悪役令嬢、下の階へ落ちる
白い鎧の加護なのだろうか。
かなり高いところから落ちたと思うのに、身体はあまり傷んでいなかった。あの落ち方、最低でも骨折はするかと思っていたけど。
そして気を失っていたのだろう。
目を覚ますと、水の音とともに、大きな水溜まりがいくつも見えた。
天井は高すぎて見えない。あちこち尖った岩が、氷柱のように下を向いて伸びていた。
昔、あちらの世界で、鍾乳洞に旅行にいった時の事を思い出した。
ここより天井は低く狭かったけど、ひんやりとした空気も、氷柱のような岩が沢山並んでいるところも、よく似ていた。
「ここ、、、本当にダンジョンなのかしら、、、」
あんなに敷き詰めるように集まっていたモンスターもいない。
穏やかな観光名所のようだ。
私はゆっくりと身体を起こし、探索するように歩き出す。
大きな水溜まりがいくつかあるが、その中の水はそれぞれ色が違っている。 透明な水だけでなく、緑がかっていたり、赤みがかっていたりする。
「この水、、、飲めるのかしら」
あの場所から動くつもりはなかったが、私の意思ではなくとも場所を移動し、兄の言う通り、私は迷子になってしまったらしい。
そうなると生活魔法が使えない私は、水の有無が生死を分けることになりそうだ。
水さえあれば何日か生きられる。
でも水がないと人はそんなにもたない。
かといって、こういう洞窟の水は、鉱石が溶けだして毒性があるかもしれない。
ーーー いざとなったら死ぬの覚悟で飲むしかないか。
出口も探しつつボチボチ歩いていると、中央に、虹色に輝く水溜まりを見つけた。
水溜まりの水はキラキラ輝いてとても綺麗だ。
私はその水溜まりに駆け寄る。他の水溜まりに比べて、直径5メートル程度の小さな水溜まりではあるけど、明らかに他の水溜まりとは違う様子だった。
世の中の生き物には、綺麗な格好をして誘き寄せて餌を捕らえるものが沢山いる。虹色の水をして寄せ集めただけで、毒だったりして、、、。
恐る恐る、白い鎧をつけたまま、指をゆっくりつけてみる。
ーーーとりあえず、指は溶けない。
いや、それどころか、鎧の隙間から入ってきた水は、疲れた指を優しく回復させてくれている。指の痛みが消えていた。
ーーー回復。している。
そして、はっとジルお兄様の言葉が蘇った。
「回復の泉!」
ボスを倒した後の部屋には他のモンスターが入ることはなく、回復の泉もあるから元ボスの部屋は人気があるのだと、兄は言っていたじゃないか。
ここはどこかの階の、ボスの部屋なのかもしれない。
2階かもしれないが周りに人がいないし、あれだけ深く落ちたのだ。もっと下の階であると考える方が妥当だろう。
公爵領のダンジョンは、地下12階までしか攻略されていないと言っていた。
比較的難易度の低いモンスターが多いというのは、どの階までのことなのだろう。
一般の人は、何階まで普段降りてきているのだろうか。
いずれにせよ、ここまで人がいないところをみると、想像よりずっと下の階なのかもしれなかった。
しばらく私は辺りを見渡していたけど、誰一人現れる様子がないことから、まずは白い兜を脱いで顔を洗った。
手ですくった水は、眩しくキラキラと輝いている。その水で顔を洗うと、1回で顔の汚れが全部落ちたかのように、スッキリと綺麗になった。
そしてもう一度誰もいないことを確認して、今度は白い鎧も脱いでいく。
鎧の下には下着しか着ていないが、いざ人が入ってきても、下着さえきておけばとりあえず全裸ではない。大丈夫だろうと、回復の泉の前に服を並べて、私は回復の泉の中に入っていった。
もう汗まみれで泥だらけ。
あと1週間、ダンジョンに通うつもりではあったけど、まさか迷子になるとは思わなかった。下手したら何日も滞在することになるかもしれない。そう考えると、綺麗にできる時に綺麗にしておきたかった。
回復の泉は、洞窟内の空気が冷えているのに対して、少し温かい温度加減だった。
ぬるめの温泉につかったかのようだ。
回復の泉は思ったより浅く、立っていると腰より下くらいしか水位がない。
私は膝を曲げて、肩まで沈んだ。
その時、がさり、と少し離れたところで音がした気がした。
反射で水の中に沈み、鎧のところまで水面下を移動する。泉の端に置いていた鎧に手だけ伸ばして、それを水の中に引きずり落とした。
水中で鎧をつけるのがこんなに大変とはね。
息の限界と戦いながら私は水に勝利し、鎧をつけた状態で水から這い上がった。
音がした辺りを見ると、背の高い、筋肉質の男が明後日の方を向いて立っている。
見られた?
いや、男は向こうを向いている。見られてなかったかもしれない。
いくら裸でなく下着とはいえ、さすがに淑女があんな薄着を見られたらダメよね、と心で呟く。誰よ、全裸でなければいいか、なんて言った人は?
どうか見てませんように、と願うと、男が私に気付いて、じわりと私の方に寄ってきた。少しおどついている。
「なぁ、さっき回復の泉に、女神様がいたの、見たか?」
女神様?
そんなのいないし。
私が首を振ると、男は少し照れ笑いして、
「やっぱり俺の気のせいか」
と呟いた。
「お前、ここまで一人で来たのか?」
親しげに男は私に話しかけてくる。少し長めの髪はボサボサだし、眉も太くて熊みたいな顔をしているが、よく見ると顔のバランスは悪くなく、整えればそこそこ見れる顔立ちをしている。熊みたいなのに少し垂れ下がった目が、愛嬌のあるように見えた。
だけど、どこの誰かもわからない男と、こんなどこかわからない地下ダンジョンで二人きりの状態で、自分が女だとバラすほどバカな私でもない。
私は言葉には出さず、頷いて肯定を示した。
「あれ、お前、、、もしかして、、、」
私は黙ったまま、自分の喉を手で押さえる。
男は少し申し訳なさそうにしながら、
「そっか、喋れないのか。ーーーまぁ、喋れなくても会話はできるもんな」
と勝手に解釈してくれた。
見た目どおり、人が良さそうだ。
「この階まで来れるってことは、そこそこ腕が立つんだろうが、その割りには見たことないやつだな。もしかして新人か?」
私はまた頷く。
「てことは、あれか。自分の腕を試してどこまでやれるか、挑戦したくなってここまで」
私は首を振る。
「違うのか?じゃあまさか、ここまで来たけど帰る方向がわからず迷子になって困ってるやつか?」
ビンゴ!!!
私は大きく頷いて、ぴんと親指を立てた。
その様子を見て、男はさも可笑しそうに笑いだす。
「わははは。本当か。面白いやつだな。強いくせに方向音痴か」
男はとにかく声が大きかった。鎧をつけた私の背中を勢いよくバンバンと叩く。
「よしよし、俺に任せとけ。このベック様がお前をてっぺんまで連れていってやるからよ、安心しな」
あら、案内してくれるの?ありがたい。
よろしくお願いします。
私がペコリと頭を下げると、ベックという男はうんうんと満足げに頷いた。
「でもな、俺らも、ここに遊びにきてるわけじゃねぇんだよ。ギルドの依頼でな、ホワイトベアーっていうモンスターを3体倒さないといけなくてな」
白熊かな?
「なのに、何時間待っても一体すら出てきやしない。それを狩るまでは帰れねぇ。狩ったらすぐに帰れるんだが。だからお前も、探すの手伝ってくれねぇかなぁ。他の奴らは気はいいんだが、あまりに体力がなさすぎる。だから俺だけ先に進んで、ついでにここの回復の泉に癒されにきたところだったんだ」
なるほど。そういうこと。
私はまた口には出さず、指でオーケーの意味を示す。
でも一階のあのモンスター達の異常な様子。
下手したらここでも同じ現象が起こるかもしれないのだけど。
「ほんとか?ありがてぇ。無事ホワイトベアーを回収したら、ちゃんと上まで送り届けてやるからな」
ベックはニカッと人好きのする笑顔で笑って、私をこのボスの部屋の出入り口まで案内してくれた。
「このダンジョンは弱いモンスターが多いといっても、さすがに8階は敵も強くなってるからな。気を抜くなよ」
8階?
ここは8階なの?
随分と下まで落ちてしまったのね。
驚きながらベックの後をついていくと、奥に扉が見えてきた。2メートル近くあるのではというベックの身長の軽く2倍はある大きな扉の前に立ち、ベックはその扉の長い取っ手に力を込めた。
扉は、ギイィと音を軋ませてゆっくりと開く。
瞬間、ドアの前で待ち伏せしていたらしい白くて巨大なモンスターが、鋭い爪を立てて腕を振り下ろしてきた。
「危ない!!!」
ベックの叫び声と共に、腕が切れて弾けとんだ。
ーーーーホワイトベアーの丸太のような腕が。
私が切り落としたのだ。これは居合いに近い。
一階でもモンスターは親の仇のように目を赤くして興奮しながら集まっていた。ここは8階らしいが、ここでも同じではないかと思って、斬る心構えはしていた。まさか開けた瞬間、攻撃してくるとは思わなかったけど。剣の練習しててほんと良かった。
腕を斬られて悶え苦しんでいる熊を前にして、ベックは目を真ん丸くして私を見ていた。
「ーーー一刀両断か。強いだろうとは思っていたが、とんでもないやつだな、お前。ホワイトベアーは硬くて有名なんだぞ」
そんな化け物をみるような目をしなくても。
これは私の剣術だけじゃなく、国宝級に近い名刀をアラン皇子が惜しみ無く買ってくれたからで。
けど、そんなこと言えるはずもない。
鎧の中で苦笑しながら、私はホワイトベアーという名の、巨大な熊の姿に鹿のような角をつけたモンスターの心臓に剣を深く突き刺し、その剣を振り払う。
扉の外は雪が降っており、まばらに雪の積もった地面にホワイトベアーは音を立てて倒れ、絶命した。
まだ唖然としているベックに、素材がいるんじゃないの?と、言葉には出さず、剣でそれを促した。
我に帰ったベックは、慌ててホワイトベアーに近づく。今回の目的は、ホワイトベアーの角と肝らしい。
さすがに8階のモンスター。
1階のと違って、絶命してもすぐにはコアにならなかった。ベックが素早い動きで角と肝をとった後、ゆっくりとホワイトベアーは拳大の赤いコアに変わっていった。
「あんなに探しても出てこなかったのに、こんにあっさり見つかるとはなぁ」
ベックが苦笑いした先には、同じホワイトベアーが4体、すぐ近くの林の中からゾロゾロと這い出してきていた。
「ってか、出てきすぎだろ!」
ベックは背中に担いでいた背の高さ程ある大剣を抜き、両手で構えた。
大きさもそうだが、構えた剣は太さもある。
斬るというよりは、振り下ろして砕く、という方法で倒す剣ではないだろうか。
あの剣を持てるだけで、このベックという男もただ者ではない。
「おい、白いの。俺が2体倒す!お前も2体な」
白いの、、、。
それは私の名前ですか?
釈然としないが、喋れないので、了解の合図だけしてみせる。
8階というから、どんなモンスターが出るかと少し怖かったが、この程度なら想定内だ。
私は駆けてくるホワイトベアーとの距離を更に縮めるように、勢いよく走りだし、私が近づくと両手を上げて威嚇してきたホワイトベアーをまず蹴飛ばした。
ぐらついたホワイトベアーの横にいたもう一匹の首を、スライスするように刈り取り、そのまま、まだぐらついて体勢を安定できていないホワイトベアーの肩から斜めに、足元に向けて剣を振り下ろした。
深々と身を斬られたホワイトベアーは、激しい雄叫びをあげて、少しあがいたあと、絶命した。
ふぅ、と私は息を吐いて、剣を勢いよく宙で振ると、そのままホワイトベアーの血は、見事に流れ落ちた。
なんという名剣。
「鮮やかだね」
私のすぐ後ろから、ベックではない、しかし、とても聞き馴染みのある声が聞こえた。
私が勢いよく振りかえると、そこには、笑顔なのに怒りを隠そうともしていないジルお兄様の麗しい姿があった。
「とても生き生きして、見たことないくらい楽しそうな姿だった」
パチパチ、と拍手をする兄がこんなにも怖い。
「嫌な気配を感じて1階に行くとリーネはいないし、地面には大きな穴が空いてるし」
「いや、あの、お兄様。これはその、そう、不可抗力で」
ジルお兄様は笑顔を絶やさない。
「わかってる、わかってるんだ。だからこそ心配して、この俺があの埃くさい穴を抜けて降りてきたのに、その不憫にも愛しい妹は、まさか見知らぬ男と二人で楽しそうにモンスター狩りだとは」
「いや、別に楽しくは」
「言い訳はいいから、ほら、さっさと帰るぞ」
ジルお兄様に腕を捕まれて、転移の魔法をかけるお兄様から私が目を離して振り返ると、ベックは少し離れたところで、ベックが倒したホワイトベアーの素材を刈り取っていた。
地上まで連れていってくれるって、親切にしてもらったのに、お礼も言わず申し訳なかったな、と思った時には、もう私はダンジョンから屋敷に戻っていた。




