は暗く、狂気に満ちた鬼のようだ。

 従者達は震え上がり、もう言葉さえ出すことができないでいる。

「ーーー私のお気に入りのクマのぬいぐるみが、このクズ男に踏まれたのよ?どうしてくれるわけ」

 

 クマ?と俺はぬいぐるみらしきものを探す。

 よく見ると、ベッドの上に大きめのクマのぬいぐるみが置いてあった。そのクマは五体満足でベッドに横になっているが、そのクマが踏まれたというのか。汚れさえついていないのに。

 主人のぬいぐるみを本人を目の前にしてわざと踏むわけがない。多分、うっかり落として踏んでしまっただけなのだろうが。


「一緒にいたのに、それを止められなかったあんた達も同罪よ。もちろん、クマの味わった痛み以上のものは我慢して受け入れる覚悟はあるんでしょうね」

 そういうや否や、リーネは、顔を蹴られてまだ苦しんでいる男の耳を掴み、勢いよく引きちぎった。

 男の絶叫が部屋に響いた。

 残りの3人も声をあげて後退りする。

「ちょっと。誰が動いていいって言ったの。むかつくわね」

 リーネは千切った耳を、ゴミのように床に放り投げて、代わりに目の前にいる若い女の侍女の髪を掴みあげた。

「きゃあっ、お、お許しください。お許しください。どうか、どうか…っ」

 侍女はボロボロと止まらない涙を流して本気で懇願する。髪を引っ張られた痛みなど、恐怖によって全く感じていないようだった。

 リーネは優しくニコリと笑う。

「ーーーーダメよ」

 そのまま、握った髪を思い切り引っ張って、頭皮ごと握った髪を引き千切る。

 女の、紙を引き裂くような声が耳を突き抜けた。

 リーネは残る2人の護衛の男達の前に立ち、少し考えて、にやりと笑った。

「良いことを考えたわ。あなた達2人のどちらかは、足の骨を片方折る。もう1人は片方の目をくり抜くわ。どちらがいいか、あなた達に選ばせてあげる。2人で戦って、勝った方が選んでいいわ。私ってすごく優しいでしょ。さぁ、2人とも。立って戦って頂戴」

 笑うは天使の顔。言っていることは悪魔のようだ。

「そ、そんな」

「どうか、ご容赦を」

 大の大人が2人、小さいリーネの足元の床に額をすり付けて、泣きながらリーネの許しを乞う。

 急にリーネの表情が歪んで、目の前にある木製の分厚いテーブルを蹴飛ばした。何十キロとありそうなテーブルが、広い部屋の端の方まで飛んでいく。

「グズグズしてると、2人共の目をくりぬいて足を折るわよ!さっさとしなさい。興醒めしちゃうでしょ」

 ひい、と男達は泣きながら立ち上がり、護衛として腰に回した剣を抜いて構えた。

 足も折られたくないが、目は絶対に潰されたくない。いや、本気で戦わなければ命さえ危うい。

 男達は、死ぬもの狂いで戦い始めた。

 物が溢れたリーネの部屋では、剣を振り回すことも難しいだろうに。

 小さなリーネは、ベッドの端に座り直し、その様子を愉しそうに眺めていた。

 スカイブルーの瞳は濁り、口元は怪しく歪む。

 人の顔の美醜など、あまり気にしたことがない俺が、これ以上ないと思うほど、リーネの顔を醜いと思った。


 

 俺は球体をテーブルに置き、これ以上視ることができずに顔を背けた。魔力を断たれ、映像は途切れる。


 ーーー想像以上に酷い光景だった。


 視なければとは思ったが、視たことをすでに後悔している。こんなに酷いとは思いもしなかった。

 あれで昔のリーネの、たった一場面でしかないと思うと、ぞっとする。しかもただのぬいぐるみを踏んだだけで。

 きっとリーネの過去にはあれよりもっと酷い行為も沢山あっただろう。

 

 俺は頭を押さえて、目を閉じた。

 あれでは公爵邸に幽閉されても仕方ないかもしれない。初めは本当に誘拐から守るためだけの隔離だったのだろうが、途中から、リーネを守るための隔離だけではなくなったのではないだろうか。


 魔法学園は危険な行為ができないように防御魔法がかかっている。少なくとも、他の生徒が殺されることはないだろう。

 それゆえ、リーネは高等部の学園からの登園ということになったのかもしれない。

 だが、魔法学園を卒業したらーーーあの性格のまま皇后になったらどうする気だったのか。

 2年後、当時のリーネと約束通り結婚するようなことがあれば、国に影響がでる可能性もある。皇后とはそれだけの力を有する。

 

 はぁ、と俺は大きくため息を漏らした。

「…しかし、これで確実になったな…」

 その『可能性』が頭に浮かんだ時から、ずっと気になっていたこと。


 リーネの身体にも憑依者がいるかもしれないと。

 

 聞いていたリーネの噂と、実際会ったリーネがあまりに違いすぎた。公爵令嬢を妬む人の、たちの悪い噂話かもしれなかったが、それにしては、リーネの悪い噂を語る人の数は多かった。リーネが公爵邸を全く出ていないにも関わらず、だ。噂の内容は真実味を帯びていた。

 だからこそ、俺は婚約者であるリーネに、一度も会う気にならなかったのだから。

 

 そして先ほどの影像の小さなリーネと、今のリーネは全くの別人だった。俺が一度でも本来のリーネに会っていたら、すぐに気付けただろうが。

「…会っていたら、俺はどうしていただろうか」


 あんな性根の腐った人間と対峙して、俺は正気を保てるだろうか。怒りで我を忘れて、私的な感情で処刑してしまうかもしれない。


 私刑は王族でさえ禁じられている。

 それでも、俺は耐えられる気がしなかった。

 リーネを殺してしまうと、国の唯一の公爵家と敵対することになる。

「…どちらにしろ、最悪だ」

 リーネが昔のリーネである以上、平和な解決はなさそうだ、というところで思考が止まる。


 破滅に向かう父の憑依は戻したい。

 しかしリーネは…。

 

 俺は中庭にたどり着き、春の優しい風の中で、ベンチに座り柔らかい木漏れ日を楽しんでいるリーネを見つける。

 小鳥達の声に耳を澄ませ、木々の揺れる風に身を預けるリーネは、本物の女神のように綺麗だった。


 ふと、こちらを向いたリーネと視線が合う。

「アラン」

 俺を見つけて花が咲くように微笑んだリーネに、俺の胸がこれ以上ないくらいに締め付けられた。

 こんなに愛しい人は、リーネの他にいないと思う。

 俺はリーネに会う度に、毎回恋に落ちているような気さえする。


 俺はリーネの横まで歩き、ベンチに腰を降ろした。

「ーーー疲れた」

 俺が呟くと、目の前にコップが差し出される。

「飲む?」

 出されたのは、最近リーネがはまっているというハーブティーだった。スペシャルブレンドで、学園にいても水をいれるだけですぐにハーブティーになる。

「飲む」

「じゃあ、3人分、氷をお願い」

 リーネはにこりとして、もう1つコップを取り出した。

「3人分?」

「黒鎧さんの分も。もうこの季節は暖かいもの。ハーブティーだけど、身体を動かしたら冷たい方が美味しいでしょ」

 リーネの持ってきたものでも俺が口にする以上、毒味が必要だ。その毒味役にも気を遣う、か。

 俺は苦笑しながら、魔法で3人分の氷を作ってコップの中に入れた。

 カランカランと氷が軽やかな音を立てる。

 そこに、リーネが水筒から水を注ぐ。

 リュージュのいた山の聖なる湧水を浄化したもので、疲労回復や解毒など様々な効果があるらしい。

 時間をおいて、リーネは俺と毒味の黒鎧に渡す。万が一、俺のコップの方に毒がついていてもいけないので、結局は俺の分の少量を特注の毒に反応するスプーンで毒味はされるのだが、リーネのくれたハーブティーは思ったより香りが豊かで、スッキリと喉ごしもよく美味しかった。

 俺は一気に飲み干してしまう。

「美味しかった」

 俺のその言葉にリーネは少し嬉しそうにして、次にランチボックスからサンドイッチを取り出した。

「今日は照り焼きチキンサンドよ」

「これはまた美味しそうだな」

「間違いなく美味しいわよ」

 リーネは言って、自分の分のサンドイッチにかぶり付いた。とても深窓の令嬢のする食べ方ではない。


 今になって、なるほどと思う。

 父が憑依されたのに記憶は受け継いだように、リーネにも元の記憶は受け継がれているのだろう。だから令嬢としての知識はある。でもきっと、こういう令嬢らしくない行動は、リーネの中にいる人間本来の仕草なのだろうと。

 

 リーネは、とても美味しそうにサンドイッチを口に頬張って、モグモグと食べている。見ているだけでこっちまで幸せになりそうだ。

「ん。ほら、ほいひい」

 頬を紅潮させて、幸せを一緒に噛み締めるリーネは、悶えそうになるほど可愛い。

 こんな姿を他の男が見たら、間違いなくリーネに堕ちるだろう、と俺は苦笑してしまう。

「学園の『奇跡の宝石』と言われるリーネが、こんな食べ方をしているところを誰かに見られたら、間違いなくスクープになるな」


 別の意味で、ファンができてしまいそうだ。俺が他の人の前では見せるなよ、と暗に気持ちを込めて言うと、リーネは不満そうに口を尖らせた。

「何よ、奇跡の宝石って。意味わからないし。私は美味しいものを一番美味しい食べ方で食べてるだけだもの」

 そうなのだろう。そうでなければあんなに幸せそうに食べることはできない。

 リーネはリーネのしたいようにすればいいと思う。

 ただ、リーネはもっと自分というものを自覚した方がいいだろう。前から無防備だとは思っていたが、リーネの中身の可愛さが外見に出ることを、本人が理解していないようだ。


 俺は意地悪そうに笑って、リーネに言った。

「あと、この場所にも名前がついているらしいぞ。新入生がつけたようだが」

「この場所に?新入生が?」

 ただの中庭のはずなのに。

「『愛の聖地』だと」

 言いながら、あまりの馬鹿馬鹿しさに、つい自分で笑ってしまった。何が愛の聖地だ。俺はここでリーネと触れあったことなど殆どない。むしろ、告白さえさせてもらえていないのに、何が愛の聖地。

「なんですって?」

 リーネは思いきり顔を崩して驚いてみせた。

「ここで告白して成就したら、永遠に結ばれるとかいう噂が流れているんだと」

「そんなでまかせが横行するなんて、世も末ね」

 

「まぁそう言ってやるな。今年に入ってから悪い噂ばかりだ。皇帝が狂い始めたとか、大魔王が現れるとか、リンドウ帝国が滅びるとか。そんな中で、少しくらい明るい噂があってもいいと思うぞ」

 俺がそう言うと、リーネが目を丸くして、先程とは違う、信じられない言葉を聞いた時の顔をしてみせた。

「…大魔王が現れる…ですって?」

 大魔王。

 それは最近、急に現れた言葉だった。確かに大昔、魔族と神族がこの世界にいたという言い伝えはある。

 プレゼントボックスを与えるような神がこの世にいるのならば、魔族もいてもいいのだろうが。

 ーーー大魔王。

 全く想像がつかない。

 リーネに改めて言われなければ、冗談として流していたところだ。

 リーネは黙る。

 思い詰めた様子で、瞳孔が揺れている。リーネが動揺しているのがわかった。

「ーーーアラン。聖女は…スミレはまだ見つからないの?」

 急にスミレの話をされて、俺は顔をしかめる。

 なぜそこに話がたどり着くのか、全くわからない。

「スミレだと?いきなりどうした」

「スミレは、聖女は国の宝でしょう?いなくなったからって、国がそのままにしておくはずがないわよね。本当は探しているはずだもの。どこに行ったか。なぜ消えたのか。本当は何かの情報を掴んでいるのでしょう?」

 リーネは必死だった。何を考えているかはわからないが、少なくとも、スミレが急に必要になったのだろう。

「全く、わかっていないの?」

 俺は、スミレはいなくなったが、学園に多額の授業料が支払われたので特待生でありながらも在籍したままになっていることを説明した。

 スミレは平民なので、そんなにお金があるはずがなく、どこかにスミレを保護している人物がいるのだろうということも。

 資産家は沢山いる。聖女を欲しがる人間は国外にも数多くいる。その話をするとリーネは驚くように俺を見つめた。

「ーーースミレが国外にいるかもしれない?」

「可能性は十分にあるということだ」

 リーネはまた考え込む。

 スミレがどうしたというのだろう。大魔王と何の関係があるのいうのか。

 リーネはたまにこういうことがある。何かを知っていて言いたいのに言えない。そういう顔をする。

 無理に聞こうとは思わないが、話したいなら話せばいいのにとは思う。

 きっかけがあれば、話してくれるのだろうか。


「なぜそんなにスミレにこだわるんだ。今の話のどこかに、スミレに関することがあったか?」

 俺がリーネに聞いてみると、リーネの顔が俺に訴えかけようとするのにそれでも言えず、青白くなっていった。

 よっぽど言えないことなのだろう。

「ーーーアラン」

 真剣に俺を見るリーネの声が、か細く震えた。


 …よくわかった。

 

「隊長」

 俺は黒鎧の隊長を呼ぶ。

 すぐにリーネの後ろに現れ、俺は命令を出した。

「聖女を探せ」

「承知しました」

 敬礼をして、黒鎧の隊長は離れる。

 あいつは命令をして、一度もその指示を遂行できなかったことがない。それゆえ隊長となっている男だ。

 きっと、スミレを探しだしてくれるだろう。

「リーネ。スミレは必ず見つかる。心配しなくていい」

 俺がリーネの頭に手を置いて、優しく声をかけると、わずかにリーネの瞳から不安が薄まり、緊張した顔が緩んだ。少しだけリーネの目が潤む。

 よっぽどのことがあるのだろう。

 俺が少しでもリーネの力になれればいいのだが。


 俺の顔を見ながら、また何かを言いたそうにしているリーネは、今度はどちらかというと、言うことが恥ずかしいようで、不安を織り混ぜながらも困惑してみせている。

 一体、リーネな頭の中はどうなっているのだろう。

 あちこち思考が行き交って、忙しないに違いない。

 不思議なものを見物するように俺がリーネを見下ろして眺めていると、リーネが首にかかった指輪を触り始めた。リーネに贈った、俺の本当の母の形見の指輪だ。

 

 リーネは本当に単純な人格で、考えていることがすぐに行動に出る。この1ヶ月、毎日一緒にいると、俺の事を話す時や、何かを考えてそのあと俺の話になる時に、その指輪を触ることに気がついた。

 今、リーネは俺のことを考えている。

 それを思うと、俺の目の前で赤くなって1人で狼狽えているリーネが心底愛らしく思えた。

 俺がついにやけるように微笑んでいたら、リーネが顔を赤くしたままで眉を寄せた。

「ーーーなにその顔」

 つい、吹き出して笑ってしまった。仕方ない。教えてやろう。

「最近のリーネの癖だよな。その指輪を触るの」

「そう?私、触ってる?」

 首を傾げるリーネ。俺はその指輪に手を伸ばした。

「よく触っている。ーーーそれでリーネは気付いていないみたいだけど」

 リーネに顔を近づけて、視線を合わせてみせた。

「ーーーこの指輪を触っている時は、リーネは俺のことを考えているんだ」

「!!!!?????」

 口を開けて驚き、青天の霹靂という顔をして、リーネは自分の手で触っていた指輪を隠す。

 そんなバカなという顔をして、自分の考えと行動を思い返し、ようやく繋がったようだ。

 本当だわ!という顔に変わった。

 自分の行動に気付いて、リーネの顔はこれ以上ないほど真っ赤に染まる。

 俺はベンチのリーネに触れるか触れないかの位置に手を置き、そこに体重を乗せた。ギシリとベンチが鳴り、リーネがびくりと身体を強張らせた。

「ーーーあと2年だな」

「あと2年?」

「俺達の約束の日」

 俺が言うと、リーネは首を傾げた。

「私、アランと何か約束したかしら」

 全くピンと来ていないリーネ。俺が近づいたことで少し危機感は感じているらしいが、俺との未来を心待ちにはしていないと言われてしまったようで、少し腹が立った。何か意地悪してやろうかという気分になる。

「リーネが学園を卒業したら、結婚するという約束で婚約しているんだろ?」 

「え?あと2年なの?」

 知りませんでしたとばかりに驚くリーネに、俺はリーネの頬を引っ張りたくなった。俺ばかりリーネを好きなのが悔しすぎる。俺はそれが顔に出ないように、無理して優しく笑った。

 できる限り色のある雰囲気を出して、リーネを困惑させてやろうと思った。

「俺にはそれでも長いくらいだけど、さすがにその時には、リーネも覚悟を決めてるだろうな」

「カクゴ、、、」

 雰囲気にのまれ、リーネは急に片言になる。

 指輪を押さえたリーネの手を剥がし、リーネの頬をつねりたい気持ちを堪えて、リーネに顔を近づけた。

「ーーー俺に触れられる覚悟」

 頬の代わりに、リーネの首元で揺れる宝石に口づけをしてみせた。リーネは耳まで赤くして、悲鳴をあげそうになるのをぐっと堪えている。俺は、更にリーネを追い込んで顔を近づけながらリーネをじっと見つめると、リーネがもう限界という顔をしてみせた。卒倒されても困る。

 少しだけ気が晴れた俺は、自分の身体の力を抜いて、思う存分リーネを笑った。ざまぁみろと言いたい。

「ーーーそのリーネの顔、相変わらず面白いな」

 今度は怒りでリーネが赤くなる。

「アラン殿下。さすがに冗談の趣味が悪すぎますわよ」

 膨れたリーネを、俺は横目で見た。

「はは。そう怒るな。リーネが深刻そうな顔をしているから、和ませてみただけだ」

「怒るなと言われて怒らない人がどこにいますか」

 まだリーネの怒りは治まらないらしい。

 からかい過ぎたか。

「天使のようなリーネならば」

 冗談で言うと、リーネはそれを冗談とわかりながら、否定してきた。

「誰が天使ですか。私は極悪令嬢ですよ?」


 極悪令嬢。


 俺はその言葉を聞いて、昔のリーネの影像が脳裏を過った。

 天使のように綺麗な顔のくせに、目を覆うほど醜く笑い、当たり前のように非道な行為を行う。

 あれこそが極悪令嬢と言うべきだろう。

 

 それに比べて、今のリーネは極悪の気配さえ感じない。それなのに、今のリーネが自分を『極悪令嬢』と言うのが、とにかく面白かった。何を思って極悪令嬢と言ったのだろう。可愛すぎるだろう。

 俺は妙なツボにはまってしまって、笑いが止まらなくなった。腹を抱えて、気が済むまで笑い続けた。

 ようやく笑いが治まると、思わず涙が滲んでいた自分の目を擦った。

「リーネは、ずっと今のままのリーネでいてくれ」

 その言葉は、心からの言葉。

 

 一緒にいるなら、本当の極悪令嬢のリーネではなく、偽物でも今のリーネが良かった。

 単純なほどに素直で、食べ物を幸せそうに食べる。表情が豊かで見ていて飽きることのない、俺の婚約者。


 そう思った俺の心が通じたのだろうか。

 リーネは、急に姿勢を正し、淑女らしい凛とした姿で、薔薇色の唇を開いた。


「ーーーわたくしはわたくしですわよ」


 俺を見つめるスカイブルーの瞳は、どこまでも澄んでいて、曇った未来など吹き飛ばすかのように強い色を放っていた。

 

 くらりと眩暈がする。

 なぜこれほどまでに、リーネの色は俺の心に染み渡るのだろう。

 

 憑依者?

 いつかもとに戻る?

 そしたら今のリーネは…。


 嫌だーーー。

 リーネがいなくなることを考えた瞬間、自分でも驚くほど身の毛がよだった。身体中の血が逆流するような、血管が崩壊するかと思うほどに、その考えを全身が拒絶した。 

 リーネが、元のリーネに戻ることが恐ろしいのではない。

 今のリーネが『いなくなる』かもしれないと思うことが、これほどに。


 父の場合は、あれほど、追い出してやろうと必死になったのに、目の前の憑依者がいなくなるかもしれないと思うと思考が停止してしまう。

 父がどうすることもできない以上、リーネにもどうすることもできない。

 いつかいなくなるかもしれない。

 そんな曖昧な事実だけ。


 いつかいなくなる?

 ーーーーーーーーー無理だ。

 それだけは嫌だ。

 それだけは耐えられそうにない。


 こんなに人に執着したのは初めてなのに。

 こんなに人を愛しいと思ったことも。

 この幸せが、消えてしまう?

 

 あり得ない。

 無理だ。嫌だ。頭がおかしくなりそうだ。


 考えるだけでこんなに気が狂いそうになるのに、いなくなったら俺はどうなるのか。


 恐ろしかった。

 生まれてから、こんなに恐怖を感じたことはないかもしれないというほど、恐ろしく思った。

 

 どうにかしなければ。

 俺は、決意のように心に刻み込んだ。


 リーネは。

 絶対にリーネは、俺が守り抜いてみせる。


 ーーー何を引き換えにしようとも。



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