スミレサイド~ある日の教会での出来事
私がここに来る前は高校生だった。その年でこの世界にきた時は、5歳だった。
あれからもう10年が経つ。
大好きだったゲームだから、どんなに時間が経っても物語の流れは覚えているはずなのに、最近、少しずつ忘れていっているような気がする。
薔薇の人は、学園の寮の前で会っていた時より1回に会う時間は減ってしまったけど、約束通り、毎日私に会いに来てくれていた。
そして私のその日1日がどんなものだったのか、薔薇の人は嫌がることなく聞いてくれる。
この大聖堂では殆どがお祈りの時間だから、私の出来事に大した話はないのに、それでもつまらない顔をせずに笑顔で私の話に相槌をうってくれていた。
最近、私はいつも、薔薇の人のことばかり考えている気がしている。
※※※※※※※※※※※※
「聖女様」
呼ばれて私は振り返った。
私に与えられた部屋に入ってきて声をかけたのは、私の護衛の1人だ。
「どうしたんですか?」
「お祈りの時間でございます」
オレンジの髪をボブに切った女の子。メイという名前で、私より少し高いくらいの、細身で可憐そうな少女なのに、実はすごく強いらしい。
薔薇の人が少し前に、私に護衛としてつけてくれた。聖女は色んな人から必要とされる分、狙われることも多く、用心が必要だと言われた。
「今日はどこへのお祈りですか?」
「南西のダダヤ村です」
「わかりました」
私は少し立ち位置を移動して、祭壇の南西部に膝をついて手を合わせた。
ここは祈りの場。広い空間をぐるりと、円になった祈祷するための台座がある。その中央に祭壇があって、そこで祈りを捧げる。
この教会にきて数ヶ月。
私はこうやって毎日、教会の中からお祈りを続ける。
はじめはなぜ毎日毎日お祈りばっかりしなきゃいけないのかと泣いていた。ここから出ることもなく、お祈りばかりで耐えきれそうになかった。
でも、薔薇の人が気長に私を励ましてくれた。
少しずつ。本当に少しずつ慣れていき、ようやく最近、薔薇の人に泣き言を言う回数が減った気がする。
もう学園に戻れないのかとか、普通の生活はできないのかとかも色々考えるけど、薔薇の人が全て大丈夫と言ってくれる。
学園に戻りたければ戻れるようにしてくれると言うし、普通の生活をしたければ、それも必ずできるようになると。
だからしばらくはここで頑張って欲しいと根気強く言われた。
実際、学園からは、特待生が長期間休んでいるのに退学ではなく休学扱いにしているという連絡が届いた。
きっと、薔薇の人なら私が本当に普通の人になりたいと言ったら、そうしてくれるのだと思う。
いつの間にか、私は神を信じるように、薔薇の人を信じるようになっていた。
薔薇の人がやれというなら私はやるし、薔薇の人が望むなら、そうしてあげたいと心から思う。
あの人は一体、何者なのだろう。
ゲームであんな人、でてきただろうか。
いや、出てきたとか出てこないとか、そんなこと、もう私はどうでも良かった。
薔薇の人さえいてくれればいい。
私は薔薇の人のために生きて、薔薇の人のために死ぬのだろう。
もうーーーそれで良いような気がしていた。
私は1日のお祈りを終えて、夕方、私は自分の部屋のベランダに出る。
ピンクのフワフワの髪が、吹き抜ける風に靡く。
3階にあるそのベランダから見える下の庭園は、少しだけ、あの寮の庭に似ていた。
私と薔薇の人の、毎日会っていたあの薔薇の花壇のあるあの庭に。
「ーーーまだかな…」
呟いたら、私の後ろから声が聞こえた。
「お待たせしましたか?レディ」
薄い唇を綺麗に上げて、薔薇の人が現れた。
まさか私の後ろから来るとは思わなかった。ベランダにいる私の後ろから来ると言うことは、私のいた部屋から出てきたことになる。でも部屋にこの人は絶対にいなかった。
私は笑う。
「相変わらず、神出鬼没ね。どうやって来たの?」
「答えを言ったら、面白くないでしょう?」
相変わらずの目元だけ覆う仮面と、シルクハットにタキシードというマジシャンのような格好をした薔薇の人は、口元に指を1本立てて、薄く形のよい唇を尖らせた。
そしていつものように、ピンクの薔薇を1本、私に渡してくれる。
ベランダに置いたベンチに並んで座り、私は今日の報告をする。薔薇の人は、それを静かに聞いてくれていた。
「西南のダダヤ村ですか。あそこは最近、疫病が発生したらしいですからね。でもスミレがお祈りをされたのなら、すぐに終息するでしょう。ダダヤ村の人達も、これで安心ですね」
「…そっか。疫病…」
私はそんなことを知らずに、ただ祈るだけだった。私が祈ることで、その人達の病気は少しでも減るのかしら。
ーーーそうだといいなと、思った。
「貴方はほんと、色々と物知りね。どこからそんな情報を手に入れるの?」
「さぁ、どうでしょう。これは私の趣味みたいなものですからね。私は人というものに興味があるだけなんです。興味を持てば、自ずとその知識が染み込んでくるものですよ」
「ーーーそんなものかしら?」
「そんなものです」
ふふ、と2人で微笑み合う。
穏やかな時間。
ずっとこの時間が続けばいいのに。
「では、今度、ダダヤ村がどうなったか、今日の状態と比較できるようにして持ってきますね」
「もう帰るの?」
私は立ち上がった薔薇の人を見上げる。
「ええ。ここに居たいのはやまやまですが、私はここには来ていないことになっているので。ではまた明日。スミレ」
そして薔薇の人は姿を消した。
彼は隠蔽の魔法が使えるらしい。
見せたい時に姿を見せ、消したい時に姿を消せる。
それでも魔力がかなり強い人には、その姿を見られることがあるからと、薔薇の人は短時間だけ私に会いに来る。教会の中では、魔法を使うとそれだけで魔法を使ったことがバレてしまうらしい。
だから私達が会うのは、いつもこのベランダだった。
毎日来るのは大変だろう。そこまでしてくれるのに、薔薇の人は私を好きと言うこともなく、触ることもない。
ただただ、本当に会いに来ているだけなのだ。
私はこんなに好きなのに、薔薇の人の気持ちが今一つわからなくて。
できれば触れたい。そして触れて欲しいと思う。
ーーー薔薇の人にそんな気配は全くないけれど。
私は部屋から出て、次の夜のお祈りのために聖堂へ向かった。
3階にある部屋から聖堂までは、螺旋階段を1階まで降りて、聖堂まで続く長い廊下を歩く。廊下は赤い絨毯が敷き詰められており、歩いてもあまり物音がしなかった。
「…そうか。わかった。ではそのように」
「はい。では失礼します」
この宗教のシスターは、白い服に、頭から白い布をかぶったような姿をしている。
シスター2人と、その向かいに背の高い男性の姿が見えて、私は足を止めた。シスター達は男に頭を下げて、男の傍から離れていく。
茶髪の短く揃えた天然パーマをオールバックにした顔の彫りの深い男、ロールド。
猊下と皆から呼ばれているその男は、私に気づいてニコリと笑った。
「聖女様。今からお祈りですか。精がでますね」
「いえ…別に…」
ロールドは偉い人なのだろうとは思う。対応も悪くないし、いつも笑顔で接してくれる。ーーーでも何故だろう。何か私はこの男が好きではなかった。
私はぺこりと頭をさげて、ロールドとすれ違おうとする。
その時、左肩をポンと叩かれた。
ゾワリと鳥肌が立つ。
「【やめて】」
私は勢いつけて後ろを振り返った。険しい顔で、叩いたであろう男を見上げる。
「ーーー触らないでください」
ロールドは、私が触られたところを押さえて嫌がる姿をみせたにも関わらず、全く気にした様子もなく微笑んだ。
「聖女は潔癖症でしたか。それは申し訳ありません。今後気を付けますね。ーーーあぁ、大丈夫ですよ。聖女様のような若くて子供らしい顔立ちの方は私のタイプではありませんので。同じ年なら、一度、アラン殿下の誕生祭で見たグランドロス公爵令嬢の方が…」
その瞬間、ロールドの足のすぐ先に、クナイが刺さった。あと1センチずれていたらロールドに刺さっていたが、あえてずらしたと考えると、とんでもない技術である。
ロールドとともに、クナイの飛んできた方向を向くが、そこには誰もいない。
ロールドは、それでも涼しい顔をしていた。
「おやおや、聖女様は凶暴な犬を飼われているようですね。私は聞いておりませんでしたが…。いえ、大丈夫ですよ。国の宝である『聖女様』ですからね。許容範囲内でしょう。ただ…」
ふっ、とロールドは小さく笑う。
「どうやらその犬の主人は、貴女ではなく別のところにいるようですね」
笑われて、私は口を歪めた。
「ーーーそれでも私の頼れる護衛です。痛い目に遭いたくなかったら、軽口は控えた方が良いかもしれませんよ?」
ロールドを私が睨み付けると、ロールドはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「リンドウ帝国の聖女は怖いですね。噛みつかれる前に退散しましょう。それではまた」
と言って、ロールドは私の進む方と反対側へ歩いていった。
ロールドが見えなくなるまで、私はロールドの背中を睨み付けていた。
完全に見えなくなって、私は口を開く。
「…メイは、貴方だったのね。…ロジー」
赤い絨毯の廊下で1人で呟く。
他に誰もいないように見えるが、私には有能な護衛が1人ついているーーーはずだった。
「失敗したなぁ…」
メイの声が、どこからともなく聞こえてくる。
あの時。ロールドとの会話の時もどこに隠れていたのかわからないが、隠れ方が魔法ではないことは知っている。あの薔薇の人でさえ入れないこの教会は、魔法の力に敏感なのだろう。
だからこそ魔法ではなく武力や技術に長けた女の子を私の護衛としてつけてくれた。ーーーと思っていたら、実は男の暗殺者だったわけだけど。
「バレバレよ。ちゃんと私の前に出てきて」
「はいはい」
すと、と突然目の前に、オレンジの髪の女の子が降りてきた。
「クナイを投げたのがメイって言うならともかく、なんで僕だってわかったの?」
メイの姿でロジーの声が出ると、すごく違和感がある。私は眉を寄せた。
「自分でも理由はわかってるんでしょ。魔法を使わなくても強くて暗躍できる、そしてあの公爵令嬢のことでムキになる人なんて、貴方しかいないわ」
少し間を置いて、メイの姿のロジーは困ったように頭を掻いた。
「…失敗したなぁ」
同じことをもう一度言う。本当に失敗したのだろう。ロールドにクナイを投げたことではなく、リーネという公爵令嬢のことでついムキになってしまったことが。
「貴方、暗殺者じゃなかったの?」
ニヤリとロジーは怪しく笑った。
「やっぱり知ってたんだ。そうじゃないかと思ってたんだよね。僕をずっと警戒してたでしょ」
ゲームの知識で、ロジーが暗殺者だということをはじめから知っていた、とは、ロジーには言えない。
ロジーは聖女を殺すつもりで学園に入ってきたけど聖女に恋をして、暗殺業界から手を引くはずだった。
でもこの世界での学園では、ロジーは公爵令嬢とばかり一緒にいて、私とは仲良くなれないまま、私が学園を出てしまったけど。
まさか私を追ってここまで来ていたとは知らなかった。
「君を殺す依頼があってね。でも学園では強力な防御魔法がかかってたし、ここにきたら、君のーーー『薔薇の人』に、とことん邪魔されてね。結局、君の護衛をする方が僕にとってメリットが大きかったから、鞍替えさせてもらったんだ。だからもう、安心していいよ。僕は君を殺さない」
「そんなこと、信じられると思う?」
瞬間、とん、とおでこをつつかれた。
ロジーの妖艶な瞳が、私の目を覗き込んだ。
「『この僕』が、『この場所』の『この距離』で君と話をしているんだ。…この意味、わかる?」
私はたじろぐ。
確かに、防御魔法もかかっていないこの教会で、超一流の暗殺者であるロジーがその気になれば、もう私はとっくに殺されているだろう。
そしてーーー薔薇の人。
ロジーの口からその人の名前が出ただけで、一気に信頼性がでてしまった。
薔薇の人が、また助けてくれたんだ。
ロジーは敵ならかなり危険だけど、味方になったらこれ以上強力な仲間はいないだろう。
魔法を抜きにしたら、攻略対象の中でもダントツで強いと言われるロジーだ。一流の暗殺者の中でも、ロジーは飛び抜けていたという。
聖女に恋をして…あれはそう、ロジールートに入ってからの2年生イベント。
大魔王と戦う前に、ロジーは聖女のために暗殺業界を抜けた。それによってロジーは組織から命を狙われたが、聖女と協力して、その組織を壊滅させたのだ。
ロジーのルートはそんなお話。
…今回、私はロジーに全く協力してないけど。
私は目の前にいるロジーをちらりと見る。
まだオレンジの髪の女の子の姿をしているロジーは、全く『ロジー』の姿の面影もない。完璧な変装だった。
「…ちょっと聞いてもいい?」
「なんだい」
「貴方の元いた組織は…どうなったの?」
私が聞くとロジーは不敵に笑って、口パクで呟く。
『ミ・ナ・ゴ・ロ・シ』
怖っ。
なんとなくそんな気はしていた。
ロジーは子犬系男子とか言われてるけど、この世界で見る限り、ロジーは人に頼るタイプではない。
ゲームでのロジーは聖女と仲を深めるために、1人ではできないという演技をして、協力してもらうふりをしていただけだと思う。あれって絶対、聖女が手伝わなくても1人で壊滅させたよね。
ロジーは気を取り直すように、優しく微笑む。
「まぁ、そういうわけだからさ。もう追われることもないよ。『薔薇の人』との契約はあと1年半ってことだから、それまではちゃんとスミレを守る」
私は眉を寄せた。
自分の耳を一度疑う。
「何それ。なんで1年半?」
「なんでって、僕に聞いても知らないよ。知りたいなら、自分で『薔薇の人』に聞いてみたらいいんじゃない。恋人なんだろ?」
私はかあっと頬が熱くなってしまった。
「な、な、な、なんで。恋人なんかじゃないわよ。まだそんな」
「そうなの?あんなにいい雰囲気だしておいて」
「いい雰囲気って、そんなこと…」
……そう、なのかな。
私がそう感じてないだけで、実は薔薇の人も、私と同じ気持ちでいてくれているのかな。
ゲームの世界は、アラン皇子達の卒業パーティーがある来年の春で終わる。それはあと1年3ヶ月程度。私の卒業まではあと2年3ヶ月。
なぜ1年半なのかわからないけど。
明日、薔薇の人がきてくれた時に聞いてみよう。
ーーーそういえば、と思う。
わからないことがもう一つあった。
あの時。ロールドに触られた時。
「【やめて】」
私の口から出たあの言葉。
私が言った言葉じゃなかった。
勝手に口が動いて声を出していた。
これはーーーどういうことだろう。
何か変な魔法でもかけられているのか。危険な目に遭いそうになった時に教えてくれるような魔法が。
…よくわからない。
これも明日、薔薇の人に聞いてみようか。
私は呑気にも、そんなことを思った。
ーーーだって。
薔薇の人の言うことは、間違いないのだから。




