アランサイド~透明な球体について悩む
登場人物紹介
リーネ: ゲームの悪役令嬢。グランドロス公爵令嬢。切実に焼鳥が食べたい。
アラン皇子:リンドウ帝国第一王位継承者。皇太子であり、リーネの婚約者。
ノクト:リンドウ帝国宰相の息子。
ジル:グランドロス公爵子息。リーネの兄。リーネを溺愛している。
ケリー:王宮騎士団第二隊団長。魔術師の塔の管理者。魔法学園の特別講師を兼任。
スミレ:ゲームでの主役である聖女。現代からの転移者。
マイリントア:伝説級の魔物。リーネにテイムされて主従関係になっているが、かなり自由に動き回っている。
それは、目が覚めたままの悪夢だった。
他人が傍にいると出てこないそれは、意思をもっているのではないかと思うほどのタイミングで透明な球体の中にその映像を映し出す。
俺の部屋にはベッドと来客用のテーブルセットしかない。
無駄にだだっ広い部屋の中で、ベッドに横たわり、睡魔に襲われて目を閉じようとすると声が聞こえてきた。
俺が小さい頃に亡くなった母上の死ぬ時のこと。
お忍びで仲良くなった友人が井戸に落ちて半身不随になった日のこと。
俺の侍女の1人の家が火事になったこと。
黒鎧の1人の子供が難病にかかって、目の前が真っ暗になったこと。
数えたらきりがない。
毎日毎日、1人になると球体に浮かび上がる悪夢は全て現実で起こった過去のことで、1度も未来のことは映さなかった。
どのくらいの距離まで拾い上げるのかはわからないが、そこにいる場所から500メートル程度までいる人の暗い過去も、容赦なく拾ってくる。そして2度同じ映像を流すことはなかった。
ーーー少なくとも、この透明な球体を持つようになってから1週間の間は。
1人になると悪夢を映し出すから誰か傍にいて欲しかったが、小さい頃から、いつも寝るときは1人にしてくれと従者を追い出しているので、今更、寝る時に誰かに傍にいてくれと言えないのが辛かった。
年が変わり、新年の挨拶やこの先の予定を組む作業など相変わらず忙しくしているのに、夜が寝れないという苦行に身体の限界は近いような気がしていた。
それでも、倒れるわけにはいかないという気力だけで、その日も学園の自分の部屋の中、俺は父である皇帝の人格が変わったことに対するノクトの報告を聞く。
正直、他の人の心の悲しみが重すぎて、頭がいっぱいになってしまっていた。
自分の父親であるというのに、しっかりと皇帝の変化について考察できていなかった。ノクトから報告されて、眠たい頭でようやく皇帝について頭を働かせている。
ノクトは、なぜかわからないがリーネも学園の俺の部屋に招いていて、誘われたリーネも不思議そうにしていた。もしかしたら、またノクトの変な気遣いのためだけにリーネが誘われた可能性もある。
実際、新年早々、リーネに会えるのは嬉しい気持ちもあるが、今のこの俺の寝不足状態の理由を知ったらリーネが罪悪感を抱きそうで、リーネには知られてはいけないという複雑な心境ではあった。
父の変化は今年の6月頃からということで間違いなさそうだった。そこで、何者かに憑依されて、穏やかな性格が強欲で残虐なものへと変わってしまったようだ。
呪いといっていいものかわからないが、理由が何もわからない以上、そこから確かめていくしかない。
呪いについてケリー先生に何か知識はないか聞いてもらっていたが、ノクトのやつ、うっかりケリー先生に、その呪われたのではないかと疑う相手が皇帝だとバレてしまっていた。皇帝が呪われたなどと世間に広がったら、王家の失墜を狙う輩への隙を作ることになりかねないが、ケリー先生はそういう輩ではないし、ノクトより大人であるケリー先生の方が1歩も2歩も上手なのだから、仕方ないかと俺も諦める。
『息子のアラン皇子と行きたいところがあるから、そう伝えて欲しい』
ケリー先生からの伝言聞き、俺は立ち上がった。
「では、俺がケリー先生のところに行ったらいいんだな」
ちょうど良かった、と思う。ケリー先生に聞きたいのは父親のことだけではない。このままあの球体に好き勝手されていたのでは、身体がもちそうになかった。どうにかできる可能性があるとすれば、この国の最高の魔術師であり、様々な知識があり、新しい魔法を作り出せる力のあるケリー先生しかいない。
リーネの魅力減退の魔法を開発したように、あの球体を封印する方法を教えてもらえないか相談してみようと思った。
「お待ちください」
慌てた声のリーネに、俺とノクトが振り返る。
リーネは真剣な顔をしていた。
「わたくしも一緒に、連れていってくださいませ」
リーネの白銀の長い髪が、前のめりになることで肩からさらりと流れた。
なぜ、とは言わなかった。
リーネは、普段、呑気な表情をしていることが多い。頭の中がただお花畑なのかもしれないが、羨ましいほどに平和な考え方をしている。戦争のない、常に平和な世界で生まれたかのようだと、たまに思う。
戦と関係のない貴族の令嬢といえばそれまでだが、貴族の令嬢でさえ、この国では戦争が当たり前のように起こり、それが常に自分達の身の回りに影響していることを、知識ではなく『肌』が感じ取っている。
それなのに、リーネだけは、呑気にもその『肌』を持ち合わせていなかった。
リーネの容姿が整っていることと、淑女として学んできた教養のおかげで賢そうに見えるが、リーネと関わるようになってわかったことは、リーネがいつも呑気なことばかりを考えているということだった。
いや、決して悪いことではない。常に帝国の変動を感知し、いついかなる時もすぐに対応できるよう頭を廻らせている俺にとって、1人だけ天国で育ったかのようなリーネの傍にいると、つい俺もその世界に足を踏み入れたような穏やかな気分になる。
そんなリーネが、ここまで真剣な表情をしているのは、なかなか見られるものではない。何か強い想いがそこにあるのだろう。
聞いてみたい気もしたが、それを拒むような雰囲気さえ醸し出していて、俺はただ「わかった」とだけ口にした。
誰かが傍にいれば、あの球体は映像を映し出さない。俺にとっても、ありがたい申し出だった。
俺はリーネを連れて、馬車に乗り込んだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※
馬車の中。
リーネと向かい合って座っていた。
寝るなら今がチャンスなのだが、馬車の揺れが強いのと、度を越えた寝不足でかえって眠れず、俺はただ窓の外を眺めるだけになっていた。
ーーー具合が悪過ぎる。
朝に学園に行くときもそうだったが、体調が悪い時の馬車がこんなに辛いとは思わなかった。
俺はショートスリーパーだから、1、2時間寝れれば多少回復するのだろうが、それさえ許さないあの球体は、絶対、俺を壊しにかかっていると思う。
魔力量だけなら最強クラスの俺の魔法を浴びせても壊れないし、遠くに捨てたり魔術師を呼んで封印してもらっても、すぐに俺の部屋に戻ってきた。
あのプレゼントボックスにある時から、この球体が悪いものであるとは気づいていたが、こんなにタチの悪いものだとは思っていなかった。
神からのギフトと呼ばれているけれど、儀式や決まりごとを守らないとこうなるのでは、本当に神からのものなのか疑いたくなる。
あの時、リーネより先にこの球体を拾っていて良かったとつくづく思う。リーネが俺のこの立場になっていると思うだけでぞっとした。
リーネは、のほほんと平和そうな頭で幸せに過ごしてくれればそれでいい。
余計なことであの綺麗な空色の瞳を曇らせることはしたくなかった。
そんな俺の心も知らず、リーネは俺の様子をチラチラと見ながら、心配そうに瞳を揺らす。
「アラン。…その…どこか、悪いの?」
「そんなことはない」
俺はしらを切ってみたが、リーネは騙されてくれなかった。
「絶対そんなことあるでしょ。自分の顔を鏡で見ていないの?すごい顔をしているわよ」
リーネとしてるしてないの話を繰り返していると、それを見ていた手の平サイズの魔物のマイリントアが、口の端を長く伸ばして楽しそうにニヤリと笑った。
嫌な予感しかしなかった。
「こやつにも黙っておきたい理由があるようじゃよ。男が女の前で格好悪い姿は見せたくないのじゃろ。わかってやれ」
くそ、と俺は口を歪める。
「毎日悪夢を強制的に見させせられておるようじゃ。あれじゃろ…透明な球体の」
慌てて俺は席を手前に移し、マイリントアの小さな身体を肘で押し潰す。「ぐぇぁ」とカエルのような声をあげた。
「余計なことは言わなくていい」
リーネに悪夢のことがバレたら、リーネがあの球体を自分が持つって言い出すに決まっている。俺は絶対に言いたくなかった。
俺はそこそこ肘に力を込めていた。それなのにマイリントアは俺の肘から顔を出して、更に可笑しそうに目を細める。
「…バレたらリーネがあの球体を自分が持つって言い出すに決まっておるから絶対に言うまい、じゃと。ホホホ。献身的じゃのぉ」
こいつっ。
マイリントアが人の心を読めるとはノクトから聞いてはいたが。
腹が立って俺は肘を浮かし、本気で押し潰すつもりでマイリントアに身体ごと体重を乗せようとしたが、さっと逃げられて、リーネの膝の上に飛び乗った。
「こわいこわい」
と嘲笑うように言って、リーネの後ろに隠れた。
あいつ絶対、いつか仕留めてやると心に誓う。
「ーーーそうなの?アラン」
ほら、リーネの顔に不安の色が滲んでしまった。
「違う」
おれはそっぽ向くが、その俺の視界の中にリーネが自分から入ってきてもう一度確認してきた。
「そうなのね?アラン」
目の前にリーネの可愛い顔が近づいて俺をじっと見つめられると、くらりと眩暈がした。リーネにはいつもの魅力の魔法をかけているが、これだけ近いと魔法がリーネの魅力に負けてしまうのかもしれない。
俺はリーネの顔を優しく手で覆い、ぐいと押しやった。リーネの顔が離れても、まだ身体が何かの薬を使われたかのようにぼんやりする。
「違うと言っている」
すると、俺の手が勢いよく振り払われた。
「じゃあ、あの球体を私にちょうだい。何も問題なければ私に渡せるでしょ。あれは私へのギフトでもあるんだからね」
こう言われるともう誤魔化しが利かなくなる。リーネには渡せないのに、渡せなかったらその理由を話さなければならない。
俺はリーネの後ろにいるマイリントアを、もう一度睨み付けた。ため息を大きくついて少し考える。しかし考えても、今の俺では頭が回らなくて、他に誤魔化す方法を思い付かなかった。
仕方なく、俺は口を開いた。
「ーーーあれはどうやら、過去の悪い部分だけを映し出すもののようだ。俺だけではない、近くにいる人間の悪い記憶も掬い上げる」
リーネが眉を寄せた。俺への心配が更に増している。せめて少しでも、俺を心配しなくて済む言い方を探った。
「…時間やところを構わず急に映し出してくるから、少しばかり寝不足なだけだ。が。基本が単純過ぎるリーネには酷なはずだ。だから渡せない」
「そんなの、もう捨ててしまえばいいのに」
捨ててしまえれば、本当に良かったのだが。
俺は1度魔術師に封印してもらったが、気づけば俺のところに戻ってくる話をリーネにした。話をすると、この1週間の球体に対する暗い記憶が甦り、激しい疲労感に襲われた。
「ケリー先生にそれも相談しましょう。それより少しは眠らないと」
俺の横にいたリーネは、おろおろとしながら、俺を座席に横にするために、立ち上がって俺の向かいの席に移動しようとした。
俺はその身体に手を伸ばして止めたい気持ちになる。
リーネが横にいると、少しだけ心が落ち着くのだ。
リーネには俺の横に座っていてもらいたかった。
どうせこの馬車の揺れの中ではたいして眠れはしない。小一時間で騎士団基地に到着するだろう。中途半端な睡眠は、かえってきつい。
どうしたら、そのまま隣に座っていてくれるかと考えた時に、さっき、マイリントアがリーネの膝の上に飛び乗った姿を思い出した。あの時、実は俺は少しだけマイリントアが羨ましかった。
それを言ったらリーネは困るだろう。だがその姿を想像すると、つい、リーネが困る顔を見たくなってしまった。
その姿を見たいと思えるだけ、まだ俺には余裕があるのだろうなと、少し笑えた。
俺は意地悪そうに、リーネに微笑みかける。
「…リーネが膝枕をしてくれたら、少しは眠れるかもしれない」
言った瞬間、俺から逃げ出すようにリーネは俺から離れた方の壁の端に寄った。真っ青な顔をして、リーネは目を白黒させている。
「…無理ですわっ」
リーネはとことん恋愛沙汰が苦手なのだろう。
リーネの表情をみるだけで、リーネが何を思っているのか理解してしまう。もう少しは色っぽく反応してもいいくらいだが、その反応があまりにリーネらしくて、笑いが込み上げた。
折角の美人な顔を、ここまで崩せるのはリーネくらいだろう。
「そうだろうとは思っていたけど、想像以上に面白い顔をしてくれる」
一度笑いだすと、リーネの反応が頭から離れていかなくて、笑いが止まらなくなった。
俺がしばらく笑っていると、リーネはしかめ面をして俺を睨み付ける。
「私をからかったのですね」
それは違う。結果的にからかった形になっただけだ。
「からかっていない。膝枕をしてくれるなら、それはそれで良かった」
「絶対致しません」
「だから、それならそれで良いと言っている」
「よくは御座いません。皇太子とあろうお人が…」
リーネは、照れ隠しにくどくどと俺に説教を始めた。リーネが照れると口調が敬語になるのは感じていたが説教は厄介だ。はじめはそれでも聞こうとしていたのに、リーネの鈴のような声があまりに可愛らしく耳に心地よかったので、段々子守唄のように聞こえてきた。
馬車でなんて絶対眠れないと思っていたのに、身体の力がどんどん抜けていき、リーネの声も薄れて聞こえなくなってきた。
そして俺は、意識を手離した。
※※※※※※※※※※※※※※※※
リーネが少しでも俺が眠れるようにと、馬車をゆっくり走らせてくれていたらしい。
小一時間でつくはずが、3時間もかかって騎士団基地まで辿り着いた。もう空は夕焼けに染まり、太陽は沈みかけていた。
随分と寝てしまったがまだ頭がはっきりせず、リーネに言われるまま、リーネのあとをついていくのが精一杯だった。寝不足の時の方がまだ頭が回っていた気がする。リーネが何か俺に言っていたが、それは耳から耳に通り抜けていた。なんとなくで返事する。
騎士団には何度か訓練にきたことがあるが、今は頭の中の地図情報の引き出しは全く開けられない。
そんな時、男の声がリーネの名を呼んだ。俺のものより濃い金色の髪が目立っている。
「リーネ?」
「ジルお兄様?」
ジルの声と、それに驚くリーネの声。
「なぜ俺の可愛いリーネがこんな、むさ苦しくて飢えた狼どもの中にいるんだ」
怒りを声に含ませて、ジルの声が耳に届いた。
「それはわたくしの台詞ですわ。なぜジルお兄様がここに?」
ジルは、学園卒業のあと、騎士団に入団することをリーネに話していた。
リーネとジルは、非常に仲が良い。
リーネと出会う前。まだリーネの評判が最悪に悪い時から、ジルはリーネのことを庇っては可愛い妹なのだと自慢していた。
いつからかジルが俺に対して距離を置くようになったが、ジルは相変わらず妹を溺愛している。
リーネもジルを全身全霊で信頼しており、2人が話し出すと2人の世界にどっぷりはまってしまうので、外野はただ傍観するしかない。
しばらくジルとリーネの話を聞いていたが、なかなか終わらないので、とうとう割り込むように声をかけてしまった。
「…ジル。絶対、俺を無視してるだろう?」
本来ならば、まずは立場が上のものに挨拶が基本だ。何においても優秀なジルが、それを忘れるはずがない。俺をあえて無視しているのは間違いなかった。
それでもジルはさも今、気がついたというように言った。
「ーーーこれはこれは。アラン殿下も御一緒でしたか。それは失礼。可愛い妹に近づく男は全て毛皮を脱いだ狼にしか見えないもので、とんと気づきませんでした」
しかし、とジルは俺に怒りを込めて微笑んだ。
「未婚の妹が、こんな男ばかりの危険な場所に来ることさえあり得ないのに、それを保護すべき婚約者どのが、まさかぼんやりと後ろを歩こうとは。これはさすがに許しがたい行為としか思えません。貴殿は妹の可愛さを理解しているつもりで全く理解できていない」
ジルは俺が毎日、リーネのためにかなりの魔力を使って学園中に魅力減退の魔法を使っていたことを知っている。今でこそ簡単な魔法になったが、そのために苦労した日々は理解しているはずだ。
それでも足りないと言うか。
「リーネの可愛さなら、充分、嫌というほど理解している」
そう言ってはみたが、ジルは俺に冷たい視線を流しているだけだった。
納得させるに説明が不十分というように。
俺は続けた。
「公爵家が今まで屋敷に閉じ込めていた理由も痛感するほど理解している。俺だってリーネを王宮の奥底に閉じ込めて一人占めしたいくらいだが、それではリーネが可哀想だろう。ジルもそろそろ過剰な妹馬鹿はお仕舞いにして、リーネを解放してやったらどうだ。リーネはちゃんとこの俺が守っているんだ。常に妹の傍には居れない兄は、もうお役御免だろう」
ふと見ると、リーネが顔が爆発するのではないかというほど真っ赤になっていた。
ジルは、今度こそ表情から笑みを消して、俺を睨み付けた。親の仇かと言わんくらいの視線に、俺はそれほどジルに何かをしたのだろうかと不思議になる。
「ーーー確かに俺はリーネの傍にずっと居ることはできないが…それでも、アラン、お前がリーネを本当に守りきれるとは思えない。お前がそんな風に思い上がり続けているつもりなら、こっちはリーネとの婚約を破棄させることだって、」
「ジルお兄様!!!」
リーネが慌てて叫び、ジルはようやく我に返って口を閉じた。
婚約破棄。
俺は考えたこともない単語に、唖然としてしまった。
俺とリーネの婚約は、小さい頃からの王家と公爵家の親同士が勝手に決めた取り決めだが、立場が上のものからではなく、下のものが大した理由もなく婚約破棄した場合は、莫大な賠償金を支払うことになる。そして女性であるリーネは、公爵家の人間でありながら、王家との婚約を勝手に破棄したと後ろ指をさされて生きることになるだろう。
それだけのことを背負ってでも、俺と婚約を破棄させるというのは、いかがなものか。
俺は、嫌われているようで、ふとした時に優しい瞳に戻るジルに、どこかまだ、いつかは仲が戻るのではないかと思うことがあった。
むしろ、理性で俺のことを除外しようとしているだけで、本能では全然嫌っていないのではないかと。
俺の勘が、そう言っていた。
だから婚約破棄という言葉を出されても、ジルを責める気持ちにはならなかった。
それでも、実はそれなりの良識があるのだろうリーネは、ジルの言葉の重さを深く受け止めているようだ。お兄様優先主義のリーネなのに、ジルを叱咤するように声を落とす。
「ジルお兄様。少し頭を冷やされた方がよろしいかと。お兄様にしては珍しく、言葉が過ぎるようですわ。あと心配されなくても、わたくしはもう大丈夫ですのよ。誰かに守られなくても、ちゃんと1人で何でもやれますし」
穏やかに微笑を浮かべるリーネに、俺はさすがに突っ込んでしまった。
「…リーネが1人で大丈夫なことはないだろう」
そもそも、それだけの容姿を持っていて、まだ自覚していないところから問題なのだ。学園入学までは公爵家が家で守り、学園に入ってからは俺が魔法を使っているから何も起こっていないが、これで誰も何もしていなかったら、リーネは多分、この場所にはいないだろう。何かのトラブルに巻き込まれているのは間違いない。
大体、リーネは思い付きの行動が多い。
臨機応変といえば聞こえは良いが、考えなしに動くから、行き当たりばったりになっている。
よくそれで今まで生きてこれたなと思うほど、リーネは危険な行動が目立つ。そこがリーネの魅力でもあり、見ていて飽きないが、ここまで堂々と『1人でも大丈夫』と自信を持って言われると否定するしかなかった。
「は?」
リーネは俺が否定した言葉を、納得できないで聞き返した。
「確かに、とても大丈夫とは思えないな」
さすがにジルも同意する。ジルは続けた。
「そもそもリーネ、お前は今もまだ、自分が人から守られている存在だということを全く理解できていない。お前はもう少し自分をちゃんと見つめ直した方がいい」
クドクドとリーネに説教するジルの言い分は確かで、むしろまだ甘いとさえ思えた。しかしそれよりもジルのくどい説教の仕方が、馬車の中のリーネの説教とよく似ていて、さすが兄妹だなと、血の繋がりを改めて実感してしまった。
「…わかったか?」
ようやく説教に満足したらしいジルに、リーネは面倒くさいという顔をして、「はぁい。わかりましたわ」と口先だけの返事をしてみせた。
「絶対わかってないぞ、こいつ」
俺が呟き、ジルは項垂れたが、その時のジルは、俺にも優しい目をしていた。俺を嫌うのを思わず忘れていたかのように。
俺はさっきのことは気にせず、ジルに話しかける。
「まぁ、もういいだろう。ジル、ここにはケリー先生に相談に来たんだ。ケリー先生の居場所はわかるか?」
ジルは少しだけ気まずそうにしたが、やはり以前みたいに返事をしてくれた。
「…ケリー先生なら、そこの赤みがかった壁の建物の3階にいる」
「そうか、わかった。それで?ジル、そんなに妹が心配なら、ケリー先生のところに一緒にくるか?」
ジルは少し考えて、「いや…」と呟いた。
「今から少し別の用があるんだ。ケリー先生がいるなら安心だろう。すぐ戻るから帰りは一緒に帰ろう、リーネ」
優しく、ジルはリーネに微笑む。
本当に不思議だった。
去年の春まで、ジルは俺と、共に成長するライバル的な立場で仲良くしていたのに、急に態度が変わった。あれだけ俺に、リーネに会いにきて欲しいと言っていたのに、去年の冬に公爵家に行くと、すでに今のように婚約者として落第したかのような態度をとられるようになっていた。
人が変わってしまった父と違うのは、俺に対する態度以外はジルはジルのままということだ。
誰に対しても優しく紳士的。何においても優秀で、かつ、自分の言い分は必ず通す強さがある。その裏には血を吐くほどの努力があった。
あれだけのことができる人間が、2人もいるはずがない。
ジルはジルだ。他の誰でもない。
だから、『ジル』本人の俺に対する評価だけが変わってしまったとしか思えなかった。
なぜ、と俺は考えてしまう。
ジルが俺達から離れていき、俺達がケリー先生のいる赤みがかった壁の建物のところに行くときも、つい、そのことを考えてしまっていた。
リーネを置いていっているとも知らず。
「友情とは、厄介なものじゃのぅ」
声を足元の方からかけられて、俺はその声の主を横目に見る。マイリントアが俺の裾のところに張り付いていた。
なぜ俺のところにいる、と、さっきの恨みがこみあげるが、マイリントアが短い足で必死によじ登ってくるので、それは叩き落とさないでやった。
「お主の思うとおり、ジルは別にお主の事が心から嫌いではないのじゃがなぁ…あいつはあいつで、器用そうに見えて、不器用な男なんじゃろうな」
「ーーーマイリントアは、ジルの俺に対する態度の理由を知っているのか」
マイリントアは、少しだけ黙って、誤魔化すようにホッホッと笑う。
「ワレは心の声を聞くだけじゃからなぁ。少しだけ知っているとはいえ、見てはないので詳しくは知らん、というのが正しいかのぉ」
俺はマイリントアを自分の腰についたポケットに入れてやった。モゾモゾとマイリントアは体勢を整える。
「しかし、ジルの理由を教えてはくれないのだろうな」
マイリントアは改めてポケットから顔を出し頷いた。
「そうじゃの。教えてやりたい気持ちもあるが、言うと色々と問題が発生することじゃから『言えない』のじゃよ。ーーーその代わり、お主に少しだけ助言してやろうか」
「助言?」
「あの透明な球体の話じゃ」
にこりとマイリントアが微笑む。
「球体がどうした」
「あれは神からのギフトじゃろ。基本は儀式を終えてから受け取るものらしいではないか。儀式を経ていないから悪いものになってしまった。それならば、儀式をしてしまえば良い」
俺は足を止めた。
「ーーーなんだって?」
「儀式については、ケリーのやつが今、研究中であろ。ちょうど良かったではないか。ケリーに聞くがよい。まぁ、ケリーはまだ完全に儀式の方法を解析できておらんがな」
俺はマイリントアを訝しく眺めた。
「なぜそのことを主人のリーネではなく、俺に言うんだ」
俺が怪しんでいることに気づいて、マイリントアは楽しそうに笑った。
「ホッホッホッ。別に悪いことは考えておらんよ。ただのぉ、さっき馬車でお主に触れた時に、お主がものすごい魔力を持っていることに気づいてな。さすが皇太子とでも言おうか。しかも、お主の魔力は非常に純度が高い。ワレら魔獣は魔力を食らって生きる。もちろん、普通の食べ物も美味しいがな、最高のご馳走は魔力なんじゃよ。そしてお主の魔力は純度が高く、稀有の魔力と言ってもいいほどじゃ。少し馬車でいただいたら、久しぶりに美味い魔力じゃった」
俺はじろりとマイリントアを睨んだ。
「ーーーだから何だ」
マイリントアは、にやりと目を細める。
「…惜しい、と思ってな」
マイリントアは『何が』とは言わなかった。
「あの神からのギフトも、お主の膨大な魔力が一緒に吸いとられなかったら、多分、あそこまでのものはできていないはずじゃ。リーネの、魔力は殆どないが闇魔法と、お主の尋常でない魔力のせいで、あんなものができてしまった。あれはワレにとっても好ましくない代物じゃからな。さっさと本来の姿に戻すが良い」
あぁ、とマイリントアは付け加える。
「なぜリーネじゃなくお主にこの話をしたか、だったな。その儀式をするには、はじめの状態と同等の、いや、それ以上の魔力を要する。リーネの、小匙一杯程度の魔力ではどうすることもできん。だから殆どお主が舵をとる形になる。それならはじめから、お主に話した方が話が早いと思っただけじゃよ」
あの球体は、そういう仕組みか。
パズルのピースがはまるように、俺は納得した。
マイリントアは、俺が理解したことで満足そうにしていた。そして、平然とした顔で俺に言う。
「ーーーそれよりも、ワレの主人が泣いておるようじゃ。良かったのか?お主が守ると先ほど堂々と言うておったが」
俺が後ろを振り返ると、リーネがついてきていなかった。考え事とマイリントアの話に集中してしまっていた。
さっき、兄であるジルに、リーネは俺が守ると言ったばかりでこれでは、本当に婚約破棄させられてしまう。
俺は慌てて来た道を戻ると、リーネが俯いて立ち尽くしていた。
「リーネ?」
と声をかけても動かないリーネを覗き込むと、リーネは顔がぐちゃぐちゃになるほど泣いていた。
「ぅわっ。どうした。なんで泣いているんだ」
置いていかれて泣いているわけではないだろうが、何をしたらこんなに泣くのだろう。
リーネは、真っ青な顔で俺を睨み付けるだけで、なかなか言葉を発しない。何度か俺が聞いて、ようやく口を開いたが、泣きじゃくっているせいで言葉になってしなかった。
「ア、ア、アラ、、、、ス、ス、スミ、、、の」
ひっくひっくと声を切らすリーネに、俺は困り果てる。
「全くわからん。少し落ち着け」
俺はリーネの細くて小さい背中を撫でて、少し落ち着かせようとした。すると、リーネは言葉の代わりに、自分のもっているものを俺に見せた。
透明な球体。
俺は目を見開いた。
腰のポケットに入れていたはずの球体が、なぜリーネの手元にあるのか。もしかして、さっきマイリントアをポケットに入れた時に弾かれて落とされたのか。
「見たのか?」
俺が球体を奪い取るようにしてリーネに聞くと、リーネはゆっくりと頷いた。
それにしてもこんなに泣くなんて、一体、何を見たというのか。
球体は過去を映し出す。
一体、誰の過去が、リーネをこんなに絶望させたというのだろう。
リーネは何も言わなかった。
だから俺は、リーネが泣き止むまで、俺はリーネの背中を擦り続けていた。




