アランサイド~残月祭への誘い
スタジアムの建設が終わり、その報告を皇帝に申し上げた。その時の皇后の悔しそうな顔をみてから、少しだけ溜飲が下がる思いがしたが、皇帝は厳しい表情をしたまま、俺のことを誉めることはなかった。
やはり俺の最近の悪評を改善させるために、スタジアム再建を依頼したわけではないのだと思い知らされた。
俺の立皇太子を、笑顔で誉めてくれた父親の姿をみたのは、まだ記憶も新しい今年の春のことだ。あれから半年でその心に変化があったとしか思えなかった。
凡庸な皇帝。しかし民に優しく平和主義であり、それでいいと思っていた。だがいつしか民を想うことはなくなり、無意味に贅沢をして、更に民から様々なものを奪うようになり、他国と戦争を始め出した。
俺と血の繋がらない皇后は、まるで子供はただ一人、マルクしかいないというようにいつも俺の弟を皇后の傍に置いて、皇帝の横に立つ。
しかし、この皇后ーーーその意図を、敵にこんなにあからさまな姿を示す単純な人間に、皇帝を裏から操作するような複雑な心理戦ができるとは思えなかった。
一体、半年の間に皇帝に何が起こったというのだろうか。
心の底からすっきりとすることはできない気持ちのまま、俺は普段の生活に戻った。
学園の魔法の授業と、国民の訴えを聞き、それをノクトをはじめとする参謀達と相談して、できるだけ改善できるように策を練る日々。
どんなに俺の名が地に落ちようと、これをやめる気はなかった。これは名声をあげるためにしていることではないのだから。
しかし、胸に落ちた黒い雫は消えることはなかった。
一人部屋にいた時。昼間に疲れて休む時に、その雫がじわりと血の方にも滲んで広がるのを感じる。
身体を蝕むように心が濁りかけたとき、リーネが頭に浮かんだ。
リーネを想うと、少しだけその濁りが薄くなる気がした。そして無性にリーネに会いたくなって。
リーネに会う。そんな時間は俺にはない。リーネに会うには、その後、時間を取り戻すために普段の倍ほどの過酷な労働を強いられることになる。
それがわかっているのに、気づくとリーネのいるであろう方向に足が向いてしまっている。これはこれでまた、違う病に侵されているようでもあるが、これに関しては悪い気持ちにはならなかった。
最近、昼休みはいつも、リーネ1人で中庭のベンチで食事をするようになっていた。
移り行く季節を惜しむように、そして何か眩しそうに中庭の木々を眺めるリーネを見るのが、俺は好きだ。
ずっと見ていたいのに、リーネはそんな俺に気づいて少し顔を強張らせる。
スタジアムを一緒に見に行ってから、俺がついリーネに触ってしまったばかりに、いや、触っていいか聞いたばかりに、リーネが俺を警戒するようになってしまった。
別に今すぐリーネをどうこうするつもりはないがーーー、まぁないというとそれは偽りになるのだけど、リーネが嫌悪することをやるつもりはない。
でもリーネはそうは捉えておらず、俺が近づくだけで距離を置こうとする。それが嫌だった。
だから警戒を少しでも解いてもらおうと、ちょっとした冗談でーーーあるいは俺に距離を置こうとする恨みも込めて、リーネに少しだけ酸っぱいジュースを渡した。
リーネが「スッパイ」と笑う顔を想像しながら。
なのに、リーネは少し動揺しつつ1口飲んで、「ぅひぁっ」と悲鳴を上げた。口をすぼめて、その口を両手で押さえた。かなり険しい顔をしている。
ーーーーあれ?と思った。
俺は辛いものが好きだ。それと同じくらい、酸っぱいものも意外と好きだった。
毒を体内に入れても効かないように、子供の頃から少しずつ毒に慣らされてきたこともあり、舌が多少、丈夫になっているのかもしれない。
俺にはそこまで酸っぱいと思わなかったのに、リーネにはとんでもなく酸っぱかったらしい。
でも心の底から酸っぱいという顔をしたリーネが、思わずにやけてしまいそうになるほど可愛く、それを表面に出さないように堪えるのが精一杯で、リーネを心配することも謝ることもできていなかった気がする。
リーネが更に不機嫌になってしまった。
失敗したなと反省し、次にリーネ会いに行った時はちゃんと優しくするつもりだった。
ベンチで佇むリーネに近寄ると、リーネの傍に大きな虫が近寄ろうとしていた。リーネが怯えるといけないと思って黙ったまま、リーネの傍にいって、リーネの肩まで登ってきていた虫を軽く叩いた。
すると虫は勢いでリーネの食事用の鞄に入ってしまった。あ、と思った時には、リーネがその虫と俺を見比べて、それこそ苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
わざと虫を鞄に入れたわけじゃないと弁解したが、ジュースの件があっただけに信用してもらえず、リーネの俺への態度が別の意味で変わってしまった。
ふてぶてしくなったというか、邪険に扱われているというか。
ただ、それでも警戒されるよりは良い気がしたし、リーネが一気に心を開いてくれたような態度になったので、あれはあれで良かったのではないかと今では思っている。
もう季節は冬。
木枯らしが吹いて、木々の葉が寂しくなってきた頃。ケリー先生に用があって部屋を訪れると、ケリー先生は机に小さなコアを並べて唸っていた。
「ケリー先生。少し時間あるだろうか」
俺が声をかけると、ケリー先生は我に返って、少し照れ臭そうに笑った。
「あぁ、アラン殿下。ーーー大丈夫ですよ。少し一息いれたいところだったので」
「何をしているんだ」
「ーーーまだ知られていないコアの、秘密を探っていたんですよ。12という数字とコアの関係性がまだわからなくて、、、」
ケリー先生は自分の薄紫の髪を1束クルクルと回しながら、また考え込んでしまう。
「コアと12」
「何かあるはずなんです。並び方か、重ね方か。でも何も反応がなくて」
赤いコアが机に並べられて、その形がノートにビッシリ書き込まれている。研究熱心なケリー先生らしい。
俺はそのノートに目をやり、ケリー先生に尋ねた。
「ノート、、、見せてもらっても?」
ケリー先生は抵抗なく頷いた。
「構いませんよ」
ノートを見ると、コアの様々な並べ方が載っている。
俺の考えられる並べ方はすでに試されている。勿論、魔術の権威であるケリー先生より俺の知識の方が上ということはないだろう。
だが。ふと思った。
「ーーー動かし方ーーーかもしれないな、、、」
「動かし方、ですか」
「これだけの並び方を試してダメなら、その可能性も捨てられないのでは」
「あぁなるほど。今までの魔法で、各魔法の並べ方や重ね方はあっても、魔法をかけながらそのコアを動かすということは魔法の方法にありませんでした。危険を伴う可能性があるのですが、可能性は皆無ではない。やってみる価値はありますね。ーーーそれで、アラン殿下。用事というのは?」
ケリー先生と少し話をして、俺はケリー先生の部屋を去ろうとした時、ケリー先生が俺に聞いてきた。
「アラン殿下。今年の残月祭は参加されますか?これでも学園の講師ですから、準備に駆り出されるんですよ。アラン殿下が参加されるかされないかで参加人数が変化する可能性もあるので、早いうちに聞いておこうと思いまして」
ケリー先生は特別講師という立場にあるというのに、学園のイベントの裏方にも駆り出されるとは、ケリー先生も大変だなと思う。
残月祭とは、一年無事に過ごしたことを祝い、来年の幸福を願う年末のお祭りだ。若者達はカジュアルな服を着てパーティーを行う。貴族だけでなく平民も一緒に参加するもので、残月祭を楽しみにする学生は多い。
去年、俺も少しだけ参加したが、防波堤になるはずの婚約者が去年はまだ学園にいないので、女学生が周りにわんさか来て面倒くさかった記憶がある。
正直、もう去年だけの参加で勘弁して欲しいところではあるが。
「残月祭に参加だが今年は、、、、」
やめておく、と言おうとして、それを止めた。
リーネは、参加するのだろうか。
婚約者のリーネが参加するなら、去年ほどの女学生から囲まれることもないだろう。リーネは現在、学園のアイドル的存在になっている。スタジアムでの戦いや、脳筋のようで意外と学業も優秀なところ、そして何よりその女神のような美貌が、学園の学生達に神聖化されて、陰で崇拝されているらしい。
そんなリーネを差し置いて、俺に積極的に近づく人間は少ない気がした。
さっきのケリー先生の言い方。多分、皇太子の俺が残月祭に行くことで、そこに出す露店などの売上額に変化が出るのだろうと推測される。もしかしたら経営難の露店の店主などに、主要な人物に声をかけて欲しいと頼まれているのかもしれない。
集客アップを見込める聖女のスミレはまだ消息不明のままだし、公爵子息のジルはあまりそういう祭を好まない傾向にある。
俺やノクト、リーネあたりが今年の客を呼ぶ人物になるのだろう。
ーーーリーネか。
俺はリーネの顔を思い浮かべた。
リーネの服で見たことあるのは、ドレスか白鎧か。
初めてリーネをみた時は、異色のメイド姿だったが、その時は短時間だったし、初の婚約者が見せたおかしな動きへの不信感の方が勝っていたから、実はあんまり、服装のことは覚えていない。
残月祭では、リーネのカジュアルな姿が見れるということになる。ワンピース、スカート、キュロット、フリルシャツ。ジャケット。どれでも似合いそうだ。
見てみたい気がしてきた。ーーーとても。
「返事は、また後ででもいいだろうか」
「勿論ですよ」
ケリー先生は笑って、俺を送り出した。
俺の足は自然と中庭のベンチに向かう。
リーネが行くなら俺も残月祭に参加しよう。
露店を出す国民の生活が少しでも潤うのならば行くべきだろうがーーーやはりリーネがいてこその残月祭だろう。
そんなことを考えながら中庭のベンチにたどり着いたが、まだリーネは来ていなかった。
風は冷たく、木々がその風に吹かれて揺れる。
俺はベンチに横になり、少し目を閉じた。
常に忙しい生活をしていると、ゆっくりしようとした時もつい、その後の行動の計画を頭で構築する癖ができる。だから、俺の頭は、目を閉じたまま今後のことを考え始めてしまった。
リーネと話したら、部屋に行って仕事の続きをしよう。スタジアムの建設の時に2ヶ月でノクトがまとめた書類がよくやく終わり、その後の問題がまた新しく浮上してきている。
最大の問題は飢饉だった。国内の大半は問題ないが、一部に疫病が出たり、天災に遭って飢えている人達も大勢いる。今年は戦争が増えたことで、例年より飢える人が多いようだった。リンドウ国の冬は厳しい。飢えている人が援助なしで冬を乗り越えることは難しく、ノクトの父である宰相が中心になってその対策に追われる時期になるが、俺も別の方向から毎年援助をしている。
少し前から準備はしていたが、飢える人が膨大な人数になるなら、それでも遅いくらいだった。スタジアムという余計な仕事がなければと今更ながら悔やまれる。
そんなことを考えていたら、ベンチの上で少し眠ってしまった。
「ーーーなんでまた、アランがここにいるの」
鈴を鳴らすようなリーネの声で目が覚めた。しかし、機嫌悪そうなリーネの声でさえ妙に心地よかったので、そのまま寝たふりをする。
「ーーーアラン。寝たふりなのはわかっているのよ。どいて頂戴。私はここで食事がしたいの」
リーネの声が近づいた。
怒っているようだが、全く怖くない。
片目をそっと開けたら、リーネが渋い顔をして俺を覗き込んでいた。
ーーー可愛い。
俺は口を開いた。
「この国の皇子に対して『どいて』は、また随分な言い様だな」
リーネはふんと鼻を鳴らす。
「私はアランを皇子と思わないようにしたの」
プリプリと不満を漏らしながら、リーネは弁当の袋に手をかける。
「ほら、さっさとしないと昼休みが終わっちゃう。どいて頂戴」
そしてベンチに横になって伸ばした俺の足を、ぐいっと押しやって、空いたスペースに自分が座った。
リーネの身体が俺の足に触れて、リーネの温かさが伝わってきた。身体が密着している。俺はつい、その感覚に意識を向けてしまう。しかし俺を警戒しなくなったリーネは、俺に触れていることを全く気にしてなさそうだった。
リーネの警戒心が薄れて気まずくなくなったのは良いことだが、ここまで警戒されなくなるのは問題かもしれない。
悔しくてこのまま目の前にあるリーネの腕を引っ張って抱き締めてやろうかとも思ったが、今度こそ警戒したリーネが俺から逃げ出してしまうだろう。
俺はぐっと我慢した。そしてリーネが弁当を食べる様子をただ眺める。
リーネの食べる仕草はとても綺麗で、やはり公爵令嬢なんだなと思わせる。
そしてよっぽど美味しいのだろう、微笑を浮かべながら一口ずつ美味しそうに食べるリーネの姿を見ていると、非常におなかが空いてきた。
よく考えたら、朝から何も食べていなかった。
「ーーーお腹空いた」
俺が呟くと、リーネは目を剥くように俺を凝視してきた。俺が弁当を欲しがっていると思ったんだろうか。
しばらく俺をじっと見てくる。
その顔がまたーーーとても可愛くて。つい、悪戯したくなってしまった。
俺はベンチに寝転んだまま、リーネを見つめる。
子供のように、我が儘を言ってみた。
「おなかが空いてきた。何か食べるものが欲しい」
俺がリーネの弁当をねだると、リーネは俺の顔を
見下ろした。
「まだ学園の食堂は開いてますわよ。アラン皇子とあろうお方が、こんなところで飢えているなんて、とても見ていられませんわ。早く食堂に行かれて心ゆくまでおなかを満たされることをお勧めしますわ」
言葉遣いが、二人きりの時は普通にしてくれと言っておいたのに、丁寧語に変わっている。怒りをそれで示しているのだろう。
俺は目を細めてリーネに反抗した。
「俺が、数に限りがある食堂のランチを食べることで他の学生がそれを食べれないかもしれないと思うと、とても心が痛む。それならば俺が飢えたとしても、未来ある生徒達が無事に食べれた方が良いだろう。なに、俺は少しばかりここで食べれれば、それでいい」
リーネは目を大きく開けたあと、つんと俺から目を反らせた。
「ーーーあげないわよ」
「何故」
俺が聞くとリーネは、この景色に合わせて特別に作らせたランチなので、あげられないと言った。
しばらく粘ったが、段々リーネが本気でイラつき出したので、俺は引くことにした。別にリーネに本気で嫌われたいわけではない。
リーネの困った顔が見たかっただけだ。
「邪魔をした。では、ゆっくり弁当を楽しむと良い」
俺が素直に立ち上がって去ろうとすると、リーネは今度は意外そうな顔で戸惑いながら俺を見上げる。
スカイブルーの瞳が、曇ったように揺れていた。
押すと引くくせに、引かれると動揺する。
なんだ、この可愛い生き物は。
そんな顔を見ると後ろ髪ひかれてしまう。
俺は浮遊の魔法を使って、リーネの弁当から1つ、だし巻き玉子を奪って、自分の口の中に入れた。
口いっぱいに、高級な出汁の味とふんわりとした卵の柔らかさが広がった。
「うん、うまい」
我が王宮でも腕の良いシェフを雇っているが、流石、リーネの家は国内有数の富豪。そして美食家と名高いグランドロス公爵のシェフだ。だし巻き玉子に関しては、王宮のシェフのものより美味しかった。
そしてつい悪戯してしまったあとリーネを見ると、リーネは物凄く悔しそうな顔をしていた。リーネは食い意地がはりすぎだ。
ふと、思い出して、歩く足を止めた。
「リーネ。今月末に『残月祭』があるだろう?」
「残月祭のパーティーね。ーーーもちろん、あるでしょうけど」
本当にリーネは、何でも顔に出る。全く残月祭に興味がなさそうだ。
俺はリーネに微笑んだ。
「さっきの卵焼きのお礼に、『残月祭』で俺がリーネのためにプレゼントを贈ろう」
「え?」
不思議そうなリーネの表情から、なんで?と声が聞こえた気がした。
その瞳には、俺から贈り物をされるという喜びや好意は全く感じられない。
リーネに俺の気持ちは伝わっていないとは思っていたが、ここまで気付かれていないと、少しどうかと思う。俺ばっかりリーネを想って、リーネは俺のこととか関係なく穏やかに日々を過ごしているのだろう。
どうしたら俺のことを考えるようになるだろうか。
少しは俺のことで悩んでくれていいと思う。
リーネの態度で一喜一憂している俺が阿呆のようだ。
ーーーだから俺は追加してみた。
「リーネから俺へのプレゼントも、楽しみにしておくからな」
そうすれば、プレゼントを選ぶまではリーネも俺のことを考えるだろうと思った。
その時のリーネの愕然とした姿は、しばらく俺の頭から消えていかないだろう。
そして俺は学園の自分の部屋に帰り、ノクトに、リーネとプレゼント交換をすることになった事だけ伝えた。
ノクトは呆れた顔で俺に言う。
「リーネ嬢がちゃんとした贈り物を選ぶという想像が、全くできないんですけど」
どちらかといえばノクトもリーネのお騒がせ体質に振り回されているため、リーネのことがよくわかっている。俺は確かにと笑って、ノクトを見た。
「俺もそう思う。だからこそ何がでてくるか楽しみだ」
それを聞いて、ノクトは不憫そうな顔をする。それは俺に対してのものか、リーネに対してのものかはわからないが。
俺は窓の外を眺める。
冷たい風は強く吹き、これから外は荒れるだろう。人々は苦しみ、国も荒廃していくかもしれない。
そうならないように、俺はこれからも走り続けるだろう。
それでも。
リーネのことを考えると、溜まった疲れが飛ぶ気がするのは何故だろう。
リーネと婚約して10年。
贈れなかった今までの残月祭の分の贈り物を、リーネに贈ろう。
リーネが俺からの愛で満たされるまで、俺はこれから何年も贈り続けよう。
そしてできれば。
リーネが俺に最高の笑顔を贈ってくれると、一番嬉しい。




